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第二十九話

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 源次郎が紙の表裏と交互に見て、また表に書いてある英文を見て唸った。
「んんん、走り書きの筆記体でわからないな。クセあるし、英語でもなさそうだけど。お嬢さん、えーと、篠田さちさん、何故ここにいるか覚えてる?」
「はあ、うすぼんやりですけど、覚えてます。車に、轢かれて」
 そこで一つ間をおく。拓也も源次郎も急かしはしない。
「……あまりにも突然だったから、その時はまだ死んだってわかってなくて、事故現場に呆然と立ってたんです。だからその女の子に話しかけられたときも、ぼーっとしてたから、心配されたんだと思いました」
「女の子?」
「はい。外国人のスタイルよくて、すっごく美人な女の子です」
 天使かと思いました。篠田さちの頬は紅潮し、瞳もきらきらと輝いている。スキンケア、何使ってるんだろ!正座して力説する篠田さちに、拓也はがくりと肩を落とした。ここに静江がいたら話は盛り上がるんだろうが、いるのはちょい不良高校生男子とへらふにゃ胡散臭く笑っているおっさんだけだ。
 そのへらふにゃ胡散臭く笑っているおっさん、源次郎はやはりへらふにゃ笑って興奮する篠田さちのずれかけた話題を元に戻した。その外国人の美人さんが、何か?柔らかい物言いだが、篠田さちははっと話題を思い出して話し始める。流石だ。拓也は笑いを噛み殺した。
「そうそう!その女の子がちょっとカタコトで、大丈夫ですかって凄く優しく声を掛けてくれて、事故現場から連れ出してくれました。でもここに着いた途端がらっと、あんたもう死んでるよって、もう化け物だって……私もうパニックになっちゃって、そうだ死んだんだ、私はもう化け物なんだって思ったら、頭が真っ白になって……気付いたら、ここから動けなくなってました。その円を見ているとどんどん意識が持ってかれて、その時にその円が罠だって伝わってきたんです。私が栄養で、その円が罠。その女の子も、簡単だけどこれでいいか、時間稼ぎになればいいな、って言ってたから……」
 時間稼ぎ。拓也と源次郎は顔を見合わせた。源次郎には思い当たる節があるようで、表情が少し険しく、拓也もよくわかってないとは言え、時間稼ぎという言葉は自分達に向けられていることはわかった。
「事件が起こったら、そこから動けなくなるしね。時間稼ぎには充分じゃないかな」
「だろーな。それが人為的現象だってわかったら、俺みたいな下っ端じゃなくて。きちんとした人が現象の解除に動く……突っ込んでいけるやつは、あんまいないだろうし。てか俺ぐらいだろうしな」
「自慢しないの。ちょっと反省なさい。怪我してないからいいけど、こんなに大きな傷床つけちゃって……力があっても、君にはまだ経験が足りない」
 ぺしりとはたかれて、拓也はまずいと顔をしかめる。口をすぼめてごめんと言っては、すねていると言っているようなものだ。篠田さちは二人の微笑ましい様子にくすくすと笑った。篠田さちを覆う空気はすっかり和らぎ、仄かに光を帯びている。もう、乱れることはないだろう。
 拓也は立ち上がり部屋中の紙をはがし始め、源次郎も和やかな笑顔を取り戻し、篠田さちの手を取って立ち上がった。ふわ、と篠田さちの体が浮く。
「今引き継ぎの人が来るから、もう少し待っててね。あ、それと」
「はい?」
「あなたは化け物ではありません。老いと同じで誰しもが通る道だから、安心してご家族に挨拶へ行きなさいね」
 源次郎の表情は温かい。篠田さちはふわりと光をこぼした。
 部屋の全ての紙をはがし終えた拓也が、残りの紙も源次郎に渡したとき、静江がそろそろりと玄関を開けた。なんでもない部屋になっているのがわかると、ほっとして中に入る。篠田さちに笑顔で会釈して、靴を脱いで上がってきた。
「今、小森さんが直ぐそこに来てるって、連絡がありました。警視、お帰りいただいて大丈夫です。ゆっくりおやすみくださ……って二人とも土足!」
 拓也と源次郎は、二人してとっさに誤魔化すような笑顔を浮かべて、そそくさと玄関に急いだ。拓也は床も傷付けてしまったので更に心苦しく、静江から学校鞄を受け取ると真っ先に外に出る。そのまま立ち止まらず、小走りで道路に出て追って来た源次郎が並んだ。駐車場は向こう、そう指をさされそっちへと走る。
「拓也くん、薔薇の棘のことは、東雲くんから聞いてるよね」
