2 / 139
1. 出会い
山の中の出会い
しおりを挟む
体力には自信のある私でも辛い山道だった。早朝の澄んだ空気は爽やかで、肺の中にすっと入っていく。
「こんなところに、本当に人なんて住んでいるのかしら?」
息を切らしつつぼやく。目の前には、人が通った痕跡なんてまるで感じられないけもの道が続いていた。
近くに生えている立派な樹にナイフで傷をつける。ここに既に誰かが傷をつけた跡でもあれば希望を抱けるのに。
「けど、わざわざ学院長先生が言ってくれたんだし……」
学院長先生から預かった地図を開く。先生が私を騙す理由なんてないはずだから、もし目的地に誰もいなかったとしたら、それは私が道を間違えたということになる。けれど何度地図を見ても、私が正しい道を進んでいることを教えてくれるだけだ。
まさか、学院長先生まで、私を?
ありえない。普段ならそう確信できる疑念も、疲れからかむくむくと大きくなってくる。
そういえば先生は、地図はなるべく他人に見せるなって言ってた。できるだけ一人で向かえとも。これも依頼ということなので、その通りにしてきた私は今、独りきりだ。
もしここが魔物の棲む山だったとしたら?
全く人が入った形跡がなかったし、助けが来ることはないだろう。そこまで考えて、私の背筋がぶるっと震えた。
「……そんなわけ、ないわ」
頭を振って恐怖を振り払う。もうここまで来てしまったんだ。せめて目的地にまではたどり着こう。考えるのはそれからでも遅くはないはずだ。魔物が出たら倒せばいい。
不安を胸に、足を進めようとした時だった。どこからか人の声が届いた。
反射的にそちらを向く。立ち並ぶ木々のせいで遠くまでは見通せないけれど、確かに人の声がする。二人で話し合っているようだった。
まさか、本当に人がいるなんて。驚きと期待を抱きつつ、早足で声のした方に向かう。
「今日こそは一本とるぞ、じいさん!」
「ふぉっふぉ、精々頑張るのじゃな」
なんとなく忍び足で向かった先には、開けた空間があった。木の陰に身を隠しながら様子を窺うと、どうやら組手か何かをする直前みたいだった。
意気込んでいるのは、黒髪黒目、服も黒といった全身黒づくめの青年だ。私と同い年くらいだろうか。こんな山の中だというのに裸足で立っている。
対して、じいさんと呼ばれていたのは六歳児くらいの少年だ。こちらは髪も目も服も肌も白い、青年とは対照的な白づくめの外見だった。青年の肌も色は薄いけど、少年は真っ白だ。かといって病弱な感じはせず、どこか神秘的な雰囲気を漂わせていた。
『すまぬが、静かに待っていてくれぬか』
突然、耳元で高い声がした。上げかけた悲鳴を何とか抑えて目をやると、白い光球が宙に浮いている。
……あの少年の魔法、みたいね。目も合っていないのに、どうして私がいることに気づけたんだろう? そもそもどうやって魔法を?
『すぐに終わるからの』
疑問に答えが出ない内にそう声が続いて、魔法は消失した。淡い光が空気に溶けるように消えていく。
私は改めて二人を覗き見る。半身で構える真剣な表情をした青年に対し、少年は自然体のまま、目を細め微笑んでいる。
「ほれ、いつでもかかってこい」
少年が両手を打つ。パアン、という音が鳴り響いた。
その音を合図に、青年は少年に向かって突進した。速い。私がその瞬発力に驚いている間に両者の距離は縮まり、青年は強く踏み込んでから右拳の突きを放った。
「真っすぐすぎるのぉ」
しかし少年は突きが放たれる寸前、大きな予備動作もなしで高く飛び上がって攻撃をかわしながら、青年の顔面を狙って蹴りを放つ。
「じいさんに小細工は通じないだろ!」
青年はその蹴りを左腕で受けつつ、右手を引き戻す。少年は蹴りの反動からか、青年から離れるように宙を舞う。
「もらった!」
空中では動きがとれないと見たのか、青年は少年が着地する前に近づいた。そして左拳を少年に――
「甘い」
「えっ」
何が起きたか分からなかった。動けない少年を狙った青年の左拳。その手首がつかまれたかと思ったら、一瞬で青年の左腕が極められた。
「ほい。これでお主の左腕は使い物にならなくなったぞ」
腕ひしぎのように左腕に絡みついた少年が言うと同時、青年が苦悶の表情を浮かべる。
信じられない。いくら小さいとはいっても、あの短時間、それも空中であの形を取るだなんて。私は少年の姿に蛇を重ねた。
勝敗は明らかだった。少年は地上に降り、青年は力なくうなだれた。
『待たせたのう。ところで、よければこやつの背後から近づいて驚かせてはくれぬか?』
またいつの間にやら隣にある光球から、そんなお願いをされる。見ると少年が降りた場所は、私から見て青年の先だ。青年は今私に背中を向けており、その体で半分隠れた少年が、いたずらっ子のような目でこちらを見ていた。
後ろからおどかす? どうして?
よくわからないけど声をかけるくらいならいいだろう。私はそろりそろりと青年に近づいていく。
「ほれほれ、敗者は潔く敗北宣言をするものじゃよ」
「ぐうっ、わ、分かってるよ!」
青年まであと数歩というところだった。青年が突然背中から倒れ、その顔が私のスカートの下に隠れる。
「俺は負けました。どうぞ踏むなり蹴るなり……え?」
慌ててスカートを押さえて一歩退いた。現れた幼さを残す顔。その目はうっすらと開かれていて――
「きゃああああ!」
「いたぁ!」
私は悲鳴を上げると、その頭をおもいっきり蹴ったのだった。
◇ ◇ ◇
「先ほどは失礼しました」
じいさんと二人で住んでいる家の居間にて、俺とじいさんに向かい合うように座った女の子が、無表情のまま深々と頭を下げた。じいさん並みとはいわないまでも白い肌と、銀色の長い髪が目を惹く女の子だ。仕立ての良さそうな緑の服の胸部には何かしらの紋章が縫い付けられていて、彼女がどこかに所属していることを示しているようだ。
女の子にならい、俺も改めて謝罪する。
「いや、こちらこそ悪かった」
「お嬢さんが謝る必要はないぞ。全てはこやつの責任じゃ」
いけしゃあしゃあとしているじいさんを横目で睨む。
「じいさん。この子がいたことを知ってたのにわざと俺をたきつけたろ」
「はて、なんのことじゃか」
「とぼけんな!」
「あの、ところでこちらに、アマカミ・ビャクヤという方はいますか?」
言いたいことはまだまだあったけど、女の子がここに来た要件を切り出してきたのを察し、渋々矛を収める。
「ふむ、それはわしのことじゃが、お嬢さん、どこでその名前を?」
「申し遅れました。私はシルファ・クレシェンと申します。グリマール魔法学院の高等部に所属しています」
「グリマール魔法学院、か。なるほどのう」
その名前だけで、じいさんは納得したらしかった。
「ていうか、じいさんってそんな名前だったのか?」
「そうじゃよ。わしに勝てたら教えてやるという約束じゃったのに、残念じゃったなぁ」
「ぐぬぬ……」
今まで一度も勝てていないという苦い現実を嬉々として突き付けるじいさんに跳びかかりたい衝動に駆られるも、初めての客人の前ということもあって我慢する。けれどいつか絶対に仕返ししてやる。
「ところで、あなたは?」
「ああ。俺はユートだ。よろしくな」
「アマカミ・ユート?」
「いや、姓はない。ただのユートだ」
「アマカミを名乗れるのは、わしに勝てた者だけなのじゃよ。ユートはまだたったの一度もわしに勝てたことがないからのう」
ふぉっふぉと笑うじいさん。そろそろ我慢の限界だからこれ以上挑発するのはやめてほしい。
「さて、話を戻すかの。わざわざこんな僻地まできたのじゃ。それ相応の要件があるのじゃろ?」
「はい。この地に住まうというアマカミ・ビャクヤさんへと書状をお渡しするよう、学院長先生から頼まれています。どうぞこちらを」
女の子、シルファは肩からかけた鞄から手紙を取り出すと、丁寧に手渡した。じいさんはそれを無造作に破いて開ける。
「開け方雑すぎないか?」
「この方が早いからの。ふむ」
じいさんは早速四つおりになった紙を広げた。
「……なるほどのう。お嬢さん、わざわざ届けてくれてありがとう」
「いえ、これも依頼ですので。それではこれで」
「まあ待つのじゃ。今返事を書くのでな」
じいさんはどこから取り出したのか、小さな筆と何枚かの紙を持つと、そこに何かを書き加えていく。シルファはその筆の速さに驚いたのか、少し目を大きくした。
暫くもしないうちに手紙を書き終えたじいさんは、それを畳むと、なぜか俺に差し出してきた。
「じいさん、どうして俺に渡そうとしてんだ?」
「何を言っておる。お主が届けるからに決まっておろう」
「ええっ!?」
どうして俺がそんなことをしなくちゃならないんだ? シルファに渡せば済む話じゃないか。
「当たり前じゃろう。相手が人を遣ってまで届けてくれた手紙の返事なのじゃ。こちらも同様に人を遣らねば無礼ではないか」
「そういうものなのか?」
「そういうものなのじゃ」
うーん。いまいち納得できないけれど、じいさんがそこまで言うならそういうことにしておこう。俺は無言で手紙を受け取った。
「あの、私に預けて頂いても構いませんよ? こちらで何か頼まれることもあるだろうとは聞かされておりますので」
「いいや、魔法もろくに使えないような不出来な弟子なのでな。このくらいの仕事くらいはこなしてもらわんと困る」
「………………」
魔法を使って攻撃してやろうかとも思ったけれど、おちょくってるわけじゃない真剣な声音だったのでやめておいた。
そう、俺は魔法を上手く使えない。精々基本的な、小規模の魔法を扱える程度だ。いくら訓練しても、じいさんが見せてくれるような大きな魔法は使えるようにはならなかった。
けれどそれも今のうちだけだ。きっと近いうちに俺だって大きな魔法を使えるようになれるはず。そしていつか、最強の魔法使いになるんだ!
「というわけでお嬢さん、申し訳ないが道案内を頼まれてくれんかのう? こやつは世間知らずということもあってな。一人で行かせるのは不安なのじゃ」
「分かりました。ですが護衛までは請け負えませんよ?」
「その心配はいらぬよ。道案内だけしてくれればよい。それと、この案内はわしからの正式な依頼じゃからの。先に報酬を払っておこう」
そう言ってじいさんは懐から布袋を取り出した。中からジャラジャラと音がするそれを受け取ったシルファは、中を覗いて目を開く。
「こんなに、ですか?」
「うむ。学院に行くまでの路銀も込みでな。これはユートの分じゃ」
じいさんはまた懐から袋を取り出すと俺に手渡す。かなりの重さがあった。山の中で野宿を強いることもあるじいさんなのに、珍しいどころじゃない。
ああ、そういうことか。俺は前にお金をもらった時の記憶を思い出して、ようやく納得した。
「帰りの分のお金も、既に学院から頂いているのですが」
「それならそれでよいではないか。報酬として丸々受け取ると良い」
「いえ、学院の許可なくこういったことは……」
「何か頼まれると聞かされておるのじゃろう? ならばこれも頼みの一環じゃて」
「…………分かりました」
「請け負ってくれるのじゃな? ありがとうのう」
困惑しつつも頭を下げるシルファに、じいさんは目を細めた。
「さて、善は急げじゃ。幸いまだ日は高くない。お嬢さんには来たばかりで悪いが、すぐにでも発ってもらいたい。それでも構わぬか?」
「ええ、まあ。下りですし」
「ちょっと待てじいさん。言いたいことはそれだけか?」
事を急くじいさんの言動に、俺は素直な疑問をぶつけた。
「ふむ、何を言いたい?」
