キンモクセイは夏の記憶とともに

広崎之斗

文字の大きさ
上 下
48 / 53
執着/愛着

しおりを挟む
 四〇分ほどして香水を手に二人は店を出た。
 ラベルの色や瓶の種類なども選ぶことが可能であったので、それらは全て純一に任せた。
 一瓶、調合して持って来てくれて、中身の確認をすると箱に入れて手提げ袋に入れて渡される。これらの調合レシピは全て管理されているから、なくなったらすぐにリピート購入が出来るという。実際に店に来ずとも、ネットでの注文でも可能だと言われた。
 値段は普通にブランドモノの香水を買うのと同じぐらいだったらしい。だが、それが高いのか安いのか、悠人にはさっぱり分からなかった。
 普通に買うとなれば高い気もするが、その場で調合してくれるとなれば安い気もする。
 支払いはもちろんと言うべきか、純一がしてくれた。
「なんか、悪い」
「ん? 何が」
「奢ってもらって」
 来る前に乗る前にそう告げると、運転席側に立っていた純一は笑ってドアを開けた。同じようにドアを開けて助手席に乗り込もうとすると、純一の手が伸びてきて後頭部を軽く掴まれたと思うとそのまま引き寄せて口づけられた。
「俺が好きでしてるからいいの」
「……ありがとう」
「そうそう。そっちのが嬉しいしね、謝られるより」
 席に座ってシートベルトを締めて純一は続けた。
「それに、ここの社長と仕事してからずっと作ってみたかったし」
「香水を?」
「前に嗅いだことのある悠人の匂いをね。一度、それっぽいの作ってみてもらいはしたけど、何かちょっと違うって言うか。やっぱ本人が居ないと分からないっていうか。いくら覚えてても、細かいところまでは思い出せないっていうか。結局本人連れてこなきゃダメだコレってなって」
 エンジンを掛ける。
 あの時の匂いを忘れた事はない。だがそれは悠人はすでにΩであったし、ヒートであったからこそかもしれないと思う。生きてきた中で唯一欲しいと思ったαの香りだ。忘れたくても忘れられない。あの香り以外を嗅いだ事はないのだから。
「さて。スーパー寄って帰る? ウチなんもないし」
「うん。あ、作るのは任せてよ。そんな豪華なもんは作れないけど」
「マジで? でも無理はしないでいいよ?」
 大丈夫、と答えて悠人は前を向いて微笑んだ。

 普段料理はしないということで、調味料もどのぐらいあるのか分からないと純一は言った。
 塩と砂糖ぐらいはあるハズと言われて、ならばそれ以外に必要そうなものを買おうと純一が持っているカゴの中にぽいぽいと放り込んでいく。
 そんなに使うだろうか、と少し心配げに純一が言ったので、どうせ自分が使うからと悠人は答えた。
「あとあると意外と便利だよ」
「でも使わないとダメにしそう」
「ダメにする前に俺が作ってやるから」
 と、自分で言って少し恥ずかしくなった。
 純一の両手に、そして悠人も一つ袋を手に店を出た。
「部屋に炊飯器がないって事実が俺にはびっくりだわ」
 悠人は笑って言った。確かにあのキッチンにそんなものはなかった気がする。
 今度買うと純一は言いながら、パックのご飯を購入した。
 しかし、そう言われた時にふと浮かんだ言葉があった。だが悠人は飲み込んでいた。
 ウチのを持って行こうか、というのはなんとも貧乏くさい気もした。だがそれ以上に、純一の家にしょっちゅう行くという宣言にも思えて、どうにも押しつけがましさを感じた。
 車に乗り込み、次は家に帰るだけとなったところで、純一がスマートフォンを取り出した。
 画面を確認すると少しだけ眉根を寄せて、口元を下げた。
「仕事? 出て良いよ」
「ゴメンね」
 そう言って純一は通話をタップした。
「もしもし。いえ、こちらこそお世話になっております」

 声を聞きながら悠人はシートベルトを締めて、窓際に肘を突いて外を見やった。
 電話相手に話す純一の声はいつもより少し落ち着いて聞こえた。多分、店であった時に聞いたような、少し大人びたものに近い。
 否、彼は当り前に大人なのだから、大人びたというのは語弊がある。だが普段の純一は昔と変わらない感じがした。もちろん声はあの頃に比べたら低い。
 そうではなくて、多分雰囲気の問題だ。
 仕事の話らしき会話の内容は殆ど聞こえなかった。ただ、自分と話をするときとは違うトーンの純一の声に耳を傾ける。
 店で会って、それから再び会った時、ドギマギしていたのは多分その声の所為だ。
 自分が知らない一面であり、まるで見知らぬ他人の気もした。
 仕事相手なのだから、普段の自分よりも少し偽るのは当り前だ。だからこそ、久しぶりに会う自分にそういった一面で近づいて来たのも納得がいく。
 それに自分だって、最初は同じだ。純一に会いたくはなかったし、話していてもまるで面影がないように感じて、他人とはなしているような気さえして、緊張を少ししていた気がする。
 さほど前の話でもないのに、すでに昔の話のように思える。
 それだけ、今の自分たちは昔の自分達に戻って話して過ごしたから、あの時の延長にいるのと変わりない。

「どうしたの、気分悪い?」
「え、あ、いや」
 声を掛けられてハッと我に返った。
 純一を見るとすでに通話は終えたらしく、スマートフォンはしまわれていた。
「どうしたの?」
 再び心配そうに聞かれて、悠人は困ったように笑った。
「何か心配するぐらい変な顔してる? 俺」
「眉間の皺が凄い」
 そう言われて、確かに眉間に力が入っていたことに気がつく。マッサージでもするように悠人は自分の眉間を指先でぐいぐいと押してため息を吐いた。
「なんか、俺の知らない純一だなぁって思って」
「ほぉ? 今の電話が?」
「そう。でも最初店に来てくれたときは、そういう感じだったし……なんて言うか、今はもう昔の通りって感じだから違和感はないんだけど。なんていうか……その」
「その?」
「最初の頃のお前……何か別人、みたいな感じが、して……緊張したなぁ、って思って。電話してると、それに近いなぁって、思って。でもそう……なると、さぁ」
 口にしながら恥ずかしくなりもう一度外を見た。
「なると?」
 エンジンをかける。少し声が弾んでいるように聞こえて更に恥ずかしさを覚える。
「最後まで教えてよ」
「……そうなると、その……普段のお前を知ってるのって、少ないのかなって、思って……いや、違う、なんだこれ」
「まぁ、そうだね。俺もそんな気の置けない仲が多いってわけじゃないしねぇ。仕事絡みだとどうしても猫被るじゃん?」
「うっそだ、お前、絶対友達多いだろ。人付き合い上手いだろ」
 運転席を見て思わず声を上げた。
 自分なんかより世界は広いと思った。誰とでもすぐ仲良くなれそうだし、仕事だからというだけじゃなくて、その先の一歩を踏み込み、程よい距離で付き合うのが上手そうだと思った。
「だってなんか見てて思うけど……昔と違って全然人と話すのも得意だし。そりゃ、そうじゃないと仕事にも支障あると思うし分かってるけど。でも……、ああ、俺、何言ってんだ?」
「混乱してるねぇ。やっぱ出かけない方がよかったかな?」
 そう言って純一が手を伸して身を乗り出すと、軽く抱きしめた。
 匂いがしてふと気持ちが落ち着いていく。隣りにずっといるのに、その香りが少し遠く感じていたことに気がついて、悠人は目を閉じると深く息を吸った。
「なんか、へん」
「疲れてるんだよ。帰って休もう?」
「うぅ……迷惑掛けてる」
「別に迷惑じゃないし。むしろ傍にいられて良かったてぐらいだけど、俺としては」
「……ゴメン」
「謝らなくていいから」
「……ありがとう」
「そう、そっちのほうがいい」
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

王冠にかける恋【完結】番外編更新中

毬谷
BL
完結済み・番外編更新中 ◆ 国立天風学園にはこんな噂があった。 『この学園に在籍する生徒は全員オメガである』 もちろん、根も歯もない噂だったが、学園になんら関わりのない国民たちはその噂を疑うことはなかった。 何故そんな噂が出回ったかというと、出入りの業者がこんなことを漏らしたからである。 『生徒たちは、全員首輪をしている』 ◆ 王制がある現代のとある国。 次期国王である第一王子・五鳳院景(ごおういんけい)も通う超エリート校・国立天風学園。 そこの生徒である笠間真加(かさままなか)は、ある日「ハル」という名前しかわからない謎の生徒と出会って…… ◆ オメガバース学園もの 超ロイヤルアルファ×(比較的)普通の男子高校生オメガです。

