キンモクセイは夏の記憶とともに

広崎之斗

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執着/愛着

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「こちらとか、いかがですか?」
 個室に通された先で説明を受け、差し出された香りを匂って悠人は小首を傾げた。
 純一も同じく匂ってから少し唸った。
「もうちょっと甘いかなぁ」
 そういったのは純一で、それに対して思わず「え?」と声を出したのは悠人だった。
「俺はもうちょっとさっぱりしたっていうか……柑橘系みたいな」
 なるほど、とスタッフの女性は頷いて、手慣れた様子で他の香りを取ってくる。

 純一が予約していた場所は、所謂自分で香りを作る、というのが売りの香水ショップだった。
 そこは普通に営業しているし、普通に匂いを作ることも出来る。自分の好みをスタッフに告げ、調合してもうらう。気に入った香りができれば、それで一瓶作ってもらえるというものだ。
 もちろん使うものによって価格は変わっていく。普通に作ったところでそれなりの値段がするので、普段の悠人なら絶対足を踏み入れることはない場所だ。そもそも香水はつけない。
 だが純一が予約していたのは更にパーソナルな物を作るという代物らしく、店の上階、更に個室へと案内されて悠人はハラハラしていた。
 案内された先にはすでに準備を整えていたスタッフがいた。その女性は落ち着いた口調で自らの名を佐々木と名乗った。
 そして次に驚いたのは、彼女は自らの第二性をΩなのだと告げた。ならばおそらく、名前は偽名だと悠人は直感で思う。
「こちらは特別な香りを作るスペースとなっております」
 そう言いながら席に案内され、悠人は椅子に腰を下ろした。純一も同じように隣りに腰を下ろす。
 スタッフ曰く、そこは香水は香水でもお互いの香りを作るのだという。もちろん、香っている香りをそのまま作っても意味がない。互いに身につけた時にその匂いがしなくては意味がない。
 そして互いの香りというのは、要するに互いのフェロモンだという。
 そんなことが可能なのだろうか、と悠人は思いながら説明を聞いていた。
 スタッフがΩだと自ら告白したのは、この場にいる二人への、主にΩ側への配慮なのだろう。そして曰く、Ωの方が匂いには敏感なのだと言いながらいくつかの説明が書かれたシートを差し出された。
 ならばαで匂いに敏感な冬真はレアなのだろうなと、ぼんやりと思った。
「お互いに、匂いを例えてみていただけますか? 皆様、花の香りや食べ物香りなど、様々ですが、近い香りがあるかと思いますので」
 そう言われて悠人は純一を見た。同じように悠人を見た純一は、先に口を開く。
「キンモクセイです」
「そう、です」
 悠人も頷いて答える。
 なるほど、と言いながら彼女は後ろの棚から一つの瓶を取り出した。
「こちらに置いてあるのは、多くの方が最初に口にされる香りです。そして下の階でも販売している当店の香りになります」
 そう言いながら彼女はキャップを外すと、試香紙にワンプッシュ香りを出して差し出した。
 最初に手に取ったのは悠人で、次に純一にも手渡される。
 互いに香ったところで彼女は問うた。
「いかがでしょう? もっとおそらく特徴があると思いますのでそれをお教え下さい」

「もうちょっと甘いかなぁ」
「え? 俺はもうちょっとさっぱりしたっていうか……柑橘系みたいな」
 なるほど、と彼女は頷いて、奥から香りを持ってくると立ち去る。
 悠人は純一を見つめて言った。
「甘いの?」
「凄く甘いよ。てか柑橘系って……さっぱり?」
「さっぱりっていうか……深く吸った後は、そういう感じっていうか。落ち着く感じっていうか」
 口にしながら手渡された試香紙を見つめた。
 すぐに戻ってきた彼女は、いくつかの瓶をトレーに乗せていた。
 そしてそれをテーブルに置くと、二人に不躾なお願いですが、と口を開いた。
「先に、私に香りを嗅がせていただいてもよろしいですか?」
「え? 香りって……俺の、ですか?」
 悠人が口にすると、彼女は口元に形良く笑みを浮かべて頷いた。
「ええ、お二方ともです。先ほどの印象と併せて、私が嗅いだ香りでチューニングします。おそらく、お二方のようにまったく同じ香りを私が嗅ぐことはできません。ですが、程近いモノは香りますから、それとお二方の印象を元に調合いたします」
「そんなこと出来るんですね、すごいや」
 純一はサイトで見た時から凄いと思っていたのだ、と付け足して言った。
 嗅覚をリセットするためにと準備してきたコーヒー豆の入ったグラスを二人の間に置いて、彼女は微笑む。
「この仕事に就くまではまったく役に立たない、むしろ、匂いに溺れる最悪の性質だと思っておりましたが。今ではこの仕事が天職だと思っております。」
 そう言って彼女は純一のほうを見た。
「あと一つお伺いしたいのですが。六條様は我が社の社長のお知り合い……の、六條様ですよね?」
「なんだ、バレてました?」
「いいえ。ほぼ勘です。ですがやはりそうでしたか。社長が大きく店を展開する前から仕事上でお世話になっていると伺っております」
「むしろ俺の方が、駆け出しの頃から世話になってますよ」
 悠人は口をぽかんと開けて純一を見つめていた。その視線を受けて純一は肩を竦めて笑う。
「立ち上げた頃の社長さんのコンペで、俺のデザインが採用されたんだよ。そこからずっと、色々任せてもらってる。香水って思いついたときにこちらを思い出して。空いてて良かったですよ、ホント」
「平日は比較的空いてますから。あとご要望にお書き添えいただいていた件ですが、後ほどご案内させていただきます」
 二人のやり取りを傍目に、悠人は純一の交友範囲の広さをボンヤリと感じる。もちろん仕事が始まりというものが多いのだろうが、それだけ彼は多くの人と多くの仕事をこなして来て今に至るのだろう。
 あれほど他人との付き合いに消極的とも言えた少年が、いつの間にこんなことになったのだろうかと思う。会っていない間の時間は大きく彼を変え、自分の場合は反対に人付き合いに消極的になったかもしれないと思った。
「では、よろしいですか?」
「あ、はい」
 声を掛けられ悠人はどうすればいいのか、と少しあたふたした。彼女は首筋を見せて欲しいと言うのでそれに従って身体を向けると、耳に髪をかけた。
 すっと彼女との距離が近くなる。だが特に彼女自身の匂いはせず、一瞬の一呼吸だけですぐに去る。
 そしてそれを忘れないうちに、と言わんばかりにいくつかの瓶をピックアップすると、そこから一つを取り出した。
「おそらく……この辺りかと思います」
 そう言って彼女は純一から試香紙を受け取ると、そこにワンプッシュ吹きかけた。
「こちらの香りは社長が開発したもので、フェロモンに近い香りを引き出すものです。その中にも、人それぞれ様々な香りがありますから、既存の香りの種類に合わせて配合した特別製です」
「フェロモンじゃないんですか?」
「フェロモンは自体の人工精製もありますが、こちらは香りのみです。フェロモンを感じ取って、人が嗅覚で認識するソレに近い香りです」
「ああ、うん……これ近いです」
「ではこちらはコレで。後ほどご本人がつけてみて下さい」
 そう言って今度は純一の方が首筋を見せて匂いを嗅がせると、悠人の時と同じように一つの瓶を取り上げ、彼の試香紙にワンプッシュ吹きかけた。
 渡された試香紙に鼻を近づけて、悠人は目を丸くした。
「これ……これです、凄い。なんで?」
「驚いていただけて嬉しいです。そうしましたら少し調整して、お互いにつけた時に、お互いの香りがするようにしなくてはいけません。ですが、小山様はお仕事柄、香水は身につけないと伺っておりますので、このまま完成させる香りにいたします」
 そう言って彼女は代わりに、とテーブルの下にある引き出しからある物を取り出して置いた。
「こちらがペンダントタイプで、こちらがブレスレットタイプです。ブレスレットの方が、お仕事時外すことも簡単ですし、おすすめです。デザインもいくつかありますのでお申し付けください」
 そう言うと一度、テスト用に調合をしてくるといって彼女は裏にさがった。
 首を傾げた悠人に対し、純一はブレスレットを手にした。ざっとブレスレットを検分するように見たかと思うと、円盤の部分を弄って蓋を開ける。
「要するに香水とかを中に軽く忍ばせる系のアクセサリーね。これなら仕事中は外せるし、匂いたい時は匂える。どう?」
 そう言って円盤を再び閉じるとブレスレットを差し出され、悠人は受け取った。
 まるで革ベルトの腕時計のような見た目だった。だが時計のように見える円盤は中にフェルトが入っており、そこに香りを吹きかければいいという。
「仕事中は確かに取るけど……」
「休憩時間とかに匂いを嗅ぐことはできるよ?」
 純一の言葉に悠人は頷いた。
 少し嬉しくなって口元が綻ぶ。
「これ、いいね」
「んじゃあ、俺もそれにしよっかなぁ」
「純一は別に香水つければいいんじゃないの?」
「まぁそれもそうだけど。それとは別にお揃いの持ってるのもいいじゃん?」
 そう言いながら純一は悠人の手からブレスレットを奪って微笑む。
 円盤の部分を指差して「柄いくつかあるよ」と言う。
 お揃い、という言葉に妙にむず痒さを感じて悠人は視線を泳がせた。
「柄……柄か、どうしようか」
「悠人が好きなのでいいよ。俺もそれにするから」
 そう言って楽しそうに笑う純一に何も言えず、悠人は頬が熱くなる気がした。
 ちょうどその時、スタッフが戻ってきて、二人に調合したテストの香りを手渡した。
 それらを互いにつけた状態で互いの香りがすれば完成だ。微調整はいくらでもするので伝えて欲しいと言われて、悠人は渡された小さなスプレー瓶のようなソレをまじまじと見つめた。
 言われた通りワンプッシュ。肌ならどこでもイイと言われたので手首につけてみた。
 そして鼻を近づけると、確かにそれはいつも感じる純一の香りにそっくりだった。
「え、すご」
「ホントだ」
 二人は目を見合わせてそして頷いた。
 確かに彼女が作った香りは、お互いにいつも香っている匂いにそっくりだった。
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