「とぼけるなよ。俺がここに来て四年間で、一度だってじいさんに手紙が届いたことなんてないだろ。その返事をするにしても、わざわざ大金を使ってまで俺を遣るのは変だ。単なる挨拶でそこまで手の込んだことはしないし、非礼がどうのという話は分からないでもないけど、それならじいさん自身が行けばいい。俺が行くよりよっぽど早く着くだろ」
「………………」
じいさんは小さく笑いながら、俺の言葉の続きを待った。俺はじいさんの答えを予想しながらも、正面から尋ねる。
「じいさん、答えてくれ。俺に何をさせようとしているんだ?」
「ふぉっふぉ。そこまで分かっているのなら、わしが答えるまでもあるまい」
じいさんは深刻そうにするでもなく、至っていつもの表情で俺に言い放った。
「ただの旅行じゃ。精々死なぬように頑張ってこい」
「こんなところに、本当に人なんて住んでいるのかしら?」
息を切らしつつぼやく。目の前には、人が通った痕跡なんてまるで感じられないけもの道が続いていた。
近くに生えている立派な樹にナイフで傷をつける。ここに既に誰かが傷をつけた跡でもあれば希望を抱けるのに。
「けど、わざわざ学院長先生が言ってくれたんだし……」
学院長先生から預かった地図を開く。先生が私を騙す理由なんてないはずだから、もし目的地に誰もいなかったとしたら、それは私が道を間違えたということになる。けれど何度地図を見ても、私が正しい道を進んでいることを教えてくれるだけだ。
まさか、学院長先生まで、私を?
ありえない。普段ならそう確信できる疑念も、疲れからかむくむくと大きくなってくる。
そういえば先生は、地図はなるべく他人に見せるなって言ってた。できるだけ一人で向かえとも。これも依頼ということなので、その通りにしてきた私は今、独りきりだ。
もしここが魔物の棲む山だったとしたら?
全く人が入った形跡がなかったし、助けが来ることはないだろう。そこまで考えて、私の背筋がぶるっと震えた。
「……そんなわけ、ないわ」
頭を振って恐怖を振り払う。もうここまで来てしまったんだ。せめて目的地にまではたどり着こう。考えるのはそれからでも遅くはないはずだ。魔物が出たら倒せばいい。
不安を胸に、足を進めようとした時だった。どこからか人の声が届いた。
反射的にそちらを向く。立ち並ぶ木々のせいで遠くまでは見通せないけれど、確かに人の声がする。二人で話し合っているようだった。
まさか、本当に人がいるなんて。驚きと期待を抱きつつ、早足で声のした方に向かう。
「今日こそは一本とるぞ、じいさん!」
「ふぉっふぉ、精々頑張るのじゃな」
なんとなく忍び足で向かった先には、開けた空間があった。木の陰に身を隠しながら様子を窺うと、どうやら組手か何かをする直前みたいだった。
意気込んでいるのは、黒髪黒目、服も黒といった全身黒づくめの青年だ。私と同い年くらいだろうか。こんな山の中だというのに裸足で立っている。
対して、じいさんと呼ばれていたのは六歳児くらいの少年だ。こちらは髪も目も服も肌も白い、青年とは対照的な白づくめの外見だった。青年の肌も色は薄いけど、少年は真っ白だ。かといって病弱な感じはせず、どこか神秘的な雰囲気を漂わせていた。
『すまぬが、静かに待っていてくれぬか』
突然、耳元で高い声がした。上げかけた悲鳴を何とか抑えて目をやると、白い光球が宙に浮いている。
……あの少年の魔法、みたいね。目も合っていないのに、どうして私がいることに気づけたんだろう? そもそもどうやって魔法を?
『すぐに終わるからの』
疑問に答えが出ない内にそう声が続いて、魔法は消失した。淡い光が空気に溶けるように消えていく。
私は改めて二人を覗き見る。半身で構える真剣な表情をした青年に対し、少年は自然体のまま、目を細め微笑んでいる。
「ほれ、いつでもかかってこい」
少年が両手を打つ。パアン、という音が鳴り響いた。
その音を合図に、青年は少年に向かって突進した。速い。私がその瞬発力に驚いている間に両者の距離は縮まり、青年は強く踏み込んでから右拳の突きを放った。
「真っすぐすぎるのぉ」
しかし少年は突きが放たれる寸前、大きな予備動作もなしで高く飛び上がって攻撃をかわしながら、青年の顔面を狙って蹴りを放つ。
「じいさんに小細工は通じないだろ!」
青年はその蹴りを左腕で受けつつ、右手を引き戻す。少年は蹴りの反動からか、青年から離れるように宙を舞う。
「もらった!」
空中では動きがとれないと見たのか、青年は少年が着地する前に近づいた。そして左拳を少年に――
「甘い」
「えっ」
何が起きたか分からなかった。動けない少年を狙った青年の左拳。その手首がつかまれたかと思ったら、一瞬で青年の左腕が極められた。
「ほい。これでお主の左腕は使い物にならなくなったぞ」
腕ひしぎのように左腕に絡みついた少年が言うと同時、青年が苦悶の表情を浮かべる。
信じられない。いくら小さいとはいっても、あの短時間、それも空中であの形を取るだなんて。私は少年の姿に蛇を重ねた。
勝敗は明らかだった。少年は地上に降り、青年は力なくうなだれた。
『待たせたのう。ところで、よければこやつの背後から近づいて驚かせてはくれぬか?』
またいつの間にやら隣にある光球から、そんなお願いをされる。見ると少年が降りた場所は、私から見て青年の先だ。青年は今私に背中を向けており、その体で半分隠れた少年が、いたずらっ子のような目でこちらを見ていた。
後ろからおどかす? どうして?
よくわからないけど声をかけるくらいならいいだろう。私はそろりそろりと青年に近づいていく。
「ほれほれ、敗者は潔く敗北宣言をするものじゃよ」
「ぐうっ、わ、分かってるよ!」
青年まであと数歩というところだった。青年が突然背中から倒れ、その顔が私のスカートの下に隠れる。
「俺は負けました。どうぞ踏むなり蹴るなり……え?」
慌ててスカートを押さえて一歩退いた。現れた幼さを残す顔。その目はうっすらと開かれていて――
「きゃああああ!」
「いたぁ!」
私は悲鳴を上げると、その頭をおもいっきり蹴ったのだった。
◇ ◇ ◇
「先ほどは失礼しました」
じいさんと二人で住んでいる家の居間にて、俺とじいさんに向かい合うように座った女の子が、無表情のまま深々と頭を下げた。じいさん並みとはいわないまでも白い肌と、銀色の長い髪が目を惹く女の子だ。仕立ての良さそうな緑の服の胸部には何かしらの紋章が縫い付けられていて、彼女がどこかに所属していることを示しているようだ。
女の子にならい、俺も改めて謝罪する。
「いや、こちらこそ悪かった」
「お嬢さんが謝る必要はないぞ。全てはこやつの責任じゃ」
いけしゃあしゃあとしているじいさんを横目で睨む。
「じいさん。この子がいたことを知ってたのにわざと俺をたきつけたろ」
「はて、なんのことじゃか」
「とぼけんな!」
「あの、ところでこちらに、アマカミ・ビャクヤという方はいますか?」
言いたいことはまだまだあったけど、女の子がここに来た要件を切り出してきたのを察し、渋々矛を収める。
「ふむ、それはわしのことじゃが、お嬢さん、どこでその名前を?」
「申し遅れました。私はシルファ・クレシェンと申します。グリマール魔法学院の高等部に所属しています」
「グリマール魔法学院、か。なるほどのう」
その名前だけで、じいさんは納得したらしかった。
「ていうか、じいさんってそんな名前だったのか?」
「そうじゃよ。わしに勝てたら教えてやるという約束じゃったのに、残念じゃったなぁ」
「ぐぬぬ……」
今まで一度も勝てていないという苦い現実を嬉々として突き付けるじいさんに跳びかかりたい衝動に駆られるも、初めての客人の前ということもあって我慢する。けれどいつか絶対に仕返ししてやる。
「ところで、あなたは?」
「ああ。俺はユートだ。よろしくな」
「アマカミ・ユート?」
「いや、姓はない。ただのユートだ」
「アマカミを名乗れるのは、わしに勝てた者だけなのじゃよ。ユートはまだたったの一度もわしに勝てたことがないからのう」
ふぉっふぉと笑うじいさん。そろそろ我慢の限界だからこれ以上挑発するのはやめてほしい。
「さて、話を戻すかの。わざわざこんな僻地まできたのじゃ。それ相応の要件があるのじゃろ?」
「はい。この地に住まうというアマカミ・ビャクヤさんへと書状をお渡しするよう、学院長先生から頼まれています。どうぞこちらを」
女の子、シルファは肩からかけた鞄から手紙を取り出すと、丁寧に手渡した。じいさんはそれを無造作に破いて開ける。
「開け方雑すぎないか?」
「この方が早いからの。ふむ」
じいさんは早速四つおりになった紙を広げた。
「……なるほどのう。お嬢さん、わざわざ届けてくれてありがとう」
「いえ、これも依頼ですので。それではこれで」
「まあ待つのじゃ。今返事を書くのでな」
じいさんはどこから取り出したのか、小さな筆と何枚かの紙を持つと、そこに何かを書き加えていく。シルファはその筆の速さに驚いたのか、少し目を大きくした。
暫くもしないうちに手紙を書き終えたじいさんは、それを畳むと、なぜか俺に差し出してきた。
「じいさん、どうして俺に渡そうとしてんだ?」
「何を言っておる。お主が届けるからに決まっておろう」
「ええっ!?」
どうして俺がそんなことをしなくちゃならないんだ? シルファに渡せば済む話じゃないか。
「当たり前じゃろう。相手が人を遣ってまで届けてくれた手紙の返事なのじゃ。こちらも同様に人を遣らねば無礼ではないか」
「そういうものなのか?」
「そういうものなのじゃ」
うーん。いまいち納得できないけれど、じいさんがそこまで言うならそういうことにしておこう。俺は無言で手紙を受け取った。
「あの、私に預けて頂いても構いませんよ? こちらで何か頼まれることもあるだろうとは聞かされておりますので」
「いいや、魔法もろくに使えないような不出来な弟子なのでな。このくらいの仕事くらいはこなしてもらわんと困る」
「………………」
魔法を使って攻撃してやろうかとも思ったけれど、おちょくってるわけじゃない真剣な声音だったのでやめておいた。
そう、俺は魔法を上手く使えない。精々基本的な、小規模の魔法を扱える程度だ。いくら訓練しても、じいさんが見せてくれるような大きな魔法は使えるようにはならなかった。
けれどそれも今のうちだけだ。きっと近いうちに俺だって大きな魔法を使えるようになれるはず。そしていつか、最強の魔法使いになるんだ!
「というわけでお嬢さん、申し訳ないが道案内を頼まれてくれんかのう? こやつは世間知らずということもあってな。一人で行かせるのは不安なのじゃ」
「分かりました。ですが護衛までは請け負えませんよ?」
「その心配はいらぬよ。道案内だけしてくれればよい。それと、この案内はわしからの正式な依頼じゃからの。先に報酬を払っておこう」
そう言ってじいさんは懐から布袋を取り出した。中からジャラジャラと音がするそれを受け取ったシルファは、中を覗いて目を開く。
「こんなに、ですか?」
「うむ。学院に行くまでの路銀も込みでな。これはユートの分じゃ」
じいさんはまた懐から袋を取り出すと俺に手渡す。かなりの重さがあった。山の中で野宿を強いることもあるじいさんなのに、珍しいどころじゃない。
ああ、そういうことか。俺は前にお金をもらった時の記憶を思い出して、ようやく納得した。
「帰りの分のお金も、既に学院から頂いているのですが」
「それならそれでよいではないか。報酬として丸々受け取ると良い」
「いえ、学院の許可なくこういったことは……」
「何か頼まれると聞かされておるのじゃろう? ならばこれも頼みの一環じゃて」
「…………分かりました」
「請け負ってくれるのじゃな? ありがとうのう」
困惑しつつも頭を下げるシルファに、じいさんは目を細めた。
「さて、善は急げじゃ。幸いまだ日は高くない。お嬢さんには来たばかりで悪いが、すぐにでも発ってもらいたい。それでも構わぬか?」
「ええ、まあ。下りですし」
「ちょっと待てじいさん。言いたいことはそれだけか?」
事を急くじいさんの言動に、俺は素直な疑問をぶつけた。
「ふむ、何を言いたい?」
「とぼけるなよ。俺がここに来て四年間で、一度だってじいさんに手紙が届いたことなんてないだろ。その返事をするにしても、わざわざ大金を使ってまで俺を遣るのは変だ。単なる挨拶でそこまで手の込んだことはしないし、非礼がどうのという話は分からないでもないけど、それならじいさん自身が行けばいい。俺が行くよりよっぽど早く着くだろ」
「………………」
じいさんは小さく笑いながら、俺の言葉の続きを待った。俺はじいさんの答えを予想しながらも、正面から尋ねる。
「じいさん、答えてくれ。俺に何をさせようとしているんだ?」
「ふぉっふぉ。そこまで分かっているのなら、わしが答えるまでもあるまい」
じいさんは深刻そうにするでもなく、至っていつもの表情で俺に言い放った。
「ただの旅行じゃ。精々死なぬように頑張ってこい」
0
お気に入りに追加
215
あなたにおすすめの小説
夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました
氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。
ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。
小説家になろう様にも掲載中です
好きでした、さようなら
豆狸
恋愛
「……すまない」
初夜の床で、彼は言いました。
「君ではない。私が欲しかった辺境伯令嬢のアンリエット殿は君ではなかったんだ」
悲しげに俯く姿を見て、私の心は二度目の死を迎えたのです。
なろう様でも公開中です。
【完結】選ばれなかった王女は、手紙を残して消えることにした。
曽根原ツタ
恋愛
「お姉様、私はヴィンス様と愛し合っているの。だから邪魔者は――消えてくれない?」
「分かったわ」
「えっ……」
男が生まれない王家の第一王女ノルティマは、次の女王になるべく全てを犠牲にして教育を受けていた。
毎日奴隷のように働かされた挙句、将来王配として彼女を支えるはずだった婚約者ヴィンスは──妹と想いあっていた。
裏切りを知ったノルティマは、手紙を残して王宮を去ることに。
何もかも諦めて、崖から湖に飛び降りたとき──救いの手を差し伸べる男が現れて……?
★小説家になろう様で先行更新中
婚約者に消えろと言われたので湖に飛び込んだら、気づけば三年が経っていました。
束原ミヤコ
恋愛
公爵令嬢シャロンは、王太子オリバーの婚約者に選ばれてから、厳しい王妃教育に耐えていた。
だが、十六歳になり貴族学園に入学すると、オリバーはすでに子爵令嬢エミリアと浮気をしていた。
そしてある冬のこと。オリバーに「私の為に消えろ」というような意味のことを告げられる。
全てを諦めたシャロンは、精霊の湖と呼ばれている学園の裏庭にある湖に飛び込んだ。
気づくと、見知らぬ場所に寝かされていた。
そこにはかつて、病弱で体の小さかった辺境伯家の息子アダムがいた。
すっかり立派になったアダムは「あれから三年、君は目覚めなかった」と言った――。
挙式後すぐに離婚届を手渡された私は、この結婚は予め捨てられることが確定していた事実を知らされました
結城芙由奈
恋愛
【結婚した日に、「君にこれを預けておく」と離婚届を手渡されました】
今日、私は子供の頃からずっと大好きだった人と結婚した。しかし、式の後に絶望的な事を彼に言われた。
「ごめん、本当は君とは結婚したくなかったんだ。これを預けておくから、その気になったら提出してくれ」
そう言って手渡されたのは何と離婚届けだった。
そしてどこまでも冷たい態度の夫の行動に傷つけられていく私。
けれどその裏には私の知らない、ある深い事情が隠されていた。
その真意を知った時、私は―。
※暫く鬱展開が続きます
※他サイトでも投稿中
初夜に「俺がお前を抱く事は無い!」と叫んだら長年の婚約者だった新妻に「気持ち悪い」と言われた上に父にも予想外の事を言われた男とその浮気女の話
ラララキヲ
恋愛
長年の婚約者を欺いて平民女と浮気していた侯爵家長男。3年後の白い結婚での離婚を浮気女に約束して、新妻の寝室へと向かう。
初夜に「俺がお前を抱く事は無い!」と愛する夫から宣言された無様な女を嘲笑う為だけに。
しかし寝室に居た妻は……
希望通りの白い結婚と愛人との未来輝く生活の筈が……全てを周りに知られていた上に自分の父親である侯爵家当主から言われた言葉は──
一人の女性を蹴落として掴んだ彼らの未来は……──
<【ざまぁ編】【イリーナ編】【コザック第二の人生編(ザマァ有)】となりました>
◇テンプレ浮気クソ男女。
◇軽い触れ合い表現があるのでR15に
◇ふんわり世界観。ゆるふわ設定。
◇ご都合展開。矛盾は察して下さい…
◇なろうにも上げてます。
※HOTランキング入り(1位)!?[恋愛::3位]ありがとうございます!恐縮です!期待に添えればよいのですがッ!!(;><)
僕の家族は母様と母様の子供の弟妹達と使い魔達だけだよ?
闇夜の現し人(ヤミヨノウツシビト)
ファンタジー
ー 母さんは、「絶世の美女」と呼ばれるほど美しく、国の中で最も権力の強い貴族と呼ばれる公爵様の寵姫だった。
しかし、それをよく思わない正妻やその親戚たちに毒を盛られてしまった。
幸い発熱だけですんだがお腹に子が出来てしまった以上ここにいては危険だと判断し、仲の良かった侍女数名に「ここを離れる」と言い残し公爵家を後にした。
お母さん大好きっ子な主人公は、毒を盛られるという失態をおかした父親や毒を盛った親戚たちを嫌悪するがお母さんが日々、「家族で暮らしたい」と話していたため、ある出来事をきっかけに一緒に暮らし始めた。
しかし、自分が家族だと認めた者がいれば初めて見た者は跪くと言われる程の華の顔(カンバセ)を綻ばせ笑うが、家族がいなければ心底どうでもいいというような表情をしていて、人形の方がまだ表情があると言われていた。
『無能で無価値の稚拙な愚父共が僕の家族を名乗る資格なんて無いんだよ?』
さぁ、ここに超絶チートを持つ自分が認めた家族以外の生き物全てを嫌う主人公の物語が始まる。
〈念の為〉
稚拙→ちせつ
愚父→ぐふ
⚠︎注意⚠︎
不定期更新です。作者の妄想をつぎ込んだ作品です。
いじめられ続けた挙げ句、三回も婚約破棄された悪役令嬢は微笑みながら言った「女神の顔も三度まで」と
鳳ナナ
恋愛
伯爵令嬢アムネジアはいじめられていた。
令嬢から。子息から。婚約者の王子から。
それでも彼女はただ微笑を浮かべて、一切の抵抗をしなかった。
そんなある日、三回目の婚約破棄を宣言されたアムネジアは、閉じていた目を見開いて言った。
「――女神の顔も三度まで、という言葉をご存知ですか?」
その言葉を皮切りに、ついにアムネジアは本性を現し、夜会は女達の修羅場と化した。
「ああ、気持ち悪い」
「お黙りなさい! この泥棒猫が!」
「言いましたよね? 助けてやる代わりに、友達料金を払えって」
飛び交う罵倒に乱れ飛ぶワイングラス。
謀略渦巻く宮廷の中で、咲き誇るは一輪の悪の華。
――出てくる令嬢、全員悪人。
※小説家になろう様でも掲載しております。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる