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音楽の力
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「課長。大山先生が見えてます」
杉下課長は、職員に言われ、応えた。
「またか。あの爺さん、3日に1回は文句を言いに来るじゃないか」
職員は、自分にそう言われても困る、と言わんばかりに肩をすくめた。
「お通ししてよろしいですね」
「ああ、通してくれ」
そう言うと、杉下は、応接カウンターの椅子に座り、嘆息した。
間もなく、ドアの向こうから大山が現れた。80代半ばながら、矍鑠(かくしゃく)としており、しっかりとした足取りで、その小柄な身体を応接カウンターまで運んできた、彼の目はつり上がっていた。杉下は、その顔を見るなり、今日もろくな用事では無さそうだ、と心の中で呟いた。
「一体、どういうことだ!」
いつものことだ、と杉下は思った。何の用件かを説明する前に、怒声を飛ばす。話し合いに来たのか、脅しに来たのか。まったく、老人というのは、まともに話し合いをする能力を失ってしまうものなのか。
杉下は、努めて冷静に、微笑を浮かべながら、言った。
「本日は、どうなさいましたか?」
大山は、拳でカウンターを、どん、と叩き、唾を飛ばしながら喚いた。
「どうもこうもない! 先日、うちの家内が、買い物に行く途中に、わしの曲を口ずさんだら、おたくら NISRAC の係員から、楽曲使用料の請求をされたんだ!」
「それが何か?」
「道端で口ずさんだだけだ! なんで使用料を払わなきゃならんのだ!」
やれやれ。この老人は、今になっても、新しい時代に順応できないらしい。杉下は、わざと丁寧な口調で説明した。
「良いですか、先生。音楽を口ずさんだら、気分が良くなるでしょう? であれば、その対価を支払うのは当然のことだと思いますが」
「わしの曲だぞ! それに口ずさんだのは、家内だ!」
「しかし、先生の曲は全て、私達 NISRAC の管理下にあります。例え、先生ご本人が歌った場合でも、使用料は徴収いたします」
「お前らの頭は、イカれている!」
「我々は、音楽を保護しているだけでございます」
まだ言い足りなそうにしながらも、大山は帰っていった。
「課長。お疲れ様でした」
職員から、労いの言葉をかけられ、杉下は振り返った。
「ああ。あの世代の老人は、勘違いも甚だしくて困る。無料で、音楽を口ずさもうなんて。皺が増えた分、面の皮がたるんで厚くなってるのかね」
「まったくです。音楽の価値を、低く見過ぎですよね」
杉下は、腕時計を一瞥した。
「15時か。会議の時間だ」
会議室には、既に各課の課長が首を揃えていた。
「すみません。クレーマーの対応で、少し遅れました」
「CS(カスタマーサポート)課は大変ですな」
サイバー課長が声をかけてきた。
「いえいえ。これも音楽のためですから」
会議が始まると、各課の課長が順繰りに進捗の報告を行った。
「監聴課では、超高性能マイクを、舗装路のみでなく、獣道や野原、渓谷部にも設置していきます。これらの作業は、現状、63パーセントの進捗率です。予定通り、今年中には100パーセントを達成できる見込みです。これにより、都市部の監聴を逃れて、自然の中で無断歌唱をしようという犯罪者集団に、壊滅的な打撃を与えられるものと思われます」
「すばらしい」
誰からともなく、賛嘆の声があがった。
「サイバー課では、新しいソフトを開発しました。このソフトを一度起動すれば、各家庭のパソコンがマイク代わりとなり、屋内での無料歌唱を検知することができます。従来、困難とされていた、一般家庭内での無断歌唱の摘発に、絶大な効果をあげるものと思われます。AI が搭載されており、無断歌唱を検知すると、自動で該当のパソコンからアラーム音を発し、モニターに使用料の督促メッセージを表示できます。数日中には、実行に移す予定です」
