幸福に生きる為に魔女が欠かさずしていること

ぃて くるみ

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第七話

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「でもなあ」
 家の中へ戻っていると、石畳の道が庭の横に差し掛かったところで、源次郎が周囲を見渡しつつ立ち止まり呟いた。いつものようにのんびりした声だったが、少し違う色が含んで見える。
「人喰い鬼の手鏡が何処に保管されているかわからないけど、近くで間違いないんだよね?」
 光子は源次郎が言外に含む色を気にしつつ、はい、と頷いた。
 源次郎が何を言いたいのか、拓也もわからない。源次郎にならって周囲を見回して、もう少しでオレンジ色に変化するだろう初夏の空を見上げた。あと一時間ほどすれば、逢魔が時と言われる時間帯に入ってくる。世間一般で言う、妖怪達の時間が始まるのだ。
 深呼吸して、んんん、源次郎が一つ唸り拓也を見る。
「拓也くん、なんか変な感じする?」
「えっ?突然言われても……まあここ、色々住んでるから……」
 色々と言いつつ、先日光子に攻撃された事を思い出す。攻撃と言うより、ただ至近距離で叫ばれただけなのだが、あまりいい思い出では無い。今もさわさわと、何かが泳いだり走り抜けていくのを感じる。そろそろ子鬼達が、光子の家へと入って行くだろう。
 和やかで澄んだ気配だ。拓也も深く息を吸って土と植物の匂いに肺を満たし、ゆっくりと吐きだした。
「……うん、普通じゃねえことは確かだ。あいつらからしたら、楽園なんじゃないかな」
 自分で当たり障りのない答えだな、と思う。拓也がそれを自覚しつつもごもごと答えると、源次郎はもう一度、んんん、と唸った。
「拓也くん、さっきの逮捕の流れはとってもお巡りさんで嬉しかったけど、やっぱりまだ甘いねえ。そうじゃないんだ、いやそうなんだけどさ」
 そして源次郎は、ゆっくりと両腕を広げた。
「乱れていた人喰い鬼の手鏡の封印、落ち着いているように感じないかい?」
 にっこりと、悪戯っぽく微笑む。
「……は、あ?」
「……え?」
 拓也の素っ頓狂な声と、今まで聞いていた光子の純粋な驚きの声が、一拍置いて重なった。改めて視線を周囲に向ける。覆い茂る葉の間のぽっかりと空いた光子の家の上には、何にも遮られない空が広がっている。その空と、鬱蒼と茂る木々とを先程と同じようにゆっくりと。
 さわさわと気配がする。鳥や虫といったものや、自分達と違う命を生きる者たちの気配。
 あ、拓也は源次郎を見た。
「変な感じしねえ!確かにここは騒がしいけど、嫌な感じはしねえし焦った感じもしない。人喰い鬼の封印が緩んでたら、ここの住人はもっと騒いでる!」
 お気に召したのかそうでないのか、肩を竦めて源次郎が両手を下す。来た道を戻り、光子の横へ並ぶとその細い肩を優しく叩いた。
「あの、今のはどういう……?」
「うん、理由はわからないんだけど、緩んでいた人喰い鬼の封印が落ち着いてきているんだ。多分、もうあんまり問題ないところまでになってる。力の残り香も、近くに来ないとわからない程度だ。封印が緩んだのは周囲の目撃情報や、今の襲撃で確かなんだけど……光子ちゃんはマサさんに封印の儀式の方法とか、聞いたことある?」
 真っ直ぐと尋ねられ、光子は口元に手を当て俯き脳内の記憶を探るが、直ぐに首を横に振る。そう、源次郎が光子の肩から手を離した。
「アメシストの腕輪、見せてくれる?」
「え、あれも何か……?」
「人喰い鬼が身に着けていたとされている、お伽噺の品なんだよ。今持ってる?」
 少し迷いつつも、光子はスカートのポケットから小さなきんちゃくを取り出し、紐を解いてしゃらりと中身を取り出した。
 古い銅チェーンに細いしめ縄が編み込まれていて、真ん中の部分に同じ銅の分厚い板がある。板には不可思議な模様の真ん中に、つるりと磨かれた紫色の石がはめ込まれ、、細いしめ縄が板をなみ縫うように宝石を囲っていた。
 古い腕輪だろうに、縄は少しもほつれていない。光子の手の上のそれを源次郎は手に取らず、ただ見るだけで満足し頷いた。
「こういうチェーンって、なんて言うの?拓也くん」
 不思議な雰囲気をまとった腕輪をじっと見ている中で、再び突然会話をふられ、うええ?と短い間に、拓也は二度目の素っ頓狂な声をあげてしまった。
「ああー、ううーん……縄編み込んであるし……形も特殊だし、よく見るとチェーンに模様もあるから、まあ、デザインチェーンってやつかな……いやどうでもいいだろ、それは!」
「ははは、やっぱり詳しいねえ。おじさんはアクセサリーの事はさっぱりだよー」
「あ、あの!」
 二人の和気あいあいとした会話の中に、光子が割って間に入った。ん?源次郎が、優しく微笑んで光子を見る。拓也も首を傾げて、光子の言葉を待った。
 大きな声を出して割って入ってみたものの、そこから先の言葉を出すのを光子は少しためらう。腕輪を持つ手をぎゅうと握り、守るように胸元に抱え込む。ためらう、と言うよりかは、喉が詰まって話すのがおぼつかない、と言った方が近いようだった。
 ゆっくりと深く浅く呼吸を繰り返し、途切れ途切れに言葉を紡ぐ。
「こ、これも、差し上げられません。手鏡は、先程言い損ねましたが、祖母に私は託されましたので、私は家族としてその責任をきちんと果たしたいんです。こ、この腕輪は、その……祖母がずっと肌身離さず持っていて、あの」
 光子の言葉が、また詰まる。腕輪を抱える手に力を込めて、最初よりもっと、ゆっくり落ち着いて深く呼吸をし、詰まった残りの言葉を吐き出した。
「……祖母が意識不明になる前日に、く、くれた、んです。だから……差し上げられません」
 絶え絶えになりつつも、最後はきっぱりと言い切る。拓也は急にマサの笑顔を思い出して、また一瞬、つんと鼻の奥が熱を持った。
 光子が言葉に詰まったのは、泣くのを我慢したのだ。葬儀の日に源次郎の言葉に光子の瞳が揺れたのを最後まで見ていたら、今と同じような印象を持ったかもしれないと、拓也は今更ながらに思う。同時に引っ張った光子の腕の細さも思い出して、手のひらに目線を落とした。
 源次郎は腕輪には決して触れず、代わりに光子の頭を優しく撫でた。
「僕らは警察だから、善良な国民から大切な形見を、無理矢理奪うような真似はしないよ」
 目に見えて、光子の表情が安堵で力が抜ける。ほ、と息を吐きはいと頷くと、腕輪を小さなきんちゃくにしまった。大事な腕輪の感触を確かめるように、優しくきんちゃくを握る。
 ぱん、と源次郎が両手を合わせた。
「さあ!拓也くんは鞄持ってきて!女の子が住んでいる家なんだから、むっさい男である我々は、さっさとおいとましましようね」
「はーい。光子ちゃん、取り敢えず人喰い鬼の封印は大丈夫そうだけど、その理由もわかんねえからやっぱり本部に来いよ。明日、迎えに来るから」
「運転はこの前拓也くんと一緒に来てた、子犬みたいな女の子ね。吉本静江さんっていうから」
 子犬!拓也は思わず噴き出した。確かに素直で職務に対して熱い姿勢の静江の、よしやるぞ!とちょこまか走り回る姿は、子犬を連想させる。
 僕は明日出張から帰ってくる、ちょー不機嫌な署長を迎えにいかないとねーと源次郎が言っている間に、リビングに置いて来た学校鞄を拓也が走って取りに戻って来た。サビ色の猫だけでなく、初めて家に訪ねて来た日に窓の上からこちらを見ていた黒猫と、そろりそろりと何処からか出てきた白い猫が玄関をうろついていて、拓也を避けつつこちらを観察している。
 源次郎は去り際に、光子の頭をぽんぽんと優しく叩いた。
「家族としてというのはとてもいいけれど、君は今一人だ。別に僕らに頼るって選択をしてもいいんだよ。というか、僕らはそっちのが嬉しい」
 三匹の猫と姿を見せない住人、そして光子に見送られ、拓也と源次郎は文学の世界から飛び出て来たような家を後にした。
 
