星屑オペラッタ ~もしもケルッツアが異世界に行けなかったら~

境 美和

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どうぞ!!! 世にも真白な花をあなたに。

来訪の行方

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・来訪の行方・











 船が本土港域に着いたのは午後九時過ぎ。そこからケルッツアに寮まで送って貰い、ソフィレーナが寮のリビングに到着したのは、午後九時三十分の事だった。 

 ケルッツアは遅い夕食をと本土で酒屋に誘ったが、ソフィレーナはそれを丁重に辞退していた。今しがた振られた相手と酒を飲み一緒に楽しく夕食など出来ようはずもない為だった。 

 リビングについて、朝の残りのスープを温め、ソフィレーナは遅い夕食とした。 

 買ってきたお土産の仕分けを機械的にこなすと、少しのつもりでリビングのソファーに横になる。 がんがんと頭痛がしていた。 

 旅行に持って行った大き目の肩掛けバッグの中には、ケルッツアに買って貰った、ソフィレーナ自身もとても気に入った貝殻のペンダントがある。けれどそれを自室のアクセサリー入れの中に入れる気力までは今の彼女にはなかった。 

 写真も、デジタルカメラだから見返すことが出来る物だったが、ソフィレーナは確かに概ねは楽しかった旅の思い出に浸る事も辛すぎて出来なかった。 



『この先、誰かと結婚する事もあるだろう』 



 返す返すも、遺跡の前で言われたこの言葉がソフィレーナに突き刺さり、彼女から考える力を奪っていた。 

 奇麗だという夕空を一緒に見た事も、異国の幻想的な夕闇の中の街の景色も、帰りにケルッツアと交わした言葉の一欠けさえも今のソフィレーナには遠い。 

 この上、ウィークラッチ島行きの明日の朝一の便ではケルッツアとまた顔を合わせるだろう。 

 それが余りに辛くて、ソフィレーナはソファーの上でうつ伏せて、幾つかあるクッションに泣きついた。化粧もまだ落としていないというのに構わず漏れる声をクッションに吸わせ、次第に酷くなっていく嗚咽をぼんやりと受け止めていた。 

 春の宴の実家の自室で、髪にロームエッダの花を挿された感触も蘇った。あんなことをしておいて、という怒りと、ドクターは暗喩を知らない、という悲しみが、彼女をぐちゃぐちゃに乱してゆく。 

 同時に、五か月もかけて国外旅行を敢行したのはなんだったのか、という疑問も湧いた。ケルッツアは、もう暫くは助手でいて欲しい、とソフィレーナにいう為だけに、ソフィレーナと遺跡の前に行きたがったのだろうか? 



『メッシュラ、メルリッツ』 



 両手をケルッツアの額に押し頂かれた時の、真摯な灰色の三白眼の眸が蘇った。ケルッツア自身はたわ言といった、片膝をつく儀式めいた事は、とてもたわ言の雰囲気ではなかった。 

 ケルッツアの哀し気な顔が、ソフィレーナを混乱の渦に突き落とす。何かを諦めた雰囲気のあったケルッツア。それはなにを諦めたのだろうか。 

 メッシュラ、は彼女の知る限りムータ語で、私の、や、僕の、と言った意味になる。僕のメルリッツ、とはいったいどんな意味なのか。 

 ただ単に、振られた悲しみから逃げる為に、そんな事を思っているのかもしれない。ソフィレーナは泣きすぎて痛い頭の片隅でそう思った。泣く前も酷かった頭痛は、今こうして泣いている最中もがんがんと頭を苦しめる。ソフィレーナは、悲しくて切なくて辛くて、一生分ではないかと思う程、クッションが涙にまみれて酷く濡れるほど泣いた。 

 泣いて、泣きつかれて、夢を見た。 







***** 







 赤い砂の吹き荒れる嵐の中に、ぽつんと一つ、頑丈な造りのテントがあった。風の勢いも今日見てきた赤い砂の舞う様も酷いというのに、テントの周りだけは、ソフィレーナの髪を巻き上げる程度の微風が取り巻いている、不思議な光景だった。 

 とても素朴な弦楽器の音が一度、二度掻き鳴らされる。 

「姫御。姫御。こちらへおいで」 

 テントの中の橙の光の中から、妙に張りのある女性の声がした。ソフィレーナは、誘われるように声に従って、上がっているテントの入り口に膝をついた。 

「もっと中へおいで」 

 ソフィレーナが狭いテントの入り口をくぐると、ふわりと清涼な香が香った。テントの中にはランプが一つ。その傍に褐色の肌の女性とも少年ともつかない目元の切れ上がった美丈夫が、ターバンに蒼い飾り布を編みこんだ姿で一人座っている。 

 ソフィレーナは、泣きすぎてまだ痛い頭を緩く振って、その人物に問いかけた。 



「どなた、ですか? だあれ?」 

「さて、誰だろう? あとで、砂漠の子に訊いてごらん?」 



 その美丈夫は、蒼い袖口に白地の長袖長ズボンに蒼い帯、右肩から掛けたらした蒼い飾り布といった蒼い色が妙に印象に残るいでたちで、弦楽器を持ちなおすと、おどけたようにそう言った。 

「砂漠の、こ? ドクター?」 

 ソフィレーナが唖然と呟いても、目元も切れ長の美しい顔をした彼女はとぼけてみせるばかり。 

「さあ、ねえ? 

