キンモクセイは夏の記憶とともに

広崎之斗

文字の大きさ
上 下
6 / 53
偶然とは、必然の上に成り立つ

しおりを挟む
 閉店間際まで人の波は途切れなかった。
 時折、常連客が顔を覗かせてテイクアウトを注文する。
 それらは殆ど近所に事務所を構えるクリエイター達だ。声を掛けられると、悠人もぱっと顔を明るくしてそちらへ向かった。
「いつもの、できる?」
「大丈夫ですよ、ちょっと待っててください」
 そう言って悠人はキッチンにオーダーを通しに行く。
 ディナータイムのテイクアウトは弁当のみだ。余りそうな食材で作ったおかずを中心に詰め合わせ、飲み物が付く。
 常連客向けの隠しメニューである。
 テイクアウトの注文は殆ど修羅場中のクリエイターによるものなので、飲み物はコーヒーが殆どだ。
 会計を冬真がして雑談を交わす間、テキパキと袋に詰めてセットしたものを持っていく。
「ほどほどに頑張ってください。また普通に食べに来て下さいよ?」
「もちろん。またみんなで飲みに来るよ」
 一日に三人程度は必ずこういった常連がやってくる。
 気分転換に夜の街を歩いて来た客を見送って、悠人は再び片付けの作業に取りかかった。
 食べ物類の食器は殆ど下げていたので、キッチンはそれらを洗うとクローズ体制で掃除や明日の昼の仕込みの話をし始めた。
 悠人と冬真もそのために食器を下げながら、時折入るドリンクのオーダーをこなしたり、発注の数を確認したりと過ごしていた。
 客はまばらに帰っていき、その度に冬真はレジで少し会話を交わしながら会計をしていた。
 グラスの片付けを終えて一息吐いた悠人が時計を見た時には、すでに閉店時間のほんの数分前だった。
 顔を上げた時、カウンター越しに純一がいて思わず「うわ」っと声が出た。

「び、びっくりした……」
「そんなに驚かなくていいじゃん」
「いや……驚くって」
 店内にはもう純一と慎二の二人しか客は残っていなかった。
 レジでは慎二が冬真とやりとりをしているのが視界の隅で確認できた。
「これ」
「え?」
 差し出されたのは一枚の白い紙だった。
 そこには名前と住所が書かれていて名刺だとすぐに理解した。
 反射的に手を出し受け取ってしまったのは、元々はそういうやりとりをする仕事をしていた所為だ。
 苦い顔をして、それでも渡された名刺に書かれた文字を追う。
「……デザイナーなの、お前」
「そ。最近、オフィスもこの辺りに引っ越して来たけど」
 住所を見て、確かにこの辺りだと分かる。だが細かい場所までは分からない。
 小さく頷いて、悠人は素直に思ったことを口にした。
「すごいじゃん」
「すごい?」
「だって、お前ずっと絵とか得意だったし。よく分からんけど、デザイナーってそういう感覚必要だろ?」
「まぁね。っていうか、やっと素の悠人に会えたって気がする」
 そんな風に言われて、悠人はハッと気がついて視線を逸らした。
 思わず素で話しをしていた。
 今はもう仕事も殆ど終わっているから仕方がないといえば、仕方がない。
 だがその相手が純一というのは、自分の中で不本意だった。
 思わず眉根を寄せて唇を噛んだ。

「夜のテイクアウトもやってるの?」
「え? あー……さっきの?」
「そう」
 突然の質問に悠人は頷いて答えた。
「この辺り、クリエイターの人が多いから。テイクアウトでお弁当みたいなの、夜も一応やってて」
「今度、来ても良い?」
「別に……いい、けど」
 イヤだと断る理由はない。それにこれは売り上げとしては一つでも多くなることは悪くはない。
 もちろん、夜のテイクアウトは殆どサービス価格だし、さほど売り上げに貢献するものという訳でもない。
 だがしかし、客と店員としてのやり取りであるから、断る理由はないのだと言い聞かせる。
「じゃあ、また来るね。あと、いつでも連絡して。裏、俺のプライベート用の電話番号書いてあるから」
 名刺を手にしていた指に触れられた。
 かすめ取るように名刺を奪われ、再び裏返して手の中に納められる。
 そこには手書きで番号が書いてあった。
 曰く、それでメッセージアプリにも登録できるから、と微笑まれて悠人は視線を逸らす。
「むつー、行くよー」
「お前がむつって呼ぶな」
 会計が終わった慎二が呼んで、純一は笑いながら文句を言った。
 ふと視線を戻してしまい、笑う純一の表情を見上げて悠人は慌ててやはり視線を逸らす。
「じゃあ、また」
「あ……ありがとうございました」
 店員としての挨拶をして軽く頭を下げる。
 それが今の自分に出来る唯一の挨拶と言ってよかった。
 立ち去る足音を聞きながら、すぐには視線を上げなかった。
 視線の先には手書きされた数字の羅列が並んでいた。

