星屑オペラッタ ~もしもケルッツアが異世界に行けなかったら~

境 美和

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行こう!  日帰り旅行で砂漠に出発!!

告白の行方

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・告白の行方・








 「少し、ついてきて欲しいんだ」

 ソフィレーナにそう告げたケルッツアは、大きな街の中、土地勘があるのかゆっくりと進んでいった。どんどん港から遠ざかっていくことに、ソフィレーナは不安も覚えたが、賑やかな大道芸や色とりどりの布、道行く人々の見慣れない格好と肌の色、異国の景色が珍しくて、とうとう街の外れ、見晴らしの良い小高い丘にまで来ていた。街を一望するその丘からは、以北にはソフィレーナの国の森林が見え、以西には港と街、以南には赤き砂に覆われた砂漠が見える。小高い丘はまばらだが木々も立っていた。その奥の方に、赤茶けた色の洞窟が一つあった。

「ドクター…これ、遺跡ですよね?」

 ソフィレーナは、ウィークラッチ島の遺跡以外初めて見る他の遺跡に目を見張った。茶けた色の洞窟は、よく見ると石造りの人工物に見えた。入口は今は取って付けたような木製の扉が閉まっていて中に入る事は出来ない。

 ケルッツアは懐かし気に遺跡の方を見ると、僕が壊してしまった遺跡だ、と言った。

「異世界への入口、第三十五号遺跡だ

 君とね、ここに来てみたかったんだ」

 言うと、辺りを見回し、にっこりとする。

 ひょうと、乾いた風がケルッツアとソフィレーナを撫ですぎていった。ソフィレーナは不思議そうに、ケルッツアと同じように辺りを見回した。確かに景色は良いが、遺跡以外特に目立ったものもない場所だった。

「ここに? どうして……?」

 ケルッツアが異世界に行けなかった遺跡、そこに一緒に来たかったというケルッツアの心理が不思議混じり何か特別な事のように思えて、ソフィレーナはゆるく鼓動を速めながらそう聞いた。ケルッツアは、うん、と一つ頷くと、今まで地面を見ていた視線をソフィレーナに移した。

「ここなら、お願いが出来ると思った」

 ソフィレーナは、お願い? とおうむ返しに問う。ソフィレーナが見る横のケルッツアは揺るぎない眸でソフィレーナを見つめている。

 ケルッツアの灰色の三白眼は澄んでいた。澄んで澄み切って、切ない色をしていた。

 その眸に、ソフィレーナは言い知れぬ不安と、また、ゆるゆるとした、さらに強い鼓動の高鳴りを覚えた。

 ケルッツアは続ける。

「そう。ソフィレーナさん。

 ちょっとだけ、この老いぼれに付き合ってくれないか?」

 言うと、丁度西にある太陽を背にしてソフィレーナの前に対峙する格好になった。

「付き合うって、何を?」

 ソフィレーナは、急に代わった空気の質に、ケルッツアが太陽を背にしたことで生まれた影の中に居る事に、益々強い鼓動の高鳴りと軽いめまいを覚える。

「ちょっとしたこと。君は、ただそこに居てくれるだけでいいから」

 ケルッツアはそういうと、す、とその場に片膝をつく。動揺したソフィレーナなど構わずに、彼女の白い両手を取った。



「あ…の……」

「……メッシュラ、メルリッツ」



 ケルッツアはかすれた声でそう呟き、ソフィレーナの両手を褐色の額に押し頂いた。とられた手に動揺するソフィレーナの前、流れる様に立ち上がると彼女の美しい栗色の前髪ごし額に褐色の手を置き、屈むと、そこに軽く口づける。



「メルリッツ、ソフィレーナ……さん」



 もう一度、ムータ語でそう言ったケルッツアは、とても真摯で切なげな表情をしていた。

 そっと解放されたソフィレーナは、ぼんやりと春の宴の時を思い出した。あの時も似たような眸で、奇麗だ、と額をなぞられた。その雰囲気と、今とがよく似ている。ただし、あの時は黒かった灰色の三白眼は、今はただただ澄み切って、切れそうなぐらい切ない色を宿しているだけだった。

