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5. 欲求
夏期休暇の予定
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「シイキ・ブレイディア」
来た! 僕は緊張を抑え、はい、と返事をして立ち上がると、キース先生の元へと歩いて向かう。
大丈夫、信じろ。あんなに努力したんだ。僕ならきっと!
「頑張ったな、シイキ」
「えっ」
にっと笑うキース先生。まさか、本当に……!
「本当に……惜しかったぞ」
そう言われて渡された回答用紙に書かれたのは、目標点数より一つ少ない数字だった。
「ウソだぁああああ!」
崩れ落ちる僕に、クラスメイトたちの笑い声が降り注いだ……。
◇ ◇ ◇
「支給額はトータルで微増ね。合計点も随分上がったし、良かったじゃない」
「成績が上がったのは良かったけどさ……」
試験の全日程が終わった次の日の放課後、僕たちチーム・シルファのメンバーは高台の休憩所に集まった。前にチームだった頃も、定番の集合場所であるここでシルファに文句言ってたなぁ、と少し懐かしい気持ちになりながら不満を口にする。
「もう少し目標点数が低ければ、もっと増額できてたのに……」
「目標点数が低ければ、その分努力しようという気持ちも薄れるわ。結果は同じだったはずよ」
「う……」
確かに、と思った時点で反論はできなくなった。結果だけ見れば、サボる余裕ができるほど低くはなく、最初から諦めるほど高くもない、絶妙な目標だったと言えるだろう。心情的には二度とゴメンだけど。
「すごく成績が良くなっているじゃないですか! すごいです、シイキさん!」
「あ、ありがとう、フルル」
平均得点率九割以上のフルルに褒められた六割弱の僕は曖昧に笑う。他人と比較しても仕方ないとは分かっているけど、フルルの姿はちょっと眩しいかな……。
「さて、最後はユートね。成績を見せてちょうだい」
「ああ」
ユート君は手に持っていた成績表をシルファに渡す。空気に緊張が走った。
僕らの中で補習の可能性があるのはユート君だけだ。同じクラスではあるけれど、その成績はまだ明かされていない。キース先生は褒めていたけど、果たして……。
「これは……!」
シルファが驚きの声を上げる。ま、まさか……!?
「ど、どうだったんですか……?」
不安げなフルルに、シルファが成績表を渡す。
「え……あ、すごい……」
「ええ!?」
もしかして、ものすごいいい成績だったとか!? いやいやそんなこと……でも、ひょっとして……。
ユート君の異質さを知っている僕が二人の驚きの理由を判じかねていると、どうぞ、とフルルが成績表を手渡してくれた。
「お、お、おお……」
受け取った成績表の中身に目を通し、少しして理解する。
「すごい……ギリギリだ」
ユート君の成績は、そのほとんどが赤点ギリギリだった。しかし一つとして赤点ではない。ある意味普通に点数を取るより難しいことだ。
辛うじて危機を回避するというところがユート君らしい。いや、これは狙ってできるものじゃないし、彼の戦い方と同一視するようなことじゃないのだけれど。
「と、とにかく補習は免れたし、良かったね!」
「そうね。得点率も軒並み小テストより上がっているし、上々の結果だわ」
「ありがとう。皆のお陰だ」
ユート君は曇りのない笑みを見せる。
「ライトさんの言ってた通り、足を使うことができたんですね」
「ああ。それでも危なかったけどな。なんとか及第点に届いたみたいだ」
ライト先輩の提案は、その言葉通りの意味だった。要するに、両手だけでなく両足も使って大きな魔術式を作ればいいということだ。どこで聞いたのか、ライト先輩はユート君が足でも魔術式を作れることを知っていたらしい。
試合とかだと指定の靴を履かなくちゃいけないから不可能だけど、試験でならその縛りは無いのだという。実際に先生に尋ねたら、問題ないとのことだった。
ユート君にとっての最大の問題が呆気なく解決したのにはちょっと拍子抜けしたけど、まあ解決しないよりかは良いよね。
「皆、よく頑張ったわ。これで全員、夏季休暇は自由に行動できるわね」
「だね!」
僕は大きく頷いた。ああ、ついに、待ちに待った夏季休暇だ。いつも以上に憂鬱だった試験勉強も、全てはこの時を迎えるため……! 来月の支給額がプラスされた分、思いっきり贅沢して遊ぶぞ!
シルファのことだからほぼ毎日魔法の訓練を予定に入れるんだろうけど、競技場の予約が取れずに午前だけの訓練で終わることだってあるだろう。流石に三日間くらいは自由な時間をくれるだろうし、予定を踏まえて前々から温めていた遊覧計画の詳細を詰めていくことにしよう。楽しみだなぁ。
「あ、そのことなんだけど、実は俺、夏季休暇中に予定があるんだ」
「え」
「予定、ですか?」
「……まさか、あの山に帰るの?」
「いや山に帰るってどういう……あ、帰省するってことか」
そう言えばユート君、ここに来るまで山の中で生活してたんだっけ。
「帰省じゃないな。実は兄さんに、来ないかって誘われて」
「ええっ?」
「お、お兄さん、ですか?」
「あなた、兄弟がいたの?」
「ああ。って言っても、本当の兄弟じゃないんだけどな」
つまり、義理の兄弟? 不思議に思っていると、シルファは何かを思い出したかのように頷く。
「兄弟子ってところかしら?」
「そうそう。俺と同じで、じいさんの元で暮らしてたんだ」
「へえ……」
じいさんっていうのは、確かユート君の育ての親だっけ。その人はユート君以外にも指導をしていたのか。
しかし、ユート君の兄弟子か……。お兄さんは全然想像がつかなかったけど、そっちも同じくらい想像がつかない。きっとすごいんだろうな……。
「ちなみにそのお兄さんって、ユート君より強かったりする?」
「ああ。俺どころか、多分ライト先輩より強いぞ」
「えええええ!?」
「ら、らい、ライトさんよりもですか!?」
「………………」
衝撃の事実が投下された。あのライト先輩よりも強いだって? にわかには信じられない。
「あ、そういうことか。もしかしてそのお兄さん、かなり年上なんじゃないの?」
「年は俺の二つ上だ」
「あ、そ、そう……」
つまりライト先輩と同年代で、ライト先輩よりも強い、と。先輩が聞いたら跳んで喜びそうだ。
しかし、成程。ユート君が先輩方を相手にしてもまるで怯まないのには、年の近い実力者と普段から関わっていたからなのか。自分の実力を大したことないって捉えるのも、それが理由なのかもしれないな。
一人納得している間に、シルファが質問を続ける。
「ちなみに、その人の名前は?」
「ショーゴ。俺と同じで、苗字はない」
「ショーゴ……聞いたことないわね。ライト先輩より強いくらいなら、かなり有名だと思うのだけど」
「確かに……僕も聞いたことないや」
それだけすごい魔法使いなら噂くらいになってもおかしくないのに。それこそかつてのユート君みたいに、山籠もりとかしてるんだろうか?
