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それはおとぎ話のような⑧

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その日、屋敷の使用人たちは挙動不審で落ち着きがなかった。
特に女性の使用人たちは上の空で、どこからか皿の割れる音がきこえてきたり、ぼうっといているメイドが階段から足を踏み外したりと常ならぬことが、早朝から立て続けに起こっていた。

「旦那様がお帰りになるので、皆心ここにあらずのようですね」
私付きのメイドのリンジーは申し訳なさそうに言った。早朝、遠くから皿が割れる音と悲鳴がきこえ、仰天して寝巻のまま部屋を飛び出した私は、目の前でメイドがバケツをもったまま階段から転落するところを目撃してしまった。バケツの中には灰が入っており、それを盛大にまき散らしながら転落している姿は現実のものとは思えず茫然としてしまった。幸いメイドに大事はないようだったが、私としてはまさかの転落事故の目撃に、ショックで動けず、他の使用人たちがわらわら集まってくるのを壁にへばりついて眺めていた。

「厨房メイドは旦那様が今日お帰りになられるとのことで、この三日程全く眠れなかったようです。それで、皿五十枚割るという大惨事を起こしてしまったそうです」

「皿五十枚、それはすごいわね」

私は驚いたが、それくらいの音はしていたわね、と思い直した。とにかくたくさんの皿が延々と落ちて割れていく凄まじい音と、女性の絶叫が聞こえたのを思い出した。

「階段を落ちたメイドも似たようなものですね。お嬢様もさぞ驚かれたことでしょう」

リンジーは私をねぎらってくれた。壁にへばりついて茫然としている私を部屋まで誘導してくれたのは彼女だった。部屋に戻ったあと、もう一度私はベットに入り、いつもどおりの起床時間になってリンジーが再び来るまでおとなしく待っていた。その間に、リンジーは事件の詳細を聴取してきたようだった。

「でも、どうしてお父様が帰ってくる事で心あらずになるのよ。そんなに父上のことが怖いの?眠れなくなるくらいに?」

私は疑問に思ってリンジーに尋ねた。彼女らメイドを管理しているのは、父ではなく上級使用人だ。厨房メイドも、階段から落ちたメイドも直接父と接点はないはずだ。仕事に支障が出るほど、眠れなくなるほど、父が帰ってくることを恐れる必要があるのだろうか。確かに、城の主人が帰ってくることで上級使用人たちはピリピリしているようだが、下級使用人たちに眠れなくなるほどの圧力を加えているようにもみえない。私には見えていないだけなのだろうか。
首をかしげる私に、リンジーは首を振った。

「お嬢様、違います。怖いからではありません。乙女心です」

きょとんと私はリンジーの顔を見上げた。リンジーは十五歳の娘だ。そばかすの散った顔に、赤茶けた髪をひっつめ、少なくとも表向きは実直でまじめなメイドとしてふるまっている。この流れで乙女心という単語が出てくるとは思わなかったので、私は一瞬自分の耳を疑った。

「オトメゴコロ」

確認するように復唱すると、

「はい。乙女心です」

リンジーはまじめな顔のまま頷いた。

「旦那様はとても見目麗しい方です。あんなに美しい殿方は私もこれまで見たことはありませんし、この城にいる使用人皆がそうでしょう。ご存知ですか?社交界では美貌伯ともよばれているそうですよ」

知らなかったし、知りたくもなかった。父親にそんな恥ずかしい二つ名があったなんて。

「正直、今まで旦那様への恋煩いが原因でやめていった使用人は二桁は下りません。私も雇われる際に【くれぐれも旦那様のお顔を見るな】といわれたくらいです」

「そう」

もはや頷くしかない。あんな大騒動の原因が乙女心だなんて……当事者のメイドたちにとっては笑えない話だろうが。彼女たちは職を失うか、給料から弁償するか、もしかしたら両方になってしまうだろうから。

しかし、すべての元凶が父親の容姿だといわれても納得はできなかった。なにせ私の容姿も父親似だ。こればっかりは父親の肩を持ちたい。

──悪いのはオトメゴコロね。誰も悪くないわ。……それにしてもお父様もかわいそうに。二つ名が美貌伯って。フフッ

そんな痛い二つ名が、あの面白みのカケラもない父にあったなんて知らなかった。私が心の中でニマニマしていると、

「エラノーラ様も……」

リンジーは続けた。

「エラノーラ様も、旦那様に似ておきれいですから、いずれ旦那様のようにたくさんの異性を引きつけられるでしょうね」

そういって微笑んだ。その顔を私はまじまじとみた。

──この流れで、よくそういうこと言えるわね

少なくとも誉め言葉じゃない気がする。自分の容姿が原因で、他人が階段から落ちたりするかもってことじゃないの?それは。忠告のつもりかしら。しかし、リンジーは穏やかに微笑んでいるだけで、その顔からは何も読み取れなかった。

「旦那様は今日中にお帰りになるとのことですが、天候も良いですから、きっと早いお着きになるでしょうね」

そう言って、よかったですね、お嬢様。と付け足した。

そう、今日父が帰ってくるのだ。





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