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第一章

暴力事件

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 筋肉痛を抱えながらの登校ってつらい。
 私は頑張ったぞ。じじいなら絶対褒めてくれただろうな。おいちょっと待てそこの王族直系、なぜ冷たい目を向けるのか。自業自得? うるさいわ! 加減というものを知らないのか? 言っておくが過剰防衛だからねあれは! あんた何の実害もないじゃないの!!


 などと無言の応酬を繰り広げて、時折天気の話なぞしていると、今日も今日とて貸切状態の教室の入り口に、珍しく人影が現れた。
 栗色の髪をした少女である。いや、ここ中等部だから当たり前なんだけど。見知らぬおっさんが来たら私は彼を連れて窓から逃げるけれど。だってねえ。この国にもあるのだから、右翼とか左翼とか無政府主義とか。当たり前でしょう? 共和政で君主居ないんだもの。そりゃあ「昔は良かった」派もいるし、逆恨みする人もいる。「逆」恨みなのかどうかとかは放っておいても。
 ……兎も角それは少女だった。

 ちらちらと視線が向けられる。もちろん私に。覚えのある少女の視線の投げ方に、うーんやっぱりか、と思う。これはあれだ、「頼みたい事があるからちょっとこっち来て」の視線だ。前世の私も学校で応じていた。委員会の先輩に用がある後輩ちゃんは、なんとも手を差し伸べたくなる存在なのである。
 しかしだ。私は三つの理由でもって知らんぷりを決めこんだ。
 一つ目、彼女の「頼み事」にある程度の見当がついており、それがにとって良い方向に運ばないだろうから。
 二つ目、彼女には二面性があるという噂があるため。これは初等部の頃からで、彼女は私の近づきたくない人ナンバーワンに位置している。因みに過去半日未満ほどナンバーワンが入れ替わった時期があるのだが、もちろん現在友達化中の彼である。決して仲良しフラグではない。噂で判断すべきでないのはわかっているが、彼女に関しては前世の経験からたぶん合わないタイプだなーと察知しているので。
 三つ目、私の筋肉痛がようやくなりを潜めた今の体勢から動きたくないから。これが正直一番の理由だ。
 (席に着くのだって一苦労だったのにこれからまた立てとか絶対にいやだ)

 あ、私が継続して陰キャだからというのは理由にはならない。常時付き纏う、この世界の人に対して有る不信感、例えるなら周りの人が皆宇宙人だと私だけが知っているみたいな感覚は、一生ものだろうから。今回だけの特質的なものではないのだ。

 というわけで。
 彼女の目と真っ向から目を合わせ、「どうしたのだろう」と言わんばかりの惚けた顔をする。暫く惚けたままでいると、軽く握った片手を口の前に置き、頬を赤らめていた彼女の甘い垂れ目がだんだんと三角になっていった。
 確かに可愛めの顔立ちなのだろうが、如何せん「地方の可愛い子」の領域を出ない。だってこちらには王家正統の高貴な顔がいるのだ。だから大変申し訳ないのだが、
 (あなたくらいの容姿でかわい子ぶられても寧ろ扱いに困る)


 「アンダーウッド」

 呼び掛けたのはジークハルトである。冷徹にも見える美貌はやはり本物だ。
 あまり意地悪してやるな、ということだろう。誰のせいで筋肉痛になったと思っているのだ、と一睨みしてやりたいが、生憎、本当に生憎学校なのでやめた。
 そうして彼女に視線を戻すと、見計っていたように手招きをするものだから、私は渋々(表向き不思議そうに)重い腰を上げたのだった。




 「あんたさ、そんな鈍くてよくジーク様の隣にいられるわね。あ、逆か。鈍いからそこんとこ気づかないのかな」

 こいつ面白いな。

 「悪口言いたくて呼びつけたの?」
 薄ら笑いでそう言うと、彼女は不快そうに顔を歪めた。

 「そんなわけないでしょ、馬鹿じゃないの? あんたなんかどうでもいいのよ。ジーク様に放課後教室で待っていますってつたえて。いいわね」

 途端に恥じらう乙女の真似事などするものだから、変わり身の速さに閉口する。

 「はあ……。それはいいけど、ぼく余計なことも言っちゃうかもしれないなあ。いいよね、このぼくに頼むんだし」

 「余計なこと? なによ、はっきり言いなさいよ」

 「ぼくに取ってる、そういう態度のことだよ」

 訝しげだった顔がみるみる怒りで赤く染まった。わかりやすすぎる。堪え性も無さすぎる。私は表情筋が迷子な彼と比べて、心の中で涙を拭った。

 「はあ?! なにそれ。告げ口しようっての? ふざけんじゃあないわよ! あたしは名士の娘なのにそんなこと出来るはずないわ」

 「出来ないわけないよね。ぼく街の人じゃないし」

 それに友達に「彼女になるかもしれない人」の素行を報告することは、友達として当たり前のことだと言えるのではないだろうか?
 私は現状、ジークハルト陣営とでも言うべきグループ(全2人)に所属しているのだし、周りからは『ジークハルトがバックにいる』と思われている状態なわけで。
 私達の実情ーー例えば今私が全身の軋みに内心絶叫しているようなーーなど部外者は知らないのだし、実際学校では『お友達(と書いてお世話係と読む人もいる)』なのだ。

 顔を真っ赤にした彼女は般若のような形相になり、血走った目で私の全身を見たようだった。値踏みするような視線が凄まじく気持ち悪い。
 私の欠点を探しているのだろうか。正直告白はどうしたよ、と思ってしまうのだが。

 もはや可憐な少女にはとても見えない彼女の(悪感情で)熱烈な視線を物ともせず(筋肉痛でそれどころではないとも言える)、突っ立ったままの私にとうとう彼女は言った。

 そう、言ったのだ。

 「このみなし子、山猿。友達どころか家族もいないくせに」

 「森なんて燃やしてやる」

 「ジーク様にあんたは相応しくないわ!」


 自分の顔から表情が剥がれ落ちたのがわかった。
 ばつんと何かがちぎれたような激しい衝撃に目が眩み、私は目眩を起こした。視界の明度がぐわっと上がり、直後真っ暗になる。

 どうしてこいつの話なんて聞いてやっていたのだろう。さっさと切り上げてやればよかった。

 どうして言わせてしまったのだろう。

 「……君、馬鹿だよね」
 一歩。
 歩み寄った私を彼女がどんな顔で見ているか、目に入っているはずなのによくわからなかった。
 口調はいつも通り。ああ、またまえ前世との違いを見つけてしまった、と思った。


 「森の歴史的価値なんて、知らない人いないでしょ、この歳になって。燃やす? やってみなよ、家族いなくなるのは君の方だけど」

 一歩。
 嫌な予感はしていたのに、どうして。自分が悪意に弱いことなんて、分かっていたことなのに。


 「折角ぼくが穏やかに話してあげてたのにそんな大声出して、『ジーク様』に聞かれちゃってもいいわけ? 相応しくないかどうか、本人から答えもらったら、立ち直れないんじゃあないかなぁ、君。かわいそうにね?」
 
 一歩。彼女に手を伸ばす。
 ここで彼女とキャットファイトをする程度の自分だったならよかったのに。こいつに対して感情をあらわにすることすら許せないのだ。正論を盾にした、つまらないことしか言えないのだ。
 そして私はそれが何のためなのか、分かっている。


 「よくも色々と言ってくれたね。君はもうちょっとかわいい人かと思っていたんだけど」

 首に両手が届いた。ここではじめて、彼女は私の目的に気づいたらしい。おめでたいことだ。
 頸動脈に手を添わせただけで、彼女はびくんと身体を震わせ、ぴすぴすと仔犬のように泣いてみせる。哀れで惨め、これだけで簡単に泣き出せるようなお前に、助けを呼んだら駆けつけてくれる人が居るお前に、この世界の記憶しかないお前に、絶望の意味も知らないお前にーー

 ーーお前に私の何がわかると言うのだ。

 「殺してしまいたい」

 囁くように呟いた声を拾った彼女は、まるで殺人事件の第一発見者のように、万人の恐怖を煽る悲鳴を上げた。自分が被害者だと言わんばかりに。それじゃあ潔く物言わぬ身体になってくれと思う。


 でも、それはいけないことだから。
 前世の家族も、友達も、恩師も、会えないから、時が経ちすぎて、私も前世と同じじゃあなくなっていって、私じゃない私を悲しむ人がまだあるかわからない向こうにもう居なかったとしても、私を慈しんでくれたじじいがこの世界にいなくても、私の愚行で悲しむ人が、本当は、もう、何処にもいなかったとしても、私は過去を無かったことにはしないから、過去の彼らを一生大事にするのだからと、決めた。だからやらない、やらないけど、やりたくないけど、やるべきではないのに、許せなくて、悲しくて止まらない、止められないから、

 「どうした!!」

 あなたに止めて欲しかった。
 痛いくらい力強く私の腕を奪い取る、焼けるように熱い手のひらの、まっすぐな藍色が私を捉えた。真っ暗だった世界が再構築される。殺意が、藍色のブラックホールに吸い込まれていく。掴まれた腕から、不思議と私を呼び戻されたような感覚があって、その温かさから、私の手の冷たさを知った。
 校内なのに森にいるときのような顔をする彼に、今なら責められても怒られても良いと思えた。だって今気付いたのだ、私が彼に寄せる全幅の信頼に。
 彼女の悲鳴に駆けつけたことはわかっていた。それでも裏切られた心地にならないのは、私を見つめる彼の瞳がいつもと同じそれだったから。

 信じてくれている。

 そのことにどうしようもなく全身が弛緩して、こみ上げる安堵のまま、私はその場にへたり込んでしまったのだった。
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