キンモクセイは夏の記憶とともに

広崎之斗

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▼閑話

晴樹と冬真の場合

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 アイスコーヒーを飲みながら一息つく。
 あーっと小さく息を漏らすように母音を伸ばして、晴樹は上を向いた。
 すると足音が聞こえる。
「いやー、マジ助かったよ。疲れた? ゴメンね」
「いや、大丈夫ですよ。いや、やっぱ疲れたかなぁ」
 顔を戻しながら晴樹は言ってアイスコーヒーをまた一口飲む。
 冬真は小さなテーブルを挟み向かいに座りながら、スマートフォンを手にして言った。
「今度なんか食べに行こう、奢るよ。あ、ちゃんと給料も払うから」
「あざーす。まぁ万年座り仕事の身にちょうどいい運動といえば運動ですけどね」
 そう言って晴樹は足を少しだけぷらぷらと振った。

「アイツ結局大丈夫なんです?」
「ん? んー、大丈夫そうだよ」
 ふっと笑いながら冬真は液晶画面をスワイプする。
「まぁあと三日ぐらいじゃないかなぁ。昼頃電話したときは、声ガッラガラだったから」
「あー。あー……うわー、そんなの知りたくないわー」
 笑いながら晴樹はまた天井を見上げた。
 昨日、悠人と出かけて香瑠の店に行った。そこで言われた言葉で悠人は慌てて家に帰った。
 それを見送って晴樹は本当に大丈夫だろうかと香瑠に問うたが肩を竦めるだけだった。
 追いかけて家に送り届けるぐらいはしようかと思ったが、晴樹はそれをしなかった。
「遂に失恋だねぇ」
 そんな声に視線を戻すと、冬真が目を細め、テーブルに肘を突いて笑っていた。
「失恋って……別にそんなんじゃ」
「でも、悠人のことずっと好きだったんじゃないの?」
「……顔に出てました?」
「いや。別に。なんとなく? 大丈夫、どうせアイツは気づいちゃいないよ」
 そう言われて少しホッとする。
「でも本当に、好きとかそういうんじゃないですよ、今は」
「じゃあ昔はそうだった?」
「かもしれない、ですけど。多分ちょっと違うと思いますよ」
「ふぅん?」
 不思議そうな表情の冬真から少し視線を逸らして、晴樹はアイスコーヒーを飲んだ。

 悠人と出かけた翌日――ようするに今日。
 昼を食べようと思った時、ふと店に行ってみようと思った。
 もちろん悠人の仕事は夜帯だからいるはずがない。だから一つの目的は冬真と話すことだった。
 何度も通っていて顔も知れているし、連絡先も知っているし、ゲーム仲間でもある。だが、とりあえず直接話したいと思ったのは、家から少し出たいと思ったからかもしれない。
 電車に乗って街へ出て、人混みをかき分け店に向かう。
 日射しはまだ夏の装いを残しているが、それでも少しずつ和らいでいた。
 店に着くとランチは終わりがけだったが、冬真がいて目的は果たせた。
 腹ごしらえをして話してみると、悠人はおそらくあと数日は休むとのことだった。そして連絡が取れないのは「仕方がないと思う」とのことだった。
 そうして食事を終えたところで、冬真は晴樹に頼んでもいないデザートを差し出して言った。
「ちょっとさぁ、晴樹、ヘルプしない?」
 元々、学生時代からフリーター時代、飲食店での勤務経験はあった。
 ああいう場所は様々な人が入り乱れる。店の価格帯、立地によって客層も違えば、取り扱う食品によっても客層が変わる。
 人間観察が楽しかったのもある。理不尽なクレームに気が滅入ることもあったが、そういう考え方もあるのかと思えば作品を創る時の視点として役立つこともあった。
 そしてなにより、賄いがあれば食いっぱぐれる事はない。食事を作る手間も省ける。
 過去の経験を知っているからこそ、冬真はそう言ったのである。
 そしてさほど動けるとは思わないが、オーダーを取ること、配膳、レジ打ちぐらいなら問題はないと言ったら即採用となった。
 もちろんピンチヒッターではあるが、それだけで十分だと冬真は喜んだ。
 そうして、悠人が休む数日間、夜の時間に店に通うこととなった。

「俺はβだから、まぁなんていうか、平々凡々に生きて行けるんですよ。でもアイツはΩでしょう。それって大変じゃないですか。なのにアイツは結構無理をしてたところがあるっていうか。薬の件もそうですけど。だから偶に体調悪そうなのみて気になって話してて。助けてやりたいって自意識過剰に思ってただけで」
「助けてやりたい、ねぇ……」
「それが相手を傷つける可能性があることも、重々承知はしてますけどね」
「へぇ?」
「俺が例えばαだったら、もっとアイツを守ってやれたんじゃないかって思った事もあって。だからまぁ、なんていうか。好きでも、自分じゃアイツを幸せには出来ないなって思ってたのは確かですね。もうかなり昔だけど」
 βであるということは、普通に暮らす上では可もなく不可もなしだ。むしろ純然に自らの能力だけで見られるから、ソレこそ幸せかもしれない。
 だがΩの性質をもつ者を守るという点では特筆する利点はない。
 αであれば力を持つ。故に守る事に特筆できるのではないかと思った。
「でもαだからって、守れるものでもないでしょ。特に悠人の場合はさぁ。寄せ付けずっていうか……多分、例えば晴樹がαであったとしても、あの幼なじみくんが居る限りアイツは他のαに全く興味はなかったと思うよ。匂いも、何も感じなければ、自分のフェロモンもどこにも向かない。ある意味それはそれで、自己防衛だったかもしれないし。ある意味幼なじみくんがずっと守ってたと言ってもイイかもね」
「はぁ、そんな取り方もアリですか」
 ランチで同席したあの幼なじみを思い浮かべながら、晴樹は一つ気になっていたことを聞いた。
「結局、なんであの幼なじみは悠人の部屋にいたんです?」
「んー? 俺が薬持って行った時に居たんだよ」
 そう言って冬真は純一とのやり取りを説明した。

 知り合いの医者の下へ行き事情を説明した。そこで彼は処方箋なしでも買える中で、一番強い緊急の抑制剤を指定してくれた。
 その薬を持って行った際、純一がほぼ同時に部屋に着いていたという。
 純一は冬真に何故いるのかと問うと同時に、悠人は大丈夫か知っているかと焦燥を露わに言った。
 冬真のほうも何故純一がいるのかと思ったが、先に自分の方の説明をしたという。
 そこで始めて純一は悠人がヒートになった、と理解したという。彼は約束をしていたハズなのに悠人が突然行けないと連絡をよこし、そこからまったく既読もつかなければ電話にも出ない。不安の余り仕事も殆ど片付いていたから、慌てて飛び出して部屋まで来たのだという。
 何かあったのではないか、と思ったがまさかヒートだとは思わなかったという。それもそのはずで、昼には会っているのだから当り前だ。
 さらに彼は抑制剤をずっと飲んでいるのに、何故かと呟き、それを冬真が拾い上げた。
「抑制剤を飲んでてもさ、結局は抑えてるだけで軽微なヒート現象は毎回あるのよ。悠人の場合はそれが怠かったり、頭が痛いとか、そういうの。それが数日あって終わる。でも薬で抑えてるから、本来の身体能力に負担を掛けているといって良い。普段なら別にどうってことないんだろうけど、今回は完全にイレギュラーな存在が乱入していた。それが幼なじみくん。いつも通り薬を増やしてたみたいだけど、悠人の匂いはずっと強くなる一方だった。それでも普通のαには匂わないと思う。でも幼なじみくんは、完全にそれを感じ取っていた」
「それで薬を彼に渡したってことですか」
「そ。まぁその場でも簡単に説明したけど。元々悠人は薬で抑え続けてた。本当にずっと。最初の一回を除いてずっと、だよ。もう限界って状態でもあったんだと思う。だから今は薬を飲ますことも必要だとは思うけど、それは今までヒートをちゃんと過ごしてない悠人が壊れないようにするための薬で、完全に抑えることは無理ってこと。だから、幼なじみくんが居るならちょうどいいから。悠人がその薬を飲んで、少ししてからもイイっていうなら、抱いてやれっつったの」
「わお」
「即効性のだから、多分、すぐにアイツになら効くと思ってさ。ヒート状態に入ったら完全に理性失ってただただ欲しいってなるだけだけど、ソレ飲んで効けば、少し普段通りの思考に戻れるはずだから、って」
「で、その通りになったってこと……ですか」
「そういうこと」
「でもなんで、そういうの詳しいんです?」
 晴樹の問いに冬真ははぐらかすように肩を竦める。
「匂いに敏感すぎるから、勉強したってところかなぁ」
「匂いってそんなに酷いんですか、その、色々」
「人自身の匂いもあるけど、そこから更に分岐してΩとかα、βも匂いってあるんだよ。人それぞれの個性とは別に、その特性みたいな匂いが。ソレが凄いなんていうか……俺にはキツいんだけど」
「キツい、ですか」
「まぁ子供の頃は本当キツかったけど。今は慣れた。むしろ人の個性の匂いの方が面白いって思う時もあるけど。まぁ、あんま役立たないんだけどねぇこれ」
「えーじゃあ俺ってどんな匂いするんですか?」
 なんとなく晴樹は聞いた。人が匂う自分の香りとはどういうものか、少し興味がある。
 それを言葉にするとなると、ワインのテイスティングみたいになるのだろうか。
 だが意に反した答えを冬真は口にした。
「なにも匂わないよ」
「えー、うそ。マジで?」
「うん。βの匂いってのもあるんだけど、それもあまりしないし。人の個性的な匂いっていうのもあまりしないっていうか」
「え、まって。俺それ生きてます? 大丈夫?」
 声を上げて笑うと、冬真は立ち上がった。
 休憩はまもなく終わる。二人が表に出たら、学生のバイト達が帰る時間だ。
 アイスコーヒーを飲み干して晴樹は少し肩を落としていた。何もないと言われるのは、それはそれで少しショックだ。
「大丈夫。っていうか、俺は何も匂わないほうが好きだよ。それに、そういう人は余り居ないから、晴樹はかなりレアだよ」
 その言葉を口にして冬真は先に表に戻った。
 晴樹は少しだけ言葉の意味に何か引っかかりを感じながら、アイスコーヒーの入っていたグラスを覗き込んだ。
 氷は小さくなっている。勢い良くグラスを傾け口の中に氷を放り込むと、一つかみ砕いて飲み込んだ。
「レアかぁ……ならいいのかな」
 そう言って、ピンチヒッターとしてのホール業務に戻って行った。
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