物理重視の魔法使い

東赤月

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1. 出会い

森の中の出会い

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「凍てつけ! 『フリーズ・ロック』!」

 発現した魔法が魔物の足を凍らせる。私に飛び掛かろうとしていた魔物は体勢を崩し、そのまま転倒する。私はその隙に魔術式を霧散させると、木々の間を縫うようにして、身を隠しながら距離をとる。

「はあっ、もうっ、しつこい……」

 出会い頭に薄膜を剥がされてからずっとこの調子だ。何度か繰り返せば諦めるかも、という甘い期待は当然裏切られた。通信魔法も繋がらないし、現状こうして逃げることしかできない。幸い他の魔物には会わないけれど、そうなるのも時間の問題だろう。薄膜の淡い光がない分見つかりにくくはあるけれど、そんなの気休めにもならない。
 やっぱり、どうにかして倒さないと。こんなとき、誰かが時間を稼いでくれたら……。
 不意にユートの姿が頭をよぎった。私は頭を振って雑念を払う。今ここにいない人間のことを考えたって仕方ない。私は走りながら魔物を倒す方法を考える。

「……一か八かね」

 私は走るのを止めると、木の幹に体を預けて、ふうと息をついた。
 他に手段がないなら、覚悟を決めてやるしかない。私は手から魔力を放出すると、魔術式の形成を始める。

「……っ!」

 見立てよりも早く、魔物がやってきた。私の姿を認めると、ゴオ! と一鳴きし、四つ足になって走り出す。

「『フリーズ・ロック』!」

 私は木にもたれ掛かったまま、魔物に対して半身の状態で、右手の魔術式から白い光の弾が発射される。それは魔物の顔に当たると、顔の半分ほどを凍らせる。魔物は怯み足を止めるも、腕で顔を払い氷を剥がしてしまった。

「『フリーズ・ロック』!」

 私はその場から動かず、今度は腕を狙い、枷のように両腕を固定させる。しかしその拘束も、魔物は腕を地面に叩きつけて解いてしまう。

「『フリーズ・ロック』!」

 足を凍らせても、腕で壊される。

「『フリーズ・ロック』!」

 ……どうして誘いを断ってしまったんだろう?

「『フリーズ・ロック』!」

 どうしてユートに対して、あんなに苛ついていたんだろう?

「『フリーズ・ロック』!」

 馬鹿にされていることにも気づかないユートを見ていられなかったから? 能天気なユートに呆れたから?

「『フリーズ・ロック』!」

 そもそも、どうして私はユートをチームに誘わなかったんだろう。苛ついていたから? その前は? シイキの言葉通りに行動するのが嫌だったから? 魔術式の小さな彼と組むことを、他の生徒に揶揄されるから?

「『フリーズ・ロック』!」

 違う。多分私は、怖かったんだ。私を知らないユートが、私を知って、チームから抜けてしまうことが。かつてチームを崩壊させた私が、彼に見限られてしまうことが。

「『フリーズ・ロック』!」

 ユートの性格なら、前みたいな決定的な破滅には至らないだろう。けれど万が一ということがある。チームにも留まっていて欲しい。 だから私は、ユートを離れがたくする理由が欲しかった。私がユートを引き連れる正当性が欲しかった。

「『フリーズ・ロック』!」

 そうか。私は、ユートから言い出して欲しかったんだ。私とチームを組ませて欲しいと。自分を助けてくれた彼に頼られたかったんだ。
 だから私は自分から言い出さなかった。それだけじゃない。魔法の授業中、他の生徒がユートの悪態をついているときも、私は呆れながらも、少し嬉しく感じてしまっていた。
 クラスメイトに対しては、彼の本当の実力を知っているのは私だけだと、ユートに対しては、あなたの実力を理解しているのは私だけだと、そんな優越感に浸っていた。ユートが侮られることで、彼をチームに誘おうとする生徒が減ることに喜びさえした。これで私を頼ってくれると期待した。
 悪口を気にしないユートに苛ついていたのには、他の生徒とチームを組んで欲しくないという心理も働いていたんだろう。私は心のどこかで、ユートがクラスメイトから疎外されることを望んでいたんだ。
 ああ、なんて高慢で、性悪で、冷たい女なんだろう。

「『フリーズ・ロック』!」

 気づけば、魔物はもう目の前にいた。魔物の片腕が木の幹と一緒に凍りつくも、強引に引き剥がされる。
『フリーズ・ロック』で体力を消耗させきるという方法は通用しなかったらしい。もう『フリーズ・ロック』を使うどころか、その魔術式を維持する魔力もない。
 内部の魔力もなくなった魔術式は、その形を崩し、空気に溶けていく。木にもたれかかる私と、四つ足で迫る魔物の間には、もう何もない。
 無事に帰れたら、ユートに謝らないと。
 私は木の陰に隠れると、そのまま仰向けに倒れこんだ。背の高い木々の枝の隙間から、僅かに木漏れ日が覗く。それを遮るように、黒い魔物が私を見下ろした。
 私は魔物を見上げると、左手を伸ばす。

「突き上げろ」

 その手の先の魔術式に、あるだけの魔力を込めながら。

「『アイス・ピラー』!」

 ドゴォン! と大きな質量同士がぶつかり合う重い音が響く。ほぼ同時に、下から氷塊に突き上げられた魔物が叫んだ。

「ぁあああああっ!」

 魔法は魔物の上半身に当たり、触れた部分を凍らせて捕らえると、そのまま高く持ち上げていく。魔物の叫び声と、枝が折れるバキバキという音が遠ざかっていく。魔法はどんどんと伸びていき、ついにはその先が見えなくなってしまった。

「…………はぁ」

 やがて魔法が解け、氷塊は空気に溶けていく。枝の折れる音が上から段々と近づいていき、やがて少し離れたところに魔物の体が落ちてきた。その体は消滅していき、大きな結晶が残る。消化しきれなかったのか、先に倒した魔物の結晶も一緒に出てきた。

「やった、のね…………」

 私はゆっくりと起き上がると、結晶の元へと歩き出す。
 私が魔物を倒すためにとった手段とは、右手で『フリーズ・ロック』の魔術式を作ったあとに、それを維持し、魔法で足止めしながら、左手で『アイス・ピラー』の魔術式を形成する時間を稼ぐというものだった。
 形成し終わった魔術式を維持するのは難しくないとはいえ、大きな魔術式の形成と魔法の発現を同時に行うなんて、我ながら無茶な方法だったと思う。けれど、いつ魔物に見つかるか分からない状況で、両手で魔術式を作って無防備な状態を晒すのは危険すぎた。少なくとも『フリーズ・ロック』の魔術式さえあれば、ジリ貧にはなるけれど逃走は続けられる。
 それに、ユートは当たり前のように、もっとすごいことをやってのけているんだ。このくらい、不可能でもなんでもない。
 心の中で強がりながら、やっとのことで結晶の元へとたどり着く。辺りに魔物の姿はない。私は二つの結晶を拾い上げると、背負っていた鞄の中にしまった。
 あとは帰るだけだ。ああ、けど帰り道が分からない。ここは下手に動かないで、体力の回復を待ったほうがいいかな。

 パチパチパチ
「つっ……!」

 木の幹に手をついた私は、弾かれたように顔を上げる。それは明らかに拍手の音だった。誰かが上にいる。

「……ユート?」
「ほう、その名前を聞くことになるとはな」

 上から降りてきたのは、ユートじゃなかった。全身を深い緑のローブに包んだ男だ。私は木の幹を背に男と向かい合う。口元の肌を見るに、そう年は離れてなさそうだが、

「……誰よ、あなた」

 少なくとも一般人ではないことは確かだ。魔物の潜む森の奥で、目立たない格好をして、木の上に身を潜める。一体どんな目的があるんだろう。

「俺の名はケージ。今は旅人といったところか」
「ケージ? ユートが会ったっていう?」
「ふむ、やはり知らされていたか。その通りだ」

 その男、ケージは小さく頷く。

「……それで? その旅人さんがこんなところで何をしていたの?」
「なに、グリマール魔法学院の生徒がどれ程の実力を持っているのか、確かめたかっただけだ。最初は期待外れかとも思ったが、中々大したものだ。助けなくて正解だった」
「…………それはどうも」

 つまり私は、見世物にされていたわけだ。他人が生きるか死ぬかの瀬戸際にいたというのに、随分とふざけたことをする。

「さて、お喋りはもういいだろう。行くぞ」
「えっ?」

 突然私の体が持ち上がる。見るといつの間にか、私の体を淡い光が包んでいた。薄膜はとっくに剥がされていたはずだ。
 これはケージの魔法? けれど魔術式もなしに? 手に魔法石を持っているわけでもないのに、一体どうやって?

「ちょ、ちょっと、行くってどこへ?」
「森の外に決まっているだろう。こんな場所にいつまでも留まっているつもりか?」

 話し合う間にも、私の体はケージの元へと引き寄せられていく。私は空中でもがくけれど、ろくに抵抗できない。

「こんなことしなくても、自分で歩けるわ」
「俺が連れた方が早い」
「頼んだ覚えは無いわ。私の実力を見たいんじゃないの? 今が限界だなんて思って欲しくないのだけれど」
「そうも言ってられなくなってな。今すぐここを離れる必要がある」
「なぜ?」
「予想外の事態が発生したのでな。もう静かにしろ。邪魔者が寄ってくる」
「んむぅ!?」

 何かに口を押さえられたように声を出せなくなる。私が戸惑う間もなく、ケージが背を向けて走り出すと、私の体も空中を滑るようにしてそれを追った。
 確かにここは危険なんだろうけど、いくらなんでも強引すぎる。私はどうにか抵抗しようと、懐に手を入れる。

「っ!」

 そうだ、これがあった。私は首から提げた魔法石を握りしめると、なけなしの魔力を込める。

 トン

 薄膜が発現すると、重力が私を地面に下ろした。仕組みが分からなくともそれが魔法であるなら薄膜で防げるはず、という考えは間違ってなかったようだ。
 素早く跳び退いて距離をとる私に、ケージがゆっくりと振り向いた。

「なぜ逃げる?」
「あなたが信用できないから」

 私は今にも倒れそうな体を必死で支え、精一杯強がって見せる。この男が急いでここを離れたいというなら、少しでも時間を奪ってやる。

「俺は助けてやるつもりなんだがな」
「私が死にそうな目に遭っていても、高みの見物をしていた人の言う台詞とは思えないわね」

 ケージが一歩距離を詰め、私は一歩後退あとずさる。

「あなた、急ぎたいんでしょ? なら私を納得させなさい。できないのなら、私はあなたについていかないわ。一人でどこにでも行けばいい」
「……俺はこの学院からの依頼を受けて、先行して森に入った魔導士だ。これでいいか?」

 ああ、やっぱり。私は長く息を吐く。出発の時にキース先生から、今回助っ人が呼ばれているという話は聞いていた。

「……証拠は?」
「証拠なら、そうだな……」

 ケージが懐に右手を入れ、おもむろに引き抜く。

「くっ!」

 ケージの左手に形成された魔術式から放たれた光弾を、間一髪で避ける。右手を懐に入れて注意を引き付けている間に、背後に隠して形成していたんだろう。警戒していた私は、魔術式が見えた瞬間から回避行動を取れたおかげで助かった。
 私はそのまま逃走を開始する。しかし長くは続かなかった。木を盾にする前に光弾が当たり薄膜は消え、限界をとうに越えた足は思うように動かず、一分も経たずに追いつかれ捕まってしまう。

「やはり立っているのもやっとだったか。初めからこうしておくべきだった」

 ケージは片手で私の首を持ち上げた。大きな咳が喉から出る。

「俺の言葉が嘘だと気づいていたようだし、まんまと時間を稼がれたようだ」

 私はじたばたする体力もない。けれどせめてもと、思い切り睨みつけてやった。
 不信感が決定的なものになったのは、薄膜を発現させる前、懐の通信魔法石を使った時だった。
 キース先生と連絡が取れないのは、おそらく二つ目における障害が原因だろう。通信魔法の元となる魔力の波が何かに遮られているのだ。しかし目の前にいるケージに対して、一つ目と二つ目の理由は当てはまらない。となると三つ目の理由が該当するわけだが、こういった課外授業において、学院の関係者は通信魔法石の所持とその発現を維持することが義務付けられる。つまりは、そういうわけだった。
 学院の関係者でも何でもない男が、異常事態の最中に現れた。それが意味することは明らかだろう。
 私の視線を受けたケージは、嬉しそうに口を歪める。

「ここにきてなお強がるとは、益々気に入ったぞ。やはりお前は、招待するに相応しい」

 招待? 何のことかと聞き返そうと思った矢先、首を絞める力が強くなる。私は両手でケージの腕を掴むけれど、悲しいほどに力が出ない。
 ああ。これで終わるのか。
 腕が落ちる。意識が遠くなっていく。
 一人でいいと強がって、そのくせ内心では仲間を欲しがって、小賢しく立ち回った結果がこれだ。なんとも滑稽で、自分に相応しい末路――

「っう、あ……!」

 ――違う。
 ふざけるな。
 こんなところで終わっていいはずがない。私は何のためにグリマール魔法学院に来た。何のために強くなろうと、認められようとしてきた。私はまだ死ねないんだ。
 けれどもう、私にできることはない。だから――

「……たす、けて……」

 薄れゆく意識に浮かぶのは、あの猪の魔物から私を救ってくれた、底抜けに明るい男子だった。

「ユー、ト……」
「もう寝ろ――」
 ドゴォッ!
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