キンモクセイは夏の記憶とともに

広崎之斗

文字の大きさ
上 下
15 / 53
日常で始まった、非日常

しおりを挟む
「さて、どうしよっか」
 そう言ってジャケットを羽織った純一は、手にしていたトートバッグを肩に掛けながら言った。
 時刻はまだ二一時過ぎ。悠人の店も休日はその時間帯で閉店がちょうどいいほどで、事務所の外は閑散としていた。
「駅の方にいけば、なんでもあるでしょ」
「結構賑やかだと思うけど、いいの?」
「なんで」
「だって、賑やかなのあんまり好きじゃなかったじゃん?」
 小首を傾げて純一が言った言葉に、悠人は軽く頷いた。
 子供の頃から賑やかな場所はあまり得意ではなかった。Ωであると分かってからは更に苦手になった。
 今の店で働いていて心地がいいのは、この賑やかさの塩梅がちょうどいいことだ。
「よく覚えてるな」
「覚えてるよ、なんだって」
 悠人は無言で視線を逸らすと、いくつかの店を上げた。
 どれも飲み屋というより、酒も飲めるカフェといったところだ。静かなのが売りでもあるから、ちょうどいいと思った。
「悠人が食べたいものあるところでいいよ」
「あー……じゃあ、こっち」
 そう言って歩く方向を指差して、悠人が先に歩を進めた。

「ごめん」
 唐突に悠人が一言口にすると、純一は悠人に視線を向ける。
「何が?」
「だから、連絡……忙しかったっていうか。その、なんて、連絡すりゃいいか分かんなくて」
「そりゃそうか」
 純一はそう言って納得すると、視線を前に向けた。
 怒るわけでもなく、どうしてとさらなる追求はない。諦めているというよりも、言葉通り納得したという感じだった。
「じゃあ、今日来て正解だったわけだ」
「まぁ……そうだね」
 満足げに微笑んで純一は「ならいいや」と言った。

 繁華街へ近づくと、店の色合いも変わってくる。行き交う人も増えてきて、一気に賑やかな色と音が混じり合って押し寄せてくる。
 そのまま中心の道を歩くのは嫌いだったので、悠人は一本裏の細い小道を通ろうと純一に言って歩を進めた。
「この辺詳しいんだ?」
「まぁ職場があそこだし」
「家は、どのへん?」
「反対側だよ」
 そう言って数駅先の駅名を告げると納得したように頷いた。
「俺もその辺りに住むか迷ったんだよ、一度」
「そうなの? 今は?」
 純一は悠人の告げた駅と少し近い場所を口にした。
 どちらにしても家賃はそれなりだが、利便性に富んでいる私鉄沿線沿いだ。そして悠人の住んでいる街は基本的に静かなところだった。
「案外近いんだなぁ……色々。っと、着いた」

 雑居ビルの二階が目的のカフェだった。
 階段を上がり中を覗き込む。
「ここ、ランチや週末だと外まで並んだりするんだよ」
 だが今日はちょうどいい具合に空いているようで、店員はすぐに二人を席に案内した。
 壁沿いの席で二人は向かい合わせに座る。すぐに店員がメニューとお冷やの入ったグラスを持って来て、決まり文句を告げて去って行く。
「お前は、何か食べるの?」
「もう少し食いたいかも」
 メニューを広げて、ひとまずドリンクを注文しようと悠人が言うと、純一はクラフトビールを指差した。
 同じくメニューを眺めながら、悠人は少し悩んでから店員を呼んだ。
 純一が頼んだものとは違うビールを頼み、先にすぐに出るサラダを頼み終えると、再びメニューとにらめっこし始める。
 それを頬杖を突いて眺めていた純一の視線に気がついて視線を上げた。
「なに?」
「いや。なんだか分かんないなぁって思って」
「分かんない?」
「だって、この前あった時は避けようとしたでしょ? あと凄い緊張してるように見えた」
「あー……それは、まぁ。ほら、久しぶり、だった、し……」
 言葉に嘘はない。
「それになんか……今日、店に来た姿見たら、安心したような、ちょっと心配になったような」
「どっちだよ、それ」
 くすくすと笑って純一は言った。
「どっちも教えてよ。どういう意味?」
「何か疲れてる風に見えたから心配になった。安心は……」
 そこまで口にしたとき、悠人の視線がフロアに向かった。
 店員が注文したビールを持って来ていた。テーブルにコースタが置かれ、その上にグラスが乗せられた。
 純一の頼んだグラスの中身は、少し色の濃い琥珀色だった。悠人の方は反対に軽く見た目からにも軽い印象を受ける。
「とりあえず、飲もう」
 話掛けていた言葉を飲み込むように悠人はグラスを手にして言った。
 安心した理由はまだなんとなく言いたくなかった。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

王冠にかける恋【完結】番外編更新中

毬谷
BL
完結済み・番外編更新中 ◆ 国立天風学園にはこんな噂があった。 『この学園に在籍する生徒は全員オメガである』 もちろん、根も歯もない噂だったが、学園になんら関わりのない国民たちはその噂を疑うことはなかった。 何故そんな噂が出回ったかというと、出入りの業者がこんなことを漏らしたからである。 『生徒たちは、全員首輪をしている』 ◆ 王制がある現代のとある国。 次期国王である第一王子・五鳳院景(ごおういんけい)も通う超エリート校・国立天風学園。 そこの生徒である笠間真加(かさままなか)は、ある日「ハル」という名前しかわからない謎の生徒と出会って…… ◆ オメガバース学園もの 超ロイヤルアルファ×(比較的)普通の男子高校生オメガです。

