32 / 139
2. 依頼
ヌヌさんとお話しです
しおりを挟む
「いやあ、悪いにゃあ。招いてもらった上にお魚までご馳走ににゃるにゃんてにゃあ」
あの後、温泉から上がった私たちは、ヌヌさんをお部屋に招待しました。シルファさんが、壁を壊さずに済んだのはヌヌさんのお陰だから、是非お礼が言いたいと頼んだのです。
お魚を前に目を輝かせるヌヌさんはまるで子供のようでした。他種族の方は見た目から年齢を推測するのが難しいと言いますが、ヌヌさんは何歳くらいなんでしょう? 見た目は二十代くらいですが、十代と言われても納得してしまいそうです。
「いえ、危うく多くの方に迷惑をかけるところでしたから。この程度のことは当然です」
「けれどその魚は俺のじゃ……、いえなんでもありません」
お魚がない夕ご飯を乗せたお盆を持ったユートさんは、シルファさんの顔を見て俯くと、入り口近くの隅っこにそそくさと歩いていきました。シルファさんの前に座るシイキさんも目を伏せます。シルファさんの隣に座る私にはどんな顔をしているのかは見えませんでしたが、想像して少し怖くなりました。
「覗き魔のことは放っておきましょう。ところでヌヌさん、どうして私たちに声をかけたんですか?」
「にゃはは、それが本題かにゃ。抜け目にゃいにゃあ」
私の正面に座るヌヌさんが目を細めます。
「にゃあに、少し興味が湧いただけにゃ。脱衣所にあった制服から、グリマール魔法学院の生徒だということは分かったからにゃ。もしかして明日の依頼に関係があるのかもしれにゃいと思ったのにゃ」
「ということは、ヌヌさんも?」
「そうにゃ。私も、ということは、やっぱりそうだったのかにゃ」
ヌヌさんが嬉しそうに笑います。
「しかしまだ若いのに、今回の討伐遠征に参加するにゃんてすごいにゃあ。シルファちゃんはいい魔法を使っていたし、学院の生徒の中でも、かにゃりの精鋭にゃんじゃにゃいかにゃ?」
「さすが現役の魔導士さんですね。ほんの少し一緒にいただけで僕たちの実力に気づくなんて」
「ヌヌさん、そいつの言うことは無視してください。私たちはヌヌさんが思うほど優秀というわけではありませんし、今回は運搬役として依頼に参加する身ですので、大したものはお見せできません」
「にゃんと、そっちだったかにゃ。少し意外だにゃ」
ヌヌさんは小骨を噛みながら目を丸くします。表情がころころと変わるヌヌさんは見ていて飽きませんでした。
「ふむ、ということはもしかして、依頼の内容についても詳しくは知らにゃいんじゃにゃいかにゃ?」
「そうですね。ここから少し離れた場所に出没した魔物を討伐する、という程度しか聞かされていません」
シルファさんの言葉に、私も頷きます。
馬車の中でシルファさんから聞いた話によると、私たちのお仕事は、魔導士さんたちの拠点となるキャンプを設営する予定の場所まで荷物を運んで、キャンプができてからはそこに残って、もし魔物がやってきたら追い返すというものだそうです。けれどキャンプを設営する場所には、基本的に魔物を遠ざけるための魔法がかけられますから、どんな魔物がどれだけ出現するかなどの情報はあまり聞かされないのが普通だといいます。代わりに、どんな荷物をどれだけの距離運ぶのか、といった内容が詳しく説明されました。今回私たちが運ぶのは、テント用の柱などだそうです。
「そうにゃのかにゃ。まあ余計にゃ情報を知らされて不安ににゃられても困るもんにゃあ」
「そ、そんなに強い魔物が出るんですか?」
「にゃはは、不安にさせちゃったかにゃ? 安心するにゃ。私が聞いた限りじゃ、大した魔物はいにゃいそうにゃ。ちょっと数が多いだけみたいにゃ」
