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第六章、二人の出張
28.犬
しおりを挟む「なんだよー、なんで俺だけ殴るんだよー。ダンドーー」
とりあえずお前は殴らせろと言われて、返事をする間も与えられずに頬を殴られたヴィールアは、かなり不満そうに頬を抑えていた。
「ヴァッインだって、ちょっとやっただろー」
すでに涙目になっているヴィールアに、ダンドは冷たく「お前触っただろ」と今にも殴りそうな顔で答える。
「はあ!? 触ったって言ってもちょっとだろ! だいたい、そいつが先に、いかにもやりたそーな顔してエロい声で誘ったんだ!! 触るだろ! やるだろ! 男なら!!」
「お前今度はマジで殴るぞ」
「なんでだよ! …………わ、わかったよ……もうしないからっ……!」
「今度やったら殺すから。二度と手ェ出すな!!!!」
怒鳴りつけられ、ヴィールアは震え上がる。
セリューは慌ててダンドを止めた。
「や、やめてくれ、ダンド……私も悪かったんだ。助けてもらったのに、怒鳴りつけてしまって……酒を飲んだ勢いで、先に試すかと言ったのも私なんだ……」
言いながら、自分の行動を省みると、恥ずかしくなってくる。すぐにカッとなるところをずっと治したいと思っていたのに、結局二人を怒鳴りつけ、こんなことになってしまった。
ヴィールアは、申し訳なさそうにセリューに振り向いた。
「あー…………悪かったな……つい……その………………」
「……やれと言ったのは私の方です。むきになってしまって……いろいろとご迷惑をかけてしまい、申し訳ございませんでした」
セリューが丁寧に頭を下げると、ヴァッインもヴィールアも、首を横に振る。
「気にするな。こっちも悪ふざけが過ぎた」
「そうだぞ。お前がいやらしいからやりたくなっただけだ」
笑って言うヴィールアをヴァッインが背後から殴る。
「馬鹿が! それで謝ってるつもりか!!」
「いって……何すんだよ!」
騒ぎ出した二人を見て、フィルクはため息をついて、ダンドに向き直った。
「悪かったな。あいつらにはよく言い聞かせておく」
「うん……今日は、もう帰る……猫じゃらしのこと、本当に大丈夫か?」
「ああ。二人ともいつもと変わらない。その猫じゃらし、壊れてるんじゃないか?」
「……多分ね…………巻き込んでごめん」
「やめろ。こっちも悪かったんだ。明日、少し付き合え」
「……なに?」
「リゾーを案内してやる」
「……必要ない。俺だって、昔はここにいたんだから」
「いいから来い。いつもの場所で待ってる」
「……気が向いたら行く」
気の進まない様子で返事をして、ダンドはセリューを連れ、部屋を出て行った。
彼はずっと振り向かず、セリューの腕を強く引いて、先をどんどん歩いていってしまう。声をかけても、振り向きもしない。
怒っているのかもしれない。ヴィールアたちはダンドの知り合いのようだし、絡んで行ったのはどちらかと言えば自分であるような気がしてきた。
しかし、何を言ってもダンドは振り向かず、セリューを連れてホテルへ戻っていく。
その頃には、セリューの方も話しかけるのが怖くなって、無言になっていた。
部屋に入ると、ダンドは黙ったまま、セリューに振り向き、頬にそっと触れた。馬鹿な失態をしてしまい、てっきり彼は怒っていると思ったのに、なぜかひどく辛そうな顔をしている。
「……セリュー? 大丈夫?」
「あ、ああ……なんともない……」
「そう…………俺の知り合いがごめん……」
「い、いやっ……そんなことはいい。私も、悪かったんだ……」
「…………セリューのせいじゃない」
「ダンド?」
「……今日はもう、寝た方がいい…………」
「おい! 待て!!」
セリューは、自分に背を向けて離れて行こうとしたダンドを慌てて捕まえた。
「な、なぜそうやって離れて行こうとするんだ!?」
「……は?」
「部屋からもすぐに出て行ってしまうし、何かあったのか!? それとも何か怒っているのか!?」
「……セリュー……」
「言いたいことがあるなら言えっ!! お前の仲間たちを巻き込んだことを怒っているのか!? それとも、猫じゃらしを回収し損ねていたことか?」
「せ、セリュー……落ち着いて。猫じゃらしなら、ちゃんと全部回収してるはずだよ?」
「だ、だが、確かに道端に猫じゃらしが生えていたんだ!! い、いくつも落ちて……猫がっ……! 猫が出たんだ!!」
「猫くらいいるよ……猫じゃらしだって、道端に生えてても、別におかしくないだろ? 雑草なんだから」
「そうじゃない!! 猫がっ……! 猫が鳴いてっ……オーフィザン様の猫じゃらしが生えていたんだ!!」
「これ、セリューが落ちてたって言ってた二本だけがオーフィザン様が作ったもので、他はただの猫じゃらしだよ?」
「……なに?」
ダンドが差し出した猫じゃらしを受け取る。
