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第一章
踏み込まない
しおりを挟む彼女は、頬を赤らめて息まで止めていた。流石にやり過ぎたと思い距離を戻す。
ぷは、と息を吐いた彼女の目が熱で潤んでいて、今なら私が泣かせたように見えなくもないなと思った。
「俺としては願ったりだが、どうしてそこまでするのか聞いても? さっきのを人に話したところで、両親だって荒唐無稽だというだろう」
ふむ。教えても良いが、私ばかりが情報の開示をするのは、これからを考えるとあまり望ましくない。
「どうして森に来たのか答えるなら教えてあげる」
なにしろ、森の管理はじじいの後釜に収まった私が一手に引き受けている為、普段は本当に誰も来ないのだ。
彼女は暫し躊躇う素振りを見せたが、私が引かないのを見ると所在なさげに話し出した。
「その……きみに逃げられてから、余りにもはやく距離を詰め過ぎたと反省して、謝罪に向かおうと。きみの後をついて行ったが、森に入ったところで足元に気を取られているうちに見失って、池か泉のような水の中に藻が揺れていると思ったら人だったんだ」
彼女はその時のことを思い出したのか、表情はそのままにぶるりと震えた。器用なことをする。
というか、誰が藻だ誰が。ひとの髪の毛を変に形容するのはやめてくれ。
でも、そうか。私は慣れているが、彼女は森の歩き方を知らないのか。まあ、追い追い教えることになるだろう。
彼女が目で返答を促す。わかっているから。彼女に見つめられるのは居心地が悪いなんてものではない。やめて、こっち見ないで。
「どうしてそこまでするか、だったね。それは、あなたには将来沢山の人が集まるだろうからであり、私にとって重要なことが、あなたの話を信じる人がいるかどうかでは無く、あなたがさっきのことを知っている、そのこと自体だからよ」
彼女には人望があるし、一人にばれるも複数にばれるもその脅威は同じだということだ。
(将来は絶対人気者、そうでなくとも高嶺の花だろうな)
私は褒めたつもりだったのだが、彼女は一転して能面のような表情に戻った。
硬く握りしめた拳といい、何か思うことがあるのは一目瞭然だが、私は敢えて言及を避けた。
今はその時ではない。彼女の時間的、精神的拘束を狙ってはいるが、依存させることは出来ない。だからこそ、ここで踏み込むことは、してはいけないと思うのだ。
* * *
それから念入りに他言無用を言い聞かせて、改めて自己紹介もとい情報共有などをした。彼女の住所も聞いたが、地理に明るくない私には森か学校を基準にした言い方の方が助かるな。
「学校から北東にある丘の上」
エスパーかな。
それともやはり顔に出ているのか。人前で素を見せない弊害がここに……?
頰を揉みながら彼女の顔を盗み見ると、先程より表情が読み取りにくくなっていた。続いて原因を知る。彼女も同じことを思ったようだ。
「何だか暗くないか?」
西側のカーテンを両手で開くと、光線のような茜色が肌を刺した。太陽が大分傾いているのだ。日の長さこそ春のそれであるものの、西日の濃さは夏の初めを予感させた。
「もう夕方だね。帰る?」
「どちらでも」濃い影の中で彼女の顔は見えないが、彼女の平坦な声には少し慣れてきた。たぶん、これが平常なのだ。
「きみが満足したのなら帰る。まだ質問があるのなら、答える。俺の時間は気にしなくていい、今日は両親が帰って来ないから」
その言葉を待っていた。
私はカーテンに手をかけたまま振り返り、彼女に笑いかけた。
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