 近くの駐車場に留めてあった、源次郎の車の助手席に乗り込む。後部座席に鞄を放り投げてシートベルトをしながら、言いふらしたことバレてるぞ、東雲、と心の中で呟く。それでも、あははですよねぇーと、反省も薄くにまにま笑っている姿しか思い浮かばない。
「東雲くんが読んだ情報の犯人は、薔薇の棘とは結局無関係で、でも似た思想を持っている一個人だってことがわかったんだ」
「あ、もしかしてこの前、露天商に気を付けてってメール来たけど、それ?」
 エンジンをかけて、車がゆっくりと走り出す。平日の朝と昼の間、車も人も少なくなっていて、歩いているのは老人や幼いこども連れの母親ぐらいだ。
 天気もいいので、スムーズに車は走る。源次郎は相槌を打った。
「負の感情を膨らませて、暴走させるアクセサリーを売っている露天商がいる、それが東雲くんが読んだ情報だよ。この前起きた事件……詳しくは言えないけど、露天商の事件とその事件それぞれの現場が、だんだん光子ちゃんに近付いてるなって僕は感じたんだ」
 拓也は突拍子のない話に息をのみ、眉をひそめる。運転する源次郎の横顔はいつも通りで、向かっている道は自宅でも本部への道でもなく、拓也が通う学校への道だった。
 ……人食い鬼の、手鏡?ぽつりと思い当たることを呟く。源次郎は何も言わず、続けた。
「あれは、反超自然生物思想の人にとっては、ただの化け物が中に入ってるモノで、破壊すべき対象だ。篠田さちさんの証言の女の子は、幽霊となった篠田さちさんをもうただの栄養としか見てないふうだった。だから篠田さちさんは、犯人の姿を覚えてたんだ」
「何が、言いたいんだよ」
「力が漏れても、異変は微弱なものでしかない。今回の件で汐織ちゃん達が気付いたのも、近所だったからだよね。でも、だ。僕らが光子ちゃんちに初めてお邪魔した日、もうすっかり落ち着いてたってのに襲撃があった。月並みだけど、人間の感覚と違う感覚が彼らにはあるんだろうね。波長ってのも関係してると思うけど、彼には僕たちには微弱な異変がしっかり届いて、遠くから駆けつけやっとこさあの日、辿り着いた」
「だから!何が言いたいんだよ、父さん!」
 走って十分ほどでつく場所なんぞ、車で行けばあっという間だ。教師達が車を停めている駐車場は学校の裏にあり、裏門へまわって源次郎は車を停めた。ぶるる、エンジンも止まって、鍵を引き抜く。
 エンジン音がなくなって、沈黙が落ちた。校内は授業中だからかひっそりとしていて、遠くで音楽の授業だろう、楽器の音が微かに聞こえる。源次郎はハンドルを一度指ではじいた。
「アクセサリーには、ゴブリンやコボルトが使われてた。篠田さちさんは簡単な罠だから、その場のものが使われたんだと思う。あの紙の文字、ヨーロッパのほうの言葉だ。ゴブリンやコボルトは、そちらの国々の子たちだってのはわかるね」
「……材料にされた子たちが、人食い鬼の力が漏れ出たとき騒いだ、ってことか?犯人はそれを知って、光子ちゃんにどんどん近付いてきたって?」
「……ゴブリンは、日本語では小鬼と訳される」
 どくん、と心臓が一回大きく揺れる。悪い予感から目をそらさないよう、ぐるぐると血を流すために大きく鳴り響く。拓也ははっと気付いた。
「授業中?まだ一時間目?」
 んんん?源次郎が袖をずらし、腕時計を見る。二時間目だねと、あっさりと確認してあっさりと言う源次郎に、拓也はいっそぽかんと口を開いた。さっき考えるべく心臓が血を送ってくれたというのに、拓也の脳は今のことをちっとも理解してくれない。
「えええ?もうそんなたったんか?」
「だから時間稼ぎだって、拓也くん。君はあのアパートの部屋に、三十分以上閉じ込められてたって、言ったじゃないか」
 なんでこんなにのんびりしてんだ、拓也はシートベルトを外して、車から飛び出した。駐車場の近くには職員と来賓者用の出入り口があり、そこに駆け込む。次は土足でなくきちんと靴を脱ぎ、来賓者用の靴箱からスリッパを取り出してのほほんと笑っている源次郎に投げつけ、自分もスリッパを履いて廊下へ走り出た。
 防犯にうるさい昨今、来賓者はいかなる人物であろうと一度事務室で手続きをして、首から下げる来賓者カードを貰わなければならない。その面倒くさい手続きを全て源次郎に押しつけて、四階へ走る。源次郎もそれがわかっているのだろう、拓也を止めようとした事務員の間に入り、いつもの笑顔で丸めこんだ。
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