「賄い、食べて帰るだろ?」
 声がして顔を上げると、冬真が口元に少しだけにやついた笑みを浮かべて立っていた。
「……なんか、その顔で言われるとすげぇイヤな予感しかしないんですけど」
「まぁまぁそう言わず。どうせ明日休みだろ? それに、吐き出したいもんは吐き出した方が楽じゃない?」
 そう言って冬真は何もかも見透かしているように微笑んだ。
 別に悪い気はしない。彼は別段困らせようとしているわけでもなく、純然にそう思っているのだ。
 そしてそれに救われたことがある悠人としては、その誘いを断る理由もなかったい。
 すでに店の入口にはCLOSEの看板が下げられている。
 キッチンの方もすでに片付けは済んでいて、休憩室の方から声が聞こえる。皆、着替えて殆どが退勤の準備が出来ているだろう。
 いつも悠人は冬真と共に最後の作業を終わらせて帰る。
 一応、店の中で冬真の次に年長であるし、実質責任者と言ったところでもある。
 明日は自分が休みということも踏まえて、悠人はやることを考えた。すでに営業時間中に発注処理は終わらせてあるし、あとは簡単な掃除をして、ランチ営業用のメニュー差し替えなどで終わる。
「なに飲む?」
「アイスティーで。なんか、ちょっと暑いんで」
「その暑いってさ、その彼の所為?」
 そう言って指差したのは、手にしたままの名刺だった。
 少しだけ睨みつけるように冬真を見る。冬真は笑みを浮かべたままだ。
 悠人はすぐに言い返す言葉もなく、睨んでいた視線を横に逸らした。
 小さなため息と共に無言になれば、それは肯定と捉えられても文句は言えない。
 そして実際にそのとおりだった。
「はぁ……まぁ、そうっすね。適当に話聞いてください」
「うん、聞く聞く」
 楽しげに言って冬真は食事と飲み物の準備を始めると言い、悠人は片付けを仕上げることにした。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

王冠にかける恋【完結】番外編更新中

毬谷
BL
完結済み・番外編更新中 ◆ 国立天風学園にはこんな噂があった。 『この学園に在籍する生徒は全員オメガである』 もちろん、根も歯もない噂だったが、学園になんら関わりのない国民たちはその噂を疑うことはなかった。 何故そんな噂が出回ったかというと、出入りの業者がこんなことを漏らしたからである。 『生徒たちは、全員首輪をしている』 ◆ 王制がある現代のとある国。 次期国王である第一王子・五鳳院景(ごおういんけい)も通う超エリート校・国立天風学園。 そこの生徒である笠間真加(かさままなか)は、ある日「ハル」という名前しかわからない謎の生徒と出会って…… ◆ オメガバース学園もの 超ロイヤルアルファ×(比較的)普通の男子高校生オメガです。

【完結済み】乙男な僕はモブらしく生きる

木嶋うめ香
BL
本編完結済み(2021.3.8) 和の国の貴族の子息が通う華学園の食堂で、僕こと鈴森千晴(すずもりちはる)は前世の記憶を思い出した。 この世界、前世の僕がやっていたBLゲーム「華乙男のラブ日和」じゃないか? 鈴森千晴なんて登場人物、ゲームには居なかったから僕のポジションはモブなんだろう。 もうすぐ主人公が転校してくる。 僕の片思いの相手山城雅(やましろみやび)も攻略対象者の一人だ。 これから僕は主人公と雅が仲良くなっていくのを見てなきゃいけないのか。 片思いだって分ってるから、諦めなきゃいけないのは分ってるけど、やっぱり辛いよどうしたらいいんだろう。

