幸福に生きる為に魔女が欠かさずしていること

ぃて くるみ

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第二十七話

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 すらりと伸びる健康的な手足と、豊満な体を惜しげもなく見せるように、少女が着る服はビスチェのようなコルセットのようなデザインで、首から谷間まで胸の殆どが丸見えだ。ジーンズ生地のジャンパーを羽織り、危ういほど短いスカートはレースがいっぱい重ねてあって、少女が大股で歩いても中身は見えそうにない。
「エエト、ブローチは?ブローチの罠、解除される気配したカラ、来たんだケド」
 さく、と膝まで隠すニーハイブーツの棘のようなヒールが、野原の草を踏みしめる。すかさず光子は少女と夏美の間に入って、遮る様に両腕を上げた。
「ブローチのこと、知ってるんですか」
「YES、ワタシの収入源だもの。アーでもあのブローチは、その子から目的のモノの匂いがしたから、あげたのヨネ」
 露店商だ。光子は震える足をぐっと堪えて、精一杯睨みつけた。こんなに目立つ姿なのに、ヘアピンとブローチを出した時、夏美は露店商の姿を覚えていない、と言っていた。明らかに何らかの術をかけていて、そんな類いの術を使う人は警戒すべき人だ。
 何よりあのブローチは、悪意に満ちている。こびとがぎゅうと光子にしがみつく。
「それ、ワタシがブローチに使ったコボルトデショ?どういうコト?」
 にこにこと首を傾げる少女には、もう光子の事がわかっているようだ。ひしひしと伝わるプレッシャーの重さが、光子の背筋に冷たいものを流す。
 そうだ、携帯。やっと携帯電話を落としていたことに気付いて、光子は右手の指をぎくっと動かした。夏美と少女の間に入った歩数を考えると、数メートル行った所の草にうもれている筈で、どちらにせよ夏美を守る為に立っているここから離れないと、取りに行けそうにない。
「……巨大な力を持った、古いナニカの気配。消えちゃったケド、ここらへんの筈なの」
 電話の向こうで拓也が出てるとして、叫べば届くだろうか、それともぱっと取りに行ったほうが確実だろうか。考えると緊張で喉が渇き、心臓が大きく脈打つ。
「これはワタシの勘なんだケド、ヤマトナデシコさん、ナニカ、知ってるんじゃない?」
 ちら、と携帯電話があるだろう方へ、視線を動かした。
「答えなさいヨ」
「っ、きゃああっ」
 視線を動かした瞬間、今まで経験したことも無いような突風が襲ってきて、光子は吹き飛ばされ悲鳴を上げた。背中に夏美がぶつかった感覚を感じ、もつれるように二度小さくバウンドして、ざりざりと止まる。枯れた雑草は堅く、頬や膝が擦り剥く。はっと起き上って周りを見ると、同じように傷だらけになった夏美がぐったりと気絶していた。さほど広くない野原で吹き飛ばされたからか、夏美の体は殆ど向こう側の道路に飛び出している。
 短く悲鳴を上げた。突然のことに何処を怪我したかよくわからないが、体中が痛みさっと立てない。よろめいてやっと上半身を起こし、這うように夏美のもとに駆け寄る。とっさに握った手は暖かく、呼吸もしていて涙があふれた。こびとも何処かに吹き飛んでしまった。
「日本は、時間をとても大切にする国デショ。質問にはさっさと答えて。アー、善処、とかお時間下さい、とかやめてネ」
 殺すわよ。まるでなんて事の無いようにさらっと言う少女に、光子は全身が沸騰するのを感じた。経験したこと無い恐怖と夏美を守れないかも知れない絶望、言い知れぬ何かが入り混じって痛みが遠のき、涙でぼやけた目の前がかあっと白くなる。
「あなたはどなたですか。失礼ですが、あなたのご両親やご家族は、挨拶の仕方を教えて下さらなかったのですか」
 体中がぐつぐつとしているのに、光子の声は酷く落ち着いていた。淡々と言う光子に少女はきょとんとしてから、大声で無邪気に笑いだした。
「アハハハハ!面白い!そんなの言われた事無いわ!アナタ、とても暖かい世界に住んでるのネ!イイヨ、教えてあげる。名乗る名前も、愛すべき両親も家族もないの。好きな物語に出てくる、悪女の名前でいいわ。カーミラ、オディール、ミレディ、メルトイユ……ソウネ、さっきチョコレート食べたから、カーミラと呼んで」
