キンモクセイは夏の記憶とともに

広崎之斗

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日常で始まった、非日常

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 店内の心地よい静けさを邪魔しない程度に、悠人は笑いを堪えていた。
 あの謎のマネキンは、先日、店にきたもう一人の男――守谷慎二の趣味の残骸なのだと純一は言った。
「大体すぐ形から入って飽きるんだよ、アイツ」
「それであんな、なんだかよくわかんない恰好になってんの?」
「そ。あとあそこに着せてる服は、大体煮詰まった時にあの事務所で泊まった時にコインランドリーで洗濯して、乾燥させたのを着替えさせてる。だから、偶に恰好が変わってると、泊まったのかって分かる」
 一時期、前の事務所で仕事をしていた時はギターを持っていたと思えば、次にはDTM用のキーボードを持たそうとしていたらしい。
 意味が分からないと悠人がいうと、純一も分からないと笑った。
 そうこうしている内に、頼んだチーズドリアが届く。
 熱々の湯気を立たせながら届けられたドリアは、チーズの匂いが空腹を刺激する。
 深くその香りを楽しんでから悠人は聞いた。
「お前も少し食べる?」
「匂い嗅いだらちょっと欲しくなったかも」
 悠人は店員を呼び、ビールのおかわりと取り皿をお願いした。
「悠人は酒強いの?」
「まぁまぁ? そんなに強くはないけど。明日は休みだし」
 スプーンでドリアの具材を少し混ぜて冷ましながら悠人は言った。
 普段ならば賄いを食べて、冬真と適当に話をして帰る。時々そのまま冬真の部屋につれて行かれるか、二階の部屋に引きずりこまれてゲームをすることもある。
 そういう時は家に帰る前に、空いている銭湯によって帰って寝るに限る。
 店員が皿を持って来てくれたので、礼を言って受け取ると、そこに少しドリアを取り分けて純一に差し出した。
「ちなみに、ウチの店の一押しはシーフードドリアだから」
「了解」

 熱々のドリアを一口頬張る。口の中が一気に熱くなるが、溶けたチーズこそが美味い。
 味わっていると純一は、いつから店で働いているのかと聞いてきた。
 少し考えるように視線を上に向ける。
「五年前ぐらい? 知らない間に社員みたいな扱いになってたけど」
「へぇ。じゃあ大学出てからは転職してるってこと?」
「そうだよ。お前は?」
 そう言って質問を投げ返された純一は、グラスの中身を飲み干してメニューに手を伸した。
「俺はずっと今の仕事だよ。大学の時にバイトちょっとしたぐらいで。そこからそのまま独立って感じっていうか」
「すごいな」
「うん。多分凄い」
「謙遜しねぇんだ」
「したって良いことないでしょ? それに何もしないでできたわけじゃない。俺は俺なりに頑張ってやったんだし」
 そう言って純一はメニューから顔を上げた。
 ちょうど店員が悠人の新しいビールを持って来たところで、空のグラスを下げると同時に純一のオーダーも聞いて立ち去っていく。
「凄いな。そんなに頑張れるの」
「目的があったからね。なかったら、そんな頑張ってないと思うよ」
 そう言って純一は悠人が取り分けてくれたドリアを頬張ろうとした。
「目的って、何? あ、これ聞いて良いやつ」
 口を開けたところで純一は止まった。
 まだ少し湯気の立っているドリアを口元まで運んだところで、視線を悠人に向けた。
「また後で教えてあげる」
「もったいぶるなぁ」
「連絡くれなかった腹いせ」
 そう言って純一はドリアを頬張った。
「それは、まぁ……謝るけど」
「ん、まぁ、こうして飲めてるからイイかな。これ、美味いね」
「だろ? 俺も冬真さんに連れてこられて食べたんだけど、美味いのよ」
 再び店員がビールを持って来た。
 純一の前に置かれた新しいビールは、先ほど悠人が飲んでいたものと同じだった。
 それをみて悠人はふっと小さく笑った。
「どうしたの?」
「いや。昔から、俺が持ってるものとか、食べたものとか、絶対気になってたよなって思い出して」
「だって、いつも美味しそうに食べたり、嬉しそうだったり、楽しそうだったりしてたから」
「俺が?」
「そう」
 そうだったろうか、と記憶を探りながらドリアを頬張る。
 空きっ腹にビールを飲んだせいか、少し回りが早いような気もした。
 話をしながらも、悠人は少しだけ今の自分が酔っていることを客観的に理解していた。
 でなければ、過去の事を思い出したいとは思った事がない。
「懐かしいわ」
 特に純一のことに関しては。
 小さく身体を揺らして笑うと、悠人はビールを飲み、再びドリアを一口頬張る。

 フルーティーなエールの味は食事と一緒に楽しめる。
 そう教えてくれたのも冬真だった。彼は食に煩いわけではないが、単純に、おいしいものを探すことが楽しいといったタイプだ。
 だからコーヒーも紅茶も、ビールもワインも。食べ物もご飯物からお菓子だって、和洋折衷に手を出しては探求していく。
 だからあの店で働くのは楽しいのだ。
 そうほろ酔いの気分で話していた。
 その頃にはすでにビールも数杯飲んでおり、ドリアを食べ終わってからは少し濃い味のものを選んだ。
「そんなに飲んで大丈夫」
「だーいじょうぶ。まだ、大丈夫。このぐらいなら、歩けるし」
「ふぅん。悠人はさ、やっぱり田舎に居るのがイヤで出てったの?」
「唐突だなぁ。でも、そうだよ。イヤだから大学進学ついでに出て行って、帰ってない」
「それってやっぱ、あの時のことも関係してる?」
「……あの時?」
 瞼が重かった。
 純一は頷いてから、店員にもらったチェイサーの水を悠人の前に差し出した。
「あの時。俺が見たから」
「あー……」

 甘い香り。
 自分が欲しいモノに気がついて、自分の渇きを満たしてくれるモノを見つけて。
 手を伸した。

 頭を振って悠人は我に返るように言い聞かせて水を一口飲んだ。
 とても甘く感じたのは、アルコールを飲んだせいで身体が純粋な水を欲しているからだ。
 グラスの半分ほど水を飲んで、深く息を吐いた。
「都会ってさ、イイ感じに距離感あるじゃん。自分から距離を縮めなければちょうどいい距離で他人で居られる。でも田舎ってそうはいかないじゃん? 言いたくないことも、知られたくないことも勝手に伝わっていく。俺みたいな奴には住みにくい」
「それって……Ωだから?」
 小さく囁くような声は回りの音にかき消される程小さかった。
 それは純一がこの場での最大限の配慮をしていることは明白で、悠人は小さく笑って頷いた。
「医者に行っても、薬を買いに行っても、大体顔見知りだろ? だからすぐにそんなことは話が広がる。特に年寄りは今みたいなさ、制度とか出来る前の人達だし。だから、すげぇ差別的な態度とってくるし。まだ俺の場合は……分かってから、発症するまでは時間があったし。だからまぁ、まだよかったっていうか。薬もネットで買えたし」
 だから科学の力によって、ヒートはずっと抑えられていた。
 だからずっと自分がΩであるということを殆ど知られることなく暮らせることが卒業までは可能だと思った。
「昔は、進学とかも難しかったらしいけど。今はそうでもないじゃん? それに色々、楽になった」

 だが夏の終わり間近、まだ暑い時期。
「だから外に出ようって思った。その頃はまだ、帰るつもりもあったよ。連絡するつもりだって全然あった」
 噎せ返るような甘い香り。
 季節外れの、キンモクセイ。
「でもあの時……」
 純一を見た。
 少しだけ険しい表情で悠人を見つめている。
 あの時の表情は、もっと幼く、もっと驚愕に満ちていた。
「予想外だったんだ、全部。何もかも」
「俺は誰にも言わなかった」
「知ってる。じゃなきゃ俺が高校卒業まで、あんな風に普通に暮らせなかったと、思う。いや、何か面倒くさい奴はいたなぁ、そういや」
 小さく笑って悠人は項垂れた。
「俺は、お前にどう思われるか怖くなったんだ。だからあれから顔を合せたくなくなって、連絡もしないで、大学出てそのまま……そのままの、今だ」
 ため息を吐いて悠人は顔を両手で押さえた。
 もう一度深く息を吐いて、自分の理性を取り戻し平常心を持ち直す。
 顔を上げると、純一はじっと悠人を見つめていた。
「もっと話がしたいから、やっぱり家に来てよ」
「いや……帰るよ」
「ダメ。だって悠人さ、分かってんでしょ?」
「何が」
 そう言って純一は少し顔を近づけた。
 テーブル越しに目を細め、口元に笑みを浮かべて純一は言った。
「ずっと、甘い匂いしてること」
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