【完結済み】乙男な僕はモブらしく生きる

木嶋うめ香
BL
本編完結済み(2021.3.8) 和の国の貴族の子息が通う華学園の食堂で、僕こと鈴森千晴(すずもりちはる)は前世の記憶を思い出した。 この世界、前世の僕がやっていたBLゲーム「華乙男のラブ日和」じゃないか? 鈴森千晴なんて登場人物、ゲームには居なかったから僕のポジションはモブなんだろう。 もうすぐ主人公が転校してくる。 僕の片思いの相手山城雅(やましろみやび)も攻略対象者の一人だ。 これから僕は主人公と雅が仲良くなっていくのを見てなきゃいけないのか。 片思いだって分ってるから、諦めなきゃいけないのは分ってるけど、やっぱり辛いよどうしたらいいんだろう。

ただ愛されたいと願う

藤雪たすく
BL
自分の居場所を求めながら、劣等感に苛まれているオメガの清末 海里。 やっと側にいたいと思える人を見つけたけれど、その人は……

学院のモブ役だったはずの青年溺愛物語

紅林
BL
『桜田門学院高等学校』 日本中の超金持ちの子息子女が通うこの学校は東京都内に位置する野球ドーム五個分の土地が学院としてなる巨大学園だ しかし生徒数は300人程の少人数の学院だ そんな学院でモブとして役割を果たすはずだった青年の物語である

平凡な男子高校生が、素敵な、ある意味必然的な運命をつかむお話。

しゅ
BL
平凡な男子高校生が、非凡な男子高校生にベタベタで甘々に可愛がられて、ただただ幸せになる話です。 基本主人公目線で進行しますが、1部友人達の目線になることがあります。 一部ファンタジー。基本ありきたりな話です。 それでも宜しければどうぞ。

あと一度だけでもいいから君に会いたい

藤雪たすく
BL
異世界に転生し、冒険者ギルドの雑用係として働き始めてかれこれ10年ほど経つけれど……この世界のご飯は素材を生かしすぎている。 いまだ食事に馴染めず米が恋しすぎてしまった為、とある冒険者さんの事が気になって仕方がなくなってしまった。 もう一度あの人に会いたい。あと一度でもあの人と会いたい。 ※他サイト投稿済み作品を改題、修正したものになります

金の野獣と薔薇の番

むー
BL
結季には記憶と共に失った大切な約束があった。 ❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎ 止むを得ない事情で全寮制の学園の高等部に編入した結季。 彼は事故により7歳より以前の記憶がない。 高校進学時の検査でオメガ因子が見つかるまでベータとして養父母に育てられた。 オメガと判明したがフェロモンが出ることも発情期が来ることはなかった。 ある日、編入先の学園で金髪金眼の皇貴と出逢う。 彼の纒う薔薇の香りに発情し、結季の中のオメガが開花する。 その薔薇の香りのフェロモンを纏う皇貴は、全ての性を魅了し学園の頂点に立つアルファだ。 来るもの拒まずで性に奔放だが、番は持つつもりはないと公言していた。 皇貴との出会いが、少しずつ結季のオメガとしての運命が動き出す……? 4/20 本編開始。 『至高のオメガとガラスの靴』と同じ世界の話です。 (『至高の〜』完結から4ヶ月後の設定です。) ※シリーズものになっていますが、どの物語から読んでも大丈夫です。 【至高のオメガとガラスの靴】  ↓ 【金の野獣と薔薇の番】←今ココ  ↓ 【魔法使いと眠れるオメガ】

【完結】僕はキミ専属の魔力付与能力者

みやこ嬢
BL
【2025/01/24 完結、ファンタジーBL】 リアンはウラガヌス伯爵家の養い子。魔力がないという理由で貴族教育を受けさせてもらえないまま18の成人を迎えた。伯爵家の兄妹に良いように使われてきたリアンにとって唯一安らげる場所は月に数度訪れる孤児院だけ。その孤児院でたまに会う友人『サイ』と一緒に子どもたちと遊んでいる間は嫌なことを全て忘れられた。 ある日、リアンに魔力付与能力があることが判明する。能力を見抜いた魔法省職員ドロテアがウラガヌス伯爵家にリアンの今後について話に行くが、何故か軟禁されてしまう。ウラガヌス伯爵はリアンの能力を利用して高位貴族に娘を嫁がせようと画策していた。 そして見合いの日、リアンは初めて孤児院以外の場所で友人『サイ』に出会う。彼はレイディエーレ侯爵家の跡取り息子サイラスだったのだ。明らかな身分の違いや彼を騙す片棒を担いだ負い目からサイラスを拒絶してしまうリアン。 「君とは対等な友人だと思っていた」 素直になれない魔力付与能力者リアンと、無自覚なままリアンをそばに置こうとするサイラス。両片想い状態の二人が様々な障害を乗り越えて幸せを掴むまでの物語です。 【独占欲強め侯爵家跡取り×ワケあり魔力付与能力者】 * * * 2024/11/15 一瞬ホトラン入ってました。感謝!

処理中です...