幸福に生きる為に魔女が欠かさずしていること

ぃて くるみ

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第十八話

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 そうだ、ついでに光子ちゃんのことを聞こう。そう拓也が口を開く前に、あの、と大智が見上げて来た。少々低い目線に、うん?と促すようにまばたきした。
「……ミツんち、なんかあったんすか」
「ミツ?ああ光子ちゃんね……なんでそう思うんだ?」
 そう言いつつ、内心ガッツポーズをする。それは、拓也が聞きたかった話の流れだ。
「いや、何となくっス。あいつ、うちの母さんとかが、一人暮らしは不安だからうち来いとか、せめて食事ぐらいとか言ってんのに、ちっともこねぇし……マサばあちゃん、死んだばっかだから、ちょっとそっとしとくかってことになったんスけど、心配で。一応近所の派出所のお巡りさんに、念入りにパトロールしてくれるよう、頼んでるんスけど」
 大智が森を見上げるのに釣られて、拓也も汐織も見上げる。ざわざわと日が落ちていくにつれ色を濃くする森は、ますます近寄りがたく、まるで中に住んでいるもの達を守っているかのようだった。
 なんだ、やっぱり心配してくれる人は、傍にいるんじゃないか。拓也はその事実に目を細めた。嬉しい様なほっとする様な、やっぱりむかつく様なだ。手を伸ばしたのは拓也だけではなく、そして光子が振り払った手は、拓也のものだけではないのだ。その事実がないまぜな感情を生み出して、むうと眉間に皺を作る。
 見えない人達が心配するのは防犯面が主で、その点この森では心配いらないのだろうが、きっと皆が皆、それだけを心配しているわけではない。
「拓也にーちゃんも、ミツねーちゃんが心配で来たの?」
 マサの名前を出した時、少しうるんだ汐織のきゅるりとした瞳が、真っ直ぐとこちらに向けられている。この子は中学一年生と言う思春期の入口にいる筈なのに、どうしてこう……拓也は次に照れ臭くなって眉間に皺をよせ唸り、片言に肯定した。ソーデスネ、汐織はそんな気まずさなど露知らず、ぱっと花のように笑顔を咲かせる。
 ワンピースのすそを膨らませるようにひるがえして、兄と向かい合わせになり両手を広げた。
「拓也にーちゃんが、何とかしてくれるよ!すげーの!」
 だといいなあ。拓也はここに来てしまったばかりのうんざりした気持ちを思い出しつつ、にこにこと誤魔化すように笑った。そうか、大智が微笑んで汐織の頭を撫でる。撫でられて更に顔がほころぶ汐織は、本当に中学生に見えない。
 そんなすぐに笑顔になるあどけない顔が、森を見上げて曇る。
「寂しいとき、一人だともっと寂しくなるから、ミツ姉ちゃん、うちにご飯食べにくればいいのに」
 そうだな、大智も妹の呟きにそう返す。
「寂しいことが大きすぎて、そういうの、わかんなくなってんだよ」
 その言葉は、拓也の中にじんわりとしみ込んでいった。
 風が冷たくなってきた。初夏の夜はまだ冷える。くしゅ、と小さくくしゃみをした汐織に、拓也もはっと意識を取り戻す。優しい兄妹の会話は、新しい空気のように拓也の中を巡る。帰るか、そう言う兄に妹は笑顔で頷く。寂しさとは程遠い暖かさだ。
 こんなに暖かいものが傍にあるのに、拓也は今日初めて、イライラで無く切なさを覚えた。
「それじゃ、これで」
「拓也にーちゃん、じゃあなー」
「おう、またな……あ、ちょっと待った」
 なに?そう言ったのは汐織だが、首を傾げる方向は兄妹が揃って同じで、拓也は思わず吹き出した。今日一日で見えた、光子の周囲のうちのひとつ。どうせ鑑識の結果は真っ先に源次郎が知らせてくれるだろうし、拓也はそれよりも他に、自分がすべきことを見付けた。
「ここから一番近いコンビニは何処か、教えて」
 