「そ、そうですか……」
私はほっと胸を撫でおろします。
「ただフルルちゃんは、もう少し自分の身を守れるようににゃったほうがいいかもにゃあ」
「え……?」
「私が声をかけた時、シルファちゃんはいつでも魔法を使えるよう構えていたにゃ。けれどフルルちゃんはシルファちゃんの後ろに隠れるだけで、私が後ろに行った時も、魔術式を形成できにゃかったにゃ。それじゃ少し不安だにゃ」
「…………」
私は何も答えられず、視線を下げます。
言われてみればその通りでした。私も魔法使いとして、自分の身は自分で守らないといけないのに、あの時は無意識的にシルファさんに守られようとしてしまいました。
こんなんじゃ、シルファさんと同じチームになる資格なんてありません……。
「……そう言えばあの時、ヌヌさんはどうやって後ろに回ったんですか? 目を離したつもりはなかったのですが」
「にゃはは、それは勿論、魔法を使ったのにゃ。こんにゃ風ににゃ」
ヌヌさんが手招きするように持ち上げた手の先に、小さな魔術式が形成されました。その魔術式が光ります。
「わっ!」
「ええっ!?」
ヌヌさんの顔が、湯気のようなぼんやりとした白いもので隠れました。こんなに近くにいるのに、顔がはっきり見えません。
「隠密魔法ですか。緊急時でもないのに魔法を使うというのは、いかがなものかと思いますが」
「まぁまぁ、ここには魔法使いしかいにゃいんだし、堅苦しいこと言いっこにゃしにゃ。ちにゃみに念のため、あの時二人にもかけておいたにゃ。だからユートちゃんには、二人の艶姿を見られずに済んだはずにゃ」
「そうだったんですか? なら……」
「お気遣いありがとうございます。ですが問題は彼の行動自体にありますので、処遇は変えません」
シルファさんは厳しい人でした。黙々とご飯を食べるユートさんの姿が少し寂しそうに見えます。
「……えっと、シルファさんがヌヌさんの姿を見失った理由は分かりましたけれど、それだけで突然後ろに現れることはできないんじゃないですか?」
姿が見えなくなっても、波を立てずに水の中を動くことはできないはずです。
「それはこの魔法だにゃ」
ヌヌさんは手で払うようにして顔にかけた魔法を消すと、今度は綺麗に骨だけになった魚に、少し大きめの魔術式を向けました。
「わわっ!」
「動いた!」
すると突然、魚の骨が浮かび上がり、まるで空中を泳ぐように私たちの周りを一周すると、元の場所に戻りました。ヌヌさんは楽しそうに笑います。
「色々と言い方はあるけれど、私は操作魔法と呼んでいるにゃ。魔法を動かすのと同じように、その場にある物体を操作するんだにゃ。今のは最初に決めた動きをさせるだけだったから大したことにゃいけれど、もっと大きにゃ魔術式にすれば、離れた場所から自由に操作することもできるにゃ」
「そ、それでもすごいです!」
「本当に泳いでいるかと思いましたよ」
「にゃはは、そんにゃに褒められると照れるにゃあ。本当はもっとしっぽを振り振りさせたかったけど、力の調整を間違えるとバラバラににゃるからにゃあ」
ヌヌさんが照れたように笑います。するとなぜか隣で、シルファさんが小さく震えたような気がしました。
「……その魔法で、自分の体を動かしたんですね」
「そういうことにゃ。そこそこ体に負担はかかるけど、自分の想定した動きにゃら心構えもできるにゃ」
ちにゃみにさっきは上から近づいたにゃ、と言いながら、ヌヌさんは手を動かしてその動きを真似て見せました。
「操作魔法でしたか。私はてっきり強化魔法かと」
「強化魔法? にゃはははは! それこそ実際に体を動かす分、体への負担が半端じゃにゃいにゃ。魔法の発現だけでいい操作魔法と違って、魔法がかかった慣れにゃい体も動かさにゃいといけにゃいから、加減も難しいしにゃあ。その分使う魔力は少にゃくて済むけど、そんにゃ魔法を使う魔導士は皆無だろうにゃ」
「………………」
「………………」
私とシイキさんはユートさんへと顔を向けました。ユートさんは手を合わせてお茶碗に頭を下げています。
「ん、どうかしたかにゃ?」
「いえ、その、改めてユートさんはすごいなぁと」
「ユートちゃんにゃ? そう言えばあの高さの壁を上ってたにゃあ。ユートちゃんも操作魔法を使うのかにゃ?」
「まさにその強化魔法を使うんです、彼は」
「にゃにゃっ!? それは本当かにゃ!?」
ヌヌさんはとても驚いたようで、ずいっと身を乗り出します。私はそれに気圧されながらも、こくこくと頷きました。
「ほ、本当です。私も驚きましたけど……」
「ユートちゃん、ちょっと来てほしいにゃ!」
ヌヌさんが立ち上がって手招きしました。ユートさんは笑顔を浮かべて立とうとして――
「ユート、まだ明日になってないわよ」
「……………………」
一瞥もなく放たれたシルファさんの言葉に、元の姿勢に戻りました。シイキさんは、見ていられないとばかりに顔を背けます。
「どうして止めるんだにゃ?」
「彼には明日まであそこで反省してもらうと決めましたから。外に連れ出すのも遠慮してください」
「にゃら私がユートちゃんのところに行くにゃ。それにゃら問題にゃいにゃ?」
「あの場から動かさないのであればご自由に」
「分かったにゃ」
ヌヌさんはわくわくしたような顔でユートさんのいる方に向かいました。ヌヌさんが離れたことで比較的静かになります。
「……シルファ、ユート君のこと、少しやりすぎじゃないか?」
「憲兵に突き出すどころか、一晩の反省で許すと言っているのよ? 寧ろ寛大すぎるくらいだわ」
「で、でも、ユートさんは私たちを助けようとして……」
恐る恐る横を窺うと、シルファさんと目が合いました。私は反射的に目を背けてしまいます。
「フルルの言う通りだよ。そりゃあ僕も、自分の裸を見られるのは嫌だけど、純粋な善意でとった行動なんだから、あそこまで厳しくしなくていいんじゃない?」
シイキさんにつられて、私もユートさんの方を見ます。
「おお!? にゃんじゃこりゃ!?」
「驚くのはまだ早いですよ」
「にゃにゃ、にゃんてことにゃ!?」
「……今は楽しそうだけど」
シイキさんは苦笑いして前に向き直りました。
「ともかく、鞭ばかりじゃリーダーは務まらない。それはシルファも良く知っているでしょ? 同じチームのメンバーなんだし、もう少し寛容になってもいいんじゃないかな?」
「………………」
シルファさんは黙ってご飯を口に運ぶと、それを飲み込んでから手を合わせました。そして小さく息をついてから話し始めます。
「メンバーだからこそ、よ」
「どういう意味?」
「メンバーとして彼が心配だから、反省させているの。遠足のとき、彼がどんな行動をとったか、あなたも知っているでしょ?」
「………………」
今度はシイキさんが黙ってしまいました。私は小さく口を挟みます。
「あ、あの、遠足でユートさん、どうかしたんですか?」
「それはね――」
シルファさんの話を聞いて、私はユートさんの方に目を向けました。ユートさんはまだヌヌさんと楽しそうにお喋りしてます。
遠足からまだ時間も経ってないのに、死ぬかもしれないような経験をしたのに、どうしてあんなに明るくいられるんでしょう? どうして、そんな行動が取れたんでしょう?
「ユートは眩しいくらいに真っ直ぐよ。自分の気持ちにとても正直だわ。けれどそれを優先して、規則を疎かにする傾向がある。遠足の時は勝手にチームを抜けて単独行動するし、今回だって一つ間違ってたら逮捕されてもおかしくなかったわ。山の中にいた頃はそれでも良かったのかもしれないけれど、こうして社会に関わっている以上、ユートは自分の気持ちと、社会を維持する上で不可欠な規則とを擦り合わせる必要がある。何よりユート自身のためにもね」
「………………」
シルファさんの言うことは正論でした。沢山の人が集まっている社会の中で、ルールを守ることはとても大事です。ユートさんの行動は、正しいと思っての行動だったのでしょうけれど、だから規則を破っていいということにはならないと、そういうことなのでしょう。
私はそれを否定する言葉が見つけられず、開きかけた口を閉じました。
「なるほどね。僕はてっきり、自分も壁を壊そうとした行動が間違ってたから、みたいな理由をつけて、ユート君とお近づきになろうとしたのかと」
「そ、そんなわけないでしょ! 確かに、私の行動も問題はあったけど……」
「あれぇ、何だか動揺してない? もしかして本当に――」
「それ以上言ったら今すぐ温泉に浸かりたくなるわよ」
「………………」
視界の端でシイキさんが震えたのが見えました。なんだか部屋の温度が下がったように感じます。
「おっと、もうこんにゃ時間かにゃ。明日もあるし、私はそろそろ部屋に帰るにゃ。シルファちゃん、招いてくれてありがとにゃ」
ヌヌさんに声をかけられたシルファさんは、立ち上がって頭を下げました。
「こちらこそ、色々とお話ししてくださりありがとうございました。明日は宜しくお願いします」
「にゃはは、シルファちゃんは真面目だにゃあ。もう少し肩の力を抜いてもいいと思うにゃ。それじゃばいにゃ~」
ヌヌさんは手を振りながら帰っていきました。室温が元に戻ったような気がして、私は胸を撫で下ろしました。
あの後、温泉から上がった私たちは、ヌヌさんをお部屋に招待しました。シルファさんが、壁を壊さずに済んだのはヌヌさんのお陰だから、是非お礼が言いたいと頼んだのです。
お魚を前に目を輝かせるヌヌさんはまるで子供のようでした。他種族の方は見た目から年齢を推測するのが難しいと言いますが、ヌヌさんは何歳くらいなんでしょう? 見た目は二十代くらいですが、十代と言われても納得してしまいそうです。
「いえ、危うく多くの方に迷惑をかけるところでしたから。この程度のことは当然です」
「けれどその魚は俺のじゃ……、いえなんでもありません」
お魚がない夕ご飯を乗せたお盆を持ったユートさんは、シルファさんの顔を見て俯くと、入り口近くの隅っこにそそくさと歩いていきました。シルファさんの前に座るシイキさんも目を伏せます。シルファさんの隣に座る私にはどんな顔をしているのかは見えませんでしたが、想像して少し怖くなりました。
「覗き魔のことは放っておきましょう。ところでヌヌさん、どうして私たちに声をかけたんですか?」
「にゃはは、それが本題かにゃ。抜け目にゃいにゃあ」
私の正面に座るヌヌさんが目を細めます。
「にゃあに、少し興味が湧いただけにゃ。脱衣所にあった制服から、グリマール魔法学院の生徒だということは分かったからにゃ。もしかして明日の依頼に関係があるのかもしれにゃいと思ったのにゃ」
「ということは、ヌヌさんも?」
「そうにゃ。私も、ということは、やっぱりそうだったのかにゃ」
ヌヌさんが嬉しそうに笑います。
「しかしまだ若いのに、今回の討伐遠征に参加するにゃんてすごいにゃあ。シルファちゃんはいい魔法を使っていたし、学院の生徒の中でも、かにゃりの精鋭にゃんじゃにゃいかにゃ?」
「さすが現役の魔導士さんですね。ほんの少し一緒にいただけで僕たちの実力に気づくなんて」
「ヌヌさん、そいつの言うことは無視してください。私たちはヌヌさんが思うほど優秀というわけではありませんし、今回は運搬役として依頼に参加する身ですので、大したものはお見せできません」
「にゃんと、そっちだったかにゃ。少し意外だにゃ」
ヌヌさんは小骨を噛みながら目を丸くします。表情がころころと変わるヌヌさんは見ていて飽きませんでした。
「ふむ、ということはもしかして、依頼の内容についても詳しくは知らにゃいんじゃにゃいかにゃ?」
「そうですね。ここから少し離れた場所に出没した魔物を討伐する、という程度しか聞かされていません」
シルファさんの言葉に、私も頷きます。
馬車の中でシルファさんから聞いた話によると、私たちのお仕事は、魔導士さんたちの拠点となるキャンプを設営する予定の場所まで荷物を運んで、キャンプができてからはそこに残って、もし魔物がやってきたら追い返すというものだそうです。けれどキャンプを設営する場所には、基本的に魔物を遠ざけるための魔法がかけられますから、どんな魔物がどれだけ出現するかなどの情報はあまり聞かされないのが普通だといいます。代わりに、どんな荷物をどれだけの距離運ぶのか、といった内容が詳しく説明されました。今回私たちが運ぶのは、テント用の柱などだそうです。
「そうにゃのかにゃ。まあ余計にゃ情報を知らされて不安ににゃられても困るもんにゃあ」
「そ、そんなに強い魔物が出るんですか?」
「にゃはは、不安にさせちゃったかにゃ? 安心するにゃ。私が聞いた限りじゃ、大した魔物はいにゃいそうにゃ。ちょっと数が多いだけみたいにゃ」
「そ、そうですか……」
私はほっと胸を撫でおろします。
「ただフルルちゃんは、もう少し自分の身を守れるようににゃったほうがいいかもにゃあ」
「え……?」
「私が声をかけた時、シルファちゃんはいつでも魔法を使えるよう構えていたにゃ。けれどフルルちゃんはシルファちゃんの後ろに隠れるだけで、私が後ろに行った時も、魔術式を形成できにゃかったにゃ。それじゃ少し不安だにゃ」
「…………」
私は何も答えられず、視線を下げます。
言われてみればその通りでした。私も魔法使いとして、自分の身は自分で守らないといけないのに、あの時は無意識的にシルファさんに守られようとしてしまいました。
こんなんじゃ、シルファさんと同じチームになる資格なんてありません……。
「……そう言えばあの時、ヌヌさんはどうやって後ろに回ったんですか? 目を離したつもりはなかったのですが」
「にゃはは、それは勿論、魔法を使ったのにゃ。こんにゃ風ににゃ」
ヌヌさんが手招きするように持ち上げた手の先に、小さな魔術式が形成されました。その魔術式が光ります。
「わっ!」
「ええっ!?」
ヌヌさんの顔が、湯気のようなぼんやりとした白いもので隠れました。こんなに近くにいるのに、顔がはっきり見えません。
「隠密魔法ですか。緊急時でもないのに魔法を使うというのは、いかがなものかと思いますが」
「まぁまぁ、ここには魔法使いしかいにゃいんだし、堅苦しいこと言いっこにゃしにゃ。ちにゃみに念のため、あの時二人にもかけておいたにゃ。だからユートちゃんには、二人の艶姿を見られずに済んだはずにゃ」
「そうだったんですか? なら……」
「お気遣いありがとうございます。ですが問題は彼の行動自体にありますので、処遇は変えません」
シルファさんは厳しい人でした。黙々とご飯を食べるユートさんの姿が少し寂しそうに見えます。
「……えっと、シルファさんがヌヌさんの姿を見失った理由は分かりましたけれど、それだけで突然後ろに現れることはできないんじゃないですか?」
姿が見えなくなっても、波を立てずに水の中を動くことはできないはずです。
「それはこの魔法だにゃ」
ヌヌさんは手で払うようにして顔にかけた魔法を消すと、今度は綺麗に骨だけになった魚に、少し大きめの魔術式を向けました。
「わわっ!」
「動いた!」
すると突然、魚の骨が浮かび上がり、まるで空中を泳ぐように私たちの周りを一周すると、元の場所に戻りました。ヌヌさんは楽しそうに笑います。
「色々と言い方はあるけれど、私は操作魔法と呼んでいるにゃ。魔法を動かすのと同じように、その場にある物体を操作するんだにゃ。今のは最初に決めた動きをさせるだけだったから大したことにゃいけれど、もっと大きにゃ魔術式にすれば、離れた場所から自由に操作することもできるにゃ」
「そ、それでもすごいです!」
「本当に泳いでいるかと思いましたよ」
「にゃはは、そんにゃに褒められると照れるにゃあ。本当はもっとしっぽを振り振りさせたかったけど、力の調整を間違えるとバラバラににゃるからにゃあ」
ヌヌさんが照れたように笑います。するとなぜか隣で、シルファさんが小さく震えたような気がしました。
「……その魔法で、自分の体を動かしたんですね」
「そういうことにゃ。そこそこ体に負担はかかるけど、自分の想定した動きにゃら心構えもできるにゃ」
ちにゃみにさっきは上から近づいたにゃ、と言いながら、ヌヌさんは手を動かしてその動きを真似て見せました。
「操作魔法でしたか。私はてっきり強化魔法かと」
「強化魔法? にゃはははは! それこそ実際に体を動かす分、体への負担が半端じゃにゃいにゃ。魔法の発現だけでいい操作魔法と違って、魔法がかかった慣れにゃい体も動かさにゃいといけにゃいから、加減も難しいしにゃあ。その分使う魔力は少にゃくて済むけど、そんにゃ魔法を使う魔導士は皆無だろうにゃ」
「………………」
「………………」
私とシイキさんはユートさんへと顔を向けました。ユートさんは手を合わせてお茶碗に頭を下げています。
「ん、どうかしたかにゃ?」
「いえ、その、改めてユートさんはすごいなぁと」
「ユートちゃんにゃ? そう言えばあの高さの壁を上ってたにゃあ。ユートちゃんも操作魔法を使うのかにゃ?」
「まさにその強化魔法を使うんです、彼は」
「にゃにゃっ!? それは本当かにゃ!?」
ヌヌさんはとても驚いたようで、ずいっと身を乗り出します。私はそれに気圧されながらも、こくこくと頷きました。
「ほ、本当です。私も驚きましたけど……」
「ユートちゃん、ちょっと来てほしいにゃ!」
ヌヌさんが立ち上がって手招きしました。ユートさんは笑顔を浮かべて立とうとして――
「ユート、まだ明日になってないわよ」
「……………………」
一瞥もなく放たれたシルファさんの言葉に、元の姿勢に戻りました。シイキさんは、見ていられないとばかりに顔を背けます。
「どうして止めるんだにゃ?」
「彼には明日まであそこで反省してもらうと決めましたから。外に連れ出すのも遠慮してください」
「にゃら私がユートちゃんのところに行くにゃ。それにゃら問題にゃいにゃ?」
「あの場から動かさないのであればご自由に」
「分かったにゃ」
ヌヌさんはわくわくしたような顔でユートさんのいる方に向かいました。ヌヌさんが離れたことで比較的静かになります。
「……シルファ、ユート君のこと、少しやりすぎじゃないか?」
「憲兵に突き出すどころか、一晩の反省で許すと言っているのよ? 寧ろ寛大すぎるくらいだわ」
「で、でも、ユートさんは私たちを助けようとして……」
恐る恐る横を窺うと、シルファさんと目が合いました。私は反射的に目を背けてしまいます。
「フルルの言う通りだよ。そりゃあ僕も、自分の裸を見られるのは嫌だけど、純粋な善意でとった行動なんだから、あそこまで厳しくしなくていいんじゃない?」
シイキさんにつられて、私もユートさんの方を見ます。
「おお!? にゃんじゃこりゃ!?」
「驚くのはまだ早いですよ」
「にゃにゃ、にゃんてことにゃ!?」
「……今は楽しそうだけど」
シイキさんは苦笑いして前に向き直りました。
「ともかく、鞭ばかりじゃリーダーは務まらない。それはシルファも良く知っているでしょ? 同じチームのメンバーなんだし、もう少し寛容になってもいいんじゃないかな?」
「………………」
シルファさんは黙ってご飯を口に運ぶと、それを飲み込んでから手を合わせました。そして小さく息をついてから話し始めます。
「メンバーだからこそ、よ」
「どういう意味?」
「メンバーとして彼が心配だから、反省させているの。遠足のとき、彼がどんな行動をとったか、あなたも知っているでしょ?」
「………………」
今度はシイキさんが黙ってしまいました。私は小さく口を挟みます。
「あ、あの、遠足でユートさん、どうかしたんですか?」
「それはね――」
シルファさんの話を聞いて、私はユートさんの方に目を向けました。ユートさんはまだヌヌさんと楽しそうにお喋りしてます。
遠足からまだ時間も経ってないのに、死ぬかもしれないような経験をしたのに、どうしてあんなに明るくいられるんでしょう? どうして、そんな行動が取れたんでしょう?