「それで俺は、ショーゴ兄さんの元に行こうと思うんだ」
「そう……。日程は決まっているの?」
「七月の二十七から三十一まで」
「分かったわ」
手帳を取り出し何かを書き込むシルファ。その目が僅かに大きくなり、唇がほんの少しすぼまった。シルファが必死に何かを考えている表情だ。ユート君がいないことを踏まえた訓練メニューを組み直しているのだろう。
「他に誰か、予定がある人はいるかしら?」
「私は、その……特には……」
「同じく」
帰省したい気持ちはあるけど、僕が戻ると色々とややこしいことになりそうだしね。サクラさんも、家のことは心配しないでって言ってたし、今年もなしかな。
「なら練習日程を組んでいきましょう。先ずは最初の一週間だけど」
「ごめんシルファ。もう一ついいか?」
「何かしら?」
思案顔のまま訊き返すシルファに、ユート君は、ありがとう、と言ってから続ける。
「実は俺のチームメンバーも連れてきてほしいって言われてるんだ。旅費も四人分貰ってる。だからもし良ければ、一緒に来ないか?」
「ええ勿論」
「即答!?」
「ライト先輩より強いという人と会えるのよ? 見て学べることもあるでしょうし断る理由はないわ。それに練習は普段でもできるけど、依頼なんかとは関係なく学外に出て新たな刺激を受けるというのは、長期休暇でしかできない大切なこと。折角その機会ができたというのにみすみす逃すなんてあり得ないわよ」
「……そうかもね」
早口で理由を並び立てるシルファを半目で見る。口のすぼまりは消え、目尻は今にも垂れ下がりそうだった。もしかしてシルファ、ユート君についていく口実を考えていたんじゃ……。
「何か言いたいことでも?」
「イヤナニモ」
「ありがとうシルファ。二人はどうだ?」
「わ、私はその、もし練習が無いのであれば、行きたいところがありまして……」
「悪いけど、僕も遠慮させてもらおうかな。予定はないけど、何も予定がない日ってのは大事だからね」
休息の大切さを盾にやんわりと断る。シルファの思惑がどうあれ、五日間の自由時間を得られるのはとても大きい。勉強もあれだけ頑張ったんだし、このくらいの我が儘は許されるだろう。
……まあ、少しくらいは魔法の練習もするつもりだけどね。
「そうか。それじゃあシルファ、よろしくな」
「ええ」
あ、シルファの口角が上がりそうになっている。ユート君との二人旅が嬉しくて堪らないって感じだ。うんうん、やっぱり僕は付いていかないのが正解だね。
「ところで、行き先はどこなの?」
「ブレンペーニュ、鬼人族の国だ」
「ブレンペーニュですか!?」
突然フルルが大声を上げた。そんなに驚くことかな? ユート君の言うお兄さんが鬼人族かもしれないっていうのには僕も少し驚いたけど、国内で名前を聞かないのはそういうことかって納得感の方が勝ってしまう。
「ど、どうしたの? フルル」
「あ、ご、ごめんなさい。あの、ユートさん、向こうに行くのは、七月の二十七日から三十一日まで、でしたよね?」
「ああ、それで合ってる」
「その、向こうで何をするのかとかは、もう決まっていますか?」
「いいや。初日と最終日は移動に使うだろうけど、それ以外は比較的融通が利くはずだ」
「やっぱり私、行きたいです! 行かせてください!」
珍しく強い意思を見せるフルル。もしかして、
「行きたいところって、ブレンペーニュだったの?」
「はいっ! 別の国なので難しいかなって思ってたんですけど、行けるなら絶対に行きたいんです! その、いいですか?」
「勿論だ。こっちから誘ってんだし、悪いことなんてないさ」
「ありがとうございます!」
おーっと、シルファの表情が悪くなっていくー! 無表情を装うのに必死だー!
なんて、少し意地悪かな。僕はそっとシルファに近づくと耳打ちする。
「大丈夫だよシルファ。二人きりの時間は減ったかもしれないけど、融通が利くならその時間も作れるだろうし、二人きりになれない時間がある分なれた時の効果も大きいさ。僕は邪魔しないし、気落ちすることないよ」
「な、ちが、そういうわけじゃ……!」
「シルファさん?」
狼狽えるシルファは二人の視線に気づき、一度咳ばらいをする。
「……フルルはブレンペーニュに何か思い入れでもあるのかしら? 私は授業以外で名前を聞いたことがなかったのだけど」
「あ……えと、これは秘密にしていてほしいんですけど、七月三十日に、ミリアさんのチャリティーライブがブレンペーニュであるそうで」
「僕も行く!」
気づいたら声を上げていた。横から何か冷気のようなものを感じるけど、それどころじゃない!
「え、フルル、それ本当のこと!?」
「は、はい。私、ミリアさんのライブを支えるボランティアの方たちと知り合いで、その内の一人が教えてくれたんです」
「フルルにそんな交友関係が!?」
どうやって知り合ったのか気になるところだけど、それなら信憑性はかなり高い。あのミリア様のライブが生で聴ける大チャンスだ! 僕はユート君に向き直ると、深く頭を下げる。
「ユート君、お願い! 僕も連れて行って!」
「お、おう。いいぞ」
「やった!」
諸手を上げて喜ぶ僕は、そこでようやくシルファの表情に気づく。それは幼い頃に読んだ怪談話に出てくる雪の妖怪を思い出させるような、そんな表情だった。
「何も予定がない日は大事なのではなかったのかしら?」
「そ、それより大事なことがあるんだよ!」
「そう。なら良かったわ。シイキにはもっと上を目指してほしいと思っていたの。休むこと以上に心が満たされるなら、そこ以外の日は全て予定を入れても問題なさそうね」
「うっ……望むところだ!」
怖い笑顔に怯みつつも言葉を返す。両手を組んで冷たい視線を向けるシルファは、やがてため息をつくと髪を軽く手で払った。
「冗談よ。楽しむことと休むことは分けて考えないと、肝心な時に動けなくなるわ。休みはちゃんと別にとるから安心しなさい」
「し、シルファ……!」
まさかあのシルファが数日規模の娯楽を認めてくれるなんて! 常に緊張し余裕のなかった頃の彼女を知っている僕は、思わず目が潤むのを感じた。
「俺は別に休みはいらないぞ?」
「わ、私も平気です!」
「駄目よ。特にユート、あなたは意識的に休みを取りなさい」
「む……分かったよ」
少し不満そうにしながらもユート君が頷く。……確かに、ユート君は休みを取った方がいいね。
「さて、改めて練習日程を組んでいくわよ」
それから僕たちは、夏季休暇の予定を詰めていくのだった。
来た! 僕は緊張を抑え、はい、と返事をして立ち上がると、キース先生の元へと歩いて向かう。
大丈夫、信じろ。あんなに努力したんだ。僕ならきっと!
「頑張ったな、シイキ」
「えっ」
にっと笑うキース先生。まさか、本当に……!
「本当に……惜しかったぞ」
そう言われて渡された回答用紙に書かれたのは、目標点数より一つ少ない数字だった。
「ウソだぁああああ!」
崩れ落ちる僕に、クラスメイトたちの笑い声が降り注いだ……。
◇ ◇ ◇
「支給額はトータルで微増ね。合計点も随分上がったし、良かったじゃない」
「成績が上がったのは良かったけどさ……」
試験の全日程が終わった次の日の放課後、僕たちチーム・シルファのメンバーは高台の休憩所に集まった。前にチームだった頃も、定番の集合場所であるここでシルファに文句言ってたなぁ、と少し懐かしい気持ちになりながら不満を口にする。
「もう少し目標点数が低ければ、もっと増額できてたのに……」
「目標点数が低ければ、その分努力しようという気持ちも薄れるわ。結果は同じだったはずよ」
「う……」
確かに、と思った時点で反論はできなくなった。結果だけ見れば、サボる余裕ができるほど低くはなく、最初から諦めるほど高くもない、絶妙な目標だったと言えるだろう。心情的には二度とゴメンだけど。
「すごく成績が良くなっているじゃないですか! すごいです、シイキさん!」
「あ、ありがとう、フルル」
平均得点率九割以上のフルルに褒められた六割弱の僕は曖昧に笑う。他人と比較しても仕方ないとは分かっているけど、フルルの姿はちょっと眩しいかな……。
「さて、最後はユートね。成績を見せてちょうだい」
「ああ」
ユート君は手に持っていた成績表をシルファに渡す。空気に緊張が走った。
僕らの中で補習の可能性があるのはユート君だけだ。同じクラスではあるけれど、その成績はまだ明かされていない。キース先生は褒めていたけど、果たして……。
「これは……!」
シルファが驚きの声を上げる。ま、まさか……!?
「ど、どうだったんですか……?」
不安げなフルルに、シルファが成績表を渡す。
「え……あ、すごい……」
「ええ!?」
もしかして、ものすごいいい成績だったとか!? いやいやそんなこと……でも、ひょっとして……。
ユート君の異質さを知っている僕が二人の驚きの理由を判じかねていると、どうぞ、とフルルが成績表を手渡してくれた。
「お、お、おお……」
受け取った成績表の中身に目を通し、少しして理解する。
「すごい……ギリギリだ」
ユート君の成績は、そのほとんどが赤点ギリギリだった。しかし一つとして赤点ではない。ある意味普通に点数を取るより難しいことだ。
辛うじて危機を回避するというところがユート君らしい。いや、これは狙ってできるものじゃないし、彼の戦い方と同一視するようなことじゃないのだけれど。
「と、とにかく補習は免れたし、良かったね!」
「そうね。得点率も軒並み小テストより上がっているし、上々の結果だわ」
「ありがとう。皆のお陰だ」
ユート君は曇りのない笑みを見せる。
「ライトさんの言ってた通り、足を使うことができたんですね」
「ああ。それでも危なかったけどな。なんとか及第点に届いたみたいだ」
ライト先輩の提案は、その言葉通りの意味だった。要するに、両手だけでなく両足も使って大きな魔術式を作ればいいということだ。どこで聞いたのか、ライト先輩はユート君が足でも魔術式を作れることを知っていたらしい。
試合とかだと指定の靴を履かなくちゃいけないから不可能だけど、試験でならその縛りは無いのだという。実際に先生に尋ねたら、問題ないとのことだった。
ユート君にとっての最大の問題が呆気なく解決したのにはちょっと拍子抜けしたけど、まあ解決しないよりかは良いよね。
「皆、よく頑張ったわ。これで全員、夏季休暇は自由に行動できるわね」
「だね!」
僕は大きく頷いた。ああ、ついに、待ちに待った夏季休暇だ。いつも以上に憂鬱だった試験勉強も、全てはこの時を迎えるため……! 来月の支給額がプラスされた分、思いっきり贅沢して遊ぶぞ!
シルファのことだからほぼ毎日魔法の訓練を予定に入れるんだろうけど、競技場の予約が取れずに午前だけの訓練で終わることだってあるだろう。流石に三日間くらいは自由な時間をくれるだろうし、予定を踏まえて前々から温めていた遊覧計画の詳細を詰めていくことにしよう。楽しみだなぁ。
「あ、そのことなんだけど、実は俺、夏季休暇中に予定があるんだ」
「え」
「予定、ですか?」
「……まさか、あの山に帰るの?」
「いや山に帰るってどういう……あ、帰省するってことか」
そう言えばユート君、ここに来るまで山の中で生活してたんだっけ。
「帰省じゃないな。実は兄さんに、来ないかって誘われて」
「ええっ?」
「お、お兄さん、ですか?」
「あなた、兄弟がいたの?」
「ああ。って言っても、本当の兄弟じゃないんだけどな」
つまり、義理の兄弟? 不思議に思っていると、シルファは何かを思い出したかのように頷く。
「兄弟子ってところかしら?」
「そうそう。俺と同じで、じいさんの元で暮らしてたんだ」
「へえ……」
じいさんっていうのは、確かユート君の育ての親だっけ。その人はユート君以外にも指導をしていたのか。
しかし、ユート君の兄弟子か……。お兄さんは全然想像がつかなかったけど、そっちも同じくらい想像がつかない。きっとすごいんだろうな……。
「ちなみにそのお兄さんって、ユート君より強かったりする?」
「ああ。俺どころか、多分ライト先輩より強いぞ」
「えええええ!?」
「ら、らい、ライトさんよりもですか!?」
「………………」
衝撃の事実が投下された。あのライト先輩よりも強いだって? にわかには信じられない。
「あ、そういうことか。もしかしてそのお兄さん、かなり年上なんじゃないの?」
「年は俺の二つ上だ」
「あ、そ、そう……」
つまりライト先輩と同年代で、ライト先輩よりも強い、と。先輩が聞いたら跳んで喜びそうだ。
しかし、成程。ユート君が先輩方を相手にしてもまるで怯まないのには、年の近い実力者と普段から関わっていたからなのか。自分の実力を大したことないって捉えるのも、それが理由なのかもしれないな。
一人納得している間に、シルファが質問を続ける。
「ちなみに、その人の名前は?」
「ショーゴ。俺と同じで、苗字はない」
「ショーゴ……聞いたことないわね。ライト先輩より強いくらいなら、かなり有名だと思うのだけど」
「確かに……僕も聞いたことないや」
それだけすごい魔法使いなら噂くらいになってもおかしくないのに。それこそかつてのユート君みたいに、山籠もりとかしてるんだろうか?
「それで俺は、ショーゴ兄さんの元に行こうと思うんだ」
「そう……。日程は決まっているの?」
「七月の二十七から三十一まで」
「分かったわ」
手帳を取り出し何かを書き込むシルファ。その目が僅かに大きくなり、唇がほんの少しすぼまった。シルファが必死に何かを考えている表情だ。ユート君がいないことを踏まえた訓練メニューを組み直しているのだろう。
「他に誰か、予定がある人はいるかしら?」
「私は、その……特には……」
「同じく」
帰省したい気持ちはあるけど、僕が戻ると色々とややこしいことになりそうだしね。サクラさんも、家のことは心配しないでって言ってたし、今年もなしかな。
「なら練習日程を組んでいきましょう。先ずは最初の一週間だけど」
「ごめんシルファ。もう一ついいか?」
「何かしら?」
思案顔のまま訊き返すシルファに、ユート君は、ありがとう、と言ってから続ける。
「実は俺のチームメンバーも連れてきてほしいって言われてるんだ。旅費も四人分貰ってる。だからもし良ければ、一緒に来ないか?」
「ええ勿論」
「即答!?」
「ライト先輩より強いという人と会えるのよ? 見て学べることもあるでしょうし断る理由はないわ。それに練習は普段でもできるけど、依頼なんかとは関係なく学外に出て新たな刺激を受けるというのは、長期休暇でしかできない大切なこと。折角その機会ができたというのにみすみす逃すなんてあり得ないわよ」
「……そうかもね」
早口で理由を並び立てるシルファを半目で見る。口のすぼまりは消え、目尻は今にも垂れ下がりそうだった。もしかしてシルファ、ユート君についていく口実を考えていたんじゃ……。
「何か言いたいことでも?」
「イヤナニモ」
「ありがとうシルファ。二人はどうだ?」
「わ、私はその、もし練習が無いのであれば、行きたいところがありまして……」
「悪いけど、僕も遠慮させてもらおうかな。予定はないけど、何も予定がない日ってのは大事だからね」
休息の大切さを盾にやんわりと断る。シルファの思惑がどうあれ、五日間の自由時間を得られるのはとても大きい。勉強もあれだけ頑張ったんだし、このくらいの我が儘は許されるだろう。
……まあ、少しくらいは魔法の練習もするつもりだけどね。
「そうか。それじゃあシルファ、よろしくな」
「ええ」
あ、シルファの口角が上がりそうになっている。ユート君との二人旅が嬉しくて堪らないって感じだ。うんうん、やっぱり僕は付いていかないのが正解だね。
「ところで、行き先はどこなの?」
「ブレンペーニュ、鬼人族の国だ」
「ブレンペーニュですか!?」
突然フルルが大声を上げた。そんなに驚くことかな? ユート君の言うお兄さんが鬼人族かもしれないっていうのには僕も少し驚いたけど、国内で名前を聞かないのはそういうことかって納得感の方が勝ってしまう。
「ど、どうしたの? フルル」
「あ、ご、ごめんなさい。あの、ユートさん、向こうに行くのは、七月の二十七日から三十一日まで、でしたよね?」
「ああ、それで合ってる」
「その、向こうで何をするのかとかは、もう決まっていますか?」
「いいや。初日と最終日は移動に使うだろうけど、それ以外は比較的融通が利くはずだ」
「やっぱり私、行きたいです! 行かせてください!」
珍しく強い意思を見せるフルル。もしかして、
「行きたいところって、ブレンペーニュだったの?」
「はいっ! 別の国なので難しいかなって思ってたんですけど、行けるなら絶対に行きたいんです! その、いいですか?」
「勿論だ。こっちから誘ってんだし、悪いことなんてないさ」
「ありがとうございます!」
おーっと、シルファの表情が悪くなっていくー! 無表情を装うのに必死だー!
なんて、少し意地悪かな。僕はそっとシルファに近づくと耳打ちする。
「大丈夫だよシルファ。二人きりの時間は減ったかもしれないけど、融通が利くならその時間も作れるだろうし、二人きりになれない時間がある分なれた時の効果も大きいさ。僕は邪魔しないし、気落ちすることないよ」
「な、ちが、そういうわけじゃ……!」
「シルファさん?」
狼狽えるシルファは二人の視線に気づき、一度咳ばらいをする。
「……フルルはブレンペーニュに何か思い入れでもあるのかしら? 私は授業以外で名前を聞いたことがなかったのだけど」
「あ……えと、これは秘密にしていてほしいんですけど、七月三十日に、ミリアさんのチャリティーライブがブレンペーニュであるそうで」
「僕も行く!」
気づいたら声を上げていた。横から何か冷気のようなものを感じるけど、それどころじゃない!
「え、フルル、それ本当のこと!?」
「は、はい。私、ミリアさんのライブを支えるボランティアの方たちと知り合いで、その内の一人が教えてくれたんです」
「フルルにそんな交友関係が!?」
どうやって知り合ったのか気になるところだけど、それなら信憑性はかなり高い。あのミリア様のライブが生で聴ける大チャンスだ! 僕はユート君に向き直ると、深く頭を下げる。
「ユート君、お願い! 僕も連れて行って!」
「お、おう。いいぞ」
「やった!」
諸手を上げて喜ぶ僕は、そこでようやくシルファの表情に気づく。それは幼い頃に読んだ怪談話に出てくる雪の妖怪を思い出させるような、そんな表情だった。
「何も予定がない日は大事なのではなかったのかしら?」
「そ、それより大事なことがあるんだよ!」
「そう。なら良かったわ。シイキにはもっと上を目指してほしいと思っていたの。休むこと以上に心が満たされるなら、そこ以外の日は全て予定を入れても問題なさそうね」
「うっ……望むところだ!」
怖い笑顔に怯みつつも言葉を返す。両手を組んで冷たい視線を向けるシルファは、やがてため息をつくと髪を軽く手で払った。
「冗談よ。楽しむことと休むことは分けて考えないと、肝心な時に動けなくなるわ。休みはちゃんと別にとるから安心しなさい」
「し、シルファ……!」
まさかあのシルファが数日規模の娯楽を認めてくれるなんて! 常に緊張し余裕のなかった頃の彼女を知っている僕は、思わず目が潤むのを感じた。
「俺は別に休みはいらないぞ?」
「わ、私も平気です!」
「駄目よ。特にユート、あなたは意識的に休みを取りなさい」
「む……分かったよ」
少し不満そうにしながらもユート君が頷く。……確かに、ユート君は休みを取った方がいいね。
「さて、改めて練習日程を組んでいくわよ」
それから僕たちは、夏季休暇の予定を詰めていくのだった。
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