キンモクセイは夏の記憶とともに

広崎之斗

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昔の話、今の話。

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 シャワーを浴びて出ると、今度はコーヒーの香りがした。
 用意されていたタオルを頭から掛けたまま出て行くと、リビングのテーブルの傍に立ってカップに口をつけた純一がぱちりと瞬きして見た。
「あれ、ドライヤー使わなかったの?」
「夏はいつもそんな使わないから……どうせすぐ乾くし」
 なるほど、と納得して純一はテーブルの上に置いてあったもう一つのカップを悠人に差し出した。
「砂糖いる?」
「あー……いや、そのままで良い。ありがとう」
 少し悩んだが、この怠い身体をシャキッとさせるのにはブラックでいいかと思い手にした。
 座るように促され、椅子を引いて座ると純一も同じように向かいに腰掛けた。
「なんかゴメン。なんかいろいろ、世話になりっぱなしで……」
「気にする必要はないよ。それに、今日も付き合ってもらう気だからさ」
「……今日も?」
「そ。ドライブ行こう」
「は?」
 唐突な誘いに悠人は口をつけようとしていたカップを掴んだまま、笑顔の純一を見つめた。

「今日は店が休みでしょう? 予定入ってたりはしない、よな?」
「今日は……別に予定ない、けど」
 基本的に店休日には予定は入れないでいる。家のことをしたり、美容院に行ったり、医者に行ったり、買い出しに行ったり。そういう休みとして宛がっている傾向がある。
 悠人は視線をカップの中身に移して一口コーヒーを飲んだ。
「それに、俺の話を聞いてもらう番だから」
「だからって、ドライブ?」
「そう。わざわざこのために昨日、仕事終わらせて店に行ったようなもんだからさぁ」
 笑顔で放たれた言葉に再び悠人は視線を上げた。
 屈託のない笑顔で純一は続ける。
「俺はもう、あとは悠人がイイって答えてくれるまで、ひたすら言い続けるだけだから」
「は? 俺がイイって答えるまでって……どういうこと?」
 コーヒーをぐいっと飲んで純一は続ける。
「だから、匂いのことも、悠人は理解しているってことでしょ? その上で、あの時のことがあるから自分は相応しくないなんて、意味不明なことを言う。まったくこっちのことも考えて欲しいよ。どれだけ探したと思ってる? 俺は昨日言った通り、努力した。αであるっていう判定を得てから、それを最大限に使ったつもりでココにいる」
 悠人は眉間に皺を寄せて首を少しだけ傾けた。
 意味が分からない。
 だが純一は続ける。

「俺は自分がαだって分かった時。そのちょっと前に悠人から匂ったアレは噂に聞いてたってやつだと確信した。だからコレで大手を振って俺は悠人に告白出来るって思ったし、悠人だって俺なら即断即決してくれると思ったぐらいには俺は浮かれた」
「……どこから来るんだその自信」
 思わず本音を漏らすと、純一は口を斜めにする。
「だって学年が離れててもずっと一緒にいてくれたわけだし。それに俺は悠人の好き嫌いも他の誰より分かってる自覚あったし。それにあんな匂い、そうそう出会えないでしょ。俺だって悠人があの時、弾き飛ばして追い出さなかったら、絶対そのまま襲ってたと思うし」
 まだαという診断は出ていなかったけれど、と付け加えて純一は視線を少しだけ逸らした。
「そのぐらい、あの時のことは強烈だったんだよ。あれからどんな人を前にしたって、全然あんな風にはならなかったし。だから俺は絶対悠人を探し出すって決めてここまで来たんだから、覚悟して」
「覚悟って……っていうか、どんな人を前にしてもって……その、お前、え……っと。恋人とか、いたの?」
「いないよ。男も女も。βもΩも、どうにも匂いが無理で、全然一緒に居ても落ち着かないし、興奮もしない。諦めたのは多分高校の頃かな」
「はやっ」
 思わず声を上げて、悠人は首を横に振った。

「でもだからって、俺を探すとか……意味分かんない。ってか、昨日までとお前雰囲気変わりすぎじゃない?!」
 昨日、部屋に帰ってくるまでと今ならば天地の差を感じなくもない。
 少しどこか大人びた印象があった純一は昨日で終わったのか、今の純一は昔の頃の雰囲気に近い。
 小学校の中学年の頃か。少しずつ彼の性格が変わり出した頃。やんちゃとまではいかずとも、明るく、ポジティブになっていったのは記憶にも残っている。
「まぁ、昨日までっていうか部屋に連れてくるまで……イヤ、あの時のこと聞くまではまだ色々探ってたから。とりあえずおとなしくしといた方が、悠人も着いて来てくれるかなって思って? まぁ、まんまとそうなったけど」
「はぁ?」
「俺が兎に角一番確認したかったのは、悠人も俺のコトが好きだってこと。昔も今も。それを踏まえて、悠人はあの時のことが引っかかって、運命の番であろうこの甘ったるい匂いさえ認めたがらない。なら認めてもらうまで俺も更に努力するだけってことよ」
「か、勝手に話進めんなよ! 俺は別にお前のことなんて……ッ!」
「好きじゃないってわけないでしょ? 今だってイイ匂いするのに」
「うぅ……」
 コーヒーの香り。
 そして甘い香り。
 ずっとその匂いはしている。
 この部屋に来る前から、会った時からずっとしている。
 それでもまだ、あの時のような噎せ返るような匂いはしていない。
「とりあえず、話を聞いてよ。まずはそこから。やっとここまで来たんだから」
 そう言って目を細めて笑う純一に、悠人は大きなため息を吐いて特に言葉は返さなかった。
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