「そこまでやると、プライバシーの保護がどうとかいう連中が、うるさくないですか?」
杉下が懸念の声をあげた。サイバー課長が応える。
「個人のプライバシーなどというものを盾に、音楽の権利が蹂躙されるほうが問題です。文句を付けてくる輩が居たら、強行課と連携して、口を利けなくしてやりますよ」
「すばらしい」
再び、誰からともなく、賛嘆の声があがった。
「強行課では、音楽使用料の支払いを拒否した72名中、71名からの徴収が完了しております。たった1名、24歳の男性が頑として支払いを拒否しており、先ほど徴収室に連行し、片方の鼓膜を破ったところです。もう片方の鼓膜も破ると脅せば、支払うのは時間の問題かと思われます」
「すばらしい」
三度、誰からともなく、賛嘆の声があがった。
「CS課は、電話でのクレーム対応が600件余り有りましたが、大きな問題にはなっておりません。あ、先ほど、大山先生が、直接対面で抗議にいらっしゃいましたが」
監聴課が聞いた。
「大山先生はなんと?」
「奥様が、道端でつい、先生の歌を口ずさんだところ、使用料の請求が来た、と」
「当然のことじゃないか」
「はい。そうなのです。大山先生は、半年前に施行された、音楽保護法に、まだ順応できていないようで」
音楽保護法。それは、音楽の権利を徹底的に守る法律であり、いかなる場合においても、無料で音楽を楽しむ、または使用することを禁止するものである。これにより、クラシックも含めて、日本で耳にすることができる全ての音楽は、保護の対象となった。この法律の施行は、NISRAC の永年の悲願であった。
その法律名を聞いた途端、会議室はざわめきだし、各課長は思い思いに喋り始めた。
「音楽保護法が施行される前は、町中に音楽が溢れ、道行く人は気軽に歌を歌っていた。あれは暗黒時代だ」
「喫茶店に入ると、マスターがお気に入りの CD を流し、勝手に店の BGM にしていたこともある。考えただけで血尿が出そうだ」
「音楽家が命をかけて作った作品を、金も才能も無い凡人どもが、気軽に口ずさむこと自体、許されることじゃないんだ。まったく、音楽をなんだと思っているのか」
1週間後。
「課長。大山先生が、また、お見えです」
「1週間ぶりだと、久しぶりに感じてしまうな」
本気だか冗談だか分からない、軽口を叩きながら、杉下は、応接カウンターに腰掛けた。
間もなく、ドアが開いて、大山が怒鳴り込んできた。
「一体、どういうことだ!」
また、これだ。杉下はうんざりした。開口一番に、このセリフを吐くことで、望む返答を得られると本気で思っているのなら、救いようの無いバカだ。そう思いながら、杉下は、笑顔で応えた。
「本日は、どうなさいましたか?」
大山は、両の拳でカウンターを、どんどん、と叩き、唾を飛ばしながら喚いた。
「家のパソコンに、突然、使用料を払えというメッセージが表示されたんだ! どうなっているんだ!」
「それは、大山先生が、ご自宅で、何かを口ずさんだか、演奏なさったからではないですか? 音楽を使用したのであれば、使用料を支払うのは当然のことでしょう」
「貴様らは、家の中まで盗聴しているのか!」
「盗聴だなどと、人聞きの悪いことをおっしゃらないでください。我々は、音楽を無断で使用しようとする犯罪と戦っているだけです」
「わしが、わしの作った歌を口ずさむのが犯罪か!」
「無断であるなら、そうなりますね」
「貴様、本気でそう思っているのか」