学院のモブ役だったはずの青年溺愛物語

紅林
BL
『桜田門学院高等学校』 日本中の超金持ちの子息子女が通うこの学校は東京都内に位置する野球ドーム五個分の土地が学院としてなる巨大学園だ しかし生徒数は300人程の少人数の学院だ そんな学院でモブとして役割を果たすはずだった青年の物語である

【完結済み】乙男な僕はモブらしく生きる

木嶋うめ香
BL
本編完結済み(2021.3.8) 和の国の貴族の子息が通う華学園の食堂で、僕こと鈴森千晴(すずもりちはる)は前世の記憶を思い出した。 この世界、前世の僕がやっていたBLゲーム「華乙男のラブ日和」じゃないか? 鈴森千晴なんて登場人物、ゲームには居なかったから僕のポジションはモブなんだろう。 もうすぐ主人公が転校してくる。 僕の片思いの相手山城雅(やましろみやび)も攻略対象者の一人だ。 これから僕は主人公と雅が仲良くなっていくのを見てなきゃいけないのか。 片思いだって分ってるから、諦めなきゃいけないのは分ってるけど、やっぱり辛いよどうしたらいいんだろう。

ただ愛されたいと願う

藤雪たすく
BL
自分の居場所を求めながら、劣等感に苛まれているオメガの清末 海里。 やっと側にいたいと思える人を見つけたけれど、その人は……

アルファな俺が最推しを救う話〜どうして俺が受けなんだ?!〜

車不
BL
5歳の誕生日に階段から落ちて頭を打った主人公は、自身がオメガバースの世界を舞台にしたBLゲームに転生したことに気づく。「よりにもよってレオンハルトに転生なんて…悪役じゃねぇか!!待てよ、もしかしたらゲームで死んだ最推しの異母兄を助けられるかもしれない…」これは第2の性により人々の人生や生活が左右される世界に疑問を持った主人公が、最推しの死を阻止するために奮闘する物語である。

平凡な男子高校生が、素敵な、ある意味必然的な運命をつかむお話。

しゅ
BL
平凡な男子高校生が、非凡な男子高校生にベタベタで甘々に可愛がられて、ただただ幸せになる話です。 基本主人公目線で進行しますが、1部友人達の目線になることがあります。 一部ファンタジー。基本ありきたりな話です。 それでも宜しければどうぞ。

あと一度だけでもいいから君に会いたい

藤雪たすく
BL
異世界に転生し、冒険者ギルドの雑用係として働き始めてかれこれ10年ほど経つけれど……この世界のご飯は素材を生かしすぎている。 いまだ食事に馴染めず米が恋しすぎてしまった為、とある冒険者さんの事が気になって仕方がなくなってしまった。 もう一度あの人に会いたい。あと一度でもあの人と会いたい。 ※他サイト投稿済み作品を改題、修正したものになります

金の野獣と薔薇の番

むー
BL
結季には記憶と共に失った大切な約束があった。 ❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎ 止むを得ない事情で全寮制の学園の高等部に編入した結季。 彼は事故により7歳より以前の記憶がない。 高校進学時の検査でオメガ因子が見つかるまでベータとして養父母に育てられた。 オメガと判明したがフェロモンが出ることも発情期が来ることはなかった。 ある日、編入先の学園で金髪金眼の皇貴と出逢う。 彼の纒う薔薇の香りに発情し、結季の中のオメガが開花する。 その薔薇の香りのフェロモンを纏う皇貴は、全ての性を魅了し学園の頂点に立つアルファだ。 来るもの拒まずで性に奔放だが、番は持つつもりはないと公言していた。 皇貴との出会いが、少しずつ結季のオメガとしての運命が動き出す……? 4/20 本編開始。 『至高のオメガとガラスの靴』と同じ世界の話です。 (『至高の〜』完結から4ヶ月後の設定です。) ※シリーズものになっていますが、どの物語から読んでも大丈夫です。 【至高のオメガとガラスの靴】  ↓ 【金の野獣と薔薇の番】←今ココ  ↓ 【魔法使いと眠れるオメガ】

処理中です...