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2. 依頼
リズさんとお話しです
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「よし、ここでキャンプを設営するぞ」
林を抜けてしばらく歩くと、石が多くなってきました。疎らに生えた背の高い木を時折見上げながら、少し歩きづらくなった道を進んでいくと、やがて山の入り口が見えてきます。その前には、背の低い草しか生えていない広い場所がありました。そこの近くに魔物の巣がないことを確認すると、私たちは急いでテントを組み立て始めます。
「ふう、どうにか暗くなる前には終えられたわね」
「もうへとへとだよー……」
「お疲れ、シイキ」
「お疲れ様です」
シイキさんはできあがったばかりのテントの中に入ると横になります。
テントは簡易的なもので、中心に細い柱を立てて、その上に布を張り、布の端を重しで固定したものでした。床には別の布が敷かれています。
空を見上げると、まだ青さが残っていましたが、もう星が見え始めていました。そろそろ暗くなりそうです。
「うう、なんかごつごつする……」
「我慢しなさい。布があるだけましよ」
「ああ。枝の上よりかは快適だ」
「そ、そうですね……」
当たり前のように当たり前じゃないことを言うユートさんに苦笑していると、ボルドさんがやってきました。
「お疲れさん。自分たちの分も出来上がったみたいだな」
「お疲れ様です、ボルドさん。丁度今終わりました」
「おっ? はは、一人は精根使い果たしたって感じだな」
「す、すみません。シイキ、早く起きなさい」
「いいっていいって。お前たちは荷物持ちだってのに、俺たちと同じようにあの魔物どもを倒してくれたんだろ? そりゃ疲れるってもんさ。実際、予想以上の数がいたしな」
大らかに笑うボルドさんに、私は少し肩身が狭く感じました。
「ところで、少し相談があるんだが……」
「なんでしょう?」
「君たちのうちの誰かの代わりに、別の魔導士を君たちと同じテントにしてもらうことはできるか?」
「……構いませんが、それはどうしてですか?」
ボルドさんが困ったように頭を掻きます。
「実は三人用のテントでちょっとした問題が起きてな。テントを分けてほしいって要望が来たんだ。けれど余っているテントはないし、二人用のテントを一人で使っている奴も一人だけいるんだが、そことは同じにできないしで、他のテントから誰か呼ばないといけなくなった」
「どうして二人用のテントで同じにできないんですか?」
「一人で使っているのが、輝翼族のリズっていう女で、分けてほしいって言ったのが剛翼族のゲイルって男なんだ」
「……そういうことですか」
シルファさんが納得したように頷きます。私はそのゲイルさんと誰かが起こした問題が気になりましたが、今は尋ねられませんでした。
「では私たちの誰かが、そのリズという方と同じテントになると?」
「いや、リズをここに入れて、ゲイルと誰かでも構わない。どうだ?」
「そうですか。なら――」
「俺がゲイルさんと同じテントになってもいいか?」
シルファさんが私たちに振り向くと同時に、ユートさんがそう提案しました。私は驚いてユートさんを見ます。
「……いいの? ユート」
「ああ。折角だから、現役の魔導士の人と色々話してみたいんだよな。なんとなく、リズさんより話しやすそうだったし」
「……そう。シイキとフルルは?」
「異議なーし」
「……大丈夫です」
「決まりね。ではそういうことでよろしいですか?」
「ああ、助かる。じゃあユート、荷物を持ってついてきてくれ」
「はい」
ユートさんは手早く荷物をまとめると、ボルドさんと一緒に行ってしまいました。
ユートさん、大丈夫でしょうか? 私は少し怖そうだったゲイルさんを思い出して心配になります。シルファさんも何か思うところがあるのか、無言でユートさんを見送っています。
「残念だったね。ユート君と同じテントになれなくて」
「ちょ、シイキ! 何を言ってるのよ! そんなこと別に残念でも何でもないわよ!」
「ふうん? ま、そういうことにしといてあげるよ」
「……それよりシイキ、いつまで横になってるつもり? 魔導士の方がくるっていうのに、そんな姿で出迎えるなんて許さないわ」
「うーん、もうちょっとだけ横でいさせてよ。その人だって、自分の荷物まとめたりで時間がかかるだろうし……」
「あ……!」
私が気づいたときにはもう、その人は空から降りてきていました。テントの中のシイキさんと話し合っているシルファさんの後ろに、水色の髪をふわりと浮かせながら着地します。
「え?」
「あ」
突然現れたリズさんに、シルファさんとシイキさんは驚きを隠せないようでした。私は目の前に広がった白い翼に目を奪われます。
「あなたたちと同じテントになった。よろしく」
「あ、よ、よろしくお願いします。シルファです」
「し、シイキです」
シイキさんは慌てて体を起こすと、正座をして頭を下げました。
「ん、あの時の。そこの君も……」
「は、はい! フルルです。えと、よろしくお願いいたします」
「ん。中、入っていい?」
「勿論です」
リズさんは頷くと、その翼を小さくさせていきます。やがて白い翼は、その髪で隠れるくらいの大きさになりました。
「………………」
「どうしたの?」
「あ、いえその、翼が小さくなるところを初めて見たもので……」
シルファさんがそう答えると、リズさんは小さく首を傾げました。
「別に珍しくない。知らなかった?」
「いえ、知識としては持っていましたが、目にするのは初めてだったので」
「……そう」
リズさんは一瞬私に目を向けると、ようやくテントの中に入っていきました。その後にシルファさんが入って、最後に私が入ります。
入り口の留め具を外す前に見た空は、いくつもの星が瞬いていました。
◇ ◇ ◇
「………………」
テントの中は、携帯食料を食べ終わった後も静かなままでした。リズさんは無言でランタンの光を見ていて、シルファさんたちもそんなリズさんに気を遣っているのか、何も話しだしたりしませんでした。多分リズさんが捉えづらい人なので、何を話していいか分からないのだと思います。
暫くして、ようやくシルファさんが口を開きました。
「明日もありますし、そろそろ寝ましょうか」
「ん」
シルファさんの言葉に、リズさんはシイキさんを見てから頷きます。見るとシイキさんは余程眠いのか、いつの間にか船を漕いでいました。
「えっと、リズさんはどのあたりで寝ますか?」
「端っこで」
「分かりました。それなら――」
その後、ランタンの灯が消され、私たちは並んで横になりました。私の両隣はリズさんとシルファさんで、シルファさんの隣にシイキさんが寝ています。
「………………」
うう、隣にリズさんがいると考えると、緊張してしまいます。私は体を動かして、リズさんに背を向けるようにしました。
シルファさんはもう眠ってしまったようで、規則正しい寝息が聞こえてきました。布が敷かれているとはいえ床は固いのに、寝つきがいいんでしょうか? うらやましいです。
「ふぁ……!」
その時、突然背中を軽く突かれ、危うく声を上げそうになってしまいました。私は恐る恐る後ろを振り返ります。
「ごめん。少し、いい?」
それはとても小さな声でした。それでも聞こえてしまった以上、答えないわけにもいきません。
「……何ですか?」
私は体をリズさんの方へと向けると、同じくらい小さな声で返します。もしかして私がオオアリグモに襲われて、ユートさんたちを危ない目に遭わせたことについて指摘されるんでしょうか? 私は心構えをして、リズさんの言葉を待ちました。
「フルルは、頑張ってるよ」
「え?」
けれどその内容は予想外のものでした。驚く私に、リズさんが続けます。
「フルルは頑張ってる。お荷物なんかじゃない」
「……気を遣わせてしまって、すみません」
恐らく、ユートさんとの会話を聞かせてしまったんでしょう。リズさんにまで迷惑をかけてしまったみたいです。
「謝ることない。……どうしてそんなに、自分のことを悪く言うの? フルルは何も悪くないのに」
「悪くないこと、ないです。私は自分のことも守れなくて、それで他の人にも迷惑をかけて、私、私――!」
不意に、リズさんに抱き寄せられました。
「……り、リズ、さん?」
「ダメ。それ以上、自分で自分を悪く言うのは、ダメ」
「で、でも……」
「ダメ」
「………………」
強く抱きしめられて、私は言葉を続けられなくなりました。その感覚は、ずっと昔に体感したっきりのもので、自然と当時のことが頭に思い浮かんできます。
「あ……」
私は自分でも知らないうちに、涙を流していました。
「泣いてるの?」
「ご、ごめんなさ――」
「ううん。それでいい。泣くことで、心の中の嫌なものが流されるから」
「……う……」
「辛かったんだね。大丈夫だから。思い切り泣いていいよ」
「う、うあ、ああああああ……!」
私は、リズさんの胸の中で、声を抑えて泣きました。その間、リズさんは優しく私の背中を叩いてくれました。
「…………え、えっと、すみません。私たち、会ったばかりなのに……」
暫くして泣き止んだ私は、何だか恥ずかしくなってしまいました。今日会ったばかりの相手に、こんな姿を見せてしまうなんて……。
「気にしないで。それに、会ったばかりの相手だからできることもある」
けれどリズさんは気にしていないようでした。リズさんは優しい人です。
「……あ、あの、リズさん」
「なに?」
「リズさんは、その、輝翼族の方ですよね? どうしてそんなに優しいんですか?」
輝翼族の方はプライドが高く、他の種族の人のことを良く思っていないと聞いたことがありました。それなのに、どうしてリズさんはこんなに優しいんでしょう?
「……もしかして、輝翼族の人間に、何かされた?」
「……それは、その……」
「ごめんなさい」
「り、リズさんが謝ることありません」
私は慌ててリズさんの謝罪を止めました。
「……確かに、大体の輝翼族は、他の種族を見下している。けれど、私はそれは間違っていると思う。他の種族には、その種族なりのいいところがある。翼の色が何色でも、翼を持ってなくても、そんなこと関係ない」
「リズさん……」
やっぱり、リズさんは良い人でした。最初に会ったときには、どこか冷たい人だと思っていた自分が恥ずかしいです。
「今度は私の番。フルルは何に悩んでいるの?」
「あ、それは……」
私は一瞬迷ってから、リズさんになら話せると思って、どうしてこの依頼を受けたのかについて簡単に話しました。
「……そう」
私の話を聞き終えたリズさんは、小さく頷いたようでした。
「……多分私は、チームには入れないと思います。さっきも失敗してしまいましたし……」
「終わったことはあんまり気にしないほうがいい。大事なのは、次どうするか」
「そう、ですよね……あ……」
リズさんの励ましを受けて、私はふとユートさんの言葉を思い出しました。折角なので、リズさんにも聞いてみることにしました。
「あの、リズさんには、死ぬより怖いことってありますか?」
「……あるよ」
「えっ?」
そんなことがあるのでしょうか? 私はリズさんの言葉の続きを、ドキドキしながら待ちました。
「一生かかっても償いきれないような、そんな罪を背負うこと」
「……罪、ですか?」
「うん」
リズさんは、それ以上何も言いませんでした。私も、何だか尋ねることが怖くなってしまい、深くは聞けませんでした。
「遅くなっちゃった。明日もあるし、お休み」
「お、おやすみなさい」
それでお話は終わってしまいました。私は目を閉じて、リズさんの言葉を思い返します。
リズさんには、死ぬよりも怖いことがありました。死ぬことが何より怖いことと思っていた私にとって、それは新しい考え方でした。
私だったら、どうでしょう? 死ぬよりも怖いことって何でしょう?
私は眠りに落ちるまで、そのことについて考えました。
◇ ◇ ◇
「ふむ、うまくやっているようだな」
山頂付近にある大きな洞窟の前で、私は甲冑越しに部下から受け取った手紙を読むと、口元を綻ばせる。
「ここまでは順調か。後は帝様がお気に召すような人材がいればいいのだが……」
私は手紙をしまうと、洞窟の中にいるそいつに声をかけた。
「さあ、ようやく貴様の出番だぞ、竜神とやら」
そいつは低く唸ると、洞窟の中からゆっくりとその巨体を現した。
並んだ牙の間から荒い息を洩らす口、鋭い爪をその手に持つ腕、巨体を支える足、太く長い尾が月明かりの元に晒される。
月光に照らされた赤い鱗は、黒い輝きを返して。
そして、その額にある角に光が灯ると、竜は大きな翼を広げ、村のある方角へと飛び立っていった。
林を抜けてしばらく歩くと、石が多くなってきました。疎らに生えた背の高い木を時折見上げながら、少し歩きづらくなった道を進んでいくと、やがて山の入り口が見えてきます。その前には、背の低い草しか生えていない広い場所がありました。そこの近くに魔物の巣がないことを確認すると、私たちは急いでテントを組み立て始めます。
「ふう、どうにか暗くなる前には終えられたわね」
「もうへとへとだよー……」
「お疲れ、シイキ」
「お疲れ様です」
シイキさんはできあがったばかりのテントの中に入ると横になります。
テントは簡易的なもので、中心に細い柱を立てて、その上に布を張り、布の端を重しで固定したものでした。床には別の布が敷かれています。
空を見上げると、まだ青さが残っていましたが、もう星が見え始めていました。そろそろ暗くなりそうです。
「うう、なんかごつごつする……」
「我慢しなさい。布があるだけましよ」
「ああ。枝の上よりかは快適だ」
「そ、そうですね……」
当たり前のように当たり前じゃないことを言うユートさんに苦笑していると、ボルドさんがやってきました。
「お疲れさん。自分たちの分も出来上がったみたいだな」
「お疲れ様です、ボルドさん。丁度今終わりました」
「おっ? はは、一人は精根使い果たしたって感じだな」
「す、すみません。シイキ、早く起きなさい」
「いいっていいって。お前たちは荷物持ちだってのに、俺たちと同じようにあの魔物どもを倒してくれたんだろ? そりゃ疲れるってもんさ。実際、予想以上の数がいたしな」
大らかに笑うボルドさんに、私は少し肩身が狭く感じました。
「ところで、少し相談があるんだが……」
「なんでしょう?」
「君たちのうちの誰かの代わりに、別の魔導士を君たちと同じテントにしてもらうことはできるか?」
「……構いませんが、それはどうしてですか?」
ボルドさんが困ったように頭を掻きます。
「実は三人用のテントでちょっとした問題が起きてな。テントを分けてほしいって要望が来たんだ。けれど余っているテントはないし、二人用のテントを一人で使っている奴も一人だけいるんだが、そことは同じにできないしで、他のテントから誰か呼ばないといけなくなった」
「どうして二人用のテントで同じにできないんですか?」
「一人で使っているのが、輝翼族のリズっていう女で、分けてほしいって言ったのが剛翼族のゲイルって男なんだ」
「……そういうことですか」
シルファさんが納得したように頷きます。私はそのゲイルさんと誰かが起こした問題が気になりましたが、今は尋ねられませんでした。
「では私たちの誰かが、そのリズという方と同じテントになると?」
「いや、リズをここに入れて、ゲイルと誰かでも構わない。どうだ?」
「そうですか。なら――」
「俺がゲイルさんと同じテントになってもいいか?」
シルファさんが私たちに振り向くと同時に、ユートさんがそう提案しました。私は驚いてユートさんを見ます。
「……いいの? ユート」
「ああ。折角だから、現役の魔導士の人と色々話してみたいんだよな。なんとなく、リズさんより話しやすそうだったし」
「……そう。シイキとフルルは?」
「異議なーし」
「……大丈夫です」
「決まりね。ではそういうことでよろしいですか?」
「ああ、助かる。じゃあユート、荷物を持ってついてきてくれ」
「はい」
ユートさんは手早く荷物をまとめると、ボルドさんと一緒に行ってしまいました。
ユートさん、大丈夫でしょうか? 私は少し怖そうだったゲイルさんを思い出して心配になります。シルファさんも何か思うところがあるのか、無言でユートさんを見送っています。
「残念だったね。ユート君と同じテントになれなくて」
「ちょ、シイキ! 何を言ってるのよ! そんなこと別に残念でも何でもないわよ!」
「ふうん? ま、そういうことにしといてあげるよ」
「……それよりシイキ、いつまで横になってるつもり? 魔導士の方がくるっていうのに、そんな姿で出迎えるなんて許さないわ」
「うーん、もうちょっとだけ横でいさせてよ。その人だって、自分の荷物まとめたりで時間がかかるだろうし……」
「あ……!」
私が気づいたときにはもう、その人は空から降りてきていました。テントの中のシイキさんと話し合っているシルファさんの後ろに、水色の髪をふわりと浮かせながら着地します。
「え?」
「あ」
突然現れたリズさんに、シルファさんとシイキさんは驚きを隠せないようでした。私は目の前に広がった白い翼に目を奪われます。
「あなたたちと同じテントになった。よろしく」
「あ、よ、よろしくお願いします。シルファです」
「し、シイキです」
シイキさんは慌てて体を起こすと、正座をして頭を下げました。
「ん、あの時の。そこの君も……」
「は、はい! フルルです。えと、よろしくお願いいたします」
「ん。中、入っていい?」
「勿論です」
リズさんは頷くと、その翼を小さくさせていきます。やがて白い翼は、その髪で隠れるくらいの大きさになりました。
「………………」
「どうしたの?」
「あ、いえその、翼が小さくなるところを初めて見たもので……」
シルファさんがそう答えると、リズさんは小さく首を傾げました。
「別に珍しくない。知らなかった?」
「いえ、知識としては持っていましたが、目にするのは初めてだったので」
「……そう」
リズさんは一瞬私に目を向けると、ようやくテントの中に入っていきました。その後にシルファさんが入って、最後に私が入ります。
入り口の留め具を外す前に見た空は、いくつもの星が瞬いていました。
◇ ◇ ◇
「………………」
テントの中は、携帯食料を食べ終わった後も静かなままでした。リズさんは無言でランタンの光を見ていて、シルファさんたちもそんなリズさんに気を遣っているのか、何も話しだしたりしませんでした。多分リズさんが捉えづらい人なので、何を話していいか分からないのだと思います。
暫くして、ようやくシルファさんが口を開きました。
「明日もありますし、そろそろ寝ましょうか」
「ん」
シルファさんの言葉に、リズさんはシイキさんを見てから頷きます。見るとシイキさんは余程眠いのか、いつの間にか船を漕いでいました。
「えっと、リズさんはどのあたりで寝ますか?」
「端っこで」
「分かりました。それなら――」
その後、ランタンの灯が消され、私たちは並んで横になりました。私の両隣はリズさんとシルファさんで、シルファさんの隣にシイキさんが寝ています。
「………………」
うう、隣にリズさんがいると考えると、緊張してしまいます。私は体を動かして、リズさんに背を向けるようにしました。
シルファさんはもう眠ってしまったようで、規則正しい寝息が聞こえてきました。布が敷かれているとはいえ床は固いのに、寝つきがいいんでしょうか? うらやましいです。
「ふぁ……!」
その時、突然背中を軽く突かれ、危うく声を上げそうになってしまいました。私は恐る恐る後ろを振り返ります。
「ごめん。少し、いい?」
それはとても小さな声でした。それでも聞こえてしまった以上、答えないわけにもいきません。
「……何ですか?」
私は体をリズさんの方へと向けると、同じくらい小さな声で返します。もしかして私がオオアリグモに襲われて、ユートさんたちを危ない目に遭わせたことについて指摘されるんでしょうか? 私は心構えをして、リズさんの言葉を待ちました。
「フルルは、頑張ってるよ」
「え?」
けれどその内容は予想外のものでした。驚く私に、リズさんが続けます。
「フルルは頑張ってる。お荷物なんかじゃない」
「……気を遣わせてしまって、すみません」
恐らく、ユートさんとの会話を聞かせてしまったんでしょう。リズさんにまで迷惑をかけてしまったみたいです。
「謝ることない。……どうしてそんなに、自分のことを悪く言うの? フルルは何も悪くないのに」
「悪くないこと、ないです。私は自分のことも守れなくて、それで他の人にも迷惑をかけて、私、私――!」
不意に、リズさんに抱き寄せられました。
「……り、リズ、さん?」
「ダメ。それ以上、自分で自分を悪く言うのは、ダメ」
「で、でも……」
「ダメ」
「………………」
強く抱きしめられて、私は言葉を続けられなくなりました。その感覚は、ずっと昔に体感したっきりのもので、自然と当時のことが頭に思い浮かんできます。
「あ……」
私は自分でも知らないうちに、涙を流していました。
「泣いてるの?」
「ご、ごめんなさ――」
「ううん。それでいい。泣くことで、心の中の嫌なものが流されるから」
「……う……」
「辛かったんだね。大丈夫だから。思い切り泣いていいよ」
「う、うあ、ああああああ……!」
私は、リズさんの胸の中で、声を抑えて泣きました。その間、リズさんは優しく私の背中を叩いてくれました。
「…………え、えっと、すみません。私たち、会ったばかりなのに……」
暫くして泣き止んだ私は、何だか恥ずかしくなってしまいました。今日会ったばかりの相手に、こんな姿を見せてしまうなんて……。
「気にしないで。それに、会ったばかりの相手だからできることもある」
けれどリズさんは気にしていないようでした。リズさんは優しい人です。
「……あ、あの、リズさん」
「なに?」
「リズさんは、その、輝翼族の方ですよね? どうしてそんなに優しいんですか?」
輝翼族の方はプライドが高く、他の種族の人のことを良く思っていないと聞いたことがありました。それなのに、どうしてリズさんはこんなに優しいんでしょう?
「……もしかして、輝翼族の人間に、何かされた?」
「……それは、その……」
「ごめんなさい」
「り、リズさんが謝ることありません」
私は慌ててリズさんの謝罪を止めました。
「……確かに、大体の輝翼族は、他の種族を見下している。けれど、私はそれは間違っていると思う。他の種族には、その種族なりのいいところがある。翼の色が何色でも、翼を持ってなくても、そんなこと関係ない」
「リズさん……」
やっぱり、リズさんは良い人でした。最初に会ったときには、どこか冷たい人だと思っていた自分が恥ずかしいです。
「今度は私の番。フルルは何に悩んでいるの?」
「あ、それは……」
私は一瞬迷ってから、リズさんになら話せると思って、どうしてこの依頼を受けたのかについて簡単に話しました。
「……そう」
私の話を聞き終えたリズさんは、小さく頷いたようでした。
「……多分私は、チームには入れないと思います。さっきも失敗してしまいましたし……」
「終わったことはあんまり気にしないほうがいい。大事なのは、次どうするか」
「そう、ですよね……あ……」
リズさんの励ましを受けて、私はふとユートさんの言葉を思い出しました。折角なので、リズさんにも聞いてみることにしました。
「あの、リズさんには、死ぬより怖いことってありますか?」
「……あるよ」
「えっ?」
そんなことがあるのでしょうか? 私はリズさんの言葉の続きを、ドキドキしながら待ちました。
「一生かかっても償いきれないような、そんな罪を背負うこと」
「……罪、ですか?」
「うん」
リズさんは、それ以上何も言いませんでした。私も、何だか尋ねることが怖くなってしまい、深くは聞けませんでした。
「遅くなっちゃった。明日もあるし、お休み」
「お、おやすみなさい」
それでお話は終わってしまいました。私は目を閉じて、リズさんの言葉を思い返します。
リズさんには、死ぬよりも怖いことがありました。死ぬことが何より怖いことと思っていた私にとって、それは新しい考え方でした。
私だったら、どうでしょう? 死ぬよりも怖いことって何でしょう?
私は眠りに落ちるまで、そのことについて考えました。
◇ ◇ ◇
「ふむ、うまくやっているようだな」
山頂付近にある大きな洞窟の前で、私は甲冑越しに部下から受け取った手紙を読むと、口元を綻ばせる。
「ここまでは順調か。後は帝様がお気に召すような人材がいればいいのだが……」
私は手紙をしまうと、洞窟の中にいるそいつに声をかけた。
「さあ、ようやく貴様の出番だぞ、竜神とやら」
そいつは低く唸ると、洞窟の中からゆっくりとその巨体を現した。
並んだ牙の間から荒い息を洩らす口、鋭い爪をその手に持つ腕、巨体を支える足、太く長い尾が月明かりの元に晒される。
月光に照らされた赤い鱗は、黒い輝きを返して。
そして、その額にある角に光が灯ると、竜は大きな翼を広げ、村のある方角へと飛び立っていった。
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