「先生。何か、勘違いされてるんじゃありませんか? 音楽というのはね、生み出された瞬間に、一つの作品として命を持つのですよ。曲は決して、作曲家のものではないです。子どもが、親のものではないのと同じことです。自分の曲だから、自分の好きにして良いという考えは、親が、自分の子どもの人生を好きにして良いというのと同じです。随分、傲慢だとは思いませんか?」
「本当に、それが正しいと思っているのか」
「我々は何も間違っておりません。先生こそ、お考えを改めるべきだと思いますが」
「これが最後通告だぞ」
「我々に、何もやましいところはございません」
大山は、しばらく無言で杉下を睨みつけてから、帰っていった。
それから1時間ほど経った頃、杉下のところに、職員が血相を変えて飛び込んできた。
「大変です!」
「どうした」
「音楽家達が、うちのビルの前に、集団で押し寄せてます! 我が社に対する抗議デモのようです!」
「なんだと」
杉下が、2階の窓から、外の様子を見てみたところ、千人は居ようかという人だかりが、ビルを取り囲んでいるようだった。所々に、横断幕が掲げられており「音楽を解放せよ!」「音楽に自由を!」などの文言が踊っている。
杉下の後ろで、動揺の色を隠さずに、職員が言った。
「どうやら、先日実行した、サイバー課のソフトが引き金になったようです。個人のPCを介して、監聴が家庭内にまで及んだことが、過激派の逆鱗に触れたようです」
「ちっ。自由の意味をはき違えた狂人どもが」
杉下は、デモ隊が中に入り込まないよう、即座にビルの出入り口を封鎖するよう指示をだした後、各課長と連絡を取り、対応策を検討した。
ビルの外では、過激派の音楽家達が、今にも音楽を奏でそうな雰囲気を漂わせていた。ある者は、左肩にヴァイオリンを肩に乗せ、鬼の形相を浮かべながら、右手で弓を掲げている。ある者はスネアドラムを肩から提げ、修羅の如くスティックを握っている。ある者は、タキシードに身を包み、悪魔も真っ青の指揮棒さばきで、空気を切り裂いている。ある者は、オルガンの前に座り、その背中に背負った荘厳なパイプからは、機関車と見紛うばかりの蒸気が吹き出している。ある者は、己の前で手を組み、ブラックホールのような口を開けて、腹式呼吸をしている。まさに一触即発の状況である。
非常口のドアが開き、ビルの中から、強行課の職員2人が現れた。直後、ドアは素早く閉められ、中から施錠された。
強行課職員は、デモ隊に近づき、大声で呼びかけた。
「貴様らの要求はなんだ!」
デモ隊のオペラ歌手達が、Cメジャーの見事なハーモニーで応えた。
「音楽に自由をー」
これが引き金となった。
タキシード姿の男性が1人、デモ隊の前に躍り出た。彼は、デモ隊に向き直り、指揮棒を掲げ、そして振り下ろした。それと同時に、パイプオルガンが鳴り出し、その後に大合唱が始まる。様々な楽器も伴奏に加わり、巨大な恐竜のような音楽が奏でられた。マーラーの交響曲第8番、別名、千人の交響曲である。
強行課職員は、すぐさま、無線にて権利課に確認を取る。
「デモ隊が、ビルの前で、マーラーの交響曲8番を演奏している。音楽使用の申請及び、使用料の払い込みはあるか?」
「申請、有りません。無断演奏です! 直ちに、演奏をやめさせるか、使用料の徴収を行ってください」
「了解」
強行課職員は、デモ隊に向かって叫んだ。
「貴様らは、音楽の無断演奏をしている! ただちに演奏を中止せよ!」
しかし、相手は、文字通り千人が交響する化物である。当然、声など届かない。
かくなる上は、と強行課職員の1人が、指揮者を殴り倒した。指揮者さえ居なくなれば、演奏はすぐに止まるだろうと踏んだのである。しかし、すぐさま、別の指揮者がどこからともなくまろび出て、指揮を続行されてしまう。
止まることの無い無断演奏に、強行課職員の中枢神経系は蝕まれ、意識は混濁し、十分ほどが経過したところで、彼らは口から泡を吹き、悶死した。
ことの成り行きを見守っていたビル内は、騒然となった。
「あいつら、殺りやがった!」
「殺したぞ!」
「やっぱりあいつらは狂人だ!」
「あの職員の魂は、永久(とこしえ)の音楽の園で眠ることだろう」
誰かが叫んだ。
「目には目を!」
その声が合図となり、各課の職員が、持ち場へと走った。
数分後、ビルの外壁から、巨大なスピーカーが現れたかと思うと、突如、デモ隊の一角の人間が、顔中の穴という穴から血を吹き出して倒れた。高出力の音波で、対象にダメージを与える、音響兵器による攻撃である。
演奏は、一瞬、中断されたものの、すぐに再開した。
ビル外壁のスピーカーは、その角度をわずかに変え、次の攻撃に備えている。
「第二波、発射!」
ビル内で、兵器課の課長が叫んだ。スピーカーから、殺人音波が発射される。攻撃範囲内に居る過激派どもが、血を吹いて倒れる……はずだった。
「発射を確認! しかし、対象にダメージ無し!」
「馬鹿な! どうなっている」
デモ隊達の演奏能力は凄まじく、音響兵器から繰り出される音の、逆位相の音を出すことで、殺人音波を相殺してしまったのだ。達人技による、手動のノイズキャンセリングである。
この、音響兵器による攻撃と、逆位相の反撃の応酬は、2時間にも及んだ。既にマーラーの交響曲8番は終わり、今や、演奏は、ショスタコーヴィチの交響曲第5番「革命」へと移っていた。
突如、音響兵器による攻撃が止んだかと思うと、ビルの非常口が開き、中から人影が現れた。大山だ。大山は、杉下にクレームを入れた後、帰ったふりをして、ビル内に潜んでいたのである。
大山が手招きをすると、デモ隊は、指揮者を先頭にして、怒涛の勢いでビル内に雪崩込んだ。ビル内では、大音量で奏でられる、無断演奏の「革命」が、NISRAC 職員の中枢神経系を次々と破壊していった。
演奏が終盤に差し掛かった頃、デモ隊は、全フロアを掌握していた。
大山は、2階の片隅で、血を吐き、血涙を流す杉下を見つけて、言った。
「これが、音楽の力だよ」
杉下は、何かを言おうとしたが、喉に溜まった血に阻まれて、遂に、意味を成す言葉を発することはできなかった。
間もなく、終演を迎え、戦いも終焉を迎えた。
指揮者が、天高く掲げた両手を下ろすと、デモ隊は拍手喝采を飛ばし、互いに抱き合い、称え合い、歓喜を噛み締めた。
指揮者が大山に言った。
「大山先生のおかげです。どのように、あの音響兵器を止めたのですか?」
「作曲家の武器を使わせてもらいました」
「と、言いますと?」
大山は、おもむろに懐から、ある物を取り出した。それは、血にまみれた写譜ペンであった。音響兵器操作室には、首に穴の空いた職員の屍体が転がっていた。
「やはり、作曲家は偉大ですな」
「いえいえ、演奏家の皆さんも、大活躍だったじゃないですか」
かくして、NISRAC クラシック支部は壊滅し、小さな革命は成った。
杉下課長は、職員に言われ、応えた。
「またか。あの爺さん、3日に1回は文句を言いに来るじゃないか」
職員は、自分にそう言われても困る、と言わんばかりに肩をすくめた。
「お通ししてよろしいですね」
「ああ、通してくれ」
そう言うと、杉下は、応接カウンターの椅子に座り、嘆息した。
間もなく、ドアの向こうから大山が現れた。80代半ばながら、矍鑠(かくしゃく)としており、しっかりとした足取りで、その小柄な身体を応接カウンターまで運んできた、彼の目はつり上がっていた。杉下は、その顔を見るなり、今日もろくな用事では無さそうだ、と心の中で呟いた。
「一体、どういうことだ!」
いつものことだ、と杉下は思った。何の用件かを説明する前に、怒声を飛ばす。話し合いに来たのか、脅しに来たのか。まったく、老人というのは、まともに話し合いをする能力を失ってしまうものなのか。
杉下は、努めて冷静に、微笑を浮かべながら、言った。
「本日は、どうなさいましたか?」
大山は、拳でカウンターを、どん、と叩き、唾を飛ばしながら喚いた。
「どうもこうもない! 先日、うちの家内が、買い物に行く途中に、わしの曲を口ずさんだら、おたくら NISRAC の係員から、楽曲使用料の請求をされたんだ!」
「それが何か?」
「道端で口ずさんだだけだ! なんで使用料を払わなきゃならんのだ!」
やれやれ。この老人は、今になっても、新しい時代に順応できないらしい。杉下は、わざと丁寧な口調で説明した。
「良いですか、先生。音楽を口ずさんだら、気分が良くなるでしょう? であれば、その対価を支払うのは当然のことだと思いますが」
「わしの曲だぞ! それに口ずさんだのは、家内だ!」
「しかし、先生の曲は全て、私達 NISRAC の管理下にあります。例え、先生ご本人が歌った場合でも、使用料は徴収いたします」
「お前らの頭は、イカれている!」
「我々は、音楽を保護しているだけでございます」
まだ言い足りなそうにしながらも、大山は帰っていった。
「課長。お疲れ様でした」
職員から、労いの言葉をかけられ、杉下は振り返った。
「ああ。あの世代の老人は、勘違いも甚だしくて困る。無料で、音楽を口ずさもうなんて。皺が増えた分、面の皮がたるんで厚くなってるのかね」
「まったくです。音楽の価値を、低く見過ぎですよね」
杉下は、腕時計を一瞥した。
「15時か。会議の時間だ」
会議室には、既に各課の課長が首を揃えていた。
「すみません。クレーマーの対応で、少し遅れました」
「CS(カスタマーサポート)課は大変ですな」
サイバー課長が声をかけてきた。
「いえいえ。これも音楽のためですから」
会議が始まると、各課の課長が順繰りに進捗の報告を行った。
「監聴課では、超高性能マイクを、舗装路のみでなく、獣道や野原、渓谷部にも設置していきます。これらの作業は、現状、63パーセントの進捗率です。予定通り、今年中には100パーセントを達成できる見込みです。これにより、都市部の監聴を逃れて、自然の中で無断歌唱をしようという犯罪者集団に、壊滅的な打撃を与えられるものと思われます」
「すばらしい」
誰からともなく、賛嘆の声があがった。
「サイバー課では、新しいソフトを開発しました。このソフトを一度起動すれば、各家庭のパソコンがマイク代わりとなり、屋内での無料歌唱を検知することができます。従来、困難とされていた、一般家庭内での無断歌唱の摘発に、絶大な効果をあげるものと思われます。AI が搭載されており、無断歌唱を検知すると、自動で該当のパソコンからアラーム音を発し、モニターに使用料の督促メッセージを表示できます。数日中には、実行に移す予定です」
「そこまでやると、プライバシーの保護がどうとかいう連中が、うるさくないですか?」
杉下が懸念の声をあげた。サイバー課長が応える。
「個人のプライバシーなどというものを盾に、音楽の権利が蹂躙されるほうが問題です。文句を付けてくる輩が居たら、強行課と連携して、口を利けなくしてやりますよ」
「すばらしい」
再び、誰からともなく、賛嘆の声があがった。
「強行課では、音楽使用料の支払いを拒否した72名中、71名からの徴収が完了しております。たった1名、24歳の男性が頑として支払いを拒否しており、先ほど徴収室に連行し、片方の鼓膜を破ったところです。もう片方の鼓膜も破ると脅せば、支払うのは時間の問題かと思われます」
「すばらしい」
三度、誰からともなく、賛嘆の声があがった。
「CS課は、電話でのクレーム対応が600件余り有りましたが、大きな問題にはなっておりません。あ、先ほど、大山先生が、直接対面で抗議にいらっしゃいましたが」
