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ようこそ! おおよそは麗しき女神たちの館!!
バケモノは身勝手
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・バケモノは身勝手・
正午きっかりに始まった宴は、曲目を途切れさせることなく未だにぎわいを見せていた。
広さにして、大きな屋敷でも優に三つは入るだろうという縦長の大広間には、豪奢なシャンデリアが高い天井から三列に釣り下げられ、真昼の室内を尚明るく照らし出している。
大広間中に響きわたるべく雇われたオーケストラの面々は、四方の壁に幾つと作りつけられたそれぞれの台座にて、一斉に同じ曲目を奏でる。音の遅れは計算しつくされ、合わせるときは合わせ、輪唱のような効果を生み出すときは、寸分の違いなく音を調和させていた。
大広間を覆う白い大理石の床は、大広間の真ん中辺りまでは鮮やかな緋色の絨毯で隠されてしまっているものの、残りはその鏡のような滑らかな光沢と自然の作り出した模様の美しさを止水のように湛えている。
絨毯の上には真っ白なテーブルクロスを掛けられた丸い机がいくつと並び、そのどれもが、果たして一つとして同じ流れのない渦を巻く水を模した調度品で飾られ、その緩い渦に沿って四段ほどの高低差で見目好く配置された丸い皿の上、色とりどり、ありとあらゆる、と招待客に錯覚させるほどの豪華にして種類も豊富な高級料理の数々が盛り付けられている。口安めにと添えられるみずみずしい果物や、星や花や宝石のようなデザートもまた、数えるのが馬鹿らしくなるほどに。
その様は、美術や芸術を嗜む者曰く正に奇跡。一つの皿で見ても美しく、机として見ても美しく、例え大広間を見下ろした絵としても、大理石の床と緋色の絨毯の妙と併せても美しい。そしてそれは、人を入れても崩される事がないのだと。より調和し、感動に打ち震えるのだとすら。
毎年、料理の盛り付けですらそのような感慨を抱く者が両手の指で利かぬ程現れる、という話もまた、春の宴の魅力の一つ。
そんな宴の只中、老年から若年と呼ばれる紳士、同じく、紳士の装いより遥かに麗しく着飾った淑女達は、まるで神々に用意されたかのような豪勢な料理を嗜みつつ、大広間のあちらこちらで談笑を楽しんでいた。
振る舞われる飲み物には当然のごとく値の張るアルコール類も多く混じっており、興の乗った者などは、男女一組互いに誘い合わせて絨毯の敷かれていない大広間の半分、テラスに近い辺りに進み出、曲目に沿って踊りを楽しんでいる。紳士を軸に、華やかな室内に華やかなドレスが花のように広がるその様は、おおよそこの世の物とは思えない宴の絢爛さを更に引き立てる。
招待客は、財政界や芸能、文学、食、化・科学・国賓として招かれる他国の大臣等、その分野での、或いはそれ以外でも著名な顔ぶればかり。
まさに、ダリル家。
王家リザと並び立ち、皇家、ただ一の皇族として国を陰で支えるとまで言われる、建国神の血を継ぐという者達が主催をつとめる、春の宴、その名にふさわしい午後の立食パーティーは、終わるともしれず綿々と続いている。
そんな優雅にして高貴な集まりの中、飲み物も持たずにあちらをきょろきょろ、こちらをきょろきょろとしながら、動き回る者がいた。
正装よりは幾分ラフな紺色のタキシードを着た、この国では珍しい褐色の肌の男は、白髪の目立ち始めた灰色の短髪をすべて後ろへ掻き揚げ撫でつけ、普段は手入れも疎かな口ひげも剃り落としこざっぱりとした様子の、国立図書館の最高責任者、少し前までは確かに、おちこぼれ、として有名だったケルッツア・ド・ディス・ファーンその人。
彼は、華やかなドレスや、仕立てのいいタキシード、はたまた見目麗しく味も良さそうな料理の数々の合間を縫って落ちつきなく人を捜している。既に足早に大広間を眺望できる二階テラスにも昇り、手すりから大広間の内壁に沿ってぐるりと二階通路を一周してきたが、見下ろす光景にも、すりぬけた風景にもお目当てはいなかった。
ならば上から見えない箇所にいるのかと、もう一度広間の一階に降り、せっせと会場の二階通路の真下付近を重点的に捜している所。
今年で四十九を迎えるその顔は、髭がないせいだろうか、僅か若返って見える。
しかし、表情は春の日差しとは真逆に近い。
「…あああ。随分話し込んじゃったなぁ……」
二階へ上る前まで、まさに赤い絨毯に付いていたお尻の痛さを後悔しつつ、ついでに思い出した蹴られた背中の痛みに肩をすくめ、ケルッツアは又、きょろりと辺りを見回した。更に落胆、本日何度目か、後ろに撫でつけた灰色の髪に手をやると、これまた何度目か分からないため息を一つ。
ふと、軽く現実逃避。背中の肩胛骨の下辺り、まだ消えない痛みに意識を向けた。
(シ・ル・ド・も何で毎回蹴るんだ…? 普通に声かけろって言ってるのに……。)
その手痛い挨拶が、彼の卒業校であるユニヴァーシティー・ディム・ゲールッセッテ同期のシルヴァルド・ド・メイスンから変わらない、友人なりの挨拶方法だと分かっていても。今の彼にとっては殊更に、蹴られた背の痛みは心地良いものではない。
(エリグァノ学会長もさ、僕の論文を読んでくれるのは嬉しいけど……。紙と鉛筆持ち出していきなり解説求めるのは止めて欲しかった…。)
その行動が、ケルッツアの所属する学会より二ランク上のシティテ学会の長である、大学時代の偏屈で留年を趣味にしていた先輩の癖だと知っていても、分かっていても。一時間近く付き合って絨毯の上に座り続けた尻の痛みは、やはり今の彼にとっては、到底、心地の良いものではなかった。
彼が、お気に入りの銀の懐中時計を懐から取り出し確認すれば、ただ今十三時五十五分と少し。
涼しげな三白眼の目元も困り気味、僅か怒りにも悲しみにも揺れつつ、ケルッツアは、もう直ぐ二時間近く前になる記憶を思い返した。
春の宴の、主催者によるパーティー始まりの挨拶が終わった直後から、彼は彼の助手を、また、捜し始めていた。というのも、宴の始まる三十分前まで、彼らは確かに一緒に居たのだから。
彼の助手こと、ソフィレーナ・ド・ダリルは、彼が春の宴に招待されたことを彼女に告げた日の約束に違わず、彼女の実家であるダリル皇家へ一足先に帰り、当日、薄青のセミロングドレスを纏って彼を出迎えた。
因みに、ケルッツアはこの時に覚えた言い得ぬ感動にも似た感慨、或いは落胆と願望を、いまだ、いまだに上手く処理しきれずにいる。いつも男装に近い恰好でいる助手の目の覚めるような女性の姿は、当然ながら美しく奇麗だった。
なのに。
(なんで蒼じゃないの? )
ぽ、と。そう思ってしまった。
なぜそう思ったか。彼自身は十二分に察していて、同時にその恐れ多さも分かっている。筈だった。だから確かに喜ぶ裏に、がっかりした心が動いたのだが、そのがっかりが驚くほど深かったので思わず言葉が出なかった。
ケルッツアが言葉を無くした一瞬。
『ドクター! お待ちしてました!!!
……。私…髭のないドクターの顔って、初めて見ますけど、とっても……!
あの…見違えますね…!!!』
仕立てたタキシードもとても似合ってますと。
心なし頬を染め、まるで自分の事のように喜ぶソフィレーナが会話の中心になり、ケルッツアはといえば、妙な落胆をどう処理していいものやらあぐねつつ、どことなく緊張もしつつ、ソフィレーナに連れられ屋敷内やら宴の会場やらの案内を受けていた。
そこで、彼女の母にして、宴の主催者の一人でもあるマリアーナ・ド・ダリルにばったりと出くわし、主にソフィレーナの幼少期の事やら、図書館での仕事ぶりの話に華が咲きに咲き、彼女の母親と別れ、はたと気づいたときには傍にいたはずの助手がいない。
首を傾げつつ、記憶を探ればどうやら傍を離れる挨拶らしきものをしているソフィレーナの姿が思い浮かぶので、なら先に会場に入ったものかと、受付を済ませ捜し始めたところで宴の挨拶が始まり。
まさかその間に捜す訳にも行かないと主催者の挨拶だけは聞いて渡されたグラスで乾杯をしてから一気にそれを片づけ、ケルッツアはソフィレーナを捜した。
人、人、人、人、人の波。それでも助手を、その薄青のドレスを探し出す自信があった総館長は、二メートルと僅かという身長の高さから辺りをきょろり、と見渡し。
小声での中傷と、あからさまな哄笑を聞く。落ちこぼれの崩れた黒猿が、こんな所へ何の用だ。ダリルの尊き女神達も血迷うことがあるのね。蛮族の癖に大きな顔をしやがって。プロフェッサー・ディム・ゲールセッテの名も墜ちたものだ。今回は格別易しかったのかねぇ。ああそうに違いない。でなければあんな者が。
潜められた陰鬱な声は対象者に届くよう計算されて空気を伝ってくる。
ケルッツアは。
(ソフィーレンス君がいなくて良かった! )
心の底からそう思った。
確かに彼は彼女を捜しているが、彼女は彼が気にしない中傷等にもいたく心を傷め、不機嫌になってしまう。彼としては、取るに足らない空耳で彼女の顔が曇るのは頂けない自体。あんなにも奇麗にしているのに色々台無しではないか。
(早く助手君みつけて、あの一団から遠い所でご飯食べよう。)
食自体には興味なく、そんなことを思い捜索を続行しようと。
やけにしゃがれて懐かしい、咳払いの音を聞いた。
『ほお?
我らが女神のおはすダリル皇家を馬鹿にするとは、おまえ達、随分偉くなったものだな!』
そちらを振り向くと、記憶している姿より随分と年老いた、彼の大学時代の先輩の姿があった。黒髪はだいぶ薄れたか、人を食ったような老人は、意地悪そうに、ケルッツアへ中傷を囁いていた一団らしき固まりの中でふんぞり返っている。
その老人にまつわる記憶と、現在の地位を思い出し、彼は声をかけようと。
一拍早く。反対方向から急に両手を鷲掴みにされた。
『ドクター・ディス・ファーン!
ああお会いしたかった!
貴殿の論文を一年前の物から全て読みあさりました!!
すばらしい!!!
私、学会長のお話は誇張だとばかり思っていましたが、いや、あなたのような方もいらっしゃるものですね!!!』
不自由な手の方向をみれば、彼より頭一つ分下から論文雑誌でしか見たことのない顔が、満面の笑みで彼の褐色の手を握り、ぶんぶんと振り回していた。
ケルッツアは、その人間が彼の友人に近い職場にいることを思い出した。
『…確か、メ・ル・ザ・の助手の』
『リワンサイス・ド・イヒレインと申します。うれしいなぁ! 私のことをご存じだなんて!
いやあ、この間の試験、恐ろしく難しかった!
あれを簡単だとおっしゃる方は、きっと本質が見えていないか、席を勝ち取れた方なのでしょうね!!』
イヒレインと名乗った中背細面の青年は、その茶けた目を愛想良く細め、明らかに、彼を中傷した団体への当てつけを大声でのたまう。快活そうな表情でさらに何か言い募ろうと口をひらきかけ、急に後ろに頭を反らし、目を丸くした。
ケルッツアが彼の後ろをのぞきみると。
『メルザ! ひさしぶり』
彼の友人であるメトーラルシザ・ド・ゲライアが、リワンサイスの背丈に僅か届かない位置で、彼らを睨みつけている。普段の白衣姿でなく、亜麻色の長髪も結い上げ艶やかな深紅のドレスを纏った彼女は、尻尾よろしく握っていた黄土色の束ねた長髪を更に引いた。
と、リワンサイスは、僅か苦痛に苦笑を浮かべ、ああ、と天井を向いていた顔をメトーラルシザへと向ける。
『すみませんドクター・ゲライア。あまりにうれしくて、貴女の事忘れてました』
にこにこと、無邪気にそんなことを告げるリワンサイスに、メトーラルシザは大げさにひとつため息をつくと、握っていた髪を放してやる。年齢にしてケルッツアと変わらない彼女は、年よりは五、六歳程若く見える顔に険を帯びたまま、低く。
『リワンサイス……。
あんたの恐ろしいことは、そのよく回る舌に全く悪気がないって事よ。
あんたもあんたよケ・ル・ズ・! よくもまあおめおめとかおをだせたものねぇ!?』
ついで、特徴的な掠れた声でケルッツアに食ってかかった。
友人のこの反応を友人なりの挨拶と知っているケルッツアは、言いたいことを告げる。
『メルザ、テュフィレ賞内定おめでとう』
メトーラルシザの眉間に、深い皺が一つ、増えた。
それを見たケルッツアが続けるより早く。
『あんたが二十年前に立てた仮説の証明で賞もらったって嬉しくも何ともないわよ!
あんたねぇ、天文界にどんだけの置きみやげ残して崩れてんのよ! 復活遅いのよ! その仮説の証明までにあたしらがどんだけ』
深紅のアンシンメトリーな裾から艶やかよりも暴力的に膝をのぞかせ、首と耳と手首につけたプラチナとダイアモンドのアクセサリーも、上品な深紅の髪留めも、艶やかに着飾った何もかもを台無しにするような勢いで、メトーラルシザは大股に一歩ケルッツアに詰め寄り、彼の胸倉をひっつかむ。
今にも殴るか、そんな気迫のメトーラルシザに。
『ゲライア、おまえ年長者にそろそろ譲ろうとはおもわんのか?』
あきれかえったような、しゃがれた老人の声がかかった。
と、相当悔しげに、胸倉を掴んでいた手が外れる。ケルッツアは、睨みつけるメトーラルシザから、当初の目的である人物へ振り向いた。
『お久しぶりです。エリグァノ先輩。あ、ティシテ学会長就任おめでとうございます』
彼がそう伝えると、リワンサイスより頭半分小さなエリグァノと呼ばれた老人は、同じく笑い返し、おもむろに、どこから出したか論文雑誌と思われる紙束を、ごっそり、赤い絨毯に広げて見せた。
『ありがとう所でディス・ファーン、これとこれとこれとこれの内容を今すぐ説明しろ。
まずはこれだ。このβ波は』
しゃがみ込み、緋色の絨毯の上に総勢十冊あまり取り出された論文雑誌、切り抜きなどに手を突いて、老人は紙と鉛筆片手に彼を睨みあげている。
『β波・・・って、ああ、不可視光線の』
つられ、あ、バカ! というメトーラルシザの声も遠く、ケルッツアも絨毯に座り込むと、乞われるままに解釈を始めた。
『ふん? なぜイスラル波でβ波の代用が効かぬ?』
『イスラル波は不可視arを伴います。このar光波は、性質からしてウガチウムを含んでいる可能性が非常に高い。ウガチウムはリニリート合金との衝突でゲゼザル派を生み出します』
『ゲゼザルは計測にノイズを生じさせると? ふん。解消法ならあるぞ。たとえば、ゲゼザルに強いサクト光線、もしくはそれに代用の光線をぶつける』
『サクトもそれに変わる代用品も、リニリード合金の性質を破壊します。
リニリート合金は軽度と硬度の面から、計測器に多く使われていて、今のところ、代用金属は見つかっていない。結果、ウガチウムの含まれていると仮定されているリニリート合金で出来た計測器にイスラル波を使うと、ノイズのもとである不可視arが生まれ、不可視arを消すために強いサクト光線類を使えば、リニリート合金が痛み、計測器は用を成さなくなる。
よって、イスラル波は計測器に使えないのです。
その点、β波は不可視arの発生率がほぼゼ、で!』
頭を回転させながら老人の問いに答えていたケッツアは、肩胛骨への大きな衝撃に、あぐらをかいた状態から前につんのめった。倒れることは何とか耐え、衝撃のあった場を斜め上に振り向けば、尊大な声が降ってくる。
『そんなところに居るからだ黒猿。邪魔で叶わん』
彼の視界には、銀髪の、この国の者より更に北方の民に近い白い肌をした男がいた。秀麗な、針のような印象を与える顔立ちに縁なしのメガネをかけた壮年近い彼、シルヴァルド・ド・メイスンは、黒いスーツの片足を持ち上げた状態でケルッツアを見下している。全体的に、鋭利なアイスピックを思わせる風貌の中、目と同色の銀色の長髪が可愛く三つ編みにされ、おまけに薄いピンクのリボン付きで前身へと垂れていることだけが異様に浮いていた。
その、ここ五年程見かけなかった顔に、ケルッツアは。
『シルド! なにも蹴ることないだろ!?』
『は! いい気味だ。蛮族の分際で席を勝ち取りやがって。今までどこで崩れてた?』
ケルッツアの抗議には嘲笑と親しみが混じって返る。そのアンバランスさに、ケルッツアはムッとしていた顔を思わずあきれと懐かしさに崩した。
『おまえはまったく変わらんな。結婚おめでとう』
友人の、二年ほど前の出来事を素直に祝うと、頭上から、存外素直な感謝と一枚の紙屑が放り落とされる。
『ありがとう。ホレ』
ぐしゃぐしゃになった紙屑を開くと、郵送の送り状だった。但し書きと宛先に、ケルッツアは、オピニシア地方のワイン! と喜色も満面、シルヴァルドを仰ぎみる。
『送ってくれたのか!』
シルヴァルドは、ケルッツアの顔を心底、唾棄しないのが不思議なほど憎々しげに睨みつけると、僅か態勢を屈め、スーツのポケットに両手を突っ込んだまま。
『おめでとうケ・ル・ズ・。せいぜい助手と飲んだくれてろ。じゃあな』
態度に反して声は柔らかい。
シルヴァルドは嘲笑とも親しみともつかない笑みを投げ、くるりときびすを返し人ごみに消えていく。
ケルッツアは、やれやれ、と、彼と、後を追ったメトーラルシザに手を振り、横手からの酷い咳払いにそちらを振り向いた。
『で? 不可視arが? なんだと?』
半眼のエリグァノに、ぱちくりと瞬き一つ、敷かれた論文がそれぞれ別のことを論じていることを思い出し、少々焦る。
『エリグァノ先輩。僕は人を捜』
『知らん。終わったら好きなだけ捜すがいい。ホレ! 続きを論じんか!!』
ばさ、と突きつけられた論文に、傍で見ていたリワンサイスが、何ですか? 面白そう! 等と首を突っ込んでくる。いつの間に集まったか、ケルッツアとエリグァノは、他の、喜色好奇心知識欲やっかみ、それぞれに感情を満面に押し出した学者と思われる招待客に円状に取り囲まれていた。
己の置かれた状態に気づいたとき、ケルッツアは既に、容易と抜け出せる位置にいなかった。それに久しぶりの議論も面白いだろうな。そんな彼自身の甘言にそそのかされ、彼がその場から離れられたのは、それから約一時間後の事。
『ふん。……今日の所はこれで終いだ。
あー、雑多な話はついているから。
来月二日! 遅れずに来るように!!』
とりあえず満足したらしいエリグァノの言葉と、メモ帳を破った紙切れ一枚。ケルッツアは解放された。彼に何かを話しかけてきた他の学者達は、エリグァノとリワンサイスに話を持っていかれ、現在、別の議論に華を咲かせている。
紙切れに書かれている住所は、シティテ学会の会議場として良く使われる王立図書館を指している。
雑多な話に、面倒な所属学会からの脱退と、新たな学会入会の手続きの臭いを感じながら、こうしてケルッツアは、エリグァノとリワンサイスの分かりづらい計らいに甘え、ソフィレーナの捜索に戻った。
見知った顔や、知らない者との楽しい議論の時間と、助手捜索へのロスを天秤にかけ、歩きだったものを早足に切り替えて会場内を捜す。捜す。横にも広く縦にも広い邸宅三件分の空間を上へも下へも行ったり来たり。きょろきょろきょろきょろ。薄青のドレス、薄青のドレス・・・その色のドレスの女性自体いない? そんな馬鹿な。
ぐるぐると鳴るおなかに耐えられず、料理をつまみがてら又きょろきょろと彼女を捜す。華やかな宴。摘んだ料理の味も良い。
(ああ、コレ助手君好きだろうな。……食べたかな。)
ダンスを嗜む一団に目をくれても、それらしき姿はなかった。
現在十四時四十分近くにして、ケルッツアは、豪奢な大広間の端の端、受付から一番近い扉の向かい、裾を引いて美しく渦を巻く、緩い傾斜の白亜の階段に何度目か、足をかけた。華やかな音楽が彼の耳を素通りし、会場内をにぎわせている。
談笑の声。穏やかな雰囲気。そんなものから距離を取るように、ケルッツアは階段の先、大広間を見渡せる内テラスの一角へ上った。まばらにいる着飾った紳士淑女の面々を避けるよう、美しく繊細な彫刻の施された手すりを辿り、大広間を見渡してゆく。
立ち止まり、手すりから先の、華やかなパーティー会場へと、冷ややかよりは柔らかな、無感動の目を向けた。
(別世界だ。)
ひとりごち、疲れた体を手すりに預け、ぼんやりと、当初は、宴に参加しないつもりだった事を思い返す。
今年三月初頭。
国立図書館の最上階にある、禁書庫に押しつぶされそうな総館長専用作業部屋のポストの中に、真っ白な封筒が一通入っていた。気づいたケルッツアは、手に取れば薄く上品な香が香るそれをしげしげと長め、ひっくり返し。
そこで眉を潜める。
封筒には、差出人の名前がなく、ただ、赤い蝋封が押されているだけ。宛名もなければ蝋封の刻印が何の花を象っているかも分からない。
とりあえず、知り合いの家の象徴花や、学会関連のそれを一通り頭にさらってもみたが該当もなく。…しいて言えば、ダリルの象徴に似てるけど、あれ、一重の花だしなぁ…?
しばらく、嫌がらせと宛先違いの可能性を考慮した総館長は、宛先違い、助手の元に届いたものだろうという結論に至った。ごくごくたまに、彼女宛の荷物が紛れ込んでいる事がある。きっとそれだろう。そんな思いと共に、朝のお茶の時間に彼女へ経緯を話し、封筒を差し出す。
が。ソフィレーナは、彼の予想に反して困惑気味に封筒を受け取ると、宛名のないことを見、ひっくり返し。
『! これ実家の刻印です!』
目を丸くしたまま、受け取った封筒を渡し返してきた。
ケルッツアは首を傾げる。
『あれ? だってダリルの……君のおうちの象徴花は一重咲きじゃあなかった? それに、おうちからのお手紙なら』
困惑気味なケルッツアに、ソフィレーナは僅か身を乗り出して答える。
『ダリルの刻印には二通りあるんです。
一重咲きは普段の時や、本当にダリル家だけで催す宴の招待状なんかに使うもの。
そしてもう一つが、国王のご意思によってダリルが主催で行う場合に用いられる、この三重咲きの刻印で…………。
この刻印は、私相手には絶対使われませんから、これ、あなた宛てです。
! もしかして、“春の宴”への招待状じゃあ!?』
ダリル皇家直系に特徴的な虹彩、一等美しく深い紫に、下の方から淡く栗色の煙る一対の眸は、僅か熱に浮かされてケルッツアを見ている。
その視線を受け止めた彼は、一つ瞬きをした。
興奮気味のソフィレーナから、春の宴、と呼ばれる立食パーティーのあらましなどを聞きつつ封を切る。著名人を集めて、という説明に、プロフェッサー・ディム・ゲールの席を勝ち取ったからだと理解し、見遣る葉書の不参加欄にサインを。
『おめでとうございます! ドクター!!
タキシードとか新調しないといけませんね。どうしましょう? この際奮発して、腕のいい洋服屋さんにオーダーメイドしましょうか?』
花の咲き綻ぶように頬を染め、うきうきと話を進める、大変浮かれた助手の笑顔に、総館長はサインの手を止めた。羽ペンを片手に、丁寧な招待状から顔を上げ。
『会場、君のうちなんだ? 君も行くの?』
彼女の母親にも会っておいた方がいいだろうか、そんな事を思いつつ、ソフィレーナを見る。
どちらにせよ彼女が行かなければ不参加。ケルッツアのそんな心情など気付かず、ソフィレーナは顎に指をあて、少し考えてから、にっこりと答えかえした。
『……じゃあ私、貴方を出迎えますね。会場とか、少しご案内しますよ』
ケルッツアはこの言葉で、春の宴への参加欄に丸をし、礼儀に則った返信を返している。
不幸な事として、彼は彼女へ宴への出席の有無を問い、彼女は彼に実家への帰郷の有無を答えていたが、その認識のずれは、今も尚正されることなく。
ケルッツアは、以上の記憶を思い返し、まんじりともせず、一つ、ため息を吐いた。余り好まない席でも彼女と昼食でも共にしながらならば、楽しめるかと。思っていたのに。
心の中に緩やかに湧き上がりずっとある、黒い怒りと静かな哀しみに灰色の眸を揺らし、それでも、見下ろすドレスの花の中に、薄青色を探して視線をさまよわせる。
しかし、幾度見ても、何度探しても、見つからないものは見つからない。ついに彼は、帰るべく手すりから身体を離し。
「もしローク?」
掛けられた柔らかな中高音に、ぼんやりと顔を向けた。そして、氷雨に打たれた時の茫洋とした心地から、僅か、浮上する。
「あ……そふぃー、レーナさんのお母上。先ほどは」
三時間程前、楽しく談笑していた相手の顔に、ぺこりと頭を下げた。
彼に声を掛けた、ダリル家の元当主にして宴の主催者の一員であるソフィレーナの母親、マリアーナ・ド・ダリルは、白いサテンに、ドレスと同色の茶色の刺繍を施したヴェールから、老いてなお輝く、今は美しく結い上げた密色の長髪を覗かせ、見目の良い顔立ちを笑みに染めている。
「楽しい時間でしたわ。私も、あの子の事を伺うことが出来て嬉しく思っておりましたの。
……あの子をお探しですの?」
おっとりとした動作で小首を傾げ、短いレース製の手袋越し、繊細な指先を卵のような曲線を描く頬に当てると憂いの表情を見せた。
僅かつり目気味の一対の目元、長い密色のまつげは深くしとやかに特徴的な虹彩に掛かっている。
目鼻立ちの良く整った彼女の顔は、女神と謳われるにふさわしい魅力を湛えてケルッツアを見ていた。
そんなマリアーナの、実は作られた表情を見、濃い紫が大半を占める虹彩の下の方にほんの僅かある栗色を見つけ、親子だなぁ、などとぼんやり思いつつ、ケルッツアはいまだソフィレーナに逢えない由を、ぽつり、と漏らす。
その調子は、彼自身に自覚がなくとも。
「まあ、それでこんな所でぼんやりと?」
声ばかり憂いに満ちた音程で、マリアーナは目の前の壮年近い、己と年も近いだろう男性に、その実喜色の目を向けた。彼女の、かつてとはいえ、国一番と讃えられた美姫を目の前にして、ケルッツアは本当につまらなそうに斜め下手を眇め見るばかり。
常識の範疇に収まった程度とはいえ、まるで拗ねているかのような口ぶり、態度を示す目の前の男に、ソフィレーナの母親は。
「――――あの子に、会いたいですかしら?」
「ソフィーレンス君の居場所を知ってるんですか!?
あ、そ、そふぃ」
女神の問いかけには、息せき切った声が答えた。
大声といわれる音量に近い声で期待を返したケルッツアは、ついで、己の失言にあたふたし、酷く掠れた声で訂正を試みる。
そんなケルッツアの、それでも尚嬉しそうな、生気を取り戻した様子に、マリアーナは、可愛らしく驚いていた顔をとろけそうな笑みに変える。
「その呼び方、存じておりますわ。あの子からよく聴かされておりますもの。」
目の前の、己と年の近い男性の忙しなく変わる顔色など構う事無く。朗らかに、己の娘がその呼び名に好意を持っている事を話し出した。
しどろもどろな総館長を置き去り、一方的に喋ると。
「・・・お客様に、こんな事を頼むのは失礼なのですけれど……」
豪華絢爛な大広間から緋色の暗幕一枚、扉一つ隔たったその場所は、隅の方に段ボール等が積み重なってはいるものの、楽屋裏としては比較的整理されていた。
「これを持っていけば良いんですね?」
ケルッツアの目の前には、キャスター付きの給仕棚がある。銀の取手の部分には意匠な一重咲きのロームエッダの花が彫り込まれ、部屋を照らすオレンジの蛍光灯に美しい反射を返していた。真っ白なテーブルクロスを掛けた給仕棚に乗る中皿五枚には、節度は守れど文字通り、てんこ盛り、状態で、会場で振る舞われている料理が湯気の勢いも良く、種類も豊富に揃えられている。蓋付きの、保温性の高い容器に入れられたスープも横に三種類。テーブルクロスの下には、飲み物も幾瓶か入っていた。
二メートル近い背を屈め縮め、そんなことを確認する紺色のタキシードを着た壮年の男性に、茶色のドレスを纏った婦人は、軽く束ねられたダリルの象徴花、一重咲きのロームエッダの花を両手で支え持ち、うなずいた。
「ええ。こちらの通用口から。お願いいたしますわ。
あの子の部屋は・・・」
茶色のドレスをゆるりと捌くと、部屋の先、召使いなどが出入りする口とは又違った、両開きの扉を片扉だけ開いた状態で固定する。
と。
「ママ! コレも美味しかったわ! これも追加し、
本日はお越し頂きまして恐悦にございます。いつも妹がお世話になっておりますわ。ドクター・ディス・ファーン様」
給仕棚のキャスターの固定具も外し、そちらに進もうとしたケルッツアの背後、高く澄んだ声が人物ごと勢い良く飛び込んできた。
彼が振り向くと、薄く透けるサテンの白地に新緑のような黄緑色の刺繍を施したヴェールを頭に被り、刺繍と同色の肩なしドレスを身に纏って優雅に腰を折る密色の髪の美女と、出来立てと思われる料理の乗った皿を、今渡されました、という状態で持ったまま頭を下げさせられている密色の髪の美男がいる。
「あ、えと、ティアレーヌ姫君お招きありがとうございます」
ケルッツアは、まず黄緑色のドレスで着飾られた、ソフィレーナの姉、女優としても現在の美姫としても有名なティアレーヌ・ド・ダリルに頭を下げ返した。
ついで、彼女によって頭を押さえつけられた、現在の美姫であるティアレーヌと髪型以外はうり二つの、灰色のタキシードを着た男性にも声を。
一拍早く、ティアレーヌがにこにこと続ける。
「まあ、私の事をご存知ですの? 嬉しいわ。
こちら、私の、弟、の、クラウェンドと」
心なし、弟、という単語に力が入ったティアレーヌの言葉と重なるように、濃い白地に、ダリル直系の色として知られる一等濃い紫水晶の濃さを写し取ったような刺繍が施されたヴェールを纏う、銀の短髪の美女が、ケルッツアの前に進み出る。
母の美しさに父の血筋を混ぜた、思慮深く気高い麗しさを持った顔立ちと謳われる女性に、ケルッツアは相手より一瞬早く応じた。
「あ、お招きありがとうございます。サラフィーネ当主殿」
サラフィーネと呼ばれた、ソフィレーナの二番手の姉にして、この宴の主催者でもある彼女は、その紫色のシックなドレスを美しく捌くと凛とした気品と共に腰を折り、中低音の心地よい声で挨拶を返した。
「いえ。お越し頂きまして恐悦至極に存じます。ディス・ファーン様。
宴は楽しんで……あれ?」
風評どおり、思慮深さと麗しさを兼ね備えた顔でケルッツアを見、急に、子供のように目を丸くする。
娘の驚きをなんと取ったか、彼女に寄り添ったマリアーナは、サラフィーネの、肌の露出を控えた紫色のドレスの肩に手を置くと、囁くように微笑んだ。
「これから楽しむところなのよ。サラちゃん。じゃあ、これも、あと、それも追加するのね?」
にこにこと、サラフィーネの後ろにいるクラウェンドが持っていた筈の料理皿を給仕棚の上に乗せ、背を屈めるとテーブルクロスの下に白い布で包まれた匂いも香ばしいパンを、小さなバスケット一杯に詰めて乗せる。
そんな母親の姿に、ティアレーヌとサラフィーネは顔を見合わせ、ケルッツアがこの場に居る意味を悟るとマリアーナに詰め寄った。
「ママ? まさかお客様に」
困り顔で早口に囁くティアレーヌに、マリアーナは、だって、と少女然と頬に手を当て、同じく困ってみせる。
「とても寂しそうな顔で、会場を眺めてらっしゃるのだもの。淡青のドレスを捜しているのですって」
そんな母の言い分に、困惑したサラフィーネが、僅か詰問口調で問いかけた。
「良いのですか!? レーナは」
「いつも会ってらっしゃるのだもの。なにを隠す必要があって?」
笑みを湛えたまま、しら、と問い返すマリアーナの、現役を退いてなお漂う当主としての威厳に、娘二人は再度、顔を見合わせ。
「ママがそういうのなら」
そんな言葉を合図に、女性陣は話を終わらせている。
一方、彼女たちのちょっとした諍いが始まるのと同時刻。
「あの、ディス・ファーン様」
女性陣に取り残された蜜色の短髪の美男子、ソフィレーナの兄にしてティアレーヌと瓜二つ、おそらく双子だろうクラウェンド・ド・ダリルは、ケルッツアにそっと話しかけた。
ケルッツアは、その声に振り向くと、ぺこりと頭を下げる。
「クラウェンド皇君。本日はお招きいただきまして」
流れるような挨拶に、クラウェンドは両手を振ると気さくな笑みを浮かべた。
「いえ、楽しんでらっしゃるようでなにッ! ッ!?」
突如、後ろから首根っこを掴まれ、声は漏らさないまでも目を白黒させる。彼の首を掴んだ手は、息つく間もなく鳥の濡れ羽色のタキシードを着た腕に変わった。
「楽しんでなんてないよ。ね、ケルズ!」
「グ・ラ・ン・!?」
この頃は専ら電話越しに聞く声の主に、ケルッツアは驚きと親しみを込めてグランと呼んだ彼を見る。
いつの間にこの場に加わっていたか、ケルッツアの大学時代の友人でもある、燃え立つような赤毛と茶色い眸を持った大柄細面な男性、グルラドルン・ド・シェスラットは、カラスの濡羽色の燕尾服の片腕をクラウェンドの首に絞める様に回したまま、笑っていた。
「し、シェスラット文化庁長か!?」
「おまえ居たのかー。久しぶり。なんだ一言ぐらい」
クラウェンドの苦しげな声は、懐かしそうなケルッツアの声にかき消された。
グルラドルンもケルッツアにふざけて答え返す。
「あ、そーいうこというんだ?君こそぼくの前素通りしてきょろきょろきょろきょろしてたじゃん。
あーもー式には呼んでよー?」
片腕をクラウェンドの首に巻き付けたまま、もう片方の腕でケルッツアに肘当てを繰り返すグルラドルンに、ケルッツアは、つつかれるたび体を揺らしつつ首を傾げる。
そんなケルッツアに、グルラドルンは邪気なく笑い返した。
腕を叩くクラウェンドの手に気づき。
「ああ!? おお麗しき我らが女神!
ご挨拶が遅れまして大変失礼いたしました!」
その声無き叫びを完膚なきまでに無視して、腕に抱えたやんごとなき皇君の母足る人物に大げさに頭を下げ、戯曲よろしく挨拶する。
その動作に強制的につきあわされるクラウェンドは、苦しい、痛い、離して下さい、とグルラドルンの腕を叩くが、全く効果はない。
そんなグルラドルンの態度と、息子の置かれた状態に。
「まあまあ、シェスラット殿もご機嫌うるわしゅう。
クー、シェスラット殿がお話があるのですって」
マリアーナは同じく戯曲宜しく返すと、朗らかに息子へ話しかけた。
その一声で、クラウェンドはがっくりとうなだれる。
抱え込んだ相手の様子など知らないとばかり、グルラドルンは相変わらず動作も声も大きく、マリアーナに向かって深々とお辞儀を返す。
「姫君の御慈悲誠に恐悦至極!! では、大切な皇君お借りしていきます!
さあ、皇君、ちょっーっっとこちらへこちらへー」
そして、ひきつった顔のクラウェンドを引きずり、召使い用の通用口へと消えていった。
その背に、ケルッツアは間抜けた声をかける。
「あー・・・じゃーなーぐらーん」
遠くから、間抜けた声が返る。
「じゃーねーけるーず。またゆっくりはなそーねー」
一人は自発的に、もう一人は強制的に立ち去った二人の人物を見送り、ケルッツアは給仕棚の取っ手に手をかけた。
その側で、マリアーナもまた、文化庁長官と己の息子を見送り、それも終えるとケルッツアに向き直る。褐色の手のひらに地図の書かれた可愛らしいメモ紙を渡すと、にっこり。
「では、こちらをお願いできますかしら?」
彼女の声を合図に、今まで料理やら何やらを更に積み込んでいたティアレーヌとサラフィーネが給仕棚から離れた。揃ってケルッツアに微笑む。
ティアレーヌが口を開いた。
「下には茶席も設けられるよう、ポットなども入れておきました。あの子をお願いしますね。ディス・ファーン様。」
続けて、サラフィーネが深深と、一際丁寧にお辞儀をした。
「お会いできたことを光栄に思います。本日は誠にありがとうございました。
妹を宜しくお願いします」
老いてなお麗しいマリアーナ。彼女の若い頃にそっくりだというティアレーヌ。マリアーナの伴侶の美しい銀髪を引き継いだ現皇当主サラフィーネ。
三人の女神は、褐色の肌の流民に微笑む。
この世のものならぬ美女達の見送りに軽く会釈を返して、ケルッツアは給仕棚を押し、片開きの扉の先、押さえられた色合いの深紅の絨毯に足を踏み出した。
正午きっかりに始まった宴は、曲目を途切れさせることなく未だにぎわいを見せていた。
広さにして、大きな屋敷でも優に三つは入るだろうという縦長の大広間には、豪奢なシャンデリアが高い天井から三列に釣り下げられ、真昼の室内を尚明るく照らし出している。
大広間中に響きわたるべく雇われたオーケストラの面々は、四方の壁に幾つと作りつけられたそれぞれの台座にて、一斉に同じ曲目を奏でる。音の遅れは計算しつくされ、合わせるときは合わせ、輪唱のような効果を生み出すときは、寸分の違いなく音を調和させていた。
大広間を覆う白い大理石の床は、大広間の真ん中辺りまでは鮮やかな緋色の絨毯で隠されてしまっているものの、残りはその鏡のような滑らかな光沢と自然の作り出した模様の美しさを止水のように湛えている。
絨毯の上には真っ白なテーブルクロスを掛けられた丸い机がいくつと並び、そのどれもが、果たして一つとして同じ流れのない渦を巻く水を模した調度品で飾られ、その緩い渦に沿って四段ほどの高低差で見目好く配置された丸い皿の上、色とりどり、ありとあらゆる、と招待客に錯覚させるほどの豪華にして種類も豊富な高級料理の数々が盛り付けられている。口安めにと添えられるみずみずしい果物や、星や花や宝石のようなデザートもまた、数えるのが馬鹿らしくなるほどに。
その様は、美術や芸術を嗜む者曰く正に奇跡。一つの皿で見ても美しく、机として見ても美しく、例え大広間を見下ろした絵としても、大理石の床と緋色の絨毯の妙と併せても美しい。そしてそれは、人を入れても崩される事がないのだと。より調和し、感動に打ち震えるのだとすら。
毎年、料理の盛り付けですらそのような感慨を抱く者が両手の指で利かぬ程現れる、という話もまた、春の宴の魅力の一つ。
そんな宴の只中、老年から若年と呼ばれる紳士、同じく、紳士の装いより遥かに麗しく着飾った淑女達は、まるで神々に用意されたかのような豪勢な料理を嗜みつつ、大広間のあちらこちらで談笑を楽しんでいた。
振る舞われる飲み物には当然のごとく値の張るアルコール類も多く混じっており、興の乗った者などは、男女一組互いに誘い合わせて絨毯の敷かれていない大広間の半分、テラスに近い辺りに進み出、曲目に沿って踊りを楽しんでいる。紳士を軸に、華やかな室内に華やかなドレスが花のように広がるその様は、おおよそこの世の物とは思えない宴の絢爛さを更に引き立てる。
招待客は、財政界や芸能、文学、食、化・科学・国賓として招かれる他国の大臣等、その分野での、或いはそれ以外でも著名な顔ぶればかり。
まさに、ダリル家。
王家リザと並び立ち、皇家、ただ一の皇族として国を陰で支えるとまで言われる、建国神の血を継ぐという者達が主催をつとめる、春の宴、その名にふさわしい午後の立食パーティーは、終わるともしれず綿々と続いている。
そんな優雅にして高貴な集まりの中、飲み物も持たずにあちらをきょろきょろ、こちらをきょろきょろとしながら、動き回る者がいた。
正装よりは幾分ラフな紺色のタキシードを着た、この国では珍しい褐色の肌の男は、白髪の目立ち始めた灰色の短髪をすべて後ろへ掻き揚げ撫でつけ、普段は手入れも疎かな口ひげも剃り落としこざっぱりとした様子の、国立図書館の最高責任者、少し前までは確かに、おちこぼれ、として有名だったケルッツア・ド・ディス・ファーンその人。
彼は、華やかなドレスや、仕立てのいいタキシード、はたまた見目麗しく味も良さそうな料理の数々の合間を縫って落ちつきなく人を捜している。既に足早に大広間を眺望できる二階テラスにも昇り、手すりから大広間の内壁に沿ってぐるりと二階通路を一周してきたが、見下ろす光景にも、すりぬけた風景にもお目当てはいなかった。
ならば上から見えない箇所にいるのかと、もう一度広間の一階に降り、せっせと会場の二階通路の真下付近を重点的に捜している所。
今年で四十九を迎えるその顔は、髭がないせいだろうか、僅か若返って見える。
しかし、表情は春の日差しとは真逆に近い。
「…あああ。随分話し込んじゃったなぁ……」
二階へ上る前まで、まさに赤い絨毯に付いていたお尻の痛さを後悔しつつ、ついでに思い出した蹴られた背中の痛みに肩をすくめ、ケルッツアは又、きょろりと辺りを見回した。更に落胆、本日何度目か、後ろに撫でつけた灰色の髪に手をやると、これまた何度目か分からないため息を一つ。
ふと、軽く現実逃避。背中の肩胛骨の下辺り、まだ消えない痛みに意識を向けた。
(シ・ル・ド・も何で毎回蹴るんだ…? 普通に声かけろって言ってるのに……。)
その手痛い挨拶が、彼の卒業校であるユニヴァーシティー・ディム・ゲールッセッテ同期のシルヴァルド・ド・メイスンから変わらない、友人なりの挨拶方法だと分かっていても。今の彼にとっては殊更に、蹴られた背の痛みは心地良いものではない。
(エリグァノ学会長もさ、僕の論文を読んでくれるのは嬉しいけど……。紙と鉛筆持ち出していきなり解説求めるのは止めて欲しかった…。)
その行動が、ケルッツアの所属する学会より二ランク上のシティテ学会の長である、大学時代の偏屈で留年を趣味にしていた先輩の癖だと知っていても、分かっていても。一時間近く付き合って絨毯の上に座り続けた尻の痛みは、やはり今の彼にとっては、到底、心地の良いものではなかった。
彼が、お気に入りの銀の懐中時計を懐から取り出し確認すれば、ただ今十三時五十五分と少し。
涼しげな三白眼の目元も困り気味、僅か怒りにも悲しみにも揺れつつ、ケルッツアは、もう直ぐ二時間近く前になる記憶を思い返した。
春の宴の、主催者によるパーティー始まりの挨拶が終わった直後から、彼は彼の助手を、また、捜し始めていた。というのも、宴の始まる三十分前まで、彼らは確かに一緒に居たのだから。
彼の助手こと、ソフィレーナ・ド・ダリルは、彼が春の宴に招待されたことを彼女に告げた日の約束に違わず、彼女の実家であるダリル皇家へ一足先に帰り、当日、薄青のセミロングドレスを纏って彼を出迎えた。
因みに、ケルッツアはこの時に覚えた言い得ぬ感動にも似た感慨、或いは落胆と願望を、いまだ、いまだに上手く処理しきれずにいる。いつも男装に近い恰好でいる助手の目の覚めるような女性の姿は、当然ながら美しく奇麗だった。
なのに。
(なんで蒼じゃないの? )
ぽ、と。そう思ってしまった。
なぜそう思ったか。彼自身は十二分に察していて、同時にその恐れ多さも分かっている。筈だった。だから確かに喜ぶ裏に、がっかりした心が動いたのだが、そのがっかりが驚くほど深かったので思わず言葉が出なかった。
ケルッツアが言葉を無くした一瞬。
『ドクター! お待ちしてました!!!
……。私…髭のないドクターの顔って、初めて見ますけど、とっても……!
あの…見違えますね…!!!』
仕立てたタキシードもとても似合ってますと。
心なし頬を染め、まるで自分の事のように喜ぶソフィレーナが会話の中心になり、ケルッツアはといえば、妙な落胆をどう処理していいものやらあぐねつつ、どことなく緊張もしつつ、ソフィレーナに連れられ屋敷内やら宴の会場やらの案内を受けていた。
そこで、彼女の母にして、宴の主催者の一人でもあるマリアーナ・ド・ダリルにばったりと出くわし、主にソフィレーナの幼少期の事やら、図書館での仕事ぶりの話に華が咲きに咲き、彼女の母親と別れ、はたと気づいたときには傍にいたはずの助手がいない。
首を傾げつつ、記憶を探ればどうやら傍を離れる挨拶らしきものをしているソフィレーナの姿が思い浮かぶので、なら先に会場に入ったものかと、受付を済ませ捜し始めたところで宴の挨拶が始まり。
まさかその間に捜す訳にも行かないと主催者の挨拶だけは聞いて渡されたグラスで乾杯をしてから一気にそれを片づけ、ケルッツアはソフィレーナを捜した。
人、人、人、人、人の波。それでも助手を、その薄青のドレスを探し出す自信があった総館長は、二メートルと僅かという身長の高さから辺りをきょろり、と見渡し。
小声での中傷と、あからさまな哄笑を聞く。落ちこぼれの崩れた黒猿が、こんな所へ何の用だ。ダリルの尊き女神達も血迷うことがあるのね。蛮族の癖に大きな顔をしやがって。プロフェッサー・ディム・ゲールセッテの名も墜ちたものだ。今回は格別易しかったのかねぇ。ああそうに違いない。でなければあんな者が。
潜められた陰鬱な声は対象者に届くよう計算されて空気を伝ってくる。
ケルッツアは。
(ソフィーレンス君がいなくて良かった! )
心の底からそう思った。
確かに彼は彼女を捜しているが、彼女は彼が気にしない中傷等にもいたく心を傷め、不機嫌になってしまう。彼としては、取るに足らない空耳で彼女の顔が曇るのは頂けない自体。あんなにも奇麗にしているのに色々台無しではないか。
(早く助手君みつけて、あの一団から遠い所でご飯食べよう。)
食自体には興味なく、そんなことを思い捜索を続行しようと。
やけにしゃがれて懐かしい、咳払いの音を聞いた。
『ほお?
我らが女神のおはすダリル皇家を馬鹿にするとは、おまえ達、随分偉くなったものだな!』
そちらを振り向くと、記憶している姿より随分と年老いた、彼の大学時代の先輩の姿があった。黒髪はだいぶ薄れたか、人を食ったような老人は、意地悪そうに、ケルッツアへ中傷を囁いていた一団らしき固まりの中でふんぞり返っている。
その老人にまつわる記憶と、現在の地位を思い出し、彼は声をかけようと。
一拍早く。反対方向から急に両手を鷲掴みにされた。
『ドクター・ディス・ファーン!
ああお会いしたかった!
貴殿の論文を一年前の物から全て読みあさりました!!
すばらしい!!!
私、学会長のお話は誇張だとばかり思っていましたが、いや、あなたのような方もいらっしゃるものですね!!!』
不自由な手の方向をみれば、彼より頭一つ分下から論文雑誌でしか見たことのない顔が、満面の笑みで彼の褐色の手を握り、ぶんぶんと振り回していた。
ケルッツアは、その人間が彼の友人に近い職場にいることを思い出した。
『…確か、メ・ル・ザ・の助手の』
『リワンサイス・ド・イヒレインと申します。うれしいなぁ! 私のことをご存じだなんて!
いやあ、この間の試験、恐ろしく難しかった!
あれを簡単だとおっしゃる方は、きっと本質が見えていないか、席を勝ち取れた方なのでしょうね!!』
イヒレインと名乗った中背細面の青年は、その茶けた目を愛想良く細め、明らかに、彼を中傷した団体への当てつけを大声でのたまう。快活そうな表情でさらに何か言い募ろうと口をひらきかけ、急に後ろに頭を反らし、目を丸くした。
ケルッツアが彼の後ろをのぞきみると。
『メルザ! ひさしぶり』
彼の友人であるメトーラルシザ・ド・ゲライアが、リワンサイスの背丈に僅か届かない位置で、彼らを睨みつけている。普段の白衣姿でなく、亜麻色の長髪も結い上げ艶やかな深紅のドレスを纏った彼女は、尻尾よろしく握っていた黄土色の束ねた長髪を更に引いた。
と、リワンサイスは、僅か苦痛に苦笑を浮かべ、ああ、と天井を向いていた顔をメトーラルシザへと向ける。
『すみませんドクター・ゲライア。あまりにうれしくて、貴女の事忘れてました』
にこにこと、無邪気にそんなことを告げるリワンサイスに、メトーラルシザは大げさにひとつため息をつくと、握っていた髪を放してやる。年齢にしてケルッツアと変わらない彼女は、年よりは五、六歳程若く見える顔に険を帯びたまま、低く。
『リワンサイス……。
あんたの恐ろしいことは、そのよく回る舌に全く悪気がないって事よ。
あんたもあんたよケ・ル・ズ・! よくもまあおめおめとかおをだせたものねぇ!?』
ついで、特徴的な掠れた声でケルッツアに食ってかかった。
友人のこの反応を友人なりの挨拶と知っているケルッツアは、言いたいことを告げる。
『メルザ、テュフィレ賞内定おめでとう』
メトーラルシザの眉間に、深い皺が一つ、増えた。
それを見たケルッツアが続けるより早く。
『あんたが二十年前に立てた仮説の証明で賞もらったって嬉しくも何ともないわよ!
あんたねぇ、天文界にどんだけの置きみやげ残して崩れてんのよ! 復活遅いのよ! その仮説の証明までにあたしらがどんだけ』
深紅のアンシンメトリーな裾から艶やかよりも暴力的に膝をのぞかせ、首と耳と手首につけたプラチナとダイアモンドのアクセサリーも、上品な深紅の髪留めも、艶やかに着飾った何もかもを台無しにするような勢いで、メトーラルシザは大股に一歩ケルッツアに詰め寄り、彼の胸倉をひっつかむ。
今にも殴るか、そんな気迫のメトーラルシザに。
『ゲライア、おまえ年長者にそろそろ譲ろうとはおもわんのか?』
あきれかえったような、しゃがれた老人の声がかかった。
と、相当悔しげに、胸倉を掴んでいた手が外れる。ケルッツアは、睨みつけるメトーラルシザから、当初の目的である人物へ振り向いた。
『お久しぶりです。エリグァノ先輩。あ、ティシテ学会長就任おめでとうございます』
彼がそう伝えると、リワンサイスより頭半分小さなエリグァノと呼ばれた老人は、同じく笑い返し、おもむろに、どこから出したか論文雑誌と思われる紙束を、ごっそり、赤い絨毯に広げて見せた。
『ありがとう所でディス・ファーン、これとこれとこれとこれの内容を今すぐ説明しろ。
まずはこれだ。このβ波は』
しゃがみ込み、緋色の絨毯の上に総勢十冊あまり取り出された論文雑誌、切り抜きなどに手を突いて、老人は紙と鉛筆片手に彼を睨みあげている。
『β波・・・って、ああ、不可視光線の』
つられ、あ、バカ! というメトーラルシザの声も遠く、ケルッツアも絨毯に座り込むと、乞われるままに解釈を始めた。
『ふん? なぜイスラル波でβ波の代用が効かぬ?』
『イスラル波は不可視arを伴います。このar光波は、性質からしてウガチウムを含んでいる可能性が非常に高い。ウガチウムはリニリート合金との衝突でゲゼザル派を生み出します』
『ゲゼザルは計測にノイズを生じさせると? ふん。解消法ならあるぞ。たとえば、ゲゼザルに強いサクト光線、もしくはそれに代用の光線をぶつける』
『サクトもそれに変わる代用品も、リニリード合金の性質を破壊します。
リニリート合金は軽度と硬度の面から、計測器に多く使われていて、今のところ、代用金属は見つかっていない。結果、ウガチウムの含まれていると仮定されているリニリート合金で出来た計測器にイスラル波を使うと、ノイズのもとである不可視arが生まれ、不可視arを消すために強いサクト光線類を使えば、リニリート合金が痛み、計測器は用を成さなくなる。
よって、イスラル波は計測器に使えないのです。
その点、β波は不可視arの発生率がほぼゼ、で!』
頭を回転させながら老人の問いに答えていたケッツアは、肩胛骨への大きな衝撃に、あぐらをかいた状態から前につんのめった。倒れることは何とか耐え、衝撃のあった場を斜め上に振り向けば、尊大な声が降ってくる。
『そんなところに居るからだ黒猿。邪魔で叶わん』
彼の視界には、銀髪の、この国の者より更に北方の民に近い白い肌をした男がいた。秀麗な、針のような印象を与える顔立ちに縁なしのメガネをかけた壮年近い彼、シルヴァルド・ド・メイスンは、黒いスーツの片足を持ち上げた状態でケルッツアを見下している。全体的に、鋭利なアイスピックを思わせる風貌の中、目と同色の銀色の長髪が可愛く三つ編みにされ、おまけに薄いピンクのリボン付きで前身へと垂れていることだけが異様に浮いていた。
その、ここ五年程見かけなかった顔に、ケルッツアは。
『シルド! なにも蹴ることないだろ!?』
『は! いい気味だ。蛮族の分際で席を勝ち取りやがって。今までどこで崩れてた?』
ケルッツアの抗議には嘲笑と親しみが混じって返る。そのアンバランスさに、ケルッツアはムッとしていた顔を思わずあきれと懐かしさに崩した。
『おまえはまったく変わらんな。結婚おめでとう』
友人の、二年ほど前の出来事を素直に祝うと、頭上から、存外素直な感謝と一枚の紙屑が放り落とされる。
『ありがとう。ホレ』
ぐしゃぐしゃになった紙屑を開くと、郵送の送り状だった。但し書きと宛先に、ケルッツアは、オピニシア地方のワイン! と喜色も満面、シルヴァルドを仰ぎみる。
『送ってくれたのか!』
シルヴァルドは、ケルッツアの顔を心底、唾棄しないのが不思議なほど憎々しげに睨みつけると、僅か態勢を屈め、スーツのポケットに両手を突っ込んだまま。
『おめでとうケ・ル・ズ・。せいぜい助手と飲んだくれてろ。じゃあな』
態度に反して声は柔らかい。
シルヴァルドは嘲笑とも親しみともつかない笑みを投げ、くるりときびすを返し人ごみに消えていく。
ケルッツアは、やれやれ、と、彼と、後を追ったメトーラルシザに手を振り、横手からの酷い咳払いにそちらを振り向いた。
『で? 不可視arが? なんだと?』
半眼のエリグァノに、ぱちくりと瞬き一つ、敷かれた論文がそれぞれ別のことを論じていることを思い出し、少々焦る。
『エリグァノ先輩。僕は人を捜』
『知らん。終わったら好きなだけ捜すがいい。ホレ! 続きを論じんか!!』
ばさ、と突きつけられた論文に、傍で見ていたリワンサイスが、何ですか? 面白そう! 等と首を突っ込んでくる。いつの間に集まったか、ケルッツアとエリグァノは、他の、喜色好奇心知識欲やっかみ、それぞれに感情を満面に押し出した学者と思われる招待客に円状に取り囲まれていた。
己の置かれた状態に気づいたとき、ケルッツアは既に、容易と抜け出せる位置にいなかった。それに久しぶりの議論も面白いだろうな。そんな彼自身の甘言にそそのかされ、彼がその場から離れられたのは、それから約一時間後の事。
『ふん。……今日の所はこれで終いだ。
あー、雑多な話はついているから。
来月二日! 遅れずに来るように!!』
とりあえず満足したらしいエリグァノの言葉と、メモ帳を破った紙切れ一枚。ケルッツアは解放された。彼に何かを話しかけてきた他の学者達は、エリグァノとリワンサイスに話を持っていかれ、現在、別の議論に華を咲かせている。
紙切れに書かれている住所は、シティテ学会の会議場として良く使われる王立図書館を指している。
雑多な話に、面倒な所属学会からの脱退と、新たな学会入会の手続きの臭いを感じながら、こうしてケルッツアは、エリグァノとリワンサイスの分かりづらい計らいに甘え、ソフィレーナの捜索に戻った。
見知った顔や、知らない者との楽しい議論の時間と、助手捜索へのロスを天秤にかけ、歩きだったものを早足に切り替えて会場内を捜す。捜す。横にも広く縦にも広い邸宅三件分の空間を上へも下へも行ったり来たり。きょろきょろきょろきょろ。薄青のドレス、薄青のドレス・・・その色のドレスの女性自体いない? そんな馬鹿な。
ぐるぐると鳴るおなかに耐えられず、料理をつまみがてら又きょろきょろと彼女を捜す。華やかな宴。摘んだ料理の味も良い。
(ああ、コレ助手君好きだろうな。……食べたかな。)
ダンスを嗜む一団に目をくれても、それらしき姿はなかった。
現在十四時四十分近くにして、ケルッツアは、豪奢な大広間の端の端、受付から一番近い扉の向かい、裾を引いて美しく渦を巻く、緩い傾斜の白亜の階段に何度目か、足をかけた。華やかな音楽が彼の耳を素通りし、会場内をにぎわせている。
談笑の声。穏やかな雰囲気。そんなものから距離を取るように、ケルッツアは階段の先、大広間を見渡せる内テラスの一角へ上った。まばらにいる着飾った紳士淑女の面々を避けるよう、美しく繊細な彫刻の施された手すりを辿り、大広間を見渡してゆく。
立ち止まり、手すりから先の、華やかなパーティー会場へと、冷ややかよりは柔らかな、無感動の目を向けた。
(別世界だ。)
ひとりごち、疲れた体を手すりに預け、ぼんやりと、当初は、宴に参加しないつもりだった事を思い返す。
今年三月初頭。
国立図書館の最上階にある、禁書庫に押しつぶされそうな総館長専用作業部屋のポストの中に、真っ白な封筒が一通入っていた。気づいたケルッツアは、手に取れば薄く上品な香が香るそれをしげしげと長め、ひっくり返し。
そこで眉を潜める。
封筒には、差出人の名前がなく、ただ、赤い蝋封が押されているだけ。宛名もなければ蝋封の刻印が何の花を象っているかも分からない。
とりあえず、知り合いの家の象徴花や、学会関連のそれを一通り頭にさらってもみたが該当もなく。…しいて言えば、ダリルの象徴に似てるけど、あれ、一重の花だしなぁ…?