「ユートは眩しいくらいに真っ直ぐよ。自分の気持ちにとても正直だわ。けれどそれを優先して、規則を疎かにする傾向がある。遠足の時は勝手にチームを抜けて単独行動するし、今回だって一つ間違ってたら逮捕されてもおかしくなかったわ。山の中にいた頃はそれでも良かったのかもしれないけれど、こうして社会に関わっている以上、ユートは自分の気持ちと、社会を維持する上で不可欠な規則とを擦り合わせる必要がある。何よりユート自身のためにもね」
「………………」
シルファさんの言うことは正論でした。沢山の人が集まっている社会の中で、ルールを守ることはとても大事です。ユートさんの行動は、正しいと思っての行動だったのでしょうけれど、だから規則を破っていいということにはならないと、そういうことなのでしょう。
私はそれを否定する言葉が見つけられず、開きかけた口を閉じました。
「なるほどね。僕はてっきり、自分も壁を壊そうとした行動が間違ってたから、みたいな理由をつけて、ユート君とお近づきになろうとしたのかと」
「そ、そんなわけないでしょ! 確かに、私の行動も問題はあったけど……」
「あれぇ、何だか動揺してない? もしかして本当に――」
「それ以上言ったら今すぐ温泉に浸かりたくなるわよ」
「………………」
視界の端でシイキさんが震えたのが見えました。なんだか部屋の温度が下がったように感じます。
「おっと、もうこんにゃ時間かにゃ。明日もあるし、私はそろそろ部屋に帰るにゃ。シルファちゃん、招いてくれてありがとにゃ」
ヌヌさんに声をかけられたシルファさんは、立ち上がって頭を下げました。
「こちらこそ、色々とお話ししてくださりありがとうございました。明日は宜しくお願いします」
「にゃはは、シルファちゃんは真面目だにゃあ。もう少し肩の力を抜いてもいいと思うにゃ。それじゃばいにゃ~」
ヌヌさんは手を振りながら帰っていきました。室温が元に戻ったような気がして、私は胸を撫で下ろしました。
0
お気に入りに追加
215
あなたにおすすめの小説
素直になる魔法薬を飲まされて
青葉めいこ
ファンタジー
公爵令嬢であるわたくしと婚約者である王太子とのお茶会で、それは起こった。
王太子手ずから淹れたハーブティーを飲んだら本音しか言えなくなったのだ。
「わたくしよりも容姿や能力が劣るあなたが大嫌いですわ」
「王太子妃や王妃程度では、このわたくしに相応しくありませんわ」
わたくしといちゃつきたくて素直になる魔法薬を飲ませた王太子は、わたくしの素直な気持ちにショックを受ける。
婚約解消後、わたくしは、わたくしに相応しい所に行った。
小説家になろうにも投稿しています。
踏み台(王女)にも事情はある
mios
恋愛
戒律の厳しい修道院に王女が送られた。
聖女ビアンカに魔物をけしかけた罪で投獄され、処刑を免れた結果のことだ。
王女が居なくなって平和になった筈、なのだがそれから何故か原因不明の不調が蔓延し始めて……原因究明の為、王女の元婚約者が調査に乗り出した。
【完結】もう…我慢しなくても良いですよね?
アノマロカリス
ファンタジー
マーテルリア・フローレンス公爵令嬢は、幼い頃から自国の第一王子との婚約が決まっていて幼少の頃から厳しい教育を施されていた。
泣き言は許されず、笑みを浮かべる事も許されず、お茶会にすら参加させて貰えずに常に完璧な淑女を求められて教育をされて来た。
16歳の成人の義を過ぎてから王子との婚約発表の場で、事あろうことか王子は聖女に選ばれたという男爵令嬢を連れて来て私との婚約を破棄して、男爵令嬢と婚約する事を選んだ。
マーテルリアの幼少からの血の滲むような努力は、一瞬で崩壊してしまった。
あぁ、今迄の苦労は一体なんの為に…
もう…我慢しなくても良いですよね?
この物語は、「虐げられる生活を曽祖母の秘術でざまぁして差し上げますわ!」の続編です。
前作の登場人物達も多数登場する予定です。
マーテルリアのイラストを変更致しました。
白い結婚を言い渡されたお飾り妻ですが、ダンジョン攻略に励んでいます
時岡継美
ファンタジー
初夜に旦那様から「白い結婚」を言い渡され、お飾り妻としての生活が始まったヴィクトリアのライフワークはなんとダンジョンの攻略だった。
侯爵夫人として最低限の仕事をする傍ら、旦那様にも使用人たちにも内緒でダンジョンのラスボス戦に向けて準備を進めている。
しかし実は旦那様にも何やら秘密があるようで……?
他サイトでは「お飾り妻の趣味はダンジョン攻略です」のタイトルで公開している作品を加筆修正しております。
誤字脱字報告ありがとうございます!
十三回目の人生でようやく自分が悪役令嬢ポジと気づいたので、もう殿下の邪魔はしませんから構わないで下さい!
翠玉 結
恋愛
公爵令嬢である私、エリーザは挙式前夜の式典で命を落とした。
「貴様とは、婚約破棄する」と残酷な事を突きつける婚約者、王太子殿下クラウド様の手によって。
そしてそれが一度ではなく、何度も繰り返していることに気が付いたのは〖十三回目〗の人生。
死んだ理由…それは、毎回悪役令嬢というポジションで立ち振る舞い、殿下の恋路を邪魔していたいたからだった。
どう頑張ろうと、殿下からの愛を受け取ることなく死ぬ。
その結末をが分かっているならもう二度と同じ過ちは繰り返さない!
そして死なない!!
そう思って殿下と関わらないようにしていたのに、
何故か前の記憶とは違って、まさかのご執心で溺愛ルートまっしぐらで?!
「殿下!私、死にたくありません!」
✼••┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈••✼
※他サイトより転載した作品です。
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。
ポーションが不味すぎるので、美味しいポーションを作ったら
七鳳
ファンタジー
※毎日8時と18時に更新中!
※いいねやお気に入り登録して頂けると励みになります!
気付いたら異世界に転生していた主人公。
赤ん坊から15歳まで成長する中で、異世界の常識を学んでいくが、その中で気付いたことがひとつ。
「ポーションが不味すぎる」
必需品だが、みんなが嫌な顔をして買っていく姿を見て、「美味しいポーションを作ったらバカ売れするのでは?」
と考え、試行錯誤をしていく…
転生悪役令嬢に仕立て上げられた幸運の女神様は家門から勘当されたので、自由に生きるため、もう、ほっといてください。今更戻ってこいは遅いです
青の雀
ファンタジー
公爵令嬢ステファニー・エストロゲンは、学園の卒業パーティで第2王子のマリオットから突然、婚約破棄を告げられる
それも事実ではない男爵令嬢のリリアーヌ嬢を苛めたという冤罪を掛けられ、問答無用でマリオットから殴り飛ばされ意識を失ってしまう
そのショックで、ステファニーは前世社畜OL だった記憶を思い出し、日本料理を提供するファミリーレストランを開業することを思いつく
公爵令嬢として、持ち出せる宝石をなぜか物心ついたときには、すでに貯めていて、それを原資として開業するつもりでいる
この国では婚約破棄された令嬢は、キズモノとして扱われることから、なんとか自立しようと修道院回避のために幼いときから貯金していたみたいだった
足取り重く公爵邸に帰ったステファニーに待ち構えていたのが、父からの勘当宣告で……
エストロゲン家では、昔から異能をもって生まれてくるということを当然としている家柄で、異能を持たないステファニーは、前から肩身の狭い思いをしていた
修道院へ行くか、勘当を甘んじて受け入れるか、二者択一を迫られたステファニーは翌早朝にこっそり、家を出た
ステファニー自身は忘れているが、実は女神の化身で何代前の過去に人間との恋でいさかいがあり、無念が残っていたので、神界に帰らず、人間界の中で転生を繰り返すうちに、自分自身が女神であるということを忘れている
エストロゲン家の人々は、ステファニーの恩恵を受け異能を覚醒したということを知らない
ステファニーを追い出したことにより、次々に異能が消えていく……
4/20ようやく誤字チェックが完了しました
もしまだ、何かお気づきの点がありましたら、ご報告お待ち申し上げておりますm(_)m
いったん終了します
思いがけずに長くなってしまいましたので、各単元ごとはショートショートなのですが(笑)
平民女性に転生して、下剋上をするという話も面白いかなぁと
気が向いたら書きますね
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる