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5.二人の秘密(後編)
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和真さんはぼくの後ろで呆然と突っ立っている女の子に興味津々のようすだったけど、ぼくは早々に話を切り上げて二階に向かうことにした。
ビルの二階は主にト筋トレ器具を設置したトレーニングルームになっているけど、一部のスペースは壁で仕切られ、従業員の休憩室を兼ねた事務所となっている。事務所には事務机やパソコン、書類棚の他に、応接用のテーブルとソファー、冷蔵庫なども置いてある。事務所に美咲ちゃんを案内したぼくは、とりあえず彼女をソファに座らせ、冷蔵庫から缶入りのお茶を2つ取り出す。
そしてぼくはテーブルを挟んで向かい側のソファーに座り、缶を開けて彼女の前に置いた。
「走ってきたから喉乾いたよね。これしかなかったんだけど、飲んで」
「ありがと……」
美咲ちゃんはそうつぶやくと、お茶の缶を両手で包み込むように持って口に運ぶ。ぼくは自分の缶を開けながらその姿をなんとなく見つめていた。
ゴクリ、ゴクリと喉が鳴る音が聞こえるような気がした。冷たいお茶が食道を通過し、目を細める。
お茶から口を離してふぁー、と一息。彼女はお茶をテーブルに置いてこちらに視線を向けてくる。
「大丈夫?落ち着いた?」
「ゴメンなさい、最初は優しそうな人たちだと思ってたんだけど、でもなんか人通りの少ないところに連れて行かれそうになって……ヤバイって思った……」
眉根を寄せ、寒そうに右手で左腕のあたりをさすっている。
「危なかったね……。でも何もなくてよかったよ」
「うん、ありがとう。今日の翔流くんなんか男の子って感じだった……」
「え、そうかな?」
ぼくはちょっとくすぐったいような気持ちになる。
「そういえば、今日はメガネかけてないね。あの丸いやつ。どうしたの?」
「え?ああ、今日はちょっとね……」
ちょっと困ったように眉をひそめる。
「それって今はコンタクトにしてるってこと?」
美咲ちゃんは少し考えるように目をつぶったあと、視線を泳がせながら口を開く。
「えーと、実はね。あのメガネ、度が入ってないの。わたし別に視力悪くないし」
そういえば美咲ちゃんがメガネをかけはじめたのは小学六年生の冬ごろだった気がする。いくつも疑問が浮かんだけど、なにか深い事情がある気がして何も聞けなかった。
「そういえばアイツら美咲ちゃんが人を探してるって言ってたけど、誰か探してるの?」
「お姉ちゃん……」
彼女は目線を下に向け、ポツリとつぶやく。
「お姉ちゃん?そういえば美咲ちゃんってお姉さんがいたよね」
確か小学校低学年の頃、スーパーで中学の制服を着たお姉さんと一緒に楽しそうに買い物をする彼女を何度も目撃したことがある。お姉さんはとてもキレイな人で丸い形のメガネをかけていた。
「あ、そうか。美咲ちゃんがかけてるメガネって」
「そう、お姉ちゃんの……」
その声はわずかにかすれていた。しばらくして美咲ちゃんは意を決したように顔を上げ、お姉さんについて語り始めた。
美咲ちゃんのお姉さんこと橘美月(たちばな みつき)さんは彼女が小学六年生のときに家出した。当時付き合っていた彼氏の子供を妊娠し、彼女は産むことを決断したが、両親は娘の将来を案じて中絶させようとした。両者の間で何度も話し合いは行われたけど、両親が娘の決断を了承することはなかった。それでお姉さんは高校を辞めて彼氏とともに姿を消してしまったという。
「たぶん、お父さんとお母さんも後悔してる。でも二人ともお姉ちゃんをかわいがってたし、頭がよくて美人のお姉ちゃんの将来にも期待してた。だから裏切られたって気持ちも大きいんだと思う」
彼女はそこでふぅとため息をついてこちらに視線を向ける。目が合う。大きくて澄んだ瞳。その瞳は憂いで満ちていたけれど、その奥には揺るぎない意志も宿っているようだった。
「お姉ちゃんがいなくなって最初はふさぎ込んでいたけど、わたしも変わらなくちゃって思ったの」
「うん」
ぼくは彼女の意志に応えるように力強くうなずく。
「あのときわたしは子供だった。お姉ちゃんがあんなに悩んでたことも全然知らなかったし、両親とケンカしてるときも傍観することしかできなかった。わたしが甘えてばかりでなくて、もっと大人だったら相談に乗ってあげられたのにって……」
自責の念。罪悪感。後悔。なんとなくそんな言葉が浮かぶ。
「それでわたしはお姉ちゃんのように強くならなきゃダメだって思った。もっと大人になっていろんなことがわかるようになれば、両親とお姉ちゃんをいつか仲直りさせられるんじゃないかなって……」
「それでお姉さんのメガネを?」
「浅はかだけどね。わたし、あのメガネをかけてると自分にお姉ちゃんが乗り移ったような気分になるんだ。でも今日はお姉ちゃんに会えると思ってたからかけてこなかった。あのメガネをかけてるわたしを見たら驚いちゃうからね」
美咲ちゃんは話し終わるとしばらくの間ぼくのほうをじっと見つめ、それから苦笑いする。
「あーあ。話しちゃったなー。祐佳たちにも話さなかったことなのに」
ソファーの背もたれに寄りかかり、伸びをする。その瞳はまだ憂いを帯びていたけど、その表情からはどこかスッキリしたような晴れやかさも感じられた。
「ありがとう。いろいろ話してくれて」
「うん……。わたしもありがと。翔流くんに話してなんか気持ちが軽くなったよ」
ぼくらは微笑み合う。
「で、今日はここでお姉さんを探してたんだよね」
「親戚のおばさんがね。ここの繁華街でお姉ちゃんを見たっていうから探してたんだけど、今日はあんなことになっちゃって……」
「でも、このあたりはゲーセンとかカラオケボックスとか遊び場も多いからガラの悪い高校生も結構いるんだよね。特に美咲ちゃんみたいな子は気をつけないと」
「わたしみたいな子って?」
「ち、ちょっとボーっとしてる感じの子だよ」
「ひどいなー。わたしそんなにボーっとしてないよー」
「ははは」
ごまかすように笑うぼく。頬を膨らませて怒ったそぶりを見せる美咲ちゃん。目は笑っている。
本当は「キミみたいなかわいい子は狙われやすい」って言いたかったんだけどやめておいた。なんか女ったらしみたいな、軽薄な男みたいで恥ずかしいから。
「ところで美咲ちゃん。お姉さんの写真ってある?」
「え?ケータイに入ってるけど、どうして?」
「ぼく毎週ここに通ってるから、お姉さんを見かけたら教えてあげられると思う」
「ありがとね。わたし、毎週探しに来ようと思ってたんだけど。やっぱ中学生にとっては電車代も馬鹿にならないからね」
「うん。やっぱり中学生ひとりで探すのは限界があると思うんだ。従兄の和真さんは繁華街にも顔が利くから事情を話して頼めばもっと情報が入るかもしれないし」
「うん……そうだね。じゃあメルアド教えて。添付ファイルで送るから」
ぼくは自分のケータイを取り出してメルアドを交換する。美咲ちゃんはすぐにケータイを操作し、写真を添付したメールを送ってくれた。
姉妹のツーショット写真。左に美咲ちゃん。右にお姉さんの美月さん。美咲ちゃんはいまよりもずっと幼くて満面の笑みを浮かべている。お姉さんと一緒で幸せそうだ。美月さんは黒髪ロングヘアーで目鼻立ちのはっきりとした美人だ。美咲ちゃんの肩を抱いて微笑んでいる姿からはどことなく母性を感じさせる。
「この写真は、お姉ちゃんが高校に入学したばかりの頃に撮った写真なんだけど、この日から3年くらい経ってるからちょっと変わってるかも」
美咲ちゃんはケータイの画面をじっと見つめている。お姉さんとの思い出を懐かしんでいるんだろうか。ぼくはそんな彼女の横顔をしばらくの間見つめていた。
「おー。翔流、アイス買ってきたぞー」
伯父さんがビニール袋を持って事務所に入ってきた。美咲ちゃんがソファから立ち上がってお辞儀をする。
「こんにちは。わたしは日向君と同じクラスの橘美咲です。先程はご挨拶できなくてすみません。日向君にはいつもお世話になっています」
「おお、もう大丈夫なのか。あんたも災難だったな。翔流みたいなガキでもボディーガードくらいにはなるからな。どんどん、こき使ってくれ」
伯父さんはガハハハと豪快に笑う。
「はい、そうさせていただきます」
美咲ちゃんは伯父さんに笑顔で応じ、そのあと、ぼくのほうを見て目を細める。
「なんならあんたもボクシングやるかい。ナイスバディになるために通う女の子も最近は増えてんだよ」
伯父さんは美咲ちゃんを気に入ったようだった。
「伯父さん、売上げ増やしたいのはわかるけど、ぼくの同級生を誘わなくてもいいじゃん」
とりあえず釘を刺しておこう。隣で美咲ちゃんがくすくす笑っている。
「素敵な伯父さんね。わたし、羨ましいわ」
美咲ちゃんが聞こえよがしにぼくにいうと、伯父さんは機嫌を良くしたようで
「翔流、今日はもう遅いからアイス食ったら彼女と一緒に帰れ。また変な奴にからまれないようにしっかり守ってやるんだぞ」
そう言ってぼくを送り出す。事務所の掛け時計を見ると午後4時30分過ぎ。いろいろ話し込んでいるうちに2時間くらい経過していたようだ。
普段は午後5時ごろに帰るんだけど、今日はいつもより早く帰路につくことにした。電車に揺られて40分。最寄り駅に到着し、美咲ちゃんとはそこで別れることにする。
別れ際、彼女は唇に人差し指を当て、ぼくを顔を覗き込むようにしながら、
「翔流くん。今日話したこと、誰にも内緒ね」
と、念を押す。
「うん。ぼくもジムに通ってること学校の人には内緒にしてるんだ。だから……」
「うん、わたしも誰にもいわないから」
「お互いに秘密にしておこう」
「約束ね」
彼女はニコッと微笑み、「バイバイ」って手を振ると、バス停のほうに歩いて行く。ぼくはそれを見送ったあと、いつものように駅の前に立って、迎えにくる母親の車を待つ。
鮮やかなオレンジ色に染まる夕焼け空を見つめながら、ぼくは今日出会ったいつもと違う美咲ちゃんのことを考える。
お姉さんのことを話しているときの憂いを帯びた瞳からは、さまざまな想いが伝わってきた。
喪失感、寂しさ、不安、自責の念、後悔……。でもその瞳の奥には強い意志も感じられて……。たぶん、その意志を支えているのは、お姉さんを大切に思う気持ちなんだと思う。
いなくなったお姉さんへのさまざまな想いを秘めながらも、精一杯、前向きに生きようとする美咲ちゃん。そんな彼女を見てなぜかギュッと力強く抱きしめたくなった。
なんでそんなことを思ったのかはよくわからないけど、この日、ぼくの中で美咲ちゃんの存在がひときわ鮮明になったような気がしたんだ。
ビルの二階は主にト筋トレ器具を設置したトレーニングルームになっているけど、一部のスペースは壁で仕切られ、従業員の休憩室を兼ねた事務所となっている。事務所には事務机やパソコン、書類棚の他に、応接用のテーブルとソファー、冷蔵庫なども置いてある。事務所に美咲ちゃんを案内したぼくは、とりあえず彼女をソファに座らせ、冷蔵庫から缶入りのお茶を2つ取り出す。
そしてぼくはテーブルを挟んで向かい側のソファーに座り、缶を開けて彼女の前に置いた。
「走ってきたから喉乾いたよね。これしかなかったんだけど、飲んで」
「ありがと……」
美咲ちゃんはそうつぶやくと、お茶の缶を両手で包み込むように持って口に運ぶ。ぼくは自分の缶を開けながらその姿をなんとなく見つめていた。
ゴクリ、ゴクリと喉が鳴る音が聞こえるような気がした。冷たいお茶が食道を通過し、目を細める。
お茶から口を離してふぁー、と一息。彼女はお茶をテーブルに置いてこちらに視線を向けてくる。
「大丈夫?落ち着いた?」
「ゴメンなさい、最初は優しそうな人たちだと思ってたんだけど、でもなんか人通りの少ないところに連れて行かれそうになって……ヤバイって思った……」
眉根を寄せ、寒そうに右手で左腕のあたりをさすっている。
「危なかったね……。でも何もなくてよかったよ」
「うん、ありがとう。今日の翔流くんなんか男の子って感じだった……」
「え、そうかな?」
ぼくはちょっとくすぐったいような気持ちになる。
「そういえば、今日はメガネかけてないね。あの丸いやつ。どうしたの?」
「え?ああ、今日はちょっとね……」
ちょっと困ったように眉をひそめる。
「それって今はコンタクトにしてるってこと?」
美咲ちゃんは少し考えるように目をつぶったあと、視線を泳がせながら口を開く。
「えーと、実はね。あのメガネ、度が入ってないの。わたし別に視力悪くないし」
そういえば美咲ちゃんがメガネをかけはじめたのは小学六年生の冬ごろだった気がする。いくつも疑問が浮かんだけど、なにか深い事情がある気がして何も聞けなかった。
「そういえばアイツら美咲ちゃんが人を探してるって言ってたけど、誰か探してるの?」
「お姉ちゃん……」
彼女は目線を下に向け、ポツリとつぶやく。
「お姉ちゃん?そういえば美咲ちゃんってお姉さんがいたよね」
確か小学校低学年の頃、スーパーで中学の制服を着たお姉さんと一緒に楽しそうに買い物をする彼女を何度も目撃したことがある。お姉さんはとてもキレイな人で丸い形のメガネをかけていた。
「あ、そうか。美咲ちゃんがかけてるメガネって」
「そう、お姉ちゃんの……」
その声はわずかにかすれていた。しばらくして美咲ちゃんは意を決したように顔を上げ、お姉さんについて語り始めた。
美咲ちゃんのお姉さんこと橘美月(たちばな みつき)さんは彼女が小学六年生のときに家出した。当時付き合っていた彼氏の子供を妊娠し、彼女は産むことを決断したが、両親は娘の将来を案じて中絶させようとした。両者の間で何度も話し合いは行われたけど、両親が娘の決断を了承することはなかった。それでお姉さんは高校を辞めて彼氏とともに姿を消してしまったという。
「たぶん、お父さんとお母さんも後悔してる。でも二人ともお姉ちゃんをかわいがってたし、頭がよくて美人のお姉ちゃんの将来にも期待してた。だから裏切られたって気持ちも大きいんだと思う」
彼女はそこでふぅとため息をついてこちらに視線を向ける。目が合う。大きくて澄んだ瞳。その瞳は憂いで満ちていたけれど、その奥には揺るぎない意志も宿っているようだった。
「お姉ちゃんがいなくなって最初はふさぎ込んでいたけど、わたしも変わらなくちゃって思ったの」
「うん」
ぼくは彼女の意志に応えるように力強くうなずく。
「あのときわたしは子供だった。お姉ちゃんがあんなに悩んでたことも全然知らなかったし、両親とケンカしてるときも傍観することしかできなかった。わたしが甘えてばかりでなくて、もっと大人だったら相談に乗ってあげられたのにって……」
自責の念。罪悪感。後悔。なんとなくそんな言葉が浮かぶ。
「それでわたしはお姉ちゃんのように強くならなきゃダメだって思った。もっと大人になっていろんなことがわかるようになれば、両親とお姉ちゃんをいつか仲直りさせられるんじゃないかなって……」
「それでお姉さんのメガネを?」
「浅はかだけどね。わたし、あのメガネをかけてると自分にお姉ちゃんが乗り移ったような気分になるんだ。でも今日はお姉ちゃんに会えると思ってたからかけてこなかった。あのメガネをかけてるわたしを見たら驚いちゃうからね」
美咲ちゃんは話し終わるとしばらくの間ぼくのほうをじっと見つめ、それから苦笑いする。
「あーあ。話しちゃったなー。祐佳たちにも話さなかったことなのに」
ソファーの背もたれに寄りかかり、伸びをする。その瞳はまだ憂いを帯びていたけど、その表情からはどこかスッキリしたような晴れやかさも感じられた。
「ありがとう。いろいろ話してくれて」
「うん……。わたしもありがと。翔流くんに話してなんか気持ちが軽くなったよ」
ぼくらは微笑み合う。
「で、今日はここでお姉さんを探してたんだよね」
「親戚のおばさんがね。ここの繁華街でお姉ちゃんを見たっていうから探してたんだけど、今日はあんなことになっちゃって……」
「でも、このあたりはゲーセンとかカラオケボックスとか遊び場も多いからガラの悪い高校生も結構いるんだよね。特に美咲ちゃんみたいな子は気をつけないと」
「わたしみたいな子って?」
「ち、ちょっとボーっとしてる感じの子だよ」
「ひどいなー。わたしそんなにボーっとしてないよー」
「ははは」
ごまかすように笑うぼく。頬を膨らませて怒ったそぶりを見せる美咲ちゃん。目は笑っている。
本当は「キミみたいなかわいい子は狙われやすい」って言いたかったんだけどやめておいた。なんか女ったらしみたいな、軽薄な男みたいで恥ずかしいから。
「ところで美咲ちゃん。お姉さんの写真ってある?」
「え?ケータイに入ってるけど、どうして?」
「ぼく毎週ここに通ってるから、お姉さんを見かけたら教えてあげられると思う」
「ありがとね。わたし、毎週探しに来ようと思ってたんだけど。やっぱ中学生にとっては電車代も馬鹿にならないからね」
「うん。やっぱり中学生ひとりで探すのは限界があると思うんだ。従兄の和真さんは繁華街にも顔が利くから事情を話して頼めばもっと情報が入るかもしれないし」
「うん……そうだね。じゃあメルアド教えて。添付ファイルで送るから」
ぼくは自分のケータイを取り出してメルアドを交換する。美咲ちゃんはすぐにケータイを操作し、写真を添付したメールを送ってくれた。
姉妹のツーショット写真。左に美咲ちゃん。右にお姉さんの美月さん。美咲ちゃんはいまよりもずっと幼くて満面の笑みを浮かべている。お姉さんと一緒で幸せそうだ。美月さんは黒髪ロングヘアーで目鼻立ちのはっきりとした美人だ。美咲ちゃんの肩を抱いて微笑んでいる姿からはどことなく母性を感じさせる。
「この写真は、お姉ちゃんが高校に入学したばかりの頃に撮った写真なんだけど、この日から3年くらい経ってるからちょっと変わってるかも」
美咲ちゃんはケータイの画面をじっと見つめている。お姉さんとの思い出を懐かしんでいるんだろうか。ぼくはそんな彼女の横顔をしばらくの間見つめていた。
「おー。翔流、アイス買ってきたぞー」
伯父さんがビニール袋を持って事務所に入ってきた。美咲ちゃんがソファから立ち上がってお辞儀をする。
「こんにちは。わたしは日向君と同じクラスの橘美咲です。先程はご挨拶できなくてすみません。日向君にはいつもお世話になっています」
「おお、もう大丈夫なのか。あんたも災難だったな。翔流みたいなガキでもボディーガードくらいにはなるからな。どんどん、こき使ってくれ」
伯父さんはガハハハと豪快に笑う。
「はい、そうさせていただきます」
美咲ちゃんは伯父さんに笑顔で応じ、そのあと、ぼくのほうを見て目を細める。
「なんならあんたもボクシングやるかい。ナイスバディになるために通う女の子も最近は増えてんだよ」
伯父さんは美咲ちゃんを気に入ったようだった。
「伯父さん、売上げ増やしたいのはわかるけど、ぼくの同級生を誘わなくてもいいじゃん」
とりあえず釘を刺しておこう。隣で美咲ちゃんがくすくす笑っている。
「素敵な伯父さんね。わたし、羨ましいわ」
美咲ちゃんが聞こえよがしにぼくにいうと、伯父さんは機嫌を良くしたようで
「翔流、今日はもう遅いからアイス食ったら彼女と一緒に帰れ。また変な奴にからまれないようにしっかり守ってやるんだぞ」
そう言ってぼくを送り出す。事務所の掛け時計を見ると午後4時30分過ぎ。いろいろ話し込んでいるうちに2時間くらい経過していたようだ。
普段は午後5時ごろに帰るんだけど、今日はいつもより早く帰路につくことにした。電車に揺られて40分。最寄り駅に到着し、美咲ちゃんとはそこで別れることにする。
別れ際、彼女は唇に人差し指を当て、ぼくを顔を覗き込むようにしながら、
「翔流くん。今日話したこと、誰にも内緒ね」
と、念を押す。
「うん。ぼくもジムに通ってること学校の人には内緒にしてるんだ。だから……」
「うん、わたしも誰にもいわないから」
「お互いに秘密にしておこう」
「約束ね」
彼女はニコッと微笑み、「バイバイ」って手を振ると、バス停のほうに歩いて行く。ぼくはそれを見送ったあと、いつものように駅の前に立って、迎えにくる母親の車を待つ。
鮮やかなオレンジ色に染まる夕焼け空を見つめながら、ぼくは今日出会ったいつもと違う美咲ちゃんのことを考える。
お姉さんのことを話しているときの憂いを帯びた瞳からは、さまざまな想いが伝わってきた。
喪失感、寂しさ、不安、自責の念、後悔……。でもその瞳の奥には強い意志も感じられて……。たぶん、その意志を支えているのは、お姉さんを大切に思う気持ちなんだと思う。
いなくなったお姉さんへのさまざまな想いを秘めながらも、精一杯、前向きに生きようとする美咲ちゃん。そんな彼女を見てなぜかギュッと力強く抱きしめたくなった。
なんでそんなことを思ったのかはよくわからないけど、この日、ぼくの中で美咲ちゃんの存在がひときわ鮮明になったような気がしたんだ。
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