しばらく、嫌がらせと宛先違いの可能性を考慮した総館長は、宛先違い、助手の元に届いたものだろうという結論に至った。ごくごくたまに、彼女宛の荷物が紛れ込んでいる事がある。きっとそれだろう。そんな思いと共に、朝のお茶の時間に彼女へ経緯を話し、封筒を差し出す。
が。ソフィレーナは、彼の予想に反して困惑気味に封筒を受け取ると、宛名のないことを見、ひっくり返し。
『! これ実家の刻印です!』
目を丸くしたまま、受け取った封筒を渡し返してきた。
ケルッツアは首を傾げる。
『あれ? だってダリルの……君のおうちの象徴花は一重咲きじゃあなかった? それに、おうちからのお手紙なら』
困惑気味なケルッツアに、ソフィレーナは僅か身を乗り出して答える。
『ダリルの刻印には二通りあるんです。
一重咲きは普段の時や、本当にダリル家だけで催す宴の招待状なんかに使うもの。
そしてもう一つが、国王のご意思によってダリルが主催で行う場合に用いられる、この三重咲きの刻印で…………。
この刻印は、私相手には絶対使われませんから、これ、あなた宛てです。
! もしかして、“春の宴”への招待状じゃあ!?』
ダリル皇家直系に特徴的な虹彩、一等美しく深い紫に、下の方から淡く栗色の煙る一対の眸は、僅か熱に浮かされてケルッツアを見ている。
その視線を受け止めた彼は、一つ瞬きをした。
興奮気味のソフィレーナから、春の宴、と呼ばれる立食パーティーのあらましなどを聞きつつ封を切る。著名人を集めて、という説明に、プロフェッサー・ディム・ゲールの席を勝ち取ったからだと理解し、見遣る葉書の不参加欄にサインを。
『おめでとうございます! ドクター!!
タキシードとか新調しないといけませんね。どうしましょう? この際奮発して、腕のいい洋服屋さんにオーダーメイドしましょうか?』
花の咲き綻ぶように頬を染め、うきうきと話を進める、大変浮かれた助手の笑顔に、総館長はサインの手を止めた。羽ペンを片手に、丁寧な招待状から顔を上げ。
『会場、君のうちなんだ? 君も行くの?』
彼女の母親にも会っておいた方がいいだろうか、そんな事を思いつつ、ソフィレーナを見る。
どちらにせよ彼女が行かなければ不参加。ケルッツアのそんな心情など気付かず、ソフィレーナは顎に指をあて、少し考えてから、にっこりと答えかえした。
『……じゃあ私、貴方を出迎えますね。会場とか、少しご案内しますよ』
ケルッツアはこの言葉で、春の宴への参加欄に丸をし、礼儀に則った返信を返している。
不幸な事として、彼は彼女へ宴への出席の有無を問い、彼女は彼に実家への帰郷の有無を答えていたが、その認識のずれは、今も尚正されることなく。
ケルッツアは、以上の記憶を思い返し、まんじりともせず、一つ、ため息を吐いた。余り好まない席でも彼女と昼食でも共にしながらならば、楽しめるかと。思っていたのに。
心の中に緩やかに湧き上がりずっとある、黒い怒りと静かな哀しみに灰色の眸を揺らし、それでも、見下ろすドレスの花の中に、薄青色を探して視線をさまよわせる。
しかし、幾度見ても、何度探しても、見つからないものは見つからない。ついに彼は、帰るべく手すりから身体を離し。
「もしローク?」
掛けられた柔らかな中高音に、ぼんやりと顔を向けた。そして、氷雨に打たれた時の茫洋とした心地から、僅か、浮上する。
「あ……そふぃー、レーナさんのお母上。先ほどは」
三時間程前、楽しく談笑していた相手の顔に、ぺこりと頭を下げた。
彼に声を掛けた、ダリル家の元当主にして宴の主催者の一員であるソフィレーナの母親、マリアーナ・ド・ダリルは、白いサテンに、ドレスと同色の茶色の刺繍を施したヴェールから、老いてなお輝く、今は美しく結い上げた密色の長髪を覗かせ、見目の良い顔立ちを笑みに染めている。
「楽しい時間でしたわ。私も、あの子の事を伺うことが出来て嬉しく思っておりましたの。
……あの子をお探しですの?」
おっとりとした動作で小首を傾げ、短いレース製の手袋越し、繊細な指先を卵のような曲線を描く頬に当てると憂いの表情を見せた。
僅かつり目気味の一対の目元、長い密色のまつげは深くしとやかに特徴的な虹彩に掛かっている。
目鼻立ちの良く整った彼女の顔は、女神と謳われるにふさわしい魅力を湛えてケルッツアを見ていた。
そんなマリアーナの、実は作られた表情を見、濃い紫が大半を占める虹彩の下の方にほんの僅かある栗色を見つけ、親子だなぁ、などとぼんやり思いつつ、ケルッツアはいまだソフィレーナに逢えない由を、ぽつり、と漏らす。
その調子は、彼自身に自覚がなくとも。
「まあ、それでこんな所でぼんやりと?」
声ばかり憂いに満ちた音程で、マリアーナは目の前の壮年近い、己と年も近いだろう男性に、その実喜色の目を向けた。彼女の、かつてとはいえ、国一番と讃えられた美姫を目の前にして、ケルッツアは本当につまらなそうに斜め下手を眇め見るばかり。
常識の範疇に収まった程度とはいえ、まるで拗ねているかのような口ぶり、態度を示す目の前の男に、ソフィレーナの母親は。
「――――あの子に、会いたいですかしら?」
「ソフィーレンス君の居場所を知ってるんですか!?
あ、そ、そふぃ」
女神の問いかけには、息せき切った声が答えた。
大声といわれる音量に近い声で期待を返したケルッツアは、ついで、己の失言にあたふたし、酷く掠れた声で訂正を試みる。
そんなケルッツアの、それでも尚嬉しそうな、生気を取り戻した様子に、マリアーナは、可愛らしく驚いていた顔をとろけそうな笑みに変える。
「その呼び方、存じておりますわ。あの子からよく聴かされておりますもの。」
目の前の、己と年の近い男性の忙しなく変わる顔色など構う事無く。朗らかに、己の娘がその呼び名に好意を持っている事を話し出した。
しどろもどろな総館長を置き去り、一方的に喋ると。
「・・・お客様に、こんな事を頼むのは失礼なのですけれど……」
豪華絢爛な大広間から緋色の暗幕一枚、扉一つ隔たったその場所は、隅の方に段ボール等が積み重なってはいるものの、楽屋裏としては比較的整理されていた。
「これを持っていけば良いんですね?」
ケルッツアの目の前には、キャスター付きの給仕棚がある。銀の取手の部分には意匠な一重咲きのロームエッダの花が彫り込まれ、部屋を照らすオレンジの蛍光灯に美しい反射を返していた。真っ白なテーブルクロスを掛けた給仕棚に乗る中皿五枚には、節度は守れど文字通り、てんこ盛り、状態で、会場で振る舞われている料理が湯気の勢いも良く、種類も豊富に揃えられている。蓋付きの、保温性の高い容器に入れられたスープも横に三種類。テーブルクロスの下には、飲み物も幾瓶か入っていた。
二メートル近い背を屈め縮め、そんなことを確認する紺色のタキシードを着た壮年の男性に、茶色のドレスを纏った婦人は、軽く束ねられたダリルの象徴花、一重咲きのロームエッダの花を両手で支え持ち、うなずいた。
「ええ。こちらの通用口から。お願いいたしますわ。
あの子の部屋は・・・」
茶色のドレスをゆるりと捌くと、部屋の先、召使いなどが出入りする口とは又違った、両開きの扉を片扉だけ開いた状態で固定する。
と。
「ママ! コレも美味しかったわ! これも追加し、
本日はお越し頂きまして恐悦にございます。いつも妹がお世話になっておりますわ。ドクター・ディス・ファーン様」
給仕棚のキャスターの固定具も外し、そちらに進もうとしたケルッツアの背後、高く澄んだ声が人物ごと勢い良く飛び込んできた。
彼が振り向くと、薄く透けるサテンの白地に新緑のような黄緑色の刺繍を施したヴェールを頭に被り、刺繍と同色の肩なしドレスを身に纏って優雅に腰を折る密色の髪の美女と、出来立てと思われる料理の乗った皿を、今渡されました、という状態で持ったまま頭を下げさせられている密色の髪の美男がいる。
「あ、えと、ティアレーヌ姫君お招きありがとうございます」
ケルッツアは、まず黄緑色のドレスで着飾られた、ソフィレーナの姉、女優としても現在の美姫としても有名なティアレーヌ・ド・ダリルに頭を下げ返した。
ついで、彼女によって頭を押さえつけられた、現在の美姫であるティアレーヌと髪型以外はうり二つの、灰色のタキシードを着た男性にも声を。
一拍早く、ティアレーヌがにこにこと続ける。
「まあ、私の事をご存知ですの? 嬉しいわ。
こちら、私の、弟、の、クラウェンドと」
心なし、弟、という単語に力が入ったティアレーヌの言葉と重なるように、濃い白地に、ダリル直系の色として知られる一等濃い紫水晶の濃さを写し取ったような刺繍が施されたヴェールを纏う、銀の短髪の美女が、ケルッツアの前に進み出る。
母の美しさに父の血筋を混ぜた、思慮深く気高い麗しさを持った顔立ちと謳われる女性に、ケルッツアは相手より一瞬早く応じた。
「あ、お招きありがとうございます。サラフィーネ当主殿」
サラフィーネと呼ばれた、ソフィレーナの二番手の姉にして、この宴の主催者でもある彼女は、その紫色のシックなドレスを美しく捌くと凛とした気品と共に腰を折り、中低音の心地よい声で挨拶を返した。
「いえ。お越し頂きまして恐悦至極に存じます。ディス・ファーン様。
宴は楽しんで……あれ?」
風評どおり、思慮深さと麗しさを兼ね備えた顔でケルッツアを見、急に、子供のように目を丸くする。
娘の驚きをなんと取ったか、彼女に寄り添ったマリアーナは、サラフィーネの、肌の露出を控えた紫色のドレスの肩に手を置くと、囁くように微笑んだ。
「これから楽しむところなのよ。サラちゃん。じゃあ、これも、あと、それも追加するのね?」
にこにこと、サラフィーネの後ろにいるクラウェンドが持っていた筈の料理皿を給仕棚の上に乗せ、背を屈めるとテーブルクロスの下に白い布で包まれた匂いも香ばしいパンを、小さなバスケット一杯に詰めて乗せる。
そんな母親の姿に、ティアレーヌとサラフィーネは顔を見合わせ、ケルッツアがこの場に居る意味を悟るとマリアーナに詰め寄った。
「ママ? まさかお客様に」
困り顔で早口に囁くティアレーヌに、マリアーナは、だって、と少女然と頬に手を当て、同じく困ってみせる。
「とても寂しそうな顔で、会場を眺めてらっしゃるのだもの。淡青のドレスを捜しているのですって」
そんな母の言い分に、困惑したサラフィーネが、僅か詰問口調で問いかけた。
「良いのですか!? レーナは」
「いつも会ってらっしゃるのだもの。なにを隠す必要があって?」
笑みを湛えたまま、しら、と問い返すマリアーナの、現役を退いてなお漂う当主としての威厳に、娘二人は再度、顔を見合わせ。
「ママがそういうのなら」
そんな言葉を合図に、女性陣は話を終わらせている。
一方、彼女たちのちょっとした諍いが始まるのと同時刻。
「あの、ディス・ファーン様」
女性陣に取り残された蜜色の短髪の美男子、ソフィレーナの兄にしてティアレーヌと瓜二つ、おそらく双子だろうクラウェンド・ド・ダリルは、ケルッツアにそっと話しかけた。
ケルッツアは、その声に振り向くと、ぺこりと頭を下げる。
「クラウェンド皇君。本日はお招きいただきまして」
流れるような挨拶に、クラウェンドは両手を振ると気さくな笑みを浮かべた。
「いえ、楽しんでらっしゃるようでなにッ! ッ!?」
突如、後ろから首根っこを掴まれ、声は漏らさないまでも目を白黒させる。彼の首を掴んだ手は、息つく間もなく鳥の濡れ羽色のタキシードを着た腕に変わった。
「楽しんでなんてないよ。ね、ケルズ!」
「グ・ラ・ン・!?」
この頃は専ら電話越しに聞く声の主に、ケルッツアは驚きと親しみを込めてグランと呼んだ彼を見る。
いつの間にこの場に加わっていたか、ケルッツアの大学時代の友人でもある、燃え立つような赤毛と茶色い眸を持った大柄細面な男性、グルラドルン・ド・シェスラットは、カラスの濡羽色の燕尾服の片腕をクラウェンドの首に絞める様に回したまま、笑っていた。
「し、シェスラット文化庁長か!?」
「おまえ居たのかー。久しぶり。なんだ一言ぐらい」
クラウェンドの苦しげな声は、懐かしそうなケルッツアの声にかき消された。
グルラドルンもケルッツアにふざけて答え返す。
「あ、そーいうこというんだ?君こそぼくの前素通りしてきょろきょろきょろきょろしてたじゃん。
あーもー式には呼んでよー?」
片腕をクラウェンドの首に巻き付けたまま、もう片方の腕でケルッツアに肘当てを繰り返すグルラドルンに、ケルッツアは、つつかれるたび体を揺らしつつ首を傾げる。
そんなケルッツアに、グルラドルンは邪気なく笑い返した。
腕を叩くクラウェンドの手に気づき。
「ああ!? おお麗しき我らが女神!
ご挨拶が遅れまして大変失礼いたしました!」
その声無き叫びを完膚なきまでに無視して、腕に抱えたやんごとなき皇君の母足る人物に大げさに頭を下げ、戯曲よろしく挨拶する。
その動作に強制的につきあわされるクラウェンドは、苦しい、痛い、離して下さい、とグルラドルンの腕を叩くが、全く効果はない。
そんなグルラドルンの態度と、息子の置かれた状態に。
「まあまあ、シェスラット殿もご機嫌うるわしゅう。
クー、シェスラット殿がお話があるのですって」
マリアーナは同じく戯曲宜しく返すと、朗らかに息子へ話しかけた。
その一声で、クラウェンドはがっくりとうなだれる。
抱え込んだ相手の様子など知らないとばかり、グルラドルンは相変わらず動作も声も大きく、マリアーナに向かって深々とお辞儀を返す。
「姫君の御慈悲誠に恐悦至極!! では、大切な皇君お借りしていきます!
さあ、皇君、ちょっーっっとこちらへこちらへー」
そして、ひきつった顔のクラウェンドを引きずり、召使い用の通用口へと消えていった。
その背に、ケルッツアは間抜けた声をかける。
「あー・・・じゃーなーぐらーん」
遠くから、間抜けた声が返る。
「じゃーねーけるーず。またゆっくりはなそーねー」
一人は自発的に、もう一人は強制的に立ち去った二人の人物を見送り、ケルッツアは給仕棚の取っ手に手をかけた。
その側で、マリアーナもまた、文化庁長官と己の息子を見送り、それも終えるとケルッツアに向き直る。褐色の手のひらに地図の書かれた可愛らしいメモ紙を渡すと、にっこり。
「では、こちらをお願いできますかしら?」
彼女の声を合図に、今まで料理やら何やらを更に積み込んでいたティアレーヌとサラフィーネが給仕棚から離れた。揃ってケルッツアに微笑む。
ティアレーヌが口を開いた。
「下には茶席も設けられるよう、ポットなども入れておきました。あの子をお願いしますね。ディス・ファーン様。」
続けて、サラフィーネが深深と、一際丁寧にお辞儀をした。
「お会いできたことを光栄に思います。本日は誠にありがとうございました。
妹を宜しくお願いします」
老いてなお麗しいマリアーナ。彼女の若い頃にそっくりだというティアレーヌ。マリアーナの伴侶の美しい銀髪を引き継いだ現皇当主サラフィーネ。
三人の女神は、褐色の肌の流民に微笑む。
この世のものならぬ美女達の見送りに軽く会釈を返して、ケルッツアは給仕棚を押し、片開きの扉の先、押さえられた色合いの深紅の絨毯に足を踏み出した。
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