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第七章、二人の一日
32.急襲
しおりを挟む殴りに行きたくなる気持ちをグッと抑えて、セリューは木の上のフィッイルを見上げた。
「フィッイル……今すぐに降りてきなさい…………大人しく降りてきて、何をしたのか話せば、許してあげます……」
「はー? 何言ってるの? ただの人族のくせに、狐妖狼で魔法使いの僕に勝てると思った!?」
叫んだフィッイルの後ろから、何かが飛び出してくる。
セリューは、すぐにいつもの宝石を握ろうとしたが、向かってきたものを見て、ひどく動揺してしまった。それが、セリューとそっくりな姿をしていたからだ。
セリューが動きを止めた隙に、飛び出してきたものはセリューの持っていた宝石を奪い取る。そして、木の上のフィッイルの隣に飛び乗った。
「な、なんだそれはっ……!!」
セリューは、フィッイルの隣に立っている、自分とそっくりな姿をしたものを指さした。それは、自分でも見間違えてしまいそうなほど、セリューに似ている。フェズントが言っていたのは、あれのことだろう。
フィッイルは、得意げに胸を張る。
「びっくりした? よくできてるだろ?」
彼が隣に立っているものの肩を叩くと、それはさっきフェズントが従えていたものとそっくりな犬になった。
「それは……」
「これ、オーフィザンが作った侵入者拘束用のものを、僕が魔法をかけて姿を変えたんだ! そっくりだろ? 性格悪そうな目とか」
「……それで私が偽物呼ばわりされたのか……」
「当たりー。魔法で僕の言いなりにしたし、お前とあの暴力的なシェフが戻ってきたら、少しからかってやろうと思って」
「なんだと……? まさか貴様、ダンドのところにまでそれをやったのか!?」
「もちろん! 同じものが今頃あいつに会いに行ってるはず……これであいつに日頃の仕返しをしてやるんだっ!」
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「誰が解くもんか! これさえなければ、お前なんか怖くないもんねー!!」
ふざけた態度で笑って、フィッイルは隣の犬の頭を撫でる。
さっき奪われた宝石は、オーフィザンから授かった槍を作り出すためのものだ。
あれがなくてはセリューは丸腰同然で、それを知っているフィッイルは得意げに笑う。
「もうお前に僕を捕まえることなんかできない。だって僕は魔法使いで、お前はただの人族! ここで日頃の恨みを晴らしてやる!!」
犬たちがセリューに飛びかかってくる。
なすすべなく押さえ込まれるセリューを見て、フィッイルは木の上で笑い転げた。
「あはははは!! いい気味ーー!! バーカ!!」
「ぐっ……離せ!!」
「さーて、何してやろうかなー?」
にやにや笑いながら木から降りてきたフィッイルは、わざわざセリューの目の前にしゃがんで、見覚えのある猫じゃらしを振る。
「貴様っ……! それはっ……!!」
「そうだよー。オーフィザンの部屋にあるはずの猫じゃらしだよー。あいつの部屋から盗んで来たんだー!!」
「お前、またオーフィザン様のお部屋に勝手にっ……!」
「勘違いするなよ。クラジュが僕をあの部屋に入れてくれたんだ」
「どうせ貴様があの馬鹿を唆したんだろう!! 今すぐこの犬どもをどかしてそれを渡せ!」
「嫌ー」
にやにや笑うフィッイルは、セリューの頬のすぐそばに、猫じゃらしを近づけてくる。
ゾッとして呻くセリューを見て、フィッイルはますます愉快そうに笑った。
「どうせなら吊るして痛めつけてやろうかなー? あのムカつくシェフと一緒に……」
「貴様……ダンドにまでそれを……」
「そのために、わざわざこれを盗んで来たんだからさー……これでやっとお前らを嬲れる…………いっぱい泣けよ……」
「このっ………………!!」
笑うフィッイルは本気だろう。
本気でダンドにまでこの猫じゃらしを使うつもりだ。
これのせいで辛そうにしていたダンドのことを思い出してしまう。二度とダンドにあんな苦しい思いをさせたくない。
こんなふざけた男に、彼を辱められて堪るものか。
「フィッイル……私を舐めるなよ…………」
セリューは、力だけを頼りに犬の下から腕を動かして、犬の足を握った。
まさか、動けるとは思わなかったのだろう。フィッイルは猫じゃらしを握ったまま飛び退く。
「お前……まさかっ…………」
逃すものかと、足を握った犬をフィッイルに投げつけ、セリューは立ち上がる。
仲間を投げ飛ばされ、怯えたのか、周りの犬達もセリューから離れた。
しかし、フィッイルの余裕の笑みは崩れなかった。まだセリューの宝石は、彼に従う犬がくわえたままだ。
「ふん……馬鹿力…………抵抗したところで、勝てるはずないのに……」
「痛い目にあいたくなければ、今すぐにそれを返せ!!」
「やだよー!! これはもう僕のものだ!!」
フィッイルは、まだ宝石をくわえたままの犬の前に手を出す。しかし、犬はその宝石を渡すどころか、彼から顔をそむけてしまう。
「え……ちょ……え? な、なんで……は、早くそれを渡せ!!」
彼が何度命令しても、犬は言うことを聞かない。それどころか、今度は宝石をくわえたまま背を向けた。
「な、なんで言うこと聞かないんだ? ほら! こっち寄越せ!! バカ犬!!」
怒鳴りつけたフィッイルを、犬は無視して、しまいには城の方に走っていってしまう。
「ち、ちょ……おいっ!! 待て!!」
すぐに追おうとしたフィッイルに、セリューの周りにいた犬たちが全て飛びかかる。
そのうち一際大きいものが、彼の服をくわえて走り出した。
「うわあああああん!! また暴走したあああ!! 助けてええ!!」
「バカ猫ーーーー!!」
さっきまで使役していたものにくわえられ、フィッイルはそのまま連れて行かれてしまう。久しぶりに長く魔法が使えていたかと思えば、肝心なところで暴走している。
セリューは、犬とフィッイルを追って走り出した。
「フィッイル!! 魔法でなんとかできないのか!?」
「さっきからやってるのに効かないーー!! うわあああん!! なんとかしてええ!!」
「このバカ猫が!! なぜそれで魔法を使うんだ!!」
叫んで、セリューはフィッイルを捕まえて逃げる犬に飛びついた。
地面に押さえつけられた犬は、牙を剥いてセリューを振り払い、フィッイルが持っていた猫じゃらしをくわえて逃げていく。
自由になったフィッイルに、セリューは力を封じるための鎖を巻きつけて、そばの木に縛り付けた。
「このっ……バカ猫!! どういうつもりだ!!」
「乱暴するなよーー!! 暴力執事ーー」
「誰が暴力執事だ!! さっさと私の偽物を消して、お前がダンドに差し向けたものを呼び戻せ!! 今すぐにだ!!」
「はあ? 暴走して言うこと聞かなくなってるんだよ? できるわけないだろ!! バーカ!! オーフィザンになんとかしてもらえばー?」
「オーフィザン様は今は出かけておられるんだ!!」
怒鳴り合っていたところへ、空から、竜の羽音が聞こえてくる。
セリューは、フィッイルを縛る鎖を切った。
解放されたフィッイルは、逃げ出すどころか空を見上げてガタガタ震えている。
空を飛ぶ巨体が、太陽の光を隠して辺りが暗くなり、巨大な竜がセリューのそばに降りてくる。銀竜のロウアルだ。彼は、城の屋根すら越してしまいそうなほど巨大な竜で、降りてくるなり、空に向かって吠えた。
まるで空間が揺れるかのような咆哮を聞いていられなくて、セリューが耳を押さえているうちに、竜は人の姿になり、まだ地面に尻餅をついた姿で震えているフィッイルに駆け寄った。
「フィッイルー!! ここにいたのかーー!!」
どうやら、フィッイルを探していたらしい。彼を見つけて、彼にしか見せない笑顔のロウアルとは対照的に、フィッイルはずっと涙目でガタガタ震えている。
フィッイルと一緒にこの城へきた銀竜のロウアルは、なぜだか分からないが、フィッイルに夢中だ。
しかし、普段群れで獲物を襲い、同じ竜族でも躊躇うことなく食い殺す銀竜を、フィッイルは怖がっている。
ロウアルはフィッイルを傷つけるようなことをしたことはなく、今も、震えているフィッイルを前に、彼の体に触れることもできずにおろおろしているだけなのだが、フィッイルは今にも泣き出しそうな顔で、セリューに振り向いた。その顔にはもう敵意はなくて、助けを求める子犬のようだった。
けれど、セリューにしてみれば、ちょうどいい迎えが来たようなものだ。彼のそばにいれば、フィッイルも悪戯をしない。
「ロウアル、フィッイルが怯えているようなので、今日はずっと彼のそばにいてあげてください」
「わ、分かった!! フィッイル!! 今日はずっと俺がそばにいてやるからな!!」
おそらくフィッイルにとっては一番恐ろしいであろう一言を聞いて、フィッイルは震え上がる。
けれどセリューは、フィッイルが震えながら伸ばした手を完全に無視して、走り出した。
背後からフィッイルの泣き叫ぶような声がする。
「……せ、セリューーーーっっ!! あ、謝るからああああああ!! 待ってええええっ!!」
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