物理重視の魔法使い

東赤月

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1. 出会い

山の中の出会い

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 体力には自信のある私でも辛い山道だった。早朝の澄んだ空気は爽やかで、肺の中にすっと入っていく。

「こんなところに、本当に人なんて住んでいるのかしら?」

 息を切らしつつぼやく。目の前には、人が通った痕跡なんてまるで感じられないけもの道が続いていた。
 近くに生えている立派な樹にナイフで傷をつける。ここに既に誰かが傷をつけた跡でもあれば希望を抱けるのに。

「けど、わざわざ学院長先生が言ってくれたんだし……」

 学院長先生から預かった地図を開く。先生が私を騙す理由なんてないはずだから、もし目的地に誰もいなかったとしたら、それは私が道を間違えたということになる。けれど何度地図を見ても、私が正しい道を進んでいることを教えてくれるだけだ。
 まさか、学院長先生まで、私を?
 ありえない。普段ならそう確信できる疑念も、疲れからかむくむくと大きくなってくる。
 そういえば先生は、地図はなるべく他人に見せるなって言ってた。できるだけ一人で向かえとも。これも依頼ということなので、その通りにしてきた私は今、独りきりだ。
 もしここが魔物の棲む山だったとしたら?
 全く人が入った形跡がなかったし、助けが来ることはないだろう。そこまで考えて、私の背筋がぶるっと震えた。

「……そんなわけ、ないわ」

 頭を振って恐怖を振り払う。もうここまで来てしまったんだ。せめて目的地にまではたどり着こう。考えるのはそれからでも遅くはないはずだ。魔物が出たら倒せばいい。
 不安を胸に、足を進めようとした時だった。どこからか人の声が届いた。
 反射的にそちらを向く。立ち並ぶ木々のせいで遠くまでは見通せないけれど、確かに人の声がする。二人で話し合っているようだった。
 まさか、本当に人がいるなんて。驚きと期待を抱きつつ、早足で声のした方に向かう。

「今日こそは一本とるぞ、じいさん!」
「ふぉっふぉ、精々頑張るのじゃな」

 なんとなく忍び足で向かった先には、開けた空間があった。木の陰に身を隠しながら様子を窺うと、どうやら組手か何かをする直前みたいだった。
 意気込んでいるのは、黒髪黒目、服も黒といった全身黒づくめの青年だ。私と同い年くらいだろうか。こんな山の中だというのに裸足で立っている。
 対して、じいさんと呼ばれていたのは六歳児くらいの少年だ。こちらは髪も目も服も肌も白い、青年とは対照的な白づくめの外見だった。青年の肌も色は薄いけど、少年は真っ白だ。かといって病弱な感じはせず、どこか神秘的な雰囲気を漂わせていた。

『すまぬが、静かに待っていてくれぬか』

 突然、耳元で高い声がした。上げかけた悲鳴を何とか抑えて目をやると、白い光球が宙に浮いている。
 ……あの少年の魔法、みたいね。目も合っていないのに、どうして私がいることに気づけたんだろう? そもそもどうやって魔法を?

『すぐに終わるからの』

 疑問に答えが出ない内にそう声が続いて、魔法は消失した。淡い光が空気に溶けるように消えていく。
 私は改めて二人を覗き見る。半身で構える真剣な表情をした青年に対し、少年は自然体のまま、目を細め微笑んでいる。

「ほれ、いつでもかかってこい」

 少年が両手を打つ。パアン、という音が鳴り響いた。
 その音を合図に、青年は少年に向かって突進した。速い。私がその瞬発力に驚いている間に両者の距離は縮まり、青年は強く踏み込んでから右拳の突きを放った。

「真っすぐすぎるのぉ」

 しかし少年は突きが放たれる寸前、大きな予備動作もなしで高く飛び上がって攻撃をかわしながら、青年の顔面を狙って蹴りを放つ。

「じいさんに小細工は通じないだろ!」

 青年はその蹴りを左腕で受けつつ、右手を引き戻す。少年は蹴りの反動からか、青年から離れるように宙を舞う。

「もらった!」

 空中では動きがとれないと見たのか、青年は少年が着地する前に近づいた。そして左拳を少年に――

「甘い」
「えっ」

 何が起きたか分からなかった。動けない少年を狙った青年の左拳。その手首がつかまれたかと思ったら、一瞬で青年の左腕が極められた。

「ほい。これでお主の左腕は使い物にならなくなったぞ」

 腕ひしぎのように左腕に絡みついた少年が言うと同時、青年が苦悶の表情を浮かべる。
 信じられない。いくら小さいとはいっても、あの短時間、それも空中であの形を取るだなんて。私は少年の姿に蛇を重ねた。
 勝敗は明らかだった。少年は地上に降り、青年は力なくうなだれた。

『待たせたのう。ところで、よければこやつの背後から近づいて驚かせてはくれぬか?』

 またいつの間にやら隣にある光球から、そんなお願いをされる。見ると少年が降りた場所は、私から見て青年の先だ。青年は今私に背中を向けており、その体で半分隠れた少年が、いたずらっ子のような目でこちらを見ていた。
 後ろからおどかす? どうして?
 よくわからないけど声をかけるくらいならいいだろう。私はそろりそろりと青年に近づいていく。

「ほれほれ、敗者は潔く敗北宣言をするものじゃよ」
「ぐうっ、わ、分かってるよ!」

 青年まであと数歩というところだった。青年が突然背中から倒れ、その顔が私のスカートの下に隠れる。

「俺は負けました。どうぞ踏むなり蹴るなり……え?」

 慌ててスカートを押さえて一歩退いた。現れた幼さを残す顔。その目はうっすらと開かれていて――

「きゃああああ!」
「いたぁ!」

 私は悲鳴を上げると、その頭をおもいっきり蹴ったのだった。


 ◇ ◇ ◇


「先ほどは失礼しました」

 じいさんと二人で住んでいる家の居間にて、俺とじいさんに向かい合うように座った女の子が、無表情のまま深々と頭を下げた。じいさん並みとはいわないまでも白い肌と、銀色の長い髪が目を惹く女の子だ。仕立ての良さそうな緑の服の胸部には何かしらの紋章が縫い付けられていて、彼女がどこかに所属していることを示しているようだ。
 女の子にならい、俺も改めて謝罪する。

「いや、こちらこそ悪かった」
「お嬢さんが謝る必要はないぞ。全てはこやつの責任じゃ」

 いけしゃあしゃあとしているじいさんを横目で睨む。

「じいさん。この子がいたことを知ってたのにわざと俺をたきつけたろ」
「はて、なんのことじゃか」
「とぼけんな!」
「あの、ところでこちらに、アマカミ・ビャクヤという方はいますか?」

 言いたいことはまだまだあったけど、女の子がここに来た要件を切り出してきたのを察し、渋々矛を収める。

「ふむ、それはわしのことじゃが、お嬢さん、どこでその名前を?」
「申し遅れました。私はシルファ・クレシェンと申します。グリマール魔法学院の高等部に所属しています」
「グリマール魔法学院、か。なるほどのう」

 その名前だけで、じいさんは納得したらしかった。

「ていうか、じいさんってそんな名前だったのか?」
「そうじゃよ。わしに勝てたら教えてやるという約束じゃったのに、残念じゃったなぁ」
「ぐぬぬ……」

 今まで一度も勝てていないという苦い現実を嬉々として突き付けるじいさんに跳びかかりたい衝動に駆られるも、初めての客人の前ということもあって我慢する。けれどいつか絶対に仕返ししてやる。

「ところで、あなたは?」
「ああ。俺はユートだ。よろしくな」
「アマカミ・ユート?」
「いや、姓はない。ただのユートだ」
「アマカミを名乗れるのは、わしに勝てた者だけなのじゃよ。ユートはまだたったの一度もわしに勝てたことがないからのう」

 ふぉっふぉと笑うじいさん。そろそろ我慢の限界だからこれ以上挑発するのはやめてほしい。

「さて、話を戻すかの。わざわざこんな僻地まできたのじゃ。それ相応の要件があるのじゃろ?」
「はい。この地に住まうというアマカミ・ビャクヤさんへと書状をお渡しするよう、学院長先生から頼まれています。どうぞこちらを」

 女の子、シルファは肩からかけた鞄から手紙を取り出すと、丁寧に手渡した。じいさんはそれを無造作に破いて開ける。

「開け方雑すぎないか?」
「この方が早いからの。ふむ」

 じいさんは早速四つおりになった紙を広げた。

「……なるほどのう。お嬢さん、わざわざ届けてくれてありがとう」
「いえ、これも依頼ですので。それではこれで」
「まあ待つのじゃ。今返事を書くのでな」

 じいさんはどこから取り出したのか、小さな筆と何枚かの紙を持つと、そこに何かを書き加えていく。シルファはその筆の速さに驚いたのか、少し目を大きくした。
 暫くもしないうちに手紙を書き終えたじいさんは、それを畳むと、なぜか俺に差し出してきた。

「じいさん、どうして俺に渡そうとしてんだ?」
「何を言っておる。お主が届けるからに決まっておろう」
「ええっ!?」

 どうして俺がそんなことをしなくちゃならないんだ? シルファに渡せば済む話じゃないか。

「当たり前じゃろう。相手が人を遣ってまで届けてくれた手紙の返事なのじゃ。こちらも同様に人を遣らねば無礼ではないか」
「そういうものなのか?」
「そういうものなのじゃ」

 うーん。いまいち納得できないけれど、じいさんがそこまで言うならそういうことにしておこう。俺は無言で手紙を受け取った。

「あの、私に預けて頂いても構いませんよ? こちらで何か頼まれることもあるだろうとは聞かされておりますので」
「いいや、魔法もろくに使えないような不出来な弟子なのでな。このくらいの仕事くらいはこなしてもらわんと困る」
「………………」

 魔法を使って攻撃してやろうかとも思ったけれど、おちょくってるわけじゃない真剣な声音だったのでやめておいた。
 そう、俺は魔法を上手く使えない。精々基本的な、小規模の魔法を扱える程度だ。いくら訓練しても、じいさんが見せてくれるような大きな魔法は使えるようにはならなかった。
 けれどそれも今のうちだけだ。きっと近いうちに俺だって大きな魔法を使えるようになれるはず。そしていつか、最強の魔法使いになるんだ!

「というわけでお嬢さん、申し訳ないが道案内を頼まれてくれんかのう? こやつは世間知らずということもあってな。一人で行かせるのは不安なのじゃ」
「分かりました。ですが護衛までは請け負えませんよ?」
「その心配はいらぬよ。道案内だけしてくれればよい。それと、この案内はわしからの正式な依頼じゃからの。先に報酬を払っておこう」

 そう言ってじいさんは懐から布袋を取り出した。中からジャラジャラと音がするそれを受け取ったシルファは、中を覗いて目を開く。

「こんなに、ですか?」
「うむ。学院に行くまでの路銀も込みでな。これはユートの分じゃ」

 じいさんはまた懐から袋を取り出すと俺に手渡す。かなりの重さがあった。山の中で野宿を強いることもあるじいさんなのに、珍しいどころじゃない。
 ああ、そういうことか。俺は前にお金をもらった時の記憶を思い出して、ようやく納得した。

「帰りの分のお金も、既に学院から頂いているのですが」
「それならそれでよいではないか。報酬として丸々受け取ると良い」
「いえ、学院の許可なくこういったことは……」
「何か頼まれると聞かされておるのじゃろう? ならばこれも頼みの一環じゃて」
「…………分かりました」
「請け負ってくれるのじゃな? ありがとうのう」

 困惑しつつも頭を下げるシルファに、じいさんは目を細めた。

「さて、善は急げじゃ。幸いまだ日は高くない。お嬢さんには来たばかりで悪いが、すぐにでも発ってもらいたい。それでも構わぬか?」
「ええ、まあ。下りですし」
「ちょっと待てじいさん。言いたいことはそれだけか?」

 事を急くじいさんの言動に、俺は素直な疑問をぶつけた。

「ふむ、何を言いたい?」
「とぼけるなよ。俺がここに来て四年間で、一度だってじいさんに手紙が届いたことなんてないだろ。その返事をするにしても、わざわざ大金を使ってまで俺を遣るのは変だ。単なる挨拶でそこまで手の込んだことはしないし、非礼がどうのという話は分からないでもないけど、それならじいさん自身が行けばいい。俺が行くよりよっぽど早く着くだろ」
「………………」

 じいさんは小さく笑いながら、俺の言葉の続きを待った。俺はじいさんの答えを予想しながらも、正面から尋ねる。

「じいさん、答えてくれ。俺に何をさせようとしているんだ?」
「ふぉっふぉ。そこまで分かっているのなら、わしが答えるまでもあるまい」

 じいさんは深刻そうにするでもなく、至っていつもの表情で俺に言い放った。

「ただの旅行じゃ。精々死なぬように頑張ってこい」
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