監聴課が聞いた。
「大山先生はなんと?」
「奥様が、道端でつい、先生の歌を口ずさんだところ、使用料の請求が来た、と」
「当然のことじゃないか」
「はい。そうなのです。大山先生は、半年前に施行された、音楽保護法に、まだ順応できていないようで」
音楽保護法。それは、音楽の権利を徹底的に守る法律であり、いかなる場合においても、無料で音楽を楽しむ、または使用することを禁止するものである。これにより、クラシックも含めて、日本で耳にすることができる全ての音楽は、保護の対象となった。この法律の施行は、NISRAC の永年の悲願であった。
その法律名を聞いた途端、会議室はざわめきだし、各課長は思い思いに喋り始めた。
「音楽保護法が施行される前は、町中に音楽が溢れ、道行く人は気軽に歌を歌っていた。あれは暗黒時代だ」
「喫茶店に入ると、マスターがお気に入りの CD を流し、勝手に店の BGM にしていたこともある。考えただけで血尿が出そうだ」
「音楽家が命をかけて作った作品を、金も才能も無い凡人どもが、気軽に口ずさむこと自体、許されることじゃないんだ。まったく、音楽をなんだと思っているのか」
1週間後。
「課長。大山先生が、また、お見えです」
「1週間ぶりだと、久しぶりに感じてしまうな」
本気だか冗談だか分からない、軽口を叩きながら、杉下は、応接カウンターに腰掛けた。
間もなく、ドアが開いて、大山が怒鳴り込んできた。
「一体、どういうことだ!」
また、これだ。杉下はうんざりした。開口一番に、このセリフを吐くことで、望む返答を得られると本気で思っているのなら、救いようの無いバカだ。そう思いながら、杉下は、笑顔で応えた。
「本日は、どうなさいましたか?」
大山は、両の拳でカウンターを、どんどん、と叩き、唾を飛ばしながら喚いた。
「家のパソコンに、突然、使用料を払えというメッセージが表示されたんだ! どうなっているんだ!」
「それは、大山先生が、ご自宅で、何かを口ずさんだか、演奏なさったからではないですか? 音楽を使用したのであれば、使用料を支払うのは当然のことでしょう」
「貴様らは、家の中まで盗聴しているのか!」
「盗聴だなどと、人聞きの悪いことをおっしゃらないでください。我々は、音楽を無断で使用しようとする犯罪と戦っているだけです」
「わしが、わしの作った歌を口ずさむのが犯罪か!」
「無断であるなら、そうなりますね」
「貴様、本気でそう思っているのか」
「先生。何か、勘違いされてるんじゃありませんか? 音楽というのはね、生み出された瞬間に、一つの作品として命を持つのですよ。曲は決して、作曲家のものではないです。子どもが、親のものではないのと同じことです。自分の曲だから、自分の好きにして良いという考えは、親が、自分の子どもの人生を好きにして良いというのと同じです。随分、傲慢だとは思いませんか?」
「本当に、それが正しいと思っているのか」
「我々は何も間違っておりません。先生こそ、お考えを改めるべきだと思いますが」
「これが最後通告だぞ」
「我々に、何もやましいところはございません」
大山は、しばらく無言で杉下を睨みつけてから、帰っていった。
それから1時間ほど経った頃、杉下のところに、職員が血相を変えて飛び込んできた。
「大変です!」
「どうした」
「音楽家達が、うちのビルの前に、集団で押し寄せてます! 我が社に対する抗議デモのようです!」
「なんだと」
杉下が、2階の窓から、外の様子を見てみたところ、千人は居ようかという人だかりが、ビルを取り囲んでいるようだった。所々に、横断幕が掲げられており「音楽を解放せよ!」「音楽に自由を!」などの文言が踊っている。
杉下の後ろで、動揺の色を隠さずに、職員が言った。
「どうやら、先日実行した、サイバー課のソフトが引き金になったようです。個人のPCを介して、監聴が家庭内にまで及んだことが、過激派の逆鱗に触れたようです」
「ちっ。自由の意味をはき違えた狂人どもが」
杉下は、デモ隊が中に入り込まないよう、即座にビルの出入り口を封鎖するよう指示をだした後、各課長と連絡を取り、対応策を検討した。
ビルの外では、過激派の音楽家達が、今にも音楽を奏でそうな雰囲気を漂わせていた。ある者は、左肩にヴァイオリンを肩に乗せ、鬼の形相を浮かべながら、右手で弓を掲げている。ある者はスネアドラムを肩から提げ、修羅の如くスティックを握っている。ある者は、タキシードに身を包み、悪魔も真っ青の指揮棒さばきで、空気を切り裂いている。ある者は、オルガンの前に座り、その背中に背負った荘厳なパイプからは、機関車と見紛うばかりの蒸気が吹き出している。ある者は、己の前で手を組み、ブラックホールのような口を開けて、腹式呼吸をしている。まさに一触即発の状況である。
非常口のドアが開き、ビルの中から、強行課の職員2人が現れた。直後、ドアは素早く閉められ、中から施錠された。
強行課職員は、デモ隊に近づき、大声で呼びかけた。
「貴様らの要求はなんだ!」
デモ隊のオペラ歌手達が、Cメジャーの見事なハーモニーで応えた。
「音楽に自由をー」
これが引き金となった。
タキシード姿の男性が1人、デモ隊の前に躍り出た。彼は、デモ隊に向き直り、指揮棒を掲げ、そして振り下ろした。それと同時に、パイプオルガンが鳴り出し、その後に大合唱が始まる。様々な楽器も伴奏に加わり、巨大な恐竜のような音楽が奏でられた。マーラーの交響曲第8番、別名、千人の交響曲である。
強行課職員は、すぐさま、無線にて権利課に確認を取る。
「デモ隊が、ビルの前で、マーラーの交響曲8番を演奏している。音楽使用の申請及び、使用料の払い込みはあるか?」
「申請、有りません。無断演奏です! 直ちに、演奏をやめさせるか、使用料の徴収を行ってください」
「了解」
強行課職員は、デモ隊に向かって叫んだ。
「貴様らは、音楽の無断演奏をしている! ただちに演奏を中止せよ!」
しかし、相手は、文字通り千人が交響する化物である。当然、声など届かない。
かくなる上は、と強行課職員の1人が、指揮者を殴り倒した。指揮者さえ居なくなれば、演奏はすぐに止まるだろうと踏んだのである。しかし、すぐさま、別の指揮者がどこからともなくまろび出て、指揮を続行されてしまう。
止まることの無い無断演奏に、強行課職員の中枢神経系は蝕まれ、意識は混濁し、十分ほどが経過したところで、彼らは口から泡を吹き、悶死した。
ことの成り行きを見守っていたビル内は、騒然となった。
「あいつら、殺りやがった!」
「殺したぞ!」
「やっぱりあいつらは狂人だ!」
「あの職員の魂は、永久(とこしえ)の音楽の園で眠ることだろう」
誰かが叫んだ。
「目には目を!」
その声が合図となり、各課の職員が、持ち場へと走った。
数分後、ビルの外壁から、巨大なスピーカーが現れたかと思うと、突如、デモ隊の一角の人間が、顔中の穴という穴から血を吹き出して倒れた。高出力の音波で、対象にダメージを与える、音響兵器による攻撃である。
演奏は、一瞬、中断されたものの、すぐに再開した。
ビル外壁のスピーカーは、その角度をわずかに変え、次の攻撃に備えている。
「第二波、発射!」
ビル内で、兵器課の課長が叫んだ。スピーカーから、殺人音波が発射される。攻撃範囲内に居る過激派どもが、血を吹いて倒れる……はずだった。
「発射を確認! しかし、対象にダメージ無し!」
「馬鹿な! どうなっている」
デモ隊達の演奏能力は凄まじく、音響兵器から繰り出される音の、逆位相の音を出すことで、殺人音波を相殺してしまったのだ。達人技による、手動のノイズキャンセリングである。
この、音響兵器による攻撃と、逆位相の反撃の応酬は、2時間にも及んだ。既にマーラーの交響曲8番は終わり、今や、演奏は、ショスタコーヴィチの交響曲第5番「革命」へと移っていた。
突如、音響兵器による攻撃が止んだかと思うと、ビルの非常口が開き、中から人影が現れた。大山だ。大山は、杉下にクレームを入れた後、帰ったふりをして、ビル内に潜んでいたのである。
大山が手招きをすると、デモ隊は、指揮者を先頭にして、怒涛の勢いでビル内に雪崩込んだ。ビル内では、大音量で奏でられる、無断演奏の「革命」が、NISRAC 職員の中枢神経系を次々と破壊していった。
演奏が終盤に差し掛かった頃、デモ隊は、全フロアを掌握していた。
大山は、2階の片隅で、血を吐き、血涙を流す杉下を見つけて、言った。
「これが、音楽の力だよ」
杉下は、何かを言おうとしたが、喉に溜まった血に阻まれて、遂に、意味を成す言葉を発することはできなかった。
間もなく、終演を迎え、戦いも終焉を迎えた。
指揮者が、天高く掲げた両手を下ろすと、デモ隊は拍手喝采を飛ばし、互いに抱き合い、称え合い、歓喜を噛み締めた。
指揮者が大山に言った。
「大山先生のおかげです。どのように、あの音響兵器を止めたのですか?」
「作曲家の武器を使わせてもらいました」
「と、言いますと?」
大山は、おもむろに懐から、ある物を取り出した。それは、血にまみれた写譜ペンであった。音響兵器操作室には、首に穴の空いた職員の屍体が転がっていた。
「やはり、作曲家は偉大ですな」
「いえいえ、演奏家の皆さんも、大活躍だったじゃないですか」
かくして、NISRAC クラシック支部は壊滅し、小さな革命は成った。
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ものすごくフィクションです。
生き死にが、大変軽薄に描かれていますので、あまり真剣に読まないでください。
スケートリンクでバイトしてたら大惨事を目撃した件
フルーツパフェ
大衆娯楽
比較的気温の高い今年もようやく冬らしい気候になりました。
寒くなって本格的になるのがスケートリンク場。
プロもアマチュアも関係なしに氷上を滑る女の子達ですが、なぜかスカートを履いた女の子が多い?
そんな格好していたら転んだ時に大変・・・・・・ほら、言わんこっちゃない!
スケートリンクでアルバイトをする男性の些細な日常コメディです。
令嬢の名門女学校で、パンツを初めて履くことになりました
フルーツパフェ
大衆娯楽
とある事件を受けて、財閥のご令嬢が数多く通う女学校で校則が改訂された。
曰く、全校生徒はパンツを履くこと。
生徒の安全を確保するための善意で制定されたこの校則だが、学校側の意図に反して事態は思わぬ方向に?
史実上の事件を元に描かれた近代歴史小説。
スカートの中、…見たいの?
サドラ
大衆娯楽
どうしてこうなったのかは、説明を省かせていただきます。文脈とかも適当です。官能の表現に身を委ねました。
「僕」と「彼女」が二人っきりでいる。僕の指は彼女をなぞり始め…
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音楽の在り方について考えさせられます。音楽教室での曲の使用についてが議論されていたということもあり、とても興味深く読ませていただきました!
感想ありがとうございます。
音楽教室での曲や、楽譜の使用方法については、色々と議論があるところですよね。私も、そういった教室での経験があるので、多少思うところはあります。
今作は、大分バカバカしい方向にデフォルメしてしまいましたが、少しでもお楽しみいただけたなら幸いです。