物理重視の魔法使い

東赤月

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5. 欲求

ミリア様のチャリティーライブ

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「みんなー! 楽しかったー!?」
「楽しかったー!」

 この日のために急造された木造のステージの上にいるミリア様の声に全力で応える。僕と同じく地面に直接座っているフルルも大声を出しているみたいだけど、背後から届く怒濤のような歓声に呑まれていた。僕自身の声でさえも、辛うじて聞こえるくらいだ。
 それだけの感動が、熱が、ここにはあった。それを実現させたのが、ミリア様なんだ。

「あたしもとーっても楽しかった! だから最後のごほーび、あげちゃうね! 『恋魔法』! いっくよー!」
「うわぁあああ!」

 今日何度目かになる、立ち上がりたくなる衝動をどうにか抑える。ミリア様のデビュー曲にして代表曲だった。野外会場のボルテージは最高潮に達する。観客の興奮に呼応するかのように、ステージの両脇に置かれた巨大なスピーカーから軽快な曲のイントロが大音量で流れ出す。
 スピーカーというのは魔法機、魔法石を内蔵した機械の一種で、音を増幅する機能を持つ。ミリア様の持つマイクという魔法機で録った歌声や、メモリーと呼ばれる音楽を保存する魔法機から再生された曲を、会場の至るところへ、いや、その外へも届かせるすごい道具だった。
 ミリア様は歌声を響かせながら、厚底の下駄で激しいステップを踏む。一見軽くこなしているように見えるけど、高い位置にある重心を崩さないまま縦横無尽に動き回るのはとても難しい。ライブの終盤、疲れもある中で歌いながらこなすのは、流石としか言いようがない。

「そぉれっ!」

 加えて、間奏の間には魔術式を形成し、光弾を空へ飛ばすというパフォーマンスまで行ってみせるのだから、もう何も言えなくなる。ミリア様の凄さはこの場にいなければ、いや、居たとしても完全には理解できないだろう。
 ただ、凄い。その美声に、舞踊に、迫力に、心を奪われるだけだ。
 曲が最後のサビに入る。歌も踊りも一際難しくなる部分だ。それでも、ああ、ミリア様は美しかった。
 華奢な足が、派手な和服が、金色の髪が、白銀の角が。
 そして、幼さの残る顔に浮かべる満面の笑みが、その口から発せられる声が――

「みんなー! 今日はありがとー!」
「あ……」

 地面さえも震わせるような歓声で、正気を取り戻す。曲はいつの間にか終わっていた。ミリア様の姿が舞台袖に消えていき、ライブ終了のアナウンスが流れる。

「すごかったですね! シイキさん!」
「あ、うん……」
「シイキさん? どうかしたんですか?」
「いやその、なんだろ、言葉が出てこないや……」

 声が震える。夢のような時間が夢じゃなかったという実感が、後からあとから押し寄せてきていた。

「……分かります。圧倒されてしまいますよね」

 フルルもまた、感動を噛みしめるように頷くと、ステージの方に目を向ける。その視線を追うと、設備の片づけが行われていた。
 夢の時間は終わった。でも僕はまだそこに、ミリア様の姿が見えるような気がした。
 未練を振り払うように立ち上がると、フルルに向けて問いかける。

「えっと、この後はどうしよっか?」
「イデアさんと待ち合わせをしてるんです。一度会場の外に出て、それから裏に回りましょう」
「分かった」

 イデアさんというのは、ミリア様のために活動するボランティアの一人で、フルルの知り合いだ。僕もフルルと一緒に設営の手伝いをしていた時に会ったけど、緑色の髪が特徴的な小鬼族の女の子だった。なんでもミリア様みたいなアイドルになるのが夢だそうで、ボランティアとしてミリア様を追っかけながら、その活動を間近で観察しているらしい。

「いやぁ……でも本当に良かったのかな? あんな前の方でミリア様のライブを見せてもらって」

 高い柵で囲まれただけの会場を出て、少し遠回りする形でステージの裏へと向かう途中で呟く。前に居る人は地面に座らなきゃいけなかったけど、間近で生のミリア様を見ることができるという特典はあまりにも身に過ぎていた。他のファンの人に聞かれたら妬まれるような気がして、自然を装いながら周囲を気にかける。

「イデアさんが用意してくれたんですから、大丈夫ですよ。設営を手伝ってくれたお礼だって言ってくれてたじゃないですか」
「あの程度の働きで良ければ全然するんだけど……」

