キンモクセイは夏の記憶とともに

広崎之斗

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日常で始まった、非日常

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 *

 身体が熱かった。
 特に下腹部からじくじくと痛みに近い疼きを感じる。
 始めて感じる渇きは飢えだ。
 シャツをくしゃくしゃに掴んで、呼吸を整えようとした。
 呼吸をすればするほど、渇きが酷くなる。
 台所で水を飲む。
 でもそんなことで、渇きは癒えない。
 何か、違うものが、欲しい。

 ああ、違う。
 今すぐ、母親に連絡してもらわないと。
 連絡しないと。
 でもどうやって、どうすればいいんだろう。
 薬は。
 薬はどこだろう。

 ふらふらとリビングの床に膝を突いた。
 歩くのも億劫なぐらいに、身体は言うことをきかない。
 欲しい。
 欲しい。
 薬がほしい。
 薬は飲んだのに。
 まだ欲しい。
 違う、コレは、違うモノが欲しい。

「悠人ぉ? なぁ、時間過ぎてるよ」
「あ……」
「はいるよー?」
 
 いい匂いがした。
 甘くて甘くて、頭の芯から痺れるような、蕩けるような。
 身体中が震える。
 衣服が肌を擦れるのさえ、気持ちよく感じて目眩がする。

「悠人……どうしたの?」
「あ……むつ……」
 名前を口にした時、その声がいつもの自分の声じゃないように思った。
 立ち止まったむつと呼ばれた少年は、何が何だか分からないという表情で立っていて。
「約束の時間過ぎてんよ」
「むつ……」
 手を伸す。
「悠人……?」

 困惑の表情、声。
 その少年に手をのばす。
 縋るように足に触れ、身体に触れ、両手を頬に宛がい顔を近づける。
「ああ……」
 コレが欲しい。
「ゆう、と……?」
 多分笑った。
 自分が欲しいモノに気がついて、自分の渇きを満たしてくれるモノを見つけて。

 *

 飛び起きた時、身体中が汗だくで心臓は煩く跳ねていた。
 呼吸を整えながら、悠人はシャツを握り絞める。
 夢だ。夢を見た。この夢は過去の事実で、忘れようとしていた現実だ。
「くそ……なんで」
 慌てて立ち上がるとキッチンへ向かう。
 冷蔵庫の中にあるミネラルウォーターのボトルを取り出すと、一気に半分ほど飲んだ。
 喉が渇いているのは暑さの所為だけじゃない。多分これは、抑制剤の所為でもあると、濡れた口を手の甲で拭いながら悠人は考える。
「なんで」
 床に膝を抱え座り込んだ。
 深くため息を吐いて身体を丸くする。
 ヒートはずっと抑制剤で抑えてきた。
 最初の時からずっとそうだったが、最初の時も薬があわなかったのか、少しだけ症状を出してしまった。
 高校も卒業の頃で、もうすぐ大学に進学出来るからまだ良かったと思っている。
 自分が自分ではないようなヒートの症状。それが怖くて仕方がなくて、自分にあう薬をあれやこれやと試した。
 大学に入学する前に、引越しと同時に行う手続きに併せて届け出を出すために医者を探した。
 都会には多くのクリニックがあり、当時の家から近くに見つけたところが今もかかりつけになっている。
 そこで今まで飲んだ市販薬や状況を説明し、勧められた薬を色々と試していった。
 そして今飲んでいる薬は、その時から変わらず飲み続けている。
 それからは強いヒートになったことは無い。どうしても数ヶ月に一度、軽く身体のだるさやいつも以上に性欲が強くなるようなことはあっても、フェロモンの匂いが酷くなるとか、誰彼構わず声を掛けるような痴態を晒すことにはなっていない。

 元来、性欲というものは弱い方に入る。
 それは自分のΩという性を知ったときから、おのずと逃げているからだと認識していた。
「はぁ……病院いくかなぁ」
 薬は先ほど購入した。指定のサイトで購入するのが普段の流れだが、クリニックで話をして、少し強めの抑制剤の処方箋をもらうのも手だ。
 もしくは新しい薬の相談をするか。変えた方がイイのだろうか。
 アレコレと思考を巡らせることでなんとか気を紛らわせる。
 深くため息を吐いて、悠人は一人で膝を抱えていた。
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