12 / 27
第一章
居場所は過去となって1
しおりを挟む
最初に森から出たのは、私が推定年齢七歳のときだった。
街を見、世情を知り、奇異の視線に晒されて、一転して別人のように振る舞う私を、じじいは珍しく驚きに満ちた顔で見ていたっけ。
そして、森に戻っても明るく振る舞う私に、これまた珍しくはっきり明言したのだ。
『どうか、森の中でだけは、自分を偽ってはいけないよ。お前が辛そうだと、僕が悲しくなってしまう』
そう言って枯れ木のような腕で抱きしめてくれたじじいを抱きしめ返せなかったことを、今でも悔いている。
ごめんなさい。
ごめんなさい、ただ驚いてしまったの。
ずっと怖かったから。自分が何なのかなにひとつ分からないままで、その日生きることで精一杯で。でもここにいていいのか分からずに、誰を信じていいか分からずに、何処に帰ればいいのか分からずに。
その時初めて、心からじじいを信じたいと思えた。
その時やっと、私は帰る場所を見つけたのに。
ありがとうと言えなくて、ごめんなさい。
* * *
「そんな顔をしないでくれ」
心なしか戸惑っている彼が言った言葉に、私は何と返せばいいというのか。
ごめんねと言えたなら、どんなにいいだろう。
「たくさん詰ってくれていいよ」
そんなことしないだろうと分かっているのに言うのだ。
「そんなことはしない」
彼の眉がへにょりと崩れた。困っているのだろうか? どうして困ることがある? あなたはただ、認識を正すだけで良いはずなのに。
「どうすればきみを安心させられるのだろう」
半ば俯いていた顔を上げる。思っても見ない言葉だった。
……そんなこと。
私はへらりと笑みを浮かべた。
「私、最初から、安心しきっているよ。さっきのだって、あなたが私と友達になるのをやめないと分かっているから言ったんだよ。だから、」
ーーあなたがそんな顔、しなくていい。そう続けようとした。其れなのに。
「だったら、そんな辛そうな顔しないでくれ」
そう被せられては、もう。
降参だ。
自分の顔がぐしゃりと崩れるのがわかった。
(じじいみたいなことを言わないでよ)
私に踏み込んでくるのだ。それでいて、途方もなく純粋で、人がよくて、ぼくがどれだけ自分勝手に振る舞っても、この私を見抜いてくる。案じてくる。
それが震える程嬉しくて、死にたい位に怖い。
「私、謝らないからね。私にはもう、守ってくれる人がいないんだから。ずるい事とか、冷血な事とかもしていかないと生きていけないから」
「ああ」
「だから、」
「あなたはこんなひどい私に、幻滅していいんだよ。優しくしないで、いいよ」
「それは出来ない。俺はそんなきみと、友達になりたいから」
すまない、と、言われて。彼のまっすぐな目が急速にぼやけていく。
謝ったのは彼なのに、許してもらったのは私だ。
顔を見られたくなくて俯くと、控え目に肩に手が添えられる。最早どっちが年上かわからないな、と思う。
震える肩を宥めるように緩くさする手を、振り払う気にはもうならなかった。
優しい沈黙がかえっていたたまれなくて、涙声のまま話しかける。
「そもそもどうして友達が欲しいわけ」
どうして私なのか、とは流石に聞けなかった。語弊がありすぎる。
「俺の名前には、ともがらをたくさんもつという意味があると、母に教えられたことがあって……それから、友達とはどんなものだろうと、ずっと思っていた」
「ともがら……」
確か、仲間とか、同士とか、そんな意味の言葉だ。
(……あれ? ジークハルトって、『苦労して得た勝利』って意味じゃあなかったっけ……)
この国の言葉ではその意味しかない筈だ。もしかしたら、宮廷言語などの何かなのかも。そこら辺は知識がないからわからないが。
「当時はうまく想像できなかったが、今は、何となくわかる気がする。きみと早くこの感覚を共有できないだろうかと、思うよ」
そう言う無表情な彼の目がいつになく輝いているのは、気のせいだろうか?
「もしかして浮かれている?」
思ったまま呟くと、彼はぴたりと静止した。八の字になる眉。これはどうやら無意識だったようだ。
「……わからない。浮かれているのだろうか」
途方に暮れた様子は年相応で、やはりこういうところは可愛いと思う。
「私、あなたとなら友達になれそうかも」
ありがとうもごめんねも言えなくて、代わりに精一杯の本心を口に出す。自然と上がった口角に、彼が表情を変えずにほっとしたのが感じ取れて、その日は存外近くにある気がした。
街を見、世情を知り、奇異の視線に晒されて、一転して別人のように振る舞う私を、じじいは珍しく驚きに満ちた顔で見ていたっけ。
そして、森に戻っても明るく振る舞う私に、これまた珍しくはっきり明言したのだ。
『どうか、森の中でだけは、自分を偽ってはいけないよ。お前が辛そうだと、僕が悲しくなってしまう』
そう言って枯れ木のような腕で抱きしめてくれたじじいを抱きしめ返せなかったことを、今でも悔いている。
ごめんなさい。
ごめんなさい、ただ驚いてしまったの。
ずっと怖かったから。自分が何なのかなにひとつ分からないままで、その日生きることで精一杯で。でもここにいていいのか分からずに、誰を信じていいか分からずに、何処に帰ればいいのか分からずに。
その時初めて、心からじじいを信じたいと思えた。
その時やっと、私は帰る場所を見つけたのに。
ありがとうと言えなくて、ごめんなさい。
* * *
「そんな顔をしないでくれ」
心なしか戸惑っている彼が言った言葉に、私は何と返せばいいというのか。
ごめんねと言えたなら、どんなにいいだろう。
「たくさん詰ってくれていいよ」
そんなことしないだろうと分かっているのに言うのだ。
「そんなことはしない」
彼の眉がへにょりと崩れた。困っているのだろうか? どうして困ることがある? あなたはただ、認識を正すだけで良いはずなのに。
「どうすればきみを安心させられるのだろう」
半ば俯いていた顔を上げる。思っても見ない言葉だった。
……そんなこと。
私はへらりと笑みを浮かべた。
「私、最初から、安心しきっているよ。さっきのだって、あなたが私と友達になるのをやめないと分かっているから言ったんだよ。だから、」
ーーあなたがそんな顔、しなくていい。そう続けようとした。其れなのに。
「だったら、そんな辛そうな顔しないでくれ」
そう被せられては、もう。
降参だ。
自分の顔がぐしゃりと崩れるのがわかった。
(じじいみたいなことを言わないでよ)
私に踏み込んでくるのだ。それでいて、途方もなく純粋で、人がよくて、ぼくがどれだけ自分勝手に振る舞っても、この私を見抜いてくる。案じてくる。
それが震える程嬉しくて、死にたい位に怖い。
「私、謝らないからね。私にはもう、守ってくれる人がいないんだから。ずるい事とか、冷血な事とかもしていかないと生きていけないから」
「ああ」
「だから、」
「あなたはこんなひどい私に、幻滅していいんだよ。優しくしないで、いいよ」
「それは出来ない。俺はそんなきみと、友達になりたいから」
すまない、と、言われて。彼のまっすぐな目が急速にぼやけていく。
謝ったのは彼なのに、許してもらったのは私だ。
顔を見られたくなくて俯くと、控え目に肩に手が添えられる。最早どっちが年上かわからないな、と思う。
震える肩を宥めるように緩くさする手を、振り払う気にはもうならなかった。
優しい沈黙がかえっていたたまれなくて、涙声のまま話しかける。
「そもそもどうして友達が欲しいわけ」
どうして私なのか、とは流石に聞けなかった。語弊がありすぎる。
「俺の名前には、ともがらをたくさんもつという意味があると、母に教えられたことがあって……それから、友達とはどんなものだろうと、ずっと思っていた」
「ともがら……」
確か、仲間とか、同士とか、そんな意味の言葉だ。
(……あれ? ジークハルトって、『苦労して得た勝利』って意味じゃあなかったっけ……)
この国の言葉ではその意味しかない筈だ。もしかしたら、宮廷言語などの何かなのかも。そこら辺は知識がないからわからないが。
「当時はうまく想像できなかったが、今は、何となくわかる気がする。きみと早くこの感覚を共有できないだろうかと、思うよ」
そう言う無表情な彼の目がいつになく輝いているのは、気のせいだろうか?
「もしかして浮かれている?」
思ったまま呟くと、彼はぴたりと静止した。八の字になる眉。これはどうやら無意識だったようだ。
「……わからない。浮かれているのだろうか」
途方に暮れた様子は年相応で、やはりこういうところは可愛いと思う。
「私、あなたとなら友達になれそうかも」
ありがとうもごめんねも言えなくて、代わりに精一杯の本心を口に出す。自然と上がった口角に、彼が表情を変えずにほっとしたのが感じ取れて、その日は存外近くにある気がした。
0
お気に入りに追加
3
あなたにおすすめの小説
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。

【コミカライズ&書籍化・取り下げ予定】お幸せに、婚約者様。私も私で、幸せになりますので。
ごろごろみかん。
恋愛
仕事と私、どっちが大切なの?
……なんて、本気で思う日が来るとは思わなかった。
彼は、王族に仕える近衛騎士だ。そして、婚約者の私より護衛対象である王女を優先する。彼は、「王女殿下とは何も無い」と言うけれど、彼女の方はそうでもないみたいですよ?
婚約を解消しろ、と王女殿下にあまりに迫られるので──全て、手放すことにしました。
お幸せに、婚約者様。
私も私で、幸せになりますので。

もう死んでしまった私へ
ツカノ
恋愛
私には前世の記憶がある。
幼い頃に母と死別すれば最愛の妻が短命になった原因だとして父から厭われ、婚約者には初対面から冷遇された挙げ句に彼の最愛の聖女を虐げたと断罪されて塵のように捨てられてしまった彼女の悲しい記憶。それなのに、今世の世界で聖女も元婚約者も存在が煙のように消えているのは、何故なのでしょうか?
今世で幸せに暮らしているのに、聖女のそっくりさんや謎の婚約者候補が現れて大変です!!
ゆるゆる設定です。
敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される
clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。
状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。

宮廷外交官の天才令嬢、王子に愛想をつかれて婚約破棄されたあげく、実家まで追放されてケダモノ男爵に読み書きを教えることになりました
悠木真帆
恋愛
子爵令嬢のシャルティナ・ルーリックは宮廷外交官として日々忙しくはたらく毎日。
クールな見た目と頭の回転の速さからついたあだ名は氷の令嬢。
婚約者である王子カイル・ドルトラードを長らくほったらかしてしまうほど仕事に没頭していた。
そんなある日の夜会でシャルティナは王子から婚約破棄を宣言されてしまう。
そしてそのとなりには見知らぬ令嬢が⋯⋯
王子の婚約者ではなくなった途端、シャルティナは宮廷外交官の立場まで失い、見かねた父の強引な勧めで冒険者あがりの男爵のところへ行くことになる。
シャルティナは宮廷外交官の実績を活かして辣腕を振るおうと張り切るが、男爵から命じられた任務は男爵に文字の読み書きを教えることだった⋯⋯

婚約者を奪い返そうとしたらいきなり溺愛されました
宵闇 月
恋愛
異世界に転生したらスマホゲームの悪役令嬢でした。
しかも前世の推し且つ今世の婚約者は既にヒロインに攻略された後でした。
断罪まであと一年と少し。
だったら断罪回避より今から全力で奪い返してみせますわ。
と意気込んだはいいけど
あれ?
婚約者様の様子がおかしいのだけど…
※ 4/26
内容とタイトルが合ってないない気がするのでタイトル変更しました。


わたしはただの道具だったということですね。
ふまさ
恋愛
「──ごめん。ぼくと、別れてほしいんだ」
オーブリーは、頭を下げながらそう告げた。
街で一、二を争うほど大きな商会、ビアンコ商会の跡継ぎであるオーブリーの元に嫁いで二年。貴族令嬢だったナタリアにとって、いわゆる平民の暮らしに、最初は戸惑うこともあったが、それでも優しいオーブリーたちに支えられ、この生活が当たり前になろうとしていたときのことだった。
いわく、その理由は。
初恋のリリアンに再会し、元夫に背負わさせた借金を肩代わりすると申し出たら、告白された。ずっと好きだった彼女と付き合いたいから、離縁したいというものだった。
他の男にとられる前に早く別れてくれ。
急かすオーブリーが、ナタリアに告白したのもプロポーズしたのも自分だが、それは父の命令で、家のためだったと明かす。
とどめのように、オーブリーは小さな巾着袋をテーブルに置いた。
「少しだけど、お金が入ってる。ぼくは不倫したわけじゃないから、本来は慰謝料なんて払う必要はないけど……身勝手だという自覚はあるから」
「…………」
手のひらにすっぽりと収まりそうな、小さな巾着袋。リリアンの借金額からすると、天と地ほどの差があるのは明らか。
「…………はっ」
情けなくて、悔しくて。
ナタリアは、涙が出そうになった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる