物理重視の魔法使い

東赤月

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3. 秘密

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「ふう」

 早朝、僕は学院の広大な敷地の一角、林の中のちょっとした空間に腰を下ろして、一息ついた。
 全然休めなかった休日も終わり、今日からはまた授業日が続く。ただでさえ憂鬱な週の始まりだけど、一昨日のサクラ様の訪問、シルファの出した条件などなど、考えなくちゃならないことが多すぎて、すでに頭がパンパンだった。
 そんな風に気持ちが疲れている時、僕はここに来ることにしている。
 緑に囲まれた小さな部屋。そこでは風が奏でる木の葉の音が自然と耳に入り、明るすぎない木漏れ日が柔らかく僕を照らす。ここだけ時の進みがゆっくりになったような錯覚に陥りながら、うとうとと微睡んで時間を過ごすというのが、僕なりのリフレッシュ方法だった。
 本当なら昨日にでも来たかったんだけど、練習が終わった頃にはもう夕暮れ時で、泣く泣く諦めざるを得なかった。けれど色々なことがあった週末を経て、回復するどころか疲弊しきった精神を引きずったままじゃ午前の授業を乗り越えるのも難しい。そのため僕は慣れない早起きをして、授業が始まるまでの時間をここで過ごすことにしたのだった。
 ああ、けれど朝の時間も悪くないな。昼と比べて涼しげな空気はより澄んでいるように感じるし、昼休みよりも時間に余裕があるから、それが心の余裕にも繋がっている気がする。

「……このままじゃ、ダメだよね」

 少し落ち着いてから、自分にだけ聞こえる大きさで呟く。風が撫でた木の葉が肯定の返事をしたようだった。
 本戦に出られなければ退学。その通達を受けたとき、僕は驚きはしたものの、遂に来たかという思いの方が強かった。元々無理を言ってここに入学させてもらっているのに、今まで胸を張って報告できるような結果を残していないのだから、当然と言えば当然だ。寧ろ条件付きでも在学を継続させてくれるなんて優しい方だろう。
 不思議なのは、どうしてそんなことを伝えるためだけにわざわざサクラ様がここまで足を運んだのかという点だ。何か他に重大な用事でもあるのだろうか?

「……とりあえず、これからどうするかかな」

 余計なことを考えだしそうになった頭に言い聞かせる。
 サクラ様に言われた通り、シルファのチームに入ることはできた。後は本戦に出場できるかどうかだけど、あのチームなら出場できる可能性は高いはずだ。
 問題は、シルファから提示されたあの条件だ。

「でもなあ……」

 同じチームになるなら今度こそ、あの秘密を打ち明けろってことなんだろうけど、どうしても必要なことなのだろうか。シルファにとってはそうだったんだろうし、事実そのせいでチーム解散にまで至ったわけだけど、僕個人としては今の状態のままでも特に問題はないと思う。万が一のことがあってもユート君やフルルだったら許してくれる気もするし、逆に現状を変えてしまう方が悪影響が出てくる気がする。
 うん、きっとそうだ。だからシルファには悪いけど、一度あの条件はなしにしてほしいと説得してみよう。まあ流石にそれだけだと断られるから、本戦までにもっと魔法を上手く扱えるようになるって付け加えて。

「ふわ、あ……」

 結論が出て気が抜けたのか、大きな欠伸が出た。久しぶりに早起きしたせいか、眠くなってきたな。
 僕は近くに誰もいないことを確認すると、首に巻いたスカーフをほどき、草の上に広げたそこに頭を乗せた。木の葉の隙間から覗く空の青が眩しい。
 ああ、いい気分だ。授業までにはまだ時間もあるし、少しくらい寝てもいいよね……。
 僕は本能に逆らわず、ゆっくりと瞼を下ろした。

「シイキ?」
「んー、あと五分……って」

 え?

「こんなところで何してるんだ?」
「えええ!? どうしてユート君がここに!?」

 目を開けると、確かにユート君がそこにいた。その肩には茶色い子犬が乗っている。可愛い。いや、そうじゃなくて! 
 僕は慌てて首にスカーフを巻く。

「俺は学院の見回りをしていて……首、どうかしたのか?」
「いや、どうもしてないよ。あはは……」
「……そうか? まあ何でもないなら別にいいんだけどな」

 ほっ……。どうやらギリギリ間に合ったみたいだ。

「それで、こんなところで何してたんだ?」
「ちょっとした気分転換だよ。緑の中にいると落ち着くからさ。いつもは放課後に寄ってたんだけど、昨日はいけなかったから」
「そういうことか。分かるぞ、その気持ち。俺もこうして裸足で駆けまわってるし」
「え? あ、ホントだ。そう言えば、見回りって?」
「シイキにはまだ話してなかったっけか。ジェンヌ先生に頼み込んで、朝の時間だけ靴を脱いで、薄膜なしで魔法の練習をする許可を貰ってるんだ。こうして学院の中を、ええっと、パトロールすることを条件に」
「へえ、そうだったんだ」

 感心していると、ユート君の肩に乗った子犬が、アン! と吠えた。

「っと、ごめん。そういうわけだから、見回りを続けなきゃならないんだ。またな!」
「あ、うん。頑張ってね」

 ユート君は軽く手を上げると、あっという間にいなくなってしまった。速いなぁ。
 けど確かに学院内じゃ、足で魔術式を形成するなんてことできないもんな。それをどうにかするために学院内のパトロールを請け負うなんて、やっぱりユート君はすごいや。
 それに比べて僕は――

「……いや、僕は僕だ」

 パン、と両頬を叩いて暗い考えを頭から弾き出す。僕だってちゃんと成長してるんだ。焦る必要はない。

「よし、今日も頑張るぞ!」

 そう自分に言い聞かせて、僕はその場を後にした。


 ◇ ◇ ◇


「なあシルファ、シイキがいつもしているスカーフについて何か知ってたりするか?」

 午後の授業中、魔法競技場でシルファに抑えた声で尋ねる。シルファも何かを感じ取ったのか、小さな声で返した。

「……ただのスカーフでしょ。どうして気になったの?」
「今朝、見回り中にシイキを見かけたんだけどさ。俺のことに気づいた途端、慌てたようにスカーフを首に巻いたんだよ。だから何かあるのかなって思ってさ」
「何か、ね。例えば何があると思ったの?」

 逆に聞かれるとは思ってなかった。俺は少し考えて答える。

「そうだな……あのスカーフの裏に暗器が隠してあるとか」
「暗器って……。何にしろ、チームの仲間を疑うことはあまり関心しないわ。暗器でも魔法石でも、不正につながるようなものを隠していたとしても、先生方の目を誤魔化せるはずないでしょ」
「それもそうか。気を悪くさせてごめん」
「構わないわ。ファッションみたいなものでも、あそこまで徹底してると気になるものね」

 ファッションっていうと、お洒落みたいなものだったっけ。とにかくシルファは何も知らないみたいだな。

「そこまで!」

 などと話しているうちに、最後の試合が終わる。クラスの代表であるアラン、副代表のフレイ、そしてシイキの三人は、四人のチームを相手に善戦したものの、僅かに及ばず敗れた。

「惜しかったな」
「うんうん。もう少しだったね」
「ごめん、僕がもう少し早く魔法を発現させていれば……」
「何言ってんだ。シイキの魔法で二人も倒せたんだぞ」
「そうそう。気にすることなんてないよ」
「……ありが――」
「おうアラン、お前また魔術式の形成早くなったんじゃないか?」
「フレイ、どうやったらそんなに魔法の精度が良くなるの?」

 三人が軽く感想を言い合っているところに、他のクラスメイトたちが集まっていく。どうやらアランやフレイと話したいみたいで、あっという間に人の輪が出来上がった。クラスの代表と副代表というだけあって、二人とも人望はかなり厚い。社交性にも富んでいる二人は、クラスメイトに囲まれてもごく自然に言葉を交わし始めた。
 そんな中いたたまれなくなったのか、シイキが輪を抜けて俺たちの方にやってくる。

「お疲れ様。いい試合だったな」
「あはは……。本当なら勝てた試合だったと思うけどね」
「そうね。シイキの魔法の操作がもう少し正確だったら、勝負はあなたたちの勝ちだったでしょうね」

 シルファの言葉にシイキが視線を落とす。本人も自覚はあるみたいだ。

「けど、そんなこといくらでも言えるんじゃないか? 俺だって、もう少し大きな魔術式が作れれば勝てたって試合はいくつもあったぞ」
「その通りよ。でもユートとシイキじゃ課題の根幹が違うわ」
「……? それってどういう――」
「よしお前ら、一旦集まれ」

 シルファに言葉の真意を尋ねる前に、鬼人族のキース先生から招集がかかる。少しもやもやしながらも、俺たちは話を切り上げてキース先生の元に向かった。
 全員が集まったところで、キース先生は一つ喉を鳴らしてから口を開いた。

「来週はいよいよ対抗戦だ。日程はいつも通りで、クラス戦、チーム戦、個人戦の順番で行われる。今週の木曜日にはチーム戦の予選もあるから、エントリーしてる奴は気張っていけよ。相手が上級生でも遠慮なくぶつかっていけ!」

 はい! と皆が返事をする。今週の木曜日、というと三日後か……。なんとかそれまでに防御魔法を動かせるようにならないとな。

「さて個人戦だが、このクラスから出場できる生徒を発表する」

 空気が変わった。しんと静まりはしているものの、言葉にできない緊張感のようなものが漂っているように感じる。
 シルファから聞いた話によると、個人戦に出場できるのは担任の先生からの推薦があった生徒のみだという。それも精々二三人だそうだ。ちなみに前回はアランとフレイが推薦されたらしい。
 今回こそは自分が。そう強く思う皆の気持ちが、空気に溶けだしているのかもしれない。

「アラン・ガディ」
「はい!」

 アランが呼ばれた。力強く答えるアランに、キース先生が頷く。

「フレイ・アームズ」
「はい!」

 続いてフレイ。前回と同じだ。周りからどこか諦めたような気配が伝わってくる。
 キース先生は頷き、再び口を開いた。

「シルファ・クレシェン」
「っ! はいっ!」

 そこから放たれた言葉に、シルファの震えた声が返った。

「え?」
「ウソ」
「なんで『暴君』が……」
 パンパン

 ざわつきだした他のクラスメイトたちを、キース先生が手を叩いて静かにさせる。

「以上三名を、キース・アガロイの名に於いて個人対抗戦に推薦する。追って推薦状を渡すが、これはあくまで推薦であって、参加を強要するものじゃない。参加を希望する場合は、週末までに届け出を出すように」
「はい!」

 三人の声が重なった。そのすぐあとに、授業の終わりを告げる鐘の音が響く。

「おっと、ちょっと時間をかけすぎちまったか。そんじゃお前ら、今日の授業はこれで終わりだ。解散!」

 その言葉を合図に、静かにしていた分を取り返すように皆が騒ぎ出す。

「やったな、シルファ!」

 俺もまた、足早に魔法競技場の外へと向かうシルファに並ぶと、祝いの言葉を投げかけた。シルファは軽く俺の方を向いて小さく笑う。

「ええ。あなたのおかげよ」
「ん? どういうことだ?」
「私が推薦されたのはきっと、この前の遠足と依頼の件が評価されたから。そしてそのどちらも、あなたなしじゃここまでの評価は得られなかったわ。だから、あなたのおかげ」

 そういうことか。納得して、首を横に振る。

「いや、もしそうだとしても俺だけのおかげってわけじゃないさ。それにシルファが推薦されたってことは、他でもないシルファの頑張りが評価されたからこそだろ」
「……そうね。けれど私一人だけの力じゃこうはならなかったはずよ。だから、……ありがとう」
「そっか。なら、どういたしまして」
「えっと、シルファ、おめでとう」

 二人でやりとりしているところに、シイキがやってきた。

「ありがとう。あなたにもお礼を言わないとね。依頼の時は助かったわ」
「うええ!? あのシルファがお礼!?」
「私を何だと思ってるのよ」

 まあいいわ、と軽く銀髪を手で撫でると、シルファは表情を引き締める。

「それより、分かってるの? あなたは個人戦に推薦されなかった。つまり退学を避けるためには、チーム戦の予選を勝ち抜くしかなくなったのよ」
「……うん。分かってる」
「そうか。じゃあ何が何でも勝たないとな」
「うん。そう、だね……」

 シイキが神妙に頷く。その言葉はどこか歯切れが悪い。

「シイキ?」
「え? あ、あはは、ちょっと緊張してるみたい」
「珍しいわね。いつもお気楽なあなたが緊張するなんて」
「あはは、そうかも」
「……放課後もまた、ここで魔法の練習をするわよ」
「うん」
「………………」

 笑って返すシイキの表情は、けれど、いつもとは違って見えた。


 ◇ ◇ ◇


「はぁ……」

 放課後の訓練を終えて、夜ご飯を一緒に食べた後の解散となり、ようやく自室に戻ってこれた。くたくたになった僕は着替えもせずにベッドに正面から倒れこむ。照明魔法石に注ぐ魔力すら出せそうになかった。窓から差し込む月明かりだけが室内をぼんやりと照らす。

「今日もダメダメだったな……」

 夜、一日を振り返って、反省の言葉を自分に言い聞かせるのもこれで何度目だろう。手紙が届くたびに自己嫌悪して、その度に頑張らないととは思うんだけど、暫くするとその気持ちも薄れて、そこそこ成長している自分に満足して、けれど理想とは程遠いことを自覚して、また反省をする。その繰り返しだった。

「依頼を受けてた時は、こんなこと考えなくてもよかったのに」

 依頼中は基本、その依頼のことだけを考えていればよかった。依頼に関することさえこなしていれば、自分を許すことができた。
 それに、竜神様を正気に戻した日には、かつてないほど昂った。自分でも役に立てるって強く実感できた。
 でも――

「結局、僕が実力不足だってことは変わってない」

 練習試合でシルファに負けたことを思い出す。初めて会ったあの日から、僕は一度たりともシルファに勝てていない。当たり前だけど、シルファだって成長してるんだ。いつかシルファに勝つ。昔立てたそんな目標も、今じゃほとんど形だけになっている。
 続いて思い浮かんだのは、ユート君の指摘だ。楕円形魔術式を扱うユート君は、当たり前のように恐ろしく正確な魔術式を形成する。その技術は魔術式の大きさにこだわってきた僕にはないもので、うらやましく感じると同時に、自分が昔から何も変わっていないようで恥ずかしくなる。
 フルルだって、翼を使わせたら多分、僕よりも強いだろうし――

「ここに入学した時は、ここにいる誰よりも強くなってみせるなんて夢見てたんだけどな……」

 仰向けになると、机の上に置いたままの手紙に目を向けた。

『素晴らしい親友ができたようで何よりだ。遣いを送るので是非とも彼らに紹介してほしい。明後日にはそちらに着くだろう』

 それは、ユート君のことを書いた返信を送ってから届いた、お父様からの手紙だった。

『しかしシイキ自身のことに関する記述が少ないのが気にかかった。手紙では伝えにくいものがあるなら、遣いの者に直接話してほしい。『大丈夫』の根拠が他人に依るものだけでないことを期待する』

 そんなことないって、手紙が来た時にはそう思っていた。僕だってただ依頼についていっただけじゃない。竜神様を鎮めるのにだって一役買ったんだ。そう言ってやろうと思っていた。
 けれどサクラ様がやってきて、退学の話を持ち出された時、僕は焦った。どうにかユート君と同じチームにならないとって躍起になった。その時にはもう、自分が個人戦で本戦に出ることなんて無理だって最初から諦めていた。
 極めつきは、今日の推薦だ。

「フレイ・アームズ」

 その言葉を、もしかしたら、なんて思っていた僕はあっさりと受け入れた。そりゃそうだよ。フレイの方が、僕なんかよりもよっぽどすごいんだから。
 一年生のクラスから個人戦に推薦されるのは精々二人程度。あの時点で、今回もこの二人かって確信した僕は、ふとシルファのことが気になって、視線を向けた。

「っ!」

 力なく笑うクラスメイトたちの中で、けれど、シルファはまだ真剣な表情でキース先生を見ていた。その拳は強く握りしめられている。まだ諦めてないのか、それとも諦めきれないのかは分からなかった。それでも、少なくともシルファがこの推薦にかける思いは、僕なんかよりもよっぽど大きいことは分かった。

「シルファ・クレシェン」

 そして、シルファは推薦を勝ち取った。その時の表情は、喜びとやる気に満ち溢れていた。
 万が一僕が推薦されていたとしても、絶対にあの表情は出せない。きっと嬉しさよりも戸惑いや不安の方が先に来てしまう。僕なんかが他のクラスメイトたちを押しのけて個人戦に出場してもいいのだろうかと、答えの分かりきった問いに悩み続けることになるだろう。

「僕なんかが、本戦に出ていいはずがない」

 呟いて、目を閉じる。
 ここを退学することになったら、僕はあの窮屈な家に戻ることになる。ここに来たばかりの頃は、そんなことにならないよう頑張ろうって意気込んでいたのに、いつからか妥協してしまって、その結果が今の僕だ。だったらもうじたばたしないで、潔く身を引くべきじゃないだろうか。

「……いや」

 薄く目を開けると、いつも寝る前に目にする暗い天井が視界に映る。
 無理を言ってシルファのチームに入らせてもらったのに、今になって諦めるだなんて勝手が過ぎる。それにほんの少しだけど、まだ時間は残ってるんだ。予選までにできる限りのことはして、最後までやりきってから結論を出そう。

「明日も、頑張らなきゃ……」

 いつもと同じ言葉を口にすると、自然と瞼が落ち、意識が遠ざかった。
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