キンモクセイは夏の記憶とともに

広崎之斗

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偶然とは、必然の上に成り立つ

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 店は大体二〇人ちょっとがはいるカフェであり、夜はバーでもある。
 殆ど満席になるようなことはなく、程よい空間が維持されるのがこの街で好まれる要因でもある。
 時折、忘年会や会社の記念パーティーなどをしたいと、近所のデザイン事務所から頼まれて貸し切り営業を行うこともある。
 カウンターにはスツールがあり、そこに腰掛けた。
 昼も夜も一人客もほどよくいる為、カウンターは案外すぐ満席になってしまう人気の席と言っていいだろう。
「そういえば悠人、そろそろなんじゃない?」
 グラインダーで豆を挽きながら少し大きな声で冬真が言った。その間も手際よく豆をセットして押し固める。
 コーヒー豆の匂いが漂うのを心地よく感じながらも、悠人は口を斜めにした。
「本当、鼻良すぎですよね」
「まったく、困ったもんだけどね」
 マシンに豆をセットし終えると、冬真は慣れた手つきで二人分のエスプレッソを抽出した。
 蒸気と機械音。湯の音とコーヒーの香り。
 肘を突いて悠人はそれらを楽しんでいた。
「まぁ、悠人の場合はほんの少しだし。ちゃんと抑制剤飲んでるからだろうけど、俺みたいな鼻の良い奴だと気づくし気をつけなね」
「大丈夫ですよ。ちゃんとその近くには薬増やすようになってるんで、いつものことです」

 悠人は言いながらため息を吐いた。
 Ωは不本意ながらヒートという現象が表われる。それは個人差にもよるが悠人の場合は数ヶ月に一回だった。
 それでも今は抑制剤を飲むことで抑えることができるので迷惑を掛ける事はない。昔は薬もなかったというのだから、誰もが大変だったろうと思うほどヒートは辛く大変だった。
 もちろん薬があるからと言って完全に抑制出来る保証もない。それでも、毎日飲み続けることでほぼ確実に抑制出来る薬はあるし、悠人はソレを飲んでいた。
「ま、悠人はちゃんと自己管理出来るタイプだし、大丈夫だとは思うけど。俺みたいな便利な鼻持ってるヤツが近くにいるんだから、それはそれとして指針として使った方がいいだろう?」
「便利って、まぁ、確かに便利ですけど」
 ふふん、と得意げに笑いながらも冬真は手際よくカップに抽出されたエスプレッソを注いだ。
 冷蔵庫から取り出したミルクを少し多めにウォーマーで温めて、カップへ注ぎ入れる。
 全て手際よくこなしていて、これがただの趣味の行き着いた先だというのだから、凄いなと悠人は毎回思うのである。
 自分には、それほど打ち込む趣味もなかったし、何にも興味があまりわかなかった。
 言い訳がましく言ってしまえば、その原因は自分のΩ性にあると思うが、それを言い訳にするのはダメだとも思う。
 思考がぐるぐると自己批判に回るのに気づいて、悠人は意識して思考を戻した。

「はい」
「ありがとうございます。あの、ずーっと気になってたんですけど」
「なに?」
「匂いって、どんな匂いなんです?」
 カウンターに立ったまま、自分の分として同じ手順を踏みエスプレッソを入れる冬真は、唇を尖らせて唸った。
「匂いって言っても、みんな違うしねぇ。ただ、なんとなくコレはΩの匂いだ。しかもヒートが近いぞ。ってのは、本能的に分かるっていうのかなぁ。悠人はそういうのαに対してないの?」
「ないですね」
 きっぱりと答える悠人に冬真は肩を竦め笑った。
「まぁ、大体は甘い匂い。そうだなぁ……例えるなら金木犀の匂いにちかいかなぁ、甘さは」
「金木犀」
「うん。お菓子みたいな甘さとは違って、イイ匂いだなって思う。思わずもっとその香りを楽しみたいって思う。そういう甘い香り」
 時折、この店に来る間にも季節になると金木犀はよく香ってくる匂いだ。
 なるほど、と納得して悠人は入れてもらったカフェラテを飲む。
「でも人それぞれだけどね。あとΩも相性が良いαだと同じような匂いはするらしいけど?」
「聞いたことはあっても、俺自身の経験はないっすね」
 なるほど、と今度は冬真が納得して、小さなカップに入れたエスプレッソに砂糖を入れてかき混ぜた。
 匂いはΩ性について回る問題でもある。
 いくら隠し通したくても、この匂いで自分のΩ性がバレるということは良くある話だ。
 それに抑制剤を飲んでいても、今回のように鼻のイイαならば気がつくということもある。
 もちろんそれをカモフラージュするための香水なんかもあるが、悠人はそれらは手を出していない。
 冬真ほど鼻の効く人には出会ったことがないし、今の所問題はないからということもある。
 何もないβならば人生はもっと楽だっただろう。
 ぼんやりとそんなことを考えて悠人はカフェラテをゆっくりと味わうことにした。
 

 ディナー営業は一七時半からだ。仕込みなどの為に、ランチからディナーの間は二時間ちょっと空いている。
 開店から一時間ほどは人いりもまばらだ。その殆どは夕飯を求めて来る常連客だったり、仕事の休憩に一杯コーヒーを飲みに来る常連客だったりするので、少しまったりと夜の時間は始まる。
 二〇時頃には客入りは増えて行き、店は程よく賑やかになる。料理や飲み物を一通り出したところで悠人はいつも軽い休憩に入る。
 勤務時間的にも、細かな休憩をいくつか取るのが性に合っているので他のメンバーとも話してそうしてもらっていた。
 休憩に入る時には、誰もが一杯飲み物を持っていく。
 むしろ、今行ってこい。との意味合いで、その人物が好む飲み物を作って渡すというのもこの店ならではの慣習でもあった。
 悠人は休憩の時にはアイスティーを飲むようにしている。少し甘めにガムシロップを入れたアールグレイ。
 店の紅茶も少しばかり冬真がはまったことがあるとかで、茶葉はこだわりの逸品となっている。その中でもアールグレイはベルガモットの香りが好きで、それに決めていた。
 学生バイトの川上穂乃花が飲み物を用意していて悠人に手渡した。
「お疲れ様です」
「お疲れ。休憩もらうね。終わったら上がっていいから」
 彼女の勤務はいつも悠人の休憩を一度回すと終わりとなる。
 だからいつも飲み物を用意してくれて、ついでに洗い物や細かな発注品のリストアップもしてくれる有能なバイト戦士だ。
 穂乃花は礼を言い、前半の営業で減った備品関係の補充や食材の補充をしていく。
 悠人はグラスを手に裏へと入って行く。二階に上がらず、裏のパイプ椅子に腰掛けると深く息を吐いてアイスティーを半分ほど飲んだ。
「っあー……沁みる」
 甘さが心地よく沁みわたる。
 この後の予約を思い出しながら、あと少しはたらけば明日は休みだと思い出して頑張ろうと思う。
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