ただ愛されたいと願う

藤雪たすく
BL
自分の居場所を求めながら、劣等感に苛まれているオメガの清末 海里。 やっと側にいたいと思える人を見つけたけれど、その人は……

学院のモブ役だったはずの青年溺愛物語

紅林
BL
『桜田門学院高等学校』 日本中の超金持ちの子息子女が通うこの学校は東京都内に位置する野球ドーム五個分の土地が学院としてなる巨大学園だ しかし生徒数は300人程の少人数の学院だ そんな学院でモブとして役割を果たすはずだった青年の物語である

平凡な男子高校生が、素敵な、ある意味必然的な運命をつかむお話。

しゅ
BL
平凡な男子高校生が、非凡な男子高校生にベタベタで甘々に可愛がられて、ただただ幸せになる話です。 基本主人公目線で進行しますが、1部友人達の目線になることがあります。 一部ファンタジー。基本ありきたりな話です。 それでも宜しければどうぞ。

あと一度だけでもいいから君に会いたい

藤雪たすく
BL
異世界に転生し、冒険者ギルドの雑用係として働き始めてかれこれ10年ほど経つけれど……この世界のご飯は素材を生かしすぎている。 いまだ食事に馴染めず米が恋しすぎてしまった為、とある冒険者さんの事が気になって仕方がなくなってしまった。 もう一度あの人に会いたい。あと一度でもあの人と会いたい。 ※他サイト投稿済み作品を改題、修正したものになります

金の野獣と薔薇の番

むー
BL
結季には記憶と共に失った大切な約束があった。 ❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎ 止むを得ない事情で全寮制の学園の高等部に編入した結季。 彼は事故により7歳より以前の記憶がない。 高校進学時の検査でオメガ因子が見つかるまでベータとして養父母に育てられた。 オメガと判明したがフェロモンが出ることも発情期が来ることはなかった。 ある日、編入先の学園で金髪金眼の皇貴と出逢う。 彼の纒う薔薇の香りに発情し、結季の中のオメガが開花する。 その薔薇の香りのフェロモンを纏う皇貴は、全ての性を魅了し学園の頂点に立つアルファだ。 来るもの拒まずで性に奔放だが、番は持つつもりはないと公言していた。 皇貴との出会いが、少しずつ結季のオメガとしての運命が動き出す……? 4/20 本編開始。 『至高のオメガとガラスの靴』と同じ世界の話です。 (『至高の〜』完結から4ヶ月後の設定です。) ※シリーズものになっていますが、どの物語から読んでも大丈夫です。 【至高のオメガとガラスの靴】  ↓ 【金の野獣と薔薇の番】←今ココ  ↓ 【魔法使いと眠れるオメガ】

【完結】僕はキミ専属の魔力付与能力者

みやこ嬢
BL
【2025/01/24 完結、ファンタジーBL】 リアンはウラガヌス伯爵家の養い子。魔力がないという理由で貴族教育を受けさせてもらえないまま18の成人を迎えた。伯爵家の兄妹に良いように使われてきたリアンにとって唯一安らげる場所は月に数度訪れる孤児院だけ。その孤児院でたまに会う友人『サイ』と一緒に子どもたちと遊んでいる間は嫌なことを全て忘れられた。 ある日、リアンに魔力付与能力があることが判明する。能力を見抜いた魔法省職員ドロテアがウラガヌス伯爵家にリアンの今後について話に行くが、何故か軟禁されてしまう。ウラガヌス伯爵はリアンの能力を利用して高位貴族に娘を嫁がせようと画策していた。 そして見合いの日、リアンは初めて孤児院以外の場所で友人『サイ』に出会う。彼はレイディエーレ侯爵家の跡取り息子サイラスだったのだ。明らかな身分の違いや彼を騙す片棒を担いだ負い目からサイラスを拒絶してしまうリアン。 「君とは対等な友人だと思っていた」 素直になれない魔力付与能力者リアンと、無自覚なままリアンをそばに置こうとするサイラス。両片想い状態の二人が様々な障害を乗り越えて幸せを掴むまでの物語です。 【独占欲強め侯爵家跡取り×ワケあり魔力付与能力者】 * * * 2024/11/15 一瞬ホトラン入ってました。感謝!

処理中です...