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執着/愛着
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帰宅して、冷蔵庫に買ってきた生ものを詰めていく。大きく立派な冷蔵庫があるわりに使われていないと思うぐらい、中は水やちょっとしたドレッシングやマヨネーズ程度だった。
「まぁ大きいと便利じゃん?」
という純一の発言に同意はするものの、宝の持ち腐れとはこれのことだろうと悠人は思った。
冷凍庫も同じようで、ただこちらは冷凍の食材がいくつか入っていた。どれもレンジで温めて食べられる系統のもので、純一曰くコンビニに行くのも億劫な時用らしい。
「でも最近はフードデリバリーなんて最高に便利なものもあるからなぁ」
「まぁそうだけども。冷蔵庫は空のわりに、コーヒーとかはちゃんとしてるんだね」
そう言ったのはマシンがキチンとあることに対してだった。
悠人がビニール袋をたたみながら言うと、純一は肩を竦めた。
「コーヒーあればイイって感じだから、要するに」
「胃に悪そう」
「だからたまに牛乳は買ってくるよ?」
「そういう問題?」
小さく笑いながら悠人はたたんだビニール袋をどこに置いておこうかと悩んで、結局シンク近くに置いておいた。
小さくため息を吐いたのを純一は少し目を細めて見つめた。
「でも悠人が作ってくれるなら、冷蔵庫大きくても今後は生かされるでしょ」
「そ……そういう問題?」
「うん」
笑顔にはかなわず悠人は視線を逸らした。
「悠人、ちょっと休めば?」
「え? なんで?」
「なんか疲れてるみたいだし。俺もちょっと仕事するから。その後ご飯作るのでどう? 俺どうせ見てるしかできないし」
そう言われると確かに疲れた気がした。別に出歩いたといっても、殆ど車だったし、身体を動かしたという気はしない。
「うん……いいけど。なんで俺、こう疲れてるんだろ。見てわかる?」
「わかる。まぁ、始めていつもの薬で抑えてないヒート来てるからじゃない? ただでさえ大変そうなのに、慣れないでしょ」
「まぁ、そうかもしれない」
自分の身体のことながら分からないことが多いと思った。
純一はベッドで寝たらどうか言ったが、悠人はソファでいいと言ってリビングのソファに腰を下ろした。
少し考えてから純一は仕事用のノートパソコンと、事務所から持って帰ってきた荷物を手にリビングのテーブルで作業をすると言った。
「あっち、仕事部屋なんじゃないの?」
そういってもう一つの部屋を指さしたが、純一は気にするなと言った。
「そうだけど、リビングのほうでしょっちゅう仕事してるし。今はこっちの方が悠人も楽でしょ?」
「あー……うん」
それは素直に頷いて悠人は礼を言った。
そのままソファにごろんと横になると、ちょうど良い部屋の明るさと室温に身体は一気に重くなる。思った以上に疲れていたらしい。
作ってきた香水もまだ開けてないし、あのブレスレットも試してない。だがそんなことよりも、今は襲ってきた睡魔に勝てる気がせず目を閉じ、そのまま微睡みに身を任せていった。
「キミ、Ωでしょ?」
唐突に男がそう言った。誰にも言っていないはずの性を何故彼は知っているのか。
不思議に思った。焦りもしたが、愛想良く笑みを浮かべて伸びてきた手をそっと窘めるように押し戻した。
「違います。それに、そういうの不躾に言うのあまり良くないですよ」
やんわりと答えたものの男はアルコールの香りを漂わせて身体を密着させた。
周りには聞こえないようにしているのか、耳元でねっとりとした声が囁き響く。
「違うわけないでしょ。凄いイイ匂いがしてるもの」
ぞわりと走る悪寒に悠人は身を離そうとした。
「っと。逃げようとするってことは、やっぱりそういうことじゃないの?」
尚も執拗に男は距離を縮め、そして唇が肌に触れそうな程近づく。
そこはあるときはトイレの洗面台の近くだった。
あるときはロッカーの近く。
あるときは飲みの席の隅の方で。
どれも年齢も、相手もバラバラだ。ただ誰もが下品な視線と声色で同じ言葉を口にする。
「そんな匂いさせてたらさぁ、襲って下さいって言ってるようなもんじゃん?」
「やめてください」
最初は強く言葉で抗議した。それでも手が頬に触れ、首に触れ、腰に触れ、尻に触れ、内腿に触れようとする。
どれも我慢は出来るわけもなく、ありったけの力で相手を殴り返した。
それでも最初の一発は男の顎を殴り上げても、すぐに血相を変えて男は悠人の腕を掴み、暴言を吐く。
逃げようとして、逃げられない。だがそれでも、力の限り抵抗をした。
舌をねじ込もうとされたなら舌を噛みきる勢いで。身体を密着させられたなら、自分でも痛みを感じそうなほど力の限り股間を蹴り飛ばして。
兎に角、出来うる限りの抵抗をして、服が乱れようと、怪我をしようとその場を逃げる為に必死だった。
音や騒ぎを聞きつけて誰かがやってくると、決まって男達は悠人が誘ってきたのだと言った。
誘ってなどいない。
そう告げたところで、男は悠人がΩだから誘ってきたのだと声をあげれば、悠人の声はかき消され、全ての矛先は悠人だけに向かう。
嗚呼、終わりだ。
感情が消え冷たくなる。
死んだ方がマシだと思った。何もかもなくなった方がマシだ。
匂いを放つ自分自身も、感情も、何もかも。少しぐらいマシになると思ったのに、飛び出して来た先でもやはりΩという性は煩わしさだけを連れてくる。
何も良いことなんてない。
いっそのこと、全て終わらせた方が楽だ。
「……ゆうと?」
起き上がった時、純一が目の前に居ることに気づくよりも身体の方が早く動いてしまい、思い切り額をぶつけた。
「いっ……!」
「うっ……ごめん、大丈夫? うなされてたけど」
「え? あー……ごめん、えっと……あ」
夢か、と口にしてため息が漏れた。
純一は額を抑えたままもう一度「大丈夫?」と問う。
痛そうに擦る手を掴んで、悠人は自分の手で額を擦りながらもう一度謝った。
「むかしの……こと、思い出す夢……見て」
「うん。なんか嫌な夢だったんだ?」
「うん……」
言うか、少し悩んだ。
悩んでいるのを分かってか、純一は抱きしめると背中を軽くぽんぽんと叩いた。
「無理はしなくていいよ。とりあえず何か飲む?」
「うん」
もう一呼吸分抱きしめると、純一は立ち上がってキッチンへ向かった。
夢だった。夢だと、どこかで分かっていながらも、まるで現実のようにそれを見ていた。
最悪の夢だ。
ぼんやりと目の前にある壁を見つめたまま、悠人は少し迷いながらも口を開いた。
「昔さぁ……何回か、薬飲んでてもやっぱ……ヒートの周期になると匂いがするって、αの人に言われたことがあってさぁ。それだけならまだ良かったんだけど……その、無理矢理、触ったり。キス、しようとしてきたり……したヤツがいて。まぁ、それ以上されたことはないし……まぁ、その代わりっていうか、思い切り相手殴ったりして。それで、色々あって前の仕事辞めたんだけど」
足音がして顔を向けた。
グラスに水を注ぎ持って来た純一は感情の読めない表情で立っていた。
ソファの隣りに腰を下ろし、グラスを悠人に手渡す。礼を言って受け取ると、一口飲んでほっと息を吐いた。
「全然、久々にこんな夢みた……」
「久々って……昔は見たの? よく」
「よくって言うほど頻繁じゃないけど。まぁ、偶に……それこそ、ヒートが近くなってる気がしたら、薬飲んでるとちょっと怠いとか、頭痛いとかあるんだけど。そうなると見てた……かな」
もう一口水を飲む。冷たい水が食道を通ると身体の中で水が流れていく感覚が内側から分かる。今のことに集中して深呼吸をして、嫌な夢は忘れようと目を閉じた。
「純一は、俺以外の匂いを感じたことないって、言ったでしょ? 俺も同じだよ。でも俺の匂いを他のαは感じてるやつもいた。βの人は分かんないけど。だから……なんて言うか、俺の匂いは別に、お前だけのものってわけじゃん、ないんだろうなぁ……って」
「それで?」
少し低い声に悠人は純一の方を向いた。
微笑むわけでもなく、細められた瞳は少し妖しく光っていて魅入ってしまう。
「それで……ソレで、お前の匂いも、そうなのかな、やっぱ……って。俺以外の人も……同じように、匂ってたのかな、やっぱ」
「ふぅん。それで? 悠人はなんでそんなこと思ったの」
「え? あー……いや、なんかその……夢を見て……、思い出して。そしたらなんか……急に」