 姫御。姫御。私の語りを聴いておくれ。

 静かにねえ? 耳を、よく、よく、そばだてて。 

 目を閉じて。流れた涙は拭えたかい? 

 ならばならば。始めよう」 

 そう言って、ぽろり、ぽろりと褐色の指先で弦楽器を弾く。 

 それは、ソフィレーナが聞き惚れるほど鮮烈でいて美しい旋律と歌声だった。もの悲し気に進んでゆく物語は、砂漠の神であるというサロという人物と、その奥方の今生の別れのシーンを歌っていく。砂漠に倒れた美しい奥方の亡骸に、サロが縋っているシーンだった。 



≪逝くな。逝くな≫ 

”サロ様。サロ様” 



≪貴女の居ない日々など、私にはとうてい耐え切れぬ≫ 

”貴方を残して行きたくない” 



≪これから私に、どう、貴女の居ない時を過ごせというのだ≫ 

”わたしに、この方を残してどこへ行けというの?” 



≪己が架した贖罪に、既に意義など見出せぬのに≫ 

”どこに行けるというのでしょう” 



≪逝くな。逝くな≫ 

”行かない。行かない。” 



≪どうか逝かないでおくれ≫ 

”この方を残してなど行かない” 



 ソフィレーナの聞いている物語の中、サロと奥方とは離れがたくある様だった。 

 弦楽器の持ち手は語る。三日月の死の国の使者が二人を別つためにその場に現れた。その事を悟ったサロは、死した奥方の両手を己の額に押し頂き、奥方の額に口づけた。 



≪変じる命よ、赦しておくれ≫ 

”おとうさま、おかあさま。罰ならばわたしに” 



≪この方と共に在れるなら、私はどう変じても構わぬ≫ 

”この方と在れるなら、わたしはどうなっても構わない” 



≪だからどうか愛しい人よ、どうか受け入れておくれ≫ 

”だからどうか愛おしい人、どうか泣かないで下さいな” 



≪メルリッツ(共に在ろう)≫ 

”メルリッツ(共に在りましょう)” 



 美しい女性が語る物語に聞き入っていたソフィレーナはここで、ケルッツアの言った、メルリッツ、という言葉が出てきたことに驚いた。曲の中では、奥方の魂も泣き縋るサロの額にキスを贈った様だった。 

 今まで悲しげだった曲調は見る間に転調し、瞬く間に喜びの様相を呈した。 



≪ああ、貴女の声が在る。私の片割れを受け入れてくれたのだね≫ 

”ああ、わたしと貴方が砂になった。あなたはここに在るのに” 



≪貴女の片割れは私の命。これで、共に在れるのだ≫ 

”貴方の片割れはわたしの命。ならば、共に在りましょう” 



≪我が贖罪が永久なれば≫ 

”常しえに、わたしも貴方の御許に” 



 蒼い飾り布を編みこんだターバンの女性は語る。こうして、サロは死した奥方と共に姿を失った。 

 身体は砂と崩れ落ち、声は風へと溶け消えた。と。 

 そこから曲調はいかにも寓話を語るような穏やかでいて優しい調べになった。 



≪今でもサロは片割れと共に、この砂漠に加護と慈悲とを与えて下さるよ。蒼く澄んだ空に、風が高く鳴くのは。サロの奥方が、サロに請われて歌うからだ。 

 随分と悲し気に歌うって?  

 いいや、愛しい者の傍らさ、さぞや朗らかに歌っておいでだろうよ。 

 でもね、奥方の歌声はサロの為だけのものだから。 

 それ以外には、ああとしか聴こえないしくみ。 

 いかに高潔で慈悲深きサロといえども。

 奥方の事にだけは、とても侠気でらっしゃるんだ≫ 



 語りを聞き終えたソフィレーナは、己の両手の甲を揃えて見た。 

『メッシュラ メルリッツ』 

 それは、歌の中で砂漠の神サロが奥方に縋って呪文を唱えた、その一連の動作によく似ていた。ケルッツアは、ソフィレーナの額にキスこそしなかったが、額に手を当てて、その上からキスをしていた。 

 ソフィレーナは、急に、胸が熱くなるのを感じた。 

 歌の中で、サロと奥方はともに喜びあっていた。それは、死した奥方とサロとが、姿と声を代償に、命を分け合った結果、常しえに一緒に居られるからだった。 

 ソフィレーナは、ケルッツアの言ったメルリッツの言葉の意味に気が付いた。気が付いて、心臓の音が急速に重く早くなっていくのを感じた。 

「メルリッツ・・・命の、片割れ…」 

 ソフィレーナがそう呟くと、歌を終えた蒼い飾り布に包まれた美丈夫が大きく頷く。 

「――――あの子が姫御に何を望んだか、お分かりかい?」 

 優しい口調に、ソフィレーナは全身を赤々と染めて答え返す。 



「わたしの、命の片割れ、を」 

「ああ。その顔は大丈夫そうだ。夜が明ける。 

 …ソフィレーナ」 



 美丈夫に――――いや、確かに美丈夫だった老婆に呼びかけられて、ソフィレーナは改めて目の前の蒼い色が印象的な――――恐らく、流民の一つである蒼の流砂の使途、ケルッツアの母親だろう相手をまじまじと見た。 

「あの子の狂気に寄り添ってくれて、ありがとう」 

 若い時は美しかった褐色の顔をしわくちゃにして、老婆は微笑んでいた。 

 そこで、目が覚めた。 

 十月初めの明け方は酷く冷え込んでいた。冷えたリビングで服も変えぬまま泣きつかれて眠りに落ちたソフィレーナは、目覚めて、まだゆるゆると痛む頭を緩く振った。 

 と、くしゃみを一つ。薄手のワイシャツと薄手の繋ぎ風のジーパンで何もかけず寝入ってしまった事に身震いをし――――放り出したままだった肩掛けバッグを持つと、服を変えるために自室へと向かってゆく。途中で顔を洗うために洗面台に寄り、酷く泣きつかれた自身の顔にから笑いを一つ。顔は酷いありさまだったが、ソフィレーナの気分は悪くなかった。 

 所詮夢。現実でソフィレーナがケルッツアに振られたことは――――ケルッツアの様子を見れば自覚はないようだが、間違いはない。 

 それでも。 

「メルリッツ……命の、片割れ」 

 ケルッツアがした儀式と、夢の中で聞いた歌の内容が重なる事は、ソフィレーナに多大なる勇気を与えた。同時に、ざれごと、と言ったケルッツアが何を諦めたのか、今は全身を赤らめるほどの理解がある。夢が本当の事ならば、死して尚離れがたい程の想いを諦めたことになる。 

 その後、ソフィレーナの未来の事を心配し始めたのも、ケルッツアなりの強がりだったのだとしたら。 



(私は……もし仮に結婚するとしても、ドクターとじゃなきゃ、嫌だわ) 



 現実だって、そう悪い事はないのだ。いましばらくは傍にいて欲しい、と言われたのだから、嫌われている訳ではない。春の宴の時も、子ども扱いじゃない、とソフィレーナの髪を触っていたケルッツアは、ソフィレーナとの未来を諦めたのではないか。メルリッツと言った時の切なげな表情と、何かを諦めた風だった事、夢を併せれば出てくる答えは、本当にソフィレーナに都合が良かった。 

 彼女は現金な自分に呆れながらも、冷え込む洗面台の中で化粧を落としお湯で顔を洗い、洗い立てのタオルで顔を拭った。明け方のお風呂場も冷えていたがシャワーで体を温める。 

 その後、寝なおす気になれず、自室で服を着てペンダントをアクセサリー入れに丁寧に閉まった後、買ったばかりのムータ語辞典で”メルリッツ”という言葉を調べてみたが、言葉自体が乗ってなかった。”メルリッツ”が本当に命の片割れを意味するのか、真相は闇の中。 

 それでも。 

 明けた夜空に、数時間後にはケルッツアと笑顔で顔を合わせられそうだとソフィレーナは思った。 

 同時に、ケルッツアとの未来を考えてもみた。それはとても素敵な事のようにソフィレーナには思えた。だから。彼女は。 



『僕は君がどんな未来を選んでも、応援するから』 



 この言葉を言質にしてしまおうか、と。前髪の横、丁度右の耳の辺りの髪の毛を触る。 

 そこは、春の宴の日、ケルッツアがソフィレーナにロームエッダの花を、ダリル家の象徴花を挿した場所だった。 

 この国では花嫁は自身の家の象徴花を髪に飾って嫁いでいく。また、嫁ぎ先で嫁ぎ先の象徴花を髪に飾る。 

 転じて、女性の髪に相手の家のでも自分の家のでも象徴花を飾る事は、プロポーズの意味になる。 

 その暗喩は知らないでは済まされないのだと、ソフィレーナは、今は揺るぎない。
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