 光子はゆっくりと少女、カーミラの全身を眺めた。先程とは違い、手に古いペンとメモ帳を持っている。万年筆だろう、ペン先は金色でキャップが透明な青い石で出来ている。メモ帳は何処にでも売っているありふれたもので、ページ数も多く光子も使ったことがあった。
 じっと万年筆とメモ帳とを見てから、またカーミラの美しい瞳を真っ直ぐと見る。
「……そう、はじめまして、カーミラさん。私は光子と申します。この子は夏美、親友です」
「ミツコ!親友のナツミ!OK、ヨロシクネ」
 握手もお辞儀も無い。恐らく怪しいのは万年筆だけだ。光子はぎゅうと夏美の手をきつく握りしめ、息をゆっくりと吸った。カーミラの目的は、人喰い鬼の手鏡だろう。
「あなたが探しているものは、今、ここにはありません」
「アラそうなの?」
「はい。私が知っています。お渡しします。それで」
 ついに喉を涙が濡らし始めた。声が震えて、ぼたぼたと涙が落ちる。
「この子は、ふっ……この子は、関係、ありませんっ。か、帰してあげて、ください……っ!」
 これまでの悪意は母親も影も全て、光子だけに向けられていた。母親も兄や妹には優しい母親だったと、ドア越しの声を聞きながら知っていた。影も、真っ直ぐと光子を狙ってきていた。だが今は光子だけでは無い、夏美も危険に巻き込まれている。夏美が傷付いていて、ぐったりと気絶までして、手がぴくりとも動かないのが酷く怖い。
 カーミラは微笑んで、さらりとメモ帳にペンを走らせる。短さからいって単語だろう、びっと破ると青く光ってぐにぐにと広がり鋭い形になり、見る見るうちに細く鋭い剣に変化した。
「やあよ」
 元はメモ帳だったとは思えない細い諸刃の刀身が、銀色にぎらりと輝き、毒々しく光子の視界に焼きつく。びりびりと感じるものが殺気だと、光子は生まれて初めて知った。
「な、なんで」
「本当に場所を知ってるかどうか、本当にくれるかどうか、その子がいたほうがミツコはスムーズに行動してくれそうじゃない?」
 どうしよう、どうしよう、どうしよう。光子は考えた。夏美を逃がすにはどうすればいい?私が飛びかかって転ばせて、一気に駅の方へ走る?駄目だ、気絶した夏美を引きずっては、高が知れているし、何よりカーミラを転ばせられる自信が無い。本当は知らないと嘘をつく?駄目だ、そうすれば今直ぐに殺される。
 考えれば考えるほど悪い方向に考えが進み、どんどん指先が震えていく。声も体も勝手にガクガクと震え、涙は変わらずぼたぼたと落ちた。
「ほ、本当に、この、この子は何も関係、ないんです。お、お願い」
「……ンー、いたほうが駄目かしらネ」
 泣きながら震える光子に、カーミラは呆れたように形の良い眉を上げ、剣の切っ先をすらりと夏美に向けた。心臓がひと際大きく跳ねて、とっさに光子は夏美に覆いかぶさる。
 ぐつぐつぐつ。沸騰する体は、奥底から言葉を叫ばせる。
「お願い!助けて!」
 タン、と破裂音が響き、続いてギィンと甲高い金属の音が響く。
 そっとカーミラを見ると剣が足元に突き刺さり、笑顔が消えてギロリと一方を睨みつけている。何かがカーミラの手から剣を落とした?呆然とカーミラを見上げていると、もう一度タンと破裂音が響き、そのしなやかな体が肩から仰け反る様に吹っ飛んだ。
 破裂音は、映画やドラマで見た銃声に似ている。はっとして体を起こし、カーミラが見ていたほうを見ると、スコープ付きの長い銃を持った拓也が、こちらに走りながら銃をピアスに戻すところだった。
「ごめん!遅れた!」
 幻かと思った。だが拓也は次に別のピアスに触れて、さっきとは違う長い銃に変えながら走って来る。足音はどんどんと近付いてきて、音もきちんと届く。
「光子ちゃん」
 後ろから、優しい声が聞こえた。ぽん、と暖かく大きな手が光子の背中をゆっくりさする。ふっと緊張が弱まり、詰まっていた呼吸が楽になる。振り返ると源次郎が微笑んでいた。
「もう大丈夫だよ」
 あまりにも優しくてあまりにも暖かくて、光子はぽかんとその顔を見た。幻かと思ったが、背中をさする源次郎の手は確かに本物で、さすられる度に溶けていく心が現実味を戻す。目から暖かい涙があふれて、はい、としっかり声が出た。
 
 
 
 源次郎から、人出が足りないとメールが来ていることに気付いたのは、一時間目が始まる直前だった。メールが来たのが仕事用の携帯電話でなかったら、気付かず一時間目を過ごしていただろう。一時間目が始まるチャイムを背に指定された場所に走りながら、メールを確認する。
 一週間前空室となったアパートの一室に、ここ数日間夜中に物音とうめき声が聞こえる。隣人はその部屋の元住人と仲良しで、心霊現象が起こったという話は聞いたことが無いと言う。誰かが忍びこんでいるのではと、通報を受けた警察が訪ねてみたところ、誰もいないしいた形跡も無い。パトロールを強化し一日眺めて見ても、誰かが入ることも人影も無く、それでも物音とうめき声が止まらない。
 そこで超自然生活安全課に話が回ってきたと、はあ成程ね。拓也は携帯電話を閉じた。
 アパートは学校から走って十分のところにあり、全部で六部屋のこじんまりとしたアパートだった。駅からは学校を挟んでいるので、歩いてだと三十分以上かかり、都内の立地条件としては微妙になってくる。アパート前には静江が待っていた。
「ごめんね、拓也くん。学校だったのに」
「いいよ。父さんが昨日も帰って来なかったってことは、そっち相当ごたごたしてんでしょ」
「そうみたい。私まだ研修中だからよくわかんないけど、拓也くんとまた臨時でコンビってことは、多分凄く忙しいんだと思う。あ、部屋あそこね」
 静江が指さしたのは、一階の奥の部屋だ。外から見ても何も感じないので、弱い妖怪か何かが入りこんだのだろうか。玄関のほうへ回り、静江が鍵を開けた。用心の為に拓也がドアノブをひねるが、なんのひっかかりもなくあっさりと開く。
 ガチャ、と開き、中を見る。玄関から部屋の全体がだいたい見渡せた。入ってすぐがキッチン、その向かいが恐らくユニットバスで、奥に一部屋。一人暮らし用のよくある部屋割である。玄関からざっと見て、ふむ、と全体を見る為に上げていたかかとをつく。雨戸が閉まっているので光源は少ないが、玄関から入る明りで充分見せてくれた。
「……いいお部屋ね。築十年で新しいし、綺麗だし……私が見えてないとかじゃ、ないよね?」
「ない。変な気配も今んとこない。うーん、時間が関係してンかなーだったらめんどいな」
 取り敢えず、入ってみるか。静江に学校鞄を預け待つように頼み、一歩中に足を踏み入れた。チリ、と靴越しに違和感を感じて、足を見下ろす。変化はないが、チリチリと違和感が靴底から伝わり、拓也はゆっくりと足を玄関の外に戻した。静江が首を傾げる。
 再び部屋を見るが、なんともない。静江が述べたように、新しくて綺麗でいい部屋だ。じっと大人しく見ていた静江は、拓也の後ろから部屋の中を見て、一歩後ろへ引いた。
「……もしかして、なんかいた?」
「いた……って言うか、壁がある」
「壁?え、何、結界?」
 んんん、拓也は思案して、もう一度一歩足を入れる。チリチリとまた、足に違和感が走る。
「中のものをこぼさないようにしてる……見せないようにしてる?感じ」
「えっ……それって、どう考えても人為的じゃない!私とペアで大丈夫なの?」
「一応誰か呼んどいて。ちょっと俺は中見て来るから」
「大丈夫なの?」
 大丈夫という意思表示にひらひらと手を振り、もう片方の足も踏み込む。全身が室内に入り、チリチリとした感覚が足先から頭まで襲ってきて、淡い静電気のような感触にぶるりと震える。嫌悪感から反射的に両目を閉じたが、直ぐ薄目を開き、けほ、と少しむせた。
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