「急に?」
そこまで口にして悠人は押し黙った。
自分の中にこみ上げる感情は、夢に対する恐怖や悲しみでは無い事に気がつく。
夢は嫌だった。だが今こうして話をして湧き上がる感情は全く別のモノだ。
どうしてそんな感情が湧くのかさっぱり分からない。自分の感情も思考も、全く制御出来ていない。慌てて視線を泳がせながら悠人は言葉を探した。
「急に、どうしたの? 素直に言って」
「いや、べつに……その……」
不意に純一が笑う。
グラスを取り上げられ、ローテーブルに置くと顔を覗き込まれた。
頬に手を当て、指先が輪郭を弄ぶようになぞる。
「言って」
「あ……その、なんか……残念だなって」
「残念?」
「だって……俺だけがそれを……感じてたわけじゃないなら……、それだけの匂いじゃないなら、なんか、その……むかつく」
そう口にした言葉に純一は満足げに口元に笑みを浮かべた。
「じゃあ、俺と一緒だね」
「純一と?」
「俺も今、悠人の話聞いて嫉妬したから。顔も知らない誰かが、悠人の匂い知ってるって腹が立つ。でも、多分、俺たちが感じてるのと、そいつらの感じてたのは違うよ。悠人も俺も、お互い以外の匂いは感じたことないでしょ?」
「……ないよ」
いくら言い寄られても、αの匂いはしなかった。むしろ嫌悪を感じる体臭を感じた。だからこそ必死に抗い殴ったこともあるわけで、決して思考や意識がかすめ取られるようなイイ匂いではなかった。
「じゃあやっぱり、そうだよ」
そう言って純一は顔を少し傾けて唇を近づけた。触れて、下唇を軽く噛んで離れる。
甘い香りがする。互いに、さっき香った人工的な匂いよりも、身体の底から熱を生み出す香りが鼻孔をくすぐる。
「あ……」
悠人は溜まらず声を漏らし、純一の肩に手を伸した。
自ら近づき口づける。もっとキスをしたかった。もっと舌を絡めて、甘く感じる唾液が欲しいと思う。
頭がぼうっとしてくると、舌を絡める水音が響く。
辛うじて残っている理性を総動員して、悠人は唇を離すと純一に抱きついて耳元で囁いた。
「やること……終わったの?」
「大体終わったよ。後は明日でも大丈夫」
耳元で囁き返し、純一は耳の輪郭を舌でなぞって耳たぶを噛んだ。
びくりと身体を震わせて、悠人は腕に力を込めて純一を抱きしめた。
「まぁ大きいと便利じゃん?」
という純一の発言に同意はするものの、宝の持ち腐れとはこれのことだろうと悠人は思った。
冷凍庫も同じようで、ただこちらは冷凍の食材がいくつか入っていた。どれもレンジで温めて食べられる系統のもので、純一曰くコンビニに行くのも億劫な時用らしい。
「でも最近はフードデリバリーなんて最高に便利なものもあるからなぁ」
「まぁそうだけども。冷蔵庫は空のわりに、コーヒーとかはちゃんとしてるんだね」
そう言ったのはマシンがキチンとあることに対してだった。
悠人がビニール袋をたたみながら言うと、純一は肩を竦めた。
「コーヒーあればイイって感じだから、要するに」
「胃に悪そう」
「だからたまに牛乳は買ってくるよ?」
「そういう問題?」
小さく笑いながら悠人はたたんだビニール袋をどこに置いておこうかと悩んで、結局シンク近くに置いておいた。
小さくため息を吐いたのを純一は少し目を細めて見つめた。
「でも悠人が作ってくれるなら、冷蔵庫大きくても今後は生かされるでしょ」
「そ……そういう問題?」
「うん」
笑顔にはかなわず悠人は視線を逸らした。
「悠人、ちょっと休めば?」
「え? なんで?」
「なんか疲れてるみたいだし。俺もちょっと仕事するから。その後ご飯作るのでどう? 俺どうせ見てるしかできないし」
そう言われると確かに疲れた気がした。別に出歩いたといっても、殆ど車だったし、身体を動かしたという気はしない。
「うん……いいけど。なんで俺、こう疲れてるんだろ。見てわかる?」
「わかる。まぁ、始めていつもの薬で抑えてないヒート来てるからじゃない? ただでさえ大変そうなのに、慣れないでしょ」
「まぁ、そうかもしれない」
自分の身体のことながら分からないことが多いと思った。
純一はベッドで寝たらどうか言ったが、悠人はソファでいいと言ってリビングのソファに腰を下ろした。