 
 
 風呂をすました頃、ちっとも使われていない光子の携帯電話が、その存在を主張するように最初の設定そのままの電子音で鳴り響いた。ディスプレイを見れば、夏美の名前がある。
「もしもし、メールじゃなかったっけ?」
「電話の方が楽だから!つっかれったああー」
 陸上部の練習は、とても激しいらしい。もしかしたら家に着いたばかりで、ソファーか何かに沈み込みながら、電話をかけているのかもしれない。笑い声は何処か力が無かった。
「あーあ、みっちゃんちに行った時の葉桜が忘れらんなくてさ、あの森もっかい行きたいと思ってるんだけど、土日も無いしこの連休も無理そうだなあ。テスト週間の時に泊まりに行っていい?ソーダもそのくらいには退院してるだろうから、ついでに連れてくし!」
「いいけど、うちに来てちゃんと勉強出来るの?」
「お母さんみたい!あ、お母さんと言えばさあ」
 激しい練習をしてきた後の筈なのに、夏美の声は明るく話題も途切れない。夏美の母親が光子を心配しているだの、ソーダはソーダ味のアイス食べている時に見付けたんだだの、いい感じの露店を見付けただの、夏美の話を聞いていると心が明るくなっていくのを感じる。
 夕方に差し掛かる頃現れた黒い影は、光子にとって衝撃的であった。あんなに真っ直ぐと悪意を自分へ向けてくる妖怪は初めてで、それ以前に超自然生活安全課についてのこと、祖父母もそこに所属していたこと、人喰い鬼のこととさっきまで全く落ち着かなかった。
 小さな皿にこんもりと盛られたお茶の葉を、少しだけ天ぷらにして食べた。他にも玉ねぎと春菊とゴボウを収穫し、それぞれ買ってきた食材と合わせてからりと揚げた。揚げ物をし漬物を切りつつ、以前収穫したキャベツの味噌汁をかき混ぜてやっと、何とか心を落ち着かせる。料理をすると落ち着くわよ、というのはマサの言葉であった。
 それでも、人の声には勝てない。光子はそれを実感し、思わずこぼした。
「夏美の声を聞いていると、本当に元気になってくる」
「何?元気なかったの?」
 しまったと思った。心配させてしまう。光子はすぐさまに否定した。何でもないわ。電話越しで表情が見えないからか、夏美はあっさりと信じた。
「何かあったら言ってね!未来のエースが走ってくから!」
 ぱちんと太股を叩いたらしい音が電話越しに響いて、直ぐにいてえ!という悲鳴に変わる。力強く叩きすぎたらしい。光子は思わず吹きだした。夏美、私、私ね。一瞬、何かが脳をよぎったが声にはならず、とりとめのない挨拶を交わして電話は終了した。
 言ったら、どうなるか。閉じた携帯電話を握りしめる。何かあったら言ってね、そう夏美が言っていたからなのか、まだ明るいうちに帰って行った拓也が、自分達を頼るように言ってくれたのを思い出した。
 あの時、光子は何故か真っ先に、夏美に自分の持つ力を打ち明けたいと思った。携帯電話を充電器に差し込み、ぱっと充電中を知らせる光がついて、そのランプをぼんやりと眺める。
「……あのね、私、普通じゃないものが見えるの」
 ぽつりと呟いてみても、この家にも森にもそれに反応する人間は最早誰もいない。にゃあと猫がすり寄ってきたので、光子はなめらかなその額を優しく撫でた。
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