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第八章、二人の夜
39.思い
しおりを挟むセリューがダンドを部屋に招き入れると、ダンドは持ってきたワインとチーズを置いて微笑む。彼をこの部屋に呼ぶのは初めてではないし、二人きりで飲むことも多かったのだが、セリューは終始これからのことを考えてしまい、落ち着かなかった。
そんなセリューとは対照的に、ダンドはいつもどおりで、ずっと笑顔だ。むしろ、意識されていないのではないかと思うほどに。
「どうしたの? これ……セリューの部屋じゃないみたい……なんでこんなに片付いてるの? 何かあった?」
彼は本当に驚いているようだった。いつもこの部屋は乱雑な状態で、たまに足の踏み場もないほどになる。それを知っているからなのだが、そんなふうに指摘されると、普段のことを言われているようで恥ずかしい。
「さっきまでディフィクがいて……掃除してくれたんだ……」
「あー……なるほどー……あいつなら、そういうの得意そうだもんねー。なんでもできるし。ああ、いつも置きっぱなしのマグカップとかもないー」
「う、うるさいぞっ!! たまには片付けているだろう!!」
「だって、いつもは俺がやってたのにー」
「い、いいだろう! 別に……お、お前の世話になってばかりじゃないんだ!!」
「ふーん……」
急に恥ずかしくなる。彼には「少し片付けたら?」と言われながら、部屋を片付けられてしまうことが多い。その度に、それくらい自分ですると言いながら、よく出しっぱなしにしてあった服の取り合いをした。
「……じゃあ、これ!」
ダンドはソファに座って、セリューにワイングラスを差し出してくれる。
「飲もう。セリューの好きなワイン、持ってきたよ」
「あ、ありがとう……」
彼の隣に座ってワイングラスを受け取ると、それに、赤いワインが注がれていく。
ダンドは、微笑んで言った。
「どうしたの? なんだか緊張してるみたい」
「そ、そんなことはない……お前は……今日は良かったのか? あの騒動の後、すぐに厨房に戻ったのだろう?」
「うん。今朝も抜けさせてもらったから。ストークがぐったりしててさー」
「そうか……悪かったな。私だけで抑えたかったのだが……」
「フィッイルがらみはどうしようもないだろ。それに、俺だって、セリューと行きたい。みんなも、俺はクラジュ対策が先だって言ってるから」
「お前もか……」
「それはそうだろ。クラジュがあのままじゃ、みんな落ち着かないだろうし」
「……そうだな…………」
今朝のあの騒動の時はひどく腹が立ったのに、今はそんなに苛立ちもしない。
ダンドといる時は、いつもそうだった。セリューがどれだけ苛立っていても、彼といると、怒りは溶けるように消えていく。
緊張まで薄れたようで、二人でいつもどおりに話している間に夜は更けていく。グラスのワインも少しずつ減っていき、それの底が見えそうになる少し前に、ダンドは席を立った。
「じゃあ、俺……そろそろ…………」
「あっ……! ま、待ってくれっ……」
追いすがるように伸ばした手が、彼の服の端を掴む。
部屋のドアの方に向かおうとしていた彼は、驚いたように振り返った。
「セリュー?」
「えっ……あ、いや………………」
彼が席を立った理由はわかる。もう夜はとうに更けている。そろそろ休んだほうがいい。明日になったら、また忙しい日が始まるのだから。
だが、まだ彼に言いたいことを伝えていない。
「セリュー?」
振り向いた彼に見下ろされると、ますます言葉が出てこない。口元がもごもごと空回りするだけだ。
「その…………あ、わ、私はっ……!」
彼と目が合う。
それでも、何も言えない。
「セリュー? どうしたの?」
彼が微笑んでくれると、ホッとするのに、染み込むような痛みが広がっていく。
どれだけ話そうとしても、言葉が続かない。そもそも、何から話せばいいのか分からない。自分はなんて情けないのだろう。
尻込みする自分を奮起させ、セリューは前に出て、ダンドの手を取った。
「あ……」
「うわっ……」
酔ったせいなのか、セリューは床に足を滑らせ、彼の手首を握ったまま倒れそうになり、彼も床に尻餅をつく。自分が彼を押し倒したようになってしまう。
いつもとは逆だ。
けれど、ダンドがセリューのように真っ赤になることはなくて、目を丸くしている。急に手を取られて、驚いただけのようだ。セリューに手を出されるなど、夢にも思っていないのだろう。
「セリュー?」
彼が首を傾げる様子は、いつもとなんら変わらない。それがどこか悔しい。こっちは始終耐え切れないほどにドキドキしていたのに、彼はこんな状況になっても、なにも普段と変わらないのだ。
「セリュー…………?」
「あ…………す、すまない……怪我はないか?」
セリューは、彼から手を離して立ち上がった。
自分の不甲斐なさが嫌になる。ここまできても、こんなことしか言えないなんて。
手を差し出すと、彼もセリューの手を取って立ち上がった。
「どうしたの? 今日は……疲れた?」
「……いや…………酔ったらしい……」
「そう……? じゃあ……」
彼がセリューに背を向ける。
これで今日が終わるなんて嫌だ。
背を向けた彼の手を、セリューはとっさに掴んだ。
「待ってくれっ……!! 好きだっ…………!」
「え…………?」
彼はやっと振り向いた。それでも何を言われたのか分からないのか、キョトンとしている。
その顔を見たら、これまで自分で押さえつけていたものが一気に膨らんで、飛び出していく。
「おっ……お前のことが好きだっ……! も、もう……嫌がったりしない………………お前が好きだ! ダンド……」
だんだん消えそうになる声でも、やっと言えた。それだけで精一杯のセリューに、ダンドは唇を近づけてくる。
もう拒絶したりしない。けれどそれでも緊張はする。彼に何度も組み敷かれた時のことを思い出してしまう。
さっきまで掴んでいたはずの腕を、逆に握られ引き寄せられる。抵抗できる程度の力のはずなのに、腕に力が入らない。
そのまま唇が重なって、それだけで、相手に震えているのが分かるくらいに、体が揺れた。
その拍子に息を漏らすセリューの、動かない唇を押し開けて、彼の舌が侵入してくる。
「ぅ……」
漏れていく息など御構い無しに、彼がセリューの口の中を弄る。そこから、じっくりと侵されていくようだ。
「ふっ……んっ……んんっ…………!」
キスされたのは、これが初めてじゃない。彼が刺激するのは、セリューの弱いところばかりだ。濡れたものが何度も絡み合う音がして、力が抜けたセリューは、ソファに押し倒されてしまう。唇がぐちゃぐちゃに濡れた頃、彼はやっと唇を離してくれた。
「だ、ダンド……お前…………長い……」
「本気?」
「は? わっ……!!」
突然胸に頬を当てられ、セリューは焦った。そんなことをされては、ひどくドキドキしているのが伝わってしまう。
彼は甘えるように、セリューの体に頬を擦り付けていた。
「……セリュー…………本当に?」
「あ、ああ……ずっと……言えなくてすまない……」
「本気で言ってる?」
「……と、当然だ…………な、何度言わせるんだ!」
「だって……そんなこと言ってもらえるなんて思ってなかったから……すっげー嬉しい…………もう一回言って?」
「は!? い、嫌だっ……!」
「えー、なんで? ……もう一回聞きたい。本当に好きって言って?」
「さ、さっき言ったじゃないか!」
「だって、信じられないんだ。あと一回だけ」
「……ほ、本当に好きだ…………」
「……今度はキスされながら言って?」
「嫌だ!」
「だって聞こえなかったんだもん」
何度もねだりながら、まるで子供のように頬を擦り付ける姿が、可愛くてたまらない。尻尾まで振っていて、初めて彼の無防備な姿を見れた気がした。
セリューは、上に乗ったままのダンドをソファに座らせ、立ち上がった。こうしてみると、大きな犬のようだ。さっき彼が、五匹も犬を連れていたことを思い出して、緊張で強張っていた顔が綻んでいく。
「今日はそれを伝えたかったんだ。来てくれてありがとう……悪かったな……疲れていただろうに……」
「セリューが誘ってくれるなら、俺はいつでも嬉しいよ?」
「…………私もだ……ワイン、うまかったぞ…………呼び止めてしまってすまない……明日は早いのだろう? 私もそろそろ休む……また……誘っていいか?」
「…………………………何言ってるの?」
「だ、ダメなのかっ!?」
「そうじゃなくて、なんでここでさよならみたいに言うの? これからなのに」
ソファの上で、セリューを見上げるダンドは、さっきとは違う目をしていた。さっきまで主人に健気に尻尾を振る犬のようだったのに。
セリューは焦った。
「な、何を言ってるんだ!? 帰ろうとしてたんじゃないのか!?」
「最後にとっておきのワインがあるから持ってこようとしてただけ。でも、セリューが酔っちゃったなら、酔い覚ましにしようか」
「お、お前、それで立ち上がったのか!? ず、ずるいぞ!! てっきり、部屋に戻ろうとしているのかと……」
「なんで? 今日はセリューが深夜に酒飲みに誘ってくれて、自分の部屋に入れてくれたんだよ? しかも顔赤くなってるし、さっきから震えてて可愛いし、もう朝まで一緒にいるに決まってるだろ?」
「あ、朝まで…………? し、しかし……あ、明日は朝から早いじゃないか…………だから……」
「明日は早くないよ? だって俺、明日休みもらったし」
「な、なんだと!?」
「クラジュとフィッイル捕まえて、騒ぎを治めたから、明日は休んでいいって料理長が言ってくれた。あ、セリューも、明日は休んでいいって。オーフィザン様に言わせた。無理矢理」
「お、オーフィザン様に!? 待て!! 聞いてないぞ!! そんなこと!!」
「だって今日、セリューがせっかく誘ってくれたんだし、休みくらい取っておきたくて。夜が無理だったら、朝からでもいいかって思って、準備してたんだから」
「そ、そんなことまでしていたのか?」
「だって」
ダンドはセリューの手を握り、その甲に唇で触れる。そっとそこに舌の先を当てられ、くすぐったい。
「だ、ダンド!?」
「セリューとずっと一緒にいたかったし……でも、まさかこんなご褒美もらえるなんて思わなかったな……」
「お、おいっ!!」
握った手を強く引かれて、ソファに座ったままの彼に引き寄せられてしまう。腰に手を回され、まるで自分が彼の上に乗っているような体勢になって、耳元で囁かれると、体がびくっと震えた。
「セリュー……」
「落ち着け……わ、私は……ただ……っ!」
「ただ……なに?」
「……あ…………その……っ!!」
断ったはずなのに、ダンドは唇で今度はセリューの首に触れてくる。彼の頭の狼の耳が、セリューの頬をくすぐった。
「お、おいっ……ま、待ってくれ!!」
セリューは、彼の肩を掴んで、自分から離した。
「ふ、風呂に入ってないだろうっ……!」
「そんなの、いいよ」
「よくない!! 私は……ずっと寝ていてまだ風呂にも入ってないんだ!」
「あ、それ、大丈夫だよ。ディフィクが拭いてくれたんだろ?」
「な、なぜそんなことを知っているんだ!!」
「ディフィクが話してた。夕飯食べに来た時に。セリューが怪我してるって」
「そうか……」
「…………やっぱり行こうか。風呂」
「えっ!? い、いや……入るなら一人で……」
「何言ってるの。あんなに広い風呂なのに。今度は俺が洗ってあげる」
「ふ、風呂くらい、一人で入る!!」
「だめ。俺もセリューのこと洗う。隅から隅まで磨いてあげる」
「ば、馬鹿! 私は皿か! 離せ!! ダンド! 離せと言っているだろう!!」
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