少し考えてから純一は仕事用のノートパソコンと、事務所から持って帰ってきた荷物を手にリビングのテーブルで作業をすると言った。
「あっち、仕事部屋なんじゃないの?」
そういってもう一つの部屋を指さしたが、純一は気にするなと言った。
「そうだけど、リビングのほうでしょっちゅう仕事してるし。今はこっちの方が悠人も楽でしょ?」
「あー……うん」
それは素直に頷いて悠人は礼を言った。
そのままソファにごろんと横になると、ちょうど良い部屋の明るさと室温に身体は一気に重くなる。思った以上に疲れていたらしい。
作ってきた香水もまだ開けてないし、あのブレスレットも試してない。だがそんなことよりも、今は襲ってきた睡魔に勝てる気がせず目を閉じ、そのまま微睡みに身を任せていった。
「キミ、Ωでしょ?」
唐突に男がそう言った。誰にも言っていないはずの性を何故彼は知っているのか。
不思議に思った。焦りもしたが、愛想良く笑みを浮かべて伸びてきた手をそっと窘めるように押し戻した。
「違います。それに、そういうの不躾に言うのあまり良くないですよ」
やんわりと答えたものの男はアルコールの香りを漂わせて身体を密着させた。
周りには聞こえないようにしているのか、耳元でねっとりとした声が囁き響く。
「違うわけないでしょ。凄いイイ匂いがしてるもの」
ぞわりと走る悪寒に悠人は身を離そうとした。
「っと。逃げようとするってことは、やっぱりそういうことじゃないの?」
尚も執拗に男は距離を縮め、そして唇が肌に触れそうな程近づく。
そこはあるときはトイレの洗面台の近くだった。
あるときはロッカーの近く。
あるときは飲みの席の隅の方で。
どれも年齢も、相手もバラバラだ。ただ誰もが下品な視線と声色で同じ言葉を口にする。
「そんな匂いさせてたらさぁ、襲って下さいって言ってるようなもんじゃん?」
「やめてください」
最初は強く言葉で抗議した。それでも手が頬に触れ、首に触れ、腰に触れ、尻に触れ、内腿に触れようとする。
どれも我慢は出来るわけもなく、ありったけの力で相手を殴り返した。
それでも最初の一発は男の顎を殴り上げても、すぐに血相を変えて男は悠人の腕を掴み、暴言を吐く。
逃げようとして、逃げられない。だがそれでも、力の限り抵抗をした。
舌をねじ込もうとされたなら舌を噛みきる勢いで。身体を密着させられたなら、自分でも痛みを感じそうなほど力の限り股間を蹴り飛ばして。
兎に角、出来うる限りの抵抗をして、服が乱れようと、怪我をしようとその場を逃げる為に必死だった。
音や騒ぎを聞きつけて誰かがやってくると、決まって男達は悠人が誘ってきたのだと言った。
誘ってなどいない。
そう告げたところで、男は悠人がΩだから誘ってきたのだと声をあげれば、悠人の声はかき消され、全ての矛先は悠人だけに向かう。
嗚呼、終わりだ。
感情が消え冷たくなる。
死んだ方がマシだと思った。何もかもなくなった方がマシだ。
匂いを放つ自分自身も、感情も、何もかも。少しぐらいマシになると思ったのに、飛び出して来た先でもやはりΩという性は煩わしさだけを連れてくる。
何も良いことなんてない。
いっそのこと、全て終わらせた方が楽だ。
「……ゆうと?」
起き上がった時、純一が目の前に居ることに気づくよりも身体の方が早く動いてしまい、思い切り額をぶつけた。
「いっ……!」
「うっ……ごめん、大丈夫? うなされてたけど」
「え? あー……ごめん、えっと……あ」
夢か、と口にしてため息が漏れた。
純一は額を抑えたままもう一度「大丈夫?」と問う。
痛そうに擦る手を掴んで、悠人は自分の手で額を擦りながらもう一度謝った。
「むかしの……こと、思い出す夢……見て」
「うん。なんか嫌な夢だったんだ?」
「うん……」
言うか、少し悩んだ。
悩んでいるのを分かってか、純一は抱きしめると背中を軽くぽんぽんと叩いた。
「無理はしなくていいよ。とりあえず何か飲む?」
「うん」
もう一呼吸分抱きしめると、純一は立ち上がってキッチンへ向かった。
夢だった。夢だと、どこかで分かっていながらも、まるで現実のようにそれを見ていた。
最悪の夢だ。
ぼんやりと目の前にある壁を見つめたまま、悠人は少し迷いながらも口を開いた。
「昔さぁ……何回か、薬飲んでてもやっぱ……ヒートの周期になると匂いがするって、αの人に言われたことがあってさぁ。それだけならまだ良かったんだけど……その、無理矢理、触ったり。キス、しようとしてきたり……したヤツがいて。まぁ、それ以上されたことはないし……まぁ、その代わりっていうか、思い切り相手殴ったりして。それで、色々あって前の仕事辞めたんだけど」
足音がして顔を向けた。
グラスに水を注ぎ持って来た純一は感情の読めない表情で立っていた。
ソファの隣りに腰を下ろし、グラスを悠人に手渡す。礼を言って受け取ると、一口飲んでほっと息を吐いた。
「全然、久々にこんな夢みた……」
「久々って……昔は見たの? よく」
「よくって言うほど頻繁じゃないけど。まぁ、偶に……それこそ、ヒートが近くなってる気がしたら、薬飲んでるとちょっと怠いとか、頭痛いとかあるんだけど。そうなると見てた……かな」
もう一口水を飲む。冷たい水が食道を通ると身体の中で水が流れていく感覚が内側から分かる。今のことに集中して深呼吸をして、嫌な夢は忘れようと目を閉じた。
「純一は、俺以外の匂いを感じたことないって、言ったでしょ? 俺も同じだよ。でも俺の匂いを他のαは感じてるやつもいた。βの人は分かんないけど。だから……なんて言うか、俺の匂いは別に、お前だけのものってわけじゃん、ないんだろうなぁ……って」
「それで?」
少し低い声に悠人は純一の方を向いた。
微笑むわけでもなく、細められた瞳は少し妖しく光っていて魅入ってしまう。
「それで……ソレで、お前の匂いも、そうなのかな、やっぱ……って。俺以外の人も……同じように、匂ってたのかな、やっぱ」
「ふぅん。それで? 悠人はなんでそんなこと思ったの」
「え? あー……いや、なんかその……夢を見て……、思い出して。そしたらなんか……急に」
「急に?」
そこまで口にして悠人は押し黙った。
自分の中にこみ上げる感情は、夢に対する恐怖や悲しみでは無い事に気がつく。
夢は嫌だった。だが今こうして話をして湧き上がる感情は全く別のモノだ。
どうしてそんな感情が湧くのかさっぱり分からない。自分の感情も思考も、全く制御出来ていない。慌てて視線を泳がせながら悠人は言葉を探した。
「急に、どうしたの? 素直に言って」
「いや、べつに……その……」
不意に純一が笑う。
グラスを取り上げられ、ローテーブルに置くと顔を覗き込まれた。
頬に手を当て、指先が輪郭を弄ぶようになぞる。
「言って」
「あ……その、なんか……残念だなって」
「残念?」
「だって……俺だけがそれを……感じてたわけじゃないなら……、それだけの匂いじゃないなら、なんか、その……むかつく」
そう口にした言葉に純一は満足げに口元に笑みを浮かべた。
「じゃあ、俺と一緒だね」
「純一と?」
「俺も今、悠人の話聞いて嫉妬したから。顔も知らない誰かが、悠人の匂い知ってるって腹が立つ。でも、多分、俺たちが感じてるのと、そいつらの感じてたのは違うよ。悠人も俺も、お互い以外の匂いは感じたことないでしょ?」
「……ないよ」
いくら言い寄られても、αの匂いはしなかった。むしろ嫌悪を感じる体臭を感じた。だからこそ必死に抗い殴ったこともあるわけで、決して思考や意識がかすめ取られるようなイイ匂いではなかった。
「じゃあやっぱり、そうだよ」
そう言って純一は顔を少し傾けて唇を近づけた。触れて、下唇を軽く噛んで離れる。
甘い香りがする。互いに、さっき香った人工的な匂いよりも、身体の底から熱を生み出す香りが鼻孔をくすぐる。
「あ……」
悠人は溜まらず声を漏らし、純一の肩に手を伸した。
自ら近づき口づける。もっとキスをしたかった。もっと舌を絡めて、甘く感じる唾液が欲しいと思う。
頭がぼうっとしてくると、舌を絡める水音が響く。
辛うじて残っている理性を総動員して、悠人は唇を離すと純一に抱きついて耳元で囁いた。
「やること……終わったの?」
「大体終わったよ。後は明日でも大丈夫」
耳元で囁き返し、純一は耳の輪郭を舌でなぞって耳たぶを噛んだ。
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