 
 
 ピンポーン。すっかり日が暮れた夜の森の中、光子の家は仄かに光って見えた。家から漏れる微かな光のせいだろうが、クリーム色の壁が月明かりを弾いているからだろう。街灯が届かないと確かに不安だが、月明かりはこんなに眩しいのかと感動する。都会に空は無いと言うが、ちゃんと星は瞬いていたのだ。
 ぱたぱたと足音がしてから、わりと直ぐに光子は玄関を開けた。一人暮らしの女性がこうもあっさりと玄関を開けるのは、少々いただけない。チェーンもかけていない。先述したとおり防犯面はある程度いいこの森でも、もしかしたら、はあるのだ。
「……柴田さん?」
 拓也の姿を見て、光子が気まずげに顔を強ばらせる。自分の呼び方はその昼間のままで、拓也は苦笑した。光子は私服に着替えていて、思えば私服姿は初めてだ。水色のYシャツに茶色のスカートは奇抜な装飾一つなく、光子の清楚なイメージをそのまま表現している。拓也でいいって、父さんとかぶるから。昼間とは違い、今度は柔らかい声でそう諭す。
「光子ちゃん、夕ご飯は今から?」
 廊下には、キッチンから漂う料理の香りがする。醤油と出汁と味噌の匂い。和食の香りだ。光子は戸惑うように頷いた。
 拓也が、右手にぶら下げていたビニール袋を持ち上げた。近所のコンビニエンスストアのロゴが入ったそれには、カップラーメンと割り箸が入っている。
「夕食、ご一緒していい?」
「えっ」
「俺にはお湯でいい。どーせ父さん今日帰ってこないから、俺も一人なんだよ。飯喰ったら直ぐに帰るし」
 光子は少し驚きを残しつつも、どうぞ、と中に入れてくれた。また怒りに来たのかと、ぼそりと漏らす光子にまた笑う。
 廊下に足を踏み出すとサビ色の猫が、何しにきたの?とこちらを見上げてきて、拓也はしゃがんでその喉を撫でる。後ろから白い猫がにゃんにゃんと絡んできて、なんだなんだと立ち上がれば、光子がおやつをせがんでいるんです、と苦笑した。苦笑でも、笑えているのであればいい。汐織から、元気を分けてもらったのだろう。
 キッチンにあるテーブルは、まだ料理が並べられている途中だった。具沢山の豚汁ときんぴらゴボウ、ニラ玉、パックの納豆が一つ、ご飯はこれからよそうところらしい。黒い猫がじっとリビングの隅のテレビ台の前に座り、ゆったりと見守るようにこちらを見ている。
 うわあ!テーブルに並ぶ暖かなメニューに、拓也は歓声を上げた。
「すげえ!番茶作るって聞いたときもビビったけど、料理うまいんだな!毎回こんな作るの?」
 コップを出して麦茶を二人分注いだ光子が、拓也の反応に逆に目を丸くした。
「いえ、そんな。きんぴらゴボウは一回どさっと作って、箸休めとして一週間は出しますし……豚汁以外は、ぱぱっと出来るものですし……」
「いやでもすげえよ、俺と父さん交換で夕食係やるんだけど、全然出来ねえもん。俺、焼きそばばっか。父さん、カレーばっか。鍋とか、男料理ばーっか」
 うまそー、そう素直な感想を言うと、かかか、と光子の頬に赤みが差す。つくづく褒められ慣れていない。テーブルの上にポットを置いて、棚からお椀と小皿を取り出し、きんぴらゴボウを取り分け豚汁をよそい、テーブルに並べた。
 光子の向かい側に置かれたそれに、いいの?と聞けば、いっぱいありますから、と返される。椅子に掛けられていた花柄のエプロンを、するりと付けた。
「今、ニラ玉も作ります」
「え、いいよ」
「むしろ、ニラの消費に協力して下さい。臭いの強い草は虫がつかないから育ち放題で、いつの間にか雑草に混じって沢山生えてるんです。あっと言う間に出来ますから、先に食べて待っていて下さい」
 きゅ、と腰紐を後ろ手に結び、洗われて調理台に伏せられていたフライパンをコンロに置いた光子の眼鏡が、タイミング良くきらりと光った。主婦の目だ。拓也はお言葉に甘えることにして、ニラをざくざくと切る光子の背中に頷き、大人しく席に座った。
 ニラ玉は、カップラーメンにお湯を注いで三分経つのとほぼ同時に出来あがった。手際がいいからだろうが、本当に早い。エプロンをほどいて椅子にかけ、拓也の向かいに座る。
「いただきます……てか、豚汁もういただいてます」
「いただきます。お口に合うといいのですが……我が家は、甘党なもので」
 豚汁はもう空になっている。あっと言う間に食べてしまう程、美味しかった。きんぴらゴボウは甘い味付けで驚いた。ニラ玉も甘い。
「美味いよ」
「ありがとうございます」
 正直に感想を言うと、光子は安堵し会話が途切れる。フローリングも古いテーブルも、温もりある木の色で、にゃあんにゃあんと白い猫がサビ色の猫とリビングを行き来する。黒猫は黙って座っているだけだ。廊下で子鬼達がきゃっきゃとはしゃぎ、すりガラスになっているキッチンの窓の外にも気配を感じて、二人が黙っていても間は騒がしい。
 料理の腕といい、先程の主婦顔負けの目といい、本当に一人でもきちんと生活出来ている。部屋の隅に、猫の毛も落ちていない。テレビがついていないのはたまたまなのか、それともいつもなのだろうか。
「……本当に、ご飯食べにだけ、来たんですか」
 光子がぽつりと呟く。昼間にキレた自分のせいだ。拓也は麺をすする。
「そうだよ」
 もぐもぐと噛みながら、しれっと答える。納豆を練っていた光子の手が、一瞬止まったところを見ると、意外な返答だったらしい。ちらとこちらを見る目を受け止め、拓也はラーメンスープで口の中のものを流し込む。
「ほんっとーに、ただたんにメシを喰いに来ただけデス。そして宣言すっけど、暫く毎日、夕飯食いに来る。仕事が入らない限り」
 多分入らねーけど、肩を竦めて付けたし、ニラ玉の皿を箸で寄せ、一口食べる。
 何で、光子がそう口を開く前に言った。
「昼間!ひっぱたくって言ったろ」
 昼間のことを思い出し、あがった光子の顔が玄関を開けた時と同じように強ばる。緊張からか唇を一の字に引き結び、微かに頷く返事を返してくれた。
 そんなに怖がらせてしまったのか、拓也も昼間のように良心が少し痛む。痛むが止まる気はなく、にかりと笑って緊張した空気をほどく。今日あの後、色々回ってさ!にかりと笑っても、そう続けば光子の表情は緊張したままだ。拓也の笑顔は空ぶる。
 でもしないよりはマシだ。拓也は場に似合わない快活な笑顔を続けた。
「俺が欲しかった言葉は、きっと俺が真っ先に貰うもんじゃねぇなって思ったんだよ。俺がその言葉を欲しいが為にひっぱたくより、光子ちゃんともーっと親しいお友達がひっぱたいたほうが、光子ちゃんには効果的だって結論に辿りついた」
「おとも、だち」
「そう。同じような力を持つ、しぃ……小早川兄妹とか、学校で会ったとき光子ちゃんの隣にいた、元気そうな子とか」
「夏美に?」
 光子にとって前者はまだ予想出来たが、後者は驚愕の人物だ。夏美は超自然的存在が一切見えないし、触れない。光子を拒絶した母親と同じ、力を持たない側の人間である。そういった人間の反応は、光子にとって拒絶しか無い。
 活発そうで、ぱっと見てムードメイカーだとわかるあの少女が拒絶する筈がないのだが、光子は悪い方悪い方へと想像してしまう。夏美を信じていないからではない。それしか知らないからだ。
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