 本来席を取ることさえ難しいのに、ちょっと手伝っただけであんな一等席を貰えるなら安いどころじゃない。チャリティーライブだからお金は必要ないけど、払ってでもあそこで見たいという人は大勢いただろう。前日からとは言え、ちょっとした手伝いで得られた報酬としては破格でしかなかった。

「それにほら、警備の手伝いをしてるユート君とシルファはあのステージを見ることができなかったわけでしょ? 今更だけど、それも申し訳なくて……」
「そうですね……。歌は届いていたと思いますけど……」

 シルファはユート君と二人で居たかっただろうから自然とそうなれる仕事を頼んでみたけど、あのライブを見てしまった後だととても申し訳ない気持ちになってきた。一ファンからしたら歌を聴けるだけでも有難いことだけど、数々のパフォーマンスと併せて聴いたほうが良いに決まってる。

「今度何かで埋め合わせしないとなぁ。ここに来れたのだって、ショーゴさんが呼んでくれたからだけど、ユート君が誘ってくれたからでもあるんだし」
「そうですね。私たちにできることで、恩返ししましょう」
「イデアさんには、うーん、今から何か用意するのは難しいかな。片付けの手伝いが残っているといいんだけど」
「……言われてみたら、私、イデアさんからも貰いっぱなしでした。何かできることは……」

 考え込むように下を向いていたフルルが、突然弾かれたように顔を上げる。

「フルル?」
「すみません、少し静かに」

 珍しく端的な言葉に口を閉ざす。息を潜めていると、会場の逆側、木々が茂る方から、何か話し声が聞こえてきた。距離があるようで、内容はよく聞き取れない。

「ミリアさんが、転んだ……?」
「え?」

 しかしフルルには聞こえたようで、呟いた内容に声が漏れる。ミリア様が、転倒?
 僕たちは一度目を合わせると、足音を殺して近づいていった。向かう先から、男たちの笑い声が上がる。

「いやぁ、いい転びっぷりだったなぁ。笑いを堪えるのが大変だったぜ」
「それな! ステージに上がる前に転んでくれたら最高だったんだが」
「上手くいっただけ良しとしようぜ。細工だって気づかれなかったんだし」

 細工!? まさかステージに上がるための階段か何かにーー

「あのっ!」
「フルル!?」

 止める間もなく、フルルは駆け出してしまう。慌てて追うと、少し開けた場所に三人の鬼人がいるのが見えた。全員二角族で、一番背の低い人でも僕より頭一つ分は背が高い。

「あ? んだこいつら」
「観光客か?」
「驚かせやがって」

 僕たちの存在に気づいた三人は、安堵したような、バカにするような表情を浮かべた。そんな相手に対し、フルルは更に距離を詰める。

「あの、今の話、聞いてました」
「ちょっと、フルル……」
「ミリアさんに謝ってください!」

 振り返らず、真っ直ぐ言葉をぶつけるフルル。まるで別人のようなその姿に、僕は目を丸くした。
 フルル、どうしちゃったの? そりゃとても許せることじゃないけど、こんなに自分の意見を言うだなんて……。

「あれ? 何の話してたっけ?」
「ミリアとかいうブスが調子に乗っててウゼーって話じゃなかったか?」
「そうそう、そんな感じだったな。謝るほどのことじゃないっていうか」
「とぼけないでください!」

 フルルが声を荒らげると、三人の顔が怒りに歪む。

「ちっ。ウッゼぇなぁ」
「おい、どうする?」
「黙らせようぜ。言い掛かりをつけられたんだし、正当防衛ってやつだ」

 大男が近づいてくる。思わず後退りする僕とは対照的に、フルルは翼を広げ、魔術式を形成した。フルルを除く、その場にいる全員が驚く。

「つ、翼!?」
「ていうかおい! こいつ魔法使いだぞ!」
「マジかよ……」
「………………!」

 違う。こんなのフルルらしくない。仮にも一般人に対して、躊躇いなく魔術式を向けるだなんて、いつものフルルからは考えられない攻撃性だ。
 怒りで我を忘れている? 激情家でもないフルルが? まるで別人のよう、いや、
 ……。
 魔術式が光り輝く。そこでようやく、僕は我に返った。

「フルル!」
「フルル」

 静かな、けれど良く通る声が背後で上がり、魔術式の光が収まった。この声は、

「イデアさん!?」
「そうよ、シイキさん。こんなところに居たのね」

 振り返ると、そこには確かにイデアさんがいた。いつからそこに居たんだろう? 全然気づかなかった。

「ミリア様が転んで怪我をしてしまったの。応急処置はしてるけど、余り詳しい人はいなくて」
「え、あ、うん……」

 どこか、劇の台本を読むような口振りで言葉を重ねながら、イデアさんは真っ直ぐフルルの下へと歩く。

「それで、フルルは回復魔法を使えるってことを思い出して、急いで探しに来たのよ。魔法の私用はやっちゃいけないって分かってるけど、もしすぐにでも治さないと後遺症がでるとかだったら大変だし」

 フルルの元に辿り着いたイデアさんが、肩に手を添え、耳元で口を動かす。

「フルル、ミリア様を看てくれないかしら?」
「でも、この人たちがミリアさんを……」
「そうなの?」
「……へっ。何言ってんだか」
「俺たちゃここでダベってただけだぜ」
「そこまで言うなら証拠を出せよ。ほら」

 話を振られた男たちが調子を取り戻した。だけど、何故だろう、小鬼族であるイデアさんが来ただけなのに、体躯で勝る三人から受ける怖さが急激に薄くなったように感じる。

「……設営のボランティアの中で見た顔ね。いいわ、彼らとはあたしが話す。フルルはミリア様のところへ行って。シイキさん」
「は、はい」
「フルルに付き添ってもらえる? 今のこの子、ちょっと不安定みたいだから」
「え、でもそれじゃあ、イデアさんが一人に」
「あたしは大丈夫。こう見えて護身術は身に付けてるの」

 イデアさんは自然体で答える。一対三の状況になることに何の気負いもないようだった。ミリア様を追いかける熱烈なファン。そんな第一印象とはかけ離れた言動に、隠しきれないほどの戸惑いを覚える。
 そんな僕の気持ちを察したのだろうか。イデアさんは僕に近づいて耳打ちした。

「それと、できれば応援を呼んできて」
「っ! うん! 行こうフルル!」

 震える声を聞いて、目が覚めた。少し乱暴になったけど、フルルの腕を掴んで駆け出す。
 バカだ、僕は。不安じゃないわけないじゃないか。だけどその気持ちを表に出してしまえば相手に付け入られる。鬼人族の社会で生きてきたイデアさんはそれを重々分かっているから、ああやって強がって、時間を稼ごうとしていたんじゃないか。
 僕たちは旅行者で、魔法使いだ。下手に魔法を使って抵抗したら、現地の司法は相手に味方する。だからイデアさんが一人で残ったんだ。たとえ傷害沙汰になったとしても、僕たちがやったわけじゃないって言えるから。
 そこまで考えてくれていたのに、僕ってやつは……!

「早く、早く戻らないと……」

 逸る気持ちが僕に言い聞かせる。分かってる。早く、速く。


 ◇ ◇ ◇


 なんだか知らんが、残ったのはイデアとかいう小鬼族の女一人だ。俺はさっき感じた妙な迫力を忘れようと笑みを浮かべた。

「おいガキ、てめぇさっきの奴らの知り合いか? 俺らなんもしてねぇのに脅迫されたんだが?」

 これだけで意図は伝わる。ギーとナルシスは女に一歩詰め寄った。

「そうそう。変な言い掛かりつけてきてよぉ」
「どう落とし前つける気だ? おい」
「暗示が効きすぎちゃったわねー。フルルはホーント、素直なんだから」
「は?」

 女が意味分かんねぇことを言う。状況が分かってねぇのか?

「脅迫は悪いことだよなぁ? 悪いことをしたんなら謝らないとなぁ?」
「誠意を見せてくれよ、誠意を」
「とりあえず有り金置いてけや。な?」

 三人で女を取り囲む。それでも大きな反応はない。俺は大きく舌打ちをした。

「何とか言えや! おい!」
「クローズ:『ミラー・ホール』」

 また意味分かんねぇことを。なんだこいつ? イラつかせやがる。

「いいからさっさと金出せや!」

 ギーが後ろから蹴りを入れる。

 バリィン!
「……は?」

 蹴られた女が、バラバラになった。

「うわあっ!?」
「お、おい、な、なにやって……」
「ち、ちげぇ! 俺はそんな強く蹴ってねぇ!」

 死んだ? 殺人? やべぇ、やべぇやべぇ!

「って、なんだ? これ」

 バラバラになった女の上半身が、地面でキラキラ光る。下半身の断面も、まるで鏡みたいになっていた。

「ガラスの人形?」
「いやさっきまで普通に話してただろ!」
「ひっ」

 突然、ナルシスが変な声を出す。

「今度はなんだ!?」
「あ、あ、あああれ、あれ!」

 ナルシスは震える指で何かを指す。そっちを見た。

「……え?」
「俺、たち……?」

 木の陰から、三人の男がやってくる。そいつらは俺たちとそっくりだった。

「あれも、鏡か?」
「じゃあなんで動いてんだよ!? おかしいだろ!」
「うわぁああ!」

 ナルシスが逃げ出した。くそ、訳が分からねぇ! 俺とギーも走り出す。

 ガン!
「ってぇ!」

 だがすぐに何かにぶつかった。隣では二人も同じように足を止めている。

「壁、なのか?」
「何も見えねぇぞ?」
「え、あ、ああああ!」

 見えない壁に、段々と何かが映る。これは、

「鏡?」
「なんでこんなところに!?」
「うあああ!」

 突然現れた巨大な鏡に、ナルシスは蹴りを入れる。俺たちも同じように蹴るが、ヒビも入らない。

「くそ、裏に回るぞ!」
「裏ってどこだよ!?」
「く、来る!」

 横も縦も終わりが見えない鏡の中で、俺たちにそっくりな奴らが近づいてくる。くそ、こうなったら仕方ねぇ!

「あいつらぶっ倒すぞ!」
「う、おお!」
「はぁ、はぁ、ああ!」

 俺たちは振り返ると、偽物を倒そうと前に

 ガシッ
「あ!?」

 進もうとして、足首に何かが、

「て、手が!」
「鏡から!?」
「ああああああ!」

 気づけば腕も、肩も、首も、たくさんの手に捕まっていた。動けなくなった俺たちに、偽物が笑いかける。

「で? ミリアに何したんだ?」
「う、そだろ?」

 それは、俺の声そっくりだった。ギーとナルシスの偽物も、同じ声で話す。

「転んだ時いなかったよな?」
「階段に何かしたのか?」
「し、してねぇよ!」

 反射的に答えると、首を掴む手の力が強くなる。

「あらー? あなたたちの魔力は、自分たちがしましたーって言ってるわよ?」

 そして背後から、さっきの女の声が聞こえた。

「魔力!? 何言って――」
「ひっ!? 引かれる!」
「いやだぁあああ!」

 俺たちを捕まえた手が鏡に引きずり込もうとする! 暴れても抜けられねぇ!

「だいじょーぶ。あんたたちみたいな醜いやつでも、どっかに利用価値はあるから。すぐにポイなんかされないよ? 多分ね」
「ま、まさかてめぇら、噂になってる人攫い――!?」

 答えの代わりに返って来たのは、女と、偽物たちの笑い声だった。


 ◇ ◇ ◇


「イデアさん!」

 ボランティアの人三人を連れて元来た道を急いで戻っていると、前からイデアさんが歩いてくるのが見えた。

「同志イデア殿! 無事だったか」
「目立った外傷もなさそうですな」
「安心したんだな」
「良かった……」

 僕たちが駆け寄ると、イデアさんは力なく微笑んだ。

「ありがとう、心配してくれて」
「当たり前じゃないか! それで、あの男たちは!?」
「逃げられちゃった。ごめんね」
「謝ることなど何もないぞ、同志イデア殿」
「その通りです。謝らないといけないのは私たちの方ですよ」
「一人にさせて、申し訳ないんだな」
「僕も、ごめん。イデアさんを置いていっちゃって」
「いいのよ、あたしが言い出したことなんだから」

 イデアさんはそう言って深呼吸をすると、突然自分の両頬を叩いた。パチン、と目が覚めるような音が鳴る。

「い、イデアさん?」
「あたしのことは終わり。それより、ミリア様は?」
「安心せよ。我らがミリア様の怪我は軽いものだそうだ」
「麗しのフルル嬢も、魔法こそ使いませんでしたが、応急手当を手伝ってくれましたよ」
「きっとすぐに回復するんだな」
「そう。なら万事オッケーね。戻りましょう!」

 満面の笑みを浮かべたイデアさんが、軽い足取りで歩き出す。その後ろ姿からは、アイドルとしてミリア様を追いかけるイデアさんの気概が見えたような気がした。

「……あれ?」
「シイキ殿、いかがした?」
「あ、いえ、何でもないです」

 うん、気のせいだよね。イデアさんが、ミリア様に見えただなんて。
 僕は軽く目を擦ってから、未来のアイドルの後を追った。
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