「め、めるりっつ、って、なんて意味ですか?」

 ソフィレーナは、何故そんな眸を向けられるのか分からない。だから、ケルッツアが呟いていたムータ語の意味を聞いた。

「うん? うん。たわごとだ。忘れて」

 けれどケルッツアはそう言って意味を教えてくれなかった。

 その眸は、その表情は、ソフィレーナが嫌いな、ケルッツアが何かを諦めた時のものとよく似ていた。ソフィレーナは、たわごと、と言われた一連のケルッツアの動作を思い出す。片膝を折って、両手を額に頂く行為は、とても、とてもたわ言で片付けられるような事ではない気がした。

 ケルッツアが、ソフィレーナの及びもつかない何かを諦めたのだという事が良く判った。



「たわ言って……そんな事」

「ねえ、ソフィレーナさん」

 

 だから彼女は――――そんな切なげな表情で諦めた何かを知りたいと、少なくともたわ言で片付けられることではないと言い募ろうとした。また何か諦めたのだと、悲しみにも似た怒りも湧いていた。

 その声に被せる様にして、ケルッツアがソフィレーナを呼ぶ。ソフィレーナが、何を、とケルッツアを見ると、彼は切なげな眸を諦めに浸した顔で、斜め下手をすがめ睨むと、うん、とひとつ頷きソフィレーナを見返した。

「これから先、なるべくは僕の助手でいてくれないかな……」

 そんな事を言ってくる。

 ソフィレーナは、益々意味が分からない。なるべくとはなんだろうか。何故急にそんな話をしてくるのか。

「なるべくは、って」

 悲しみと困惑に揺れながらおうむ返しに呟くソフィレーナなど構わず、ケルッツアは既に揺るぎない眸でソフィレーナを見ている。



「君の将来は有望だ。これから先、どこかの機関に所属する事もあるだろうし、勿論、誰かと結婚する事だってあるだろう。でも、あともう少しだけは、僕の傍にいて欲しいなって……」

「もう少しって……結婚、なんて……」



 ソフィレーナは、次々未来の事を言われて、頭がくらくらした。どこかの機関に所属する、それはソフィレーナとて思わない事はない事だった。菌糸研究の出来る機関への所属。けれど、結婚などと、ソフィレーナは思っても見なかった。第一、もし結婚するなら相手はもう決まっているようなもの。それを、何を。春の宴の際、髪に差されたロームエッダの白い花の感覚が、ソフィレーナを絶望の淵へと誘う。ケルッツアはその暗喩を知らない。そう分かっていても、ロームエッダの花を髪に飾られた感覚が抜けてくれない。それを、そんなことまでしておいて、ケルッツアは、ソフィレーナが誰かと結婚する、だなどと言った。



(なんでそんな……他人事みたいに…………!!!)

(私……今、失恋してるの、かしら・・・・・・)



 ソフィレーナの、明らかな怒りと悲しみと困惑など知らぬ存ぜぬ。ケルッツアは哀し気に、宙に微笑んだ。

「僕は、君がどんな未来を選んでも、応援するから。……それだけ」

 ケルッツアは、ソフィレーナがどんな未来を選んでも応援する、と言った。それは本来であればソフィレーナには嬉しい事のはずだった。ただ、今はとてもそんな喜びなど感じていられない。

 めるりっつとはどんな意味なのか。ケルッツアはなにを諦めたのか。ケルッツアは、母親が流民である蒼の流砂の使途だ。つまり半分だけでも蒼き流砂の使途の筈。その花嫁衣裳を拒絶したのは、ソフィレーナにはそれを着る資格がないからだろうか。

 そのくせ遺跡の前で片膝を折って両手を額に押し頂いたのは何。戯言といったあれは友愛か何かの、儀式、儀式めいていたのも益々ソフィレーナの混乱を呼び起こした。ロームエッダの花を髪に飾る意味、暗喩。春の宴で額に触れた熱。

 彼女の心境はぐちゃぐちゃだというのに。



(もう少しだけは、傍にいて欲しいって……)

「それ、だけ?」

「え?」



 覚えた明らかな怒りと悲しみが、ない交ぜになってソフィレーナを襲っていた。誰かと結婚することもある、という明らかな他人事の言い草にも、腹が立った。けれども同時に悲しいとも思った。ケルッツアはダリル家の娘の髪にロームエッダの花を飾る事の暗喩を知らない。知らないのだから仕方がない事だとも思ったし、今、明確に自分は失恋したのだとも思った。



(ドクターは……私を、結婚相手としては、みない・・・・・・・・・・)



 誰に聞いても当たり前の事を突き付けられたソフィレーナは、酷く、酷く傷ついていた。横たわる年齢差の事もそうだが、ケルッツア自身が、誰か別の人と結婚、等と言いだすのだから、その相手がケルッツアである筈はない。どこかで分かっていた事とはいえ、自分はケルッツアの助手である以上の事は何もない。先程貝殻のペンダントを買ってくれたのも、単なる記念だ。



(何かがあると・・・思ってた・・・・・・?)



 急に、辺りの景色が一段色を失ったように見えて、ソフィレーナはゆるゆるとせり上がってくる悲しみに、目頭が熱を持つ前、緩く首を振ると前髪に目元を隠した。

「…………いえ。何でもないです。

 船、出ちゃいますかね? 名残惜しいけど、そろそろ、帰りましょうか……」

 ゆるゆると帰還を促すと、ケルッツアは彼のお気に入りの銀の懐中時計を見、確かに、と頷いていた。と、急にソフィレーナに、ほら、見て! と辺りの景色を見る様に促す。

 砂漠で見る夕焼けは、三層に別れていた。焼け落ちるかと思う程赤い夕陽に、栗色の帯を敷いて紫の夜の色が迫っている。

 けれどもその光景など見る余裕のないソフィレーナに、心底嬉しそうな声でケルッツアは言い募った。

「これも君に見せたかった! 砂漠の夕空は、君の目の色によく似ているんだよ!!!」

 ソフィレーナは、薄れる視界の中で、確かに自分の目の色に似ているだろうかと思う。けれどその認識は遠く遠くの方で、今は泣き出すのを必死に堪えるだけで精一杯。

「とっても、奇麗だ……」

 ケルッツアはそんなソフィレーナなど知らず、ソフィレーナの眸によく似ているという色彩に見入っていた。それはまるでソフィレーナの眸が綺麗だともとれる言い方だったが、今のソフィレーナには余計につらく聞こえる。



(お願いだから……そう言うこと言うの、やめてください……)

「…………奇麗な、夕焼けですね……」



 ソフィレーナは、ケルッツアが背を向けている事で彼から見えない事を良いことに、見る間盛り上がってくる涙を乱暴に拭った。唇を噛むことで、この旅が終わるまではもう泣かないと決める。折角の国外旅行に涙は似合わない。



 港への帰り道も、行きと同じく大道芸やら奇麗な布やら、ランプの灯りが辺りを照らしていて幻想的だったが、もうそれらはソフィレーナに何の感慨も抱かせてくれなかった。記念で写真を撮った華やかな噴水の前に来てもそれらは変わらなかった。

 途中ケルッツアがソフィレーナの元気がない事を気にかけたが、ソフィレーナはせめて悟られたくないと、ちょっと疲れたんです、と答えて誤魔化した。



「疲れた? ごめんね、色々連れまわしてしまって……」

「いえ、楽しかったですよ。ありがとうございました」



 船に乗る前、ケルッツアは何処かすっきりとした、それでいて哀し気な顔で、ソフィレーナに笑いかけた。

「君とここに来れて、本当に良かった」

 ソフィレーナは、そのケルッツアの笑みが殊更眩しく、切なく思えて、前髪の隙間からケルッツアを見、応え返した。



(本当に……記念、以外のなにものでもない・・・・・・)

「そう、ですか……。それは、嬉しいです」



 応え返す心境はぐちゃぐちゃでソフィレーナ自身良く判らない。

 こうして、ソフィレーナとケルッツアとの、ソフィレーナの人生初の国外旅行は幕を閉じた。







 風が鳴く。もう国境の街の港から船の出た後、もの悲し気な風が鳴き、くるりと渦を巻いた。



≪なんだありゃ。

 ひとの忠告無視してあのバカ、姫さん振ってんじゃねーか≫



 風は気ままに、異世界の扉の遺跡の前を行き過ぎる。



≪リュシカ、あの子に何を言おうとも、あの子は動かないと言ったじゃないか。

 あの子の中で決めたことは絶対の事。

 しかし、良い巡りで動いていたのに、決めていたことがあれではねえ?

 花嫁衣裳がまみえるほどの砂漠の神の祝福も、あの子には既に遠い事であったとは。

 それでも愛しい我が子なれば。

 さてさてリュートが馴染んだか。

 仕方がない。異国の姫子には、ひとつ、語りを聞いて頂こう≫



 国境の町に、悲し気に楽し気におどけたように風が舞い、科学大国である、国の古い言葉で千の花を意味する国の方へと流れていった。

 空には三日月の細いきらめきが浮かんでいる。
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