不自由で自由な僕たちの世界。

広崎之斗

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プロローグ

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「これが最後の仕事だ」
 その一言にユーマは歓喜する。
 だがその感情を悟られぬよう押し殺し、抑制し、目を少しだけ細める。
 栗毛色の短い髪を長く骨張った指が梳いていく。指先が、伸びた前髪を耳に掛けると、首筋をすっと撫でて離れる。
 向かいにいる男は無表情のまま言葉を続けた。
「ターゲットはこの男だ」
 そう言って首筋を撫でた指先がジャケットのポケットから取り出した小型のデバイスを手に乗せて見せた。
 小さく電子音が響き、ホログラムで男の顔が浮かび上がる。
「名前は?」
「さぁな。偽名ばかりでどれが本当の名か不明だ。正直、それを探るよりもさっさとこいつを連れてきて調べる時間が欲しい。だからキミに頼むんだ」
 甘ったるく低い声がユーマに絡みつく。

「この男を生かして連れてこい。怪我はさせても構わないが、意識混濁させることは望まない。手足に胴体……死ななければ別に欠損は構わないさ。だがここは生かして連れてこい」
 そう言って男の自由な方の手がユーマの頭を指さした。
 少しだけ背の高い男を上目で見るとユーマは言った。
「それで、頭は生かして、意識混濁させることもなく連れてきたら俺はお役御免ということですね?」
「お役御免とは違うさ。だが一応約束は守るというだけだ」
 前髪を上げ、きっちりと整えたスーツ姿の男は、その姿に似合う作り笑顔を浮かべる。
 黒い髪に黒い瞳。黒いスーツに白いシャツ。まるで絵に書いたような会社員といった姿は、一昔も二昔も前の写真にありそうなほど平凡な姿だった。
 だが眼差しの光だけは隠せない。
「言っただろう、ユーマ。俺はキミを手放したくはない。キミだって俺の事を愛してくれているだろう?」
「それとこれは別ですよ、ミナト会長」

 その言葉に偽りはない。
 だが男――ミナトは鼻で笑ってユーマに触れようとした。
 傾けられたデバイスがホログラムを非表示にする。
 しかしミナトはユーマに触れようと伸ばした手を途中で止めて、首を振ると手を引いた。
「まぁいい。仕事が終わったらまたゆっくり話をしよう」
「話すことはもうないですよ。十分話しました、今日までに。そしてなにも伝わらなかった」
「そう思っているのは俺もだが、キミは何も理解していない」
「理解も何も……最初から今までずっと理解なんてしてないじゃないですか、俺も貴方もお互いに」
 だから無駄なんだ、とユーマは口から溢れそうになった言葉を飲み込んでゆっくりと息を吸った。
「とにかく、男のデータを俺の端末に送ってください」
 そう言って背を向け歩きだす。
 部屋の扉の前まで行くとミナトはユーマの名を呼んだ。
 立ち止まり、少しだけ振り返る。

「私はキミの事を愛しているよ」
 何度も聞かされた。何度も囁かれた。
 それを理解しない自分ではない。だが己の感情とミナトの感情には大きな隔たりがある。
 それをミナトが理解してくれない限り、この関係はいつか終わることをユーマは理解していた。
 理解しないまま今日に至ったのはミナトだ。否、理解しているのかもしれない。その上での今なのだとすれば、やはり先はもうない関係だ。
「失礼します」
 それ以上は話たくなくて切り上げると、ユーマは扉に触れた。
 登録された生体情報を瞬時にスキャンして扉は解錠され、ゆっくりと開く。
 外へ出る。
 そして扉が後ろで閉まっていく。
 最後まで振り返らなかった。


 廊下をまっすぐに進み突き当たりのエレベーターへと向かう。手の平を機械に翳すまでもなく、ユーマの接近を感知して扉は自動で開いた。
 監視カメラや生体認証により警備されているフロアは、人がいない
 ターゲットは同業者だ。
 今まで多くの組織内外の者が始末されている。もちろんそれはミナトがそう仕向けた餌に過ぎない。

 最後の仕上げはユーマに頼む。
 そうミナトは言っていた。そしてその仕事が最後の仕事だともあらかじめ教えられていた。
 この仕事は果たして「成功できるもの」なのかユーマにも分からなかった。
 だが与えられた仕事をただこなすだけだ。
 そうやって生きてきたのだから。
 ただ、この仕事が終わった時、自分は果たしてどうやってこれから先生きて行くのか。
 それはまだ分からなかった。
 だがやっと自由を約束されるならば、それだけで十分だ。

 エレベーターが一階のフロアに着く。
 次に戻る時は仕事を終えた時と信じて、ユーマは振り返ることなく歩きだした。
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