確かにこうして落ち着いて見てみると、片方だけがオーフィザンのもので、もう片方は普通の猫じゃらしだ。
「な、なぜ……」
「セリュー、槍、出してみて」
「槍……? なぜだ??」
「いいから。早く」
促されて、セリューはいつもの宝石を握った。それが光を放ち、槍が現れるが、槍はいつものようにセリューの手に収まることはなく、床に落ちてしまう。
するとダンドは、そっとその刃先に触れ、先についていたものを摘んで、セリューに見せてきた。
「これ、きっと昨日のクラジュ騒動の時に、倉庫の中でついたんじゃない?」
ダンドが見せてきたのは、目を凝らして見ないと気づけないくらい小さくなった猫じゃらしだった。
彼がその小さな猫じゃらしを振ると、元の大きさに戻る。
「倉庫でクラジュが、この槍使って草刈りしてたんだろ? そのあと大量の魔法の道具の下敷きになってたみたいだし、その時に小さくなった猫じゃらしが絡み付いたままだったんだろ。あの時の衝撃で、狐妖狼より、セリューの方に効くようになっちゃってるみたいだし……」
「……そうか……あの猫っ……! ……そうか…………」
昨日のことを思い出し、腹が立ってくるが、それより、情けなくなる。
落ちていた猫じゃらしは、自分が落としたものだった。大方、路地裏で話しかけてきた男を振り払った時に、槍から落ちたのだろう。
自分で落として、それに気づかずパニックに陥り、道端に生えていただけの普通の雑草を引き抜きながら大騒ぎした上に、倒れていたところを助けてくれたダンドの知り合いたちを怒鳴りつけ、馬鹿な挑戦を始めた挙句、猫じゃらしに負けてダンドに助けてもらうことになった。
一体自分は何をしているのだろうと、落ち込まずにはいられなかった。
俯くセリューに、ダンドが心配そうに声をかける。
「……セリュー? どうしたの……? 馬鹿猫ー! は言わないの?」
「……普段、バカ猫クソ猫となじっておきながら、私はその猫じゃらしに気づけないどころか、街で雑草を抜いて騒いで、酔ってお前の仲間に絡んで脱いで、猫じゃらしに感じていたんだぞ……情けないにも程がある……」
「………………確かに情けないけど……」
「……う………………お、お前こそ! な、なぜ出て行ってしまったんだ!? な、何かっ……気に入らないことがあるなら、話してくれてもいいじゃないか!」
「……それは………………」
彼はふいっと、顔をそむけてしまう。やっぱりずっと様子がおかしい。
今度は逃さないつもりで、彼を睨みつけると、彼は、しばらくして小さな声で話し出した。
「そんなんじゃない……ただ、その……俺、普段、狐妖狼の力、封印してるだろ? だから、他の狐妖狼より、その猫じゃらし……余計に効くんだよ……」
「な、なんだと?」
セリューは、槍に絡まっていた猫じゃらしを見下ろした。
「これがか? ヴィールアたちには全く効かなかったんだぞ」
「それも、あの竜から回収した猫じゃらしも。この部屋にいると匂いがする」
「……匂い? なにもしないぞ?」
「セリューには分からないと思う。だけど、俺はそれのそばにいるだけで……ちょっと辛い…………」
「そ、そんなにか?」
「うん……竜からそれを取り返した時も、今も…………セリューの槍にもついてたし……」
「そうだったのか……」
セリューはすぐに、オーフィザンから渡された瓶を取り出した。
「これを……」
「なに? それ」
「あの猫じゃらしの効果を抑えるためのものだ。オーフィザン様から頂いた」
「……そんなものがあったの?」
セリューがそれの蓋を開けると、周りに甘い匂いが広がり、光の粒が出てくる。それがダンドを包むと、彼は体を震わせ、自分の体をまじまじと見つめ、微笑んだ。
「うん……なんだかスッキリしたみたい」
「そうか……よかった…………」
ホッとするセリューだったが、ダンドは怒って腕を組んでしまう。
「よかったじゃない! そんなものがあるなら、早く出せよ!!」
「な、なんだと!? そっちこそ、なぜ早く言わなかった!? 効くなら効くと、そう言ってくれればよかったんだ!! そうすれば、すぐに出した!! それなのに……なぜ黙っていってしまったんだ!!」
つい、さっきまでの不安をぶつけるように口調が強くなっていく。
ダンドは答えることはせずに、そっぽを向いてしまった。答える気はないらしい。
それが余計に腹が立つ。言いたいことがあるなら、言えばいいのに。
「やはり……私といたくなかったのか……?」
「……そうじゃない…………」
「じゃあなんだ!?」
「そうじゃなくて…………」
「…………そんなに言いにくいことなのか?」
「…………だって……その…………か、格好悪いだろ…………」
「…………は?」
聞き間違いかと思ったが、彼は、こちらとは目を合わせないようにしながら真っ赤な顔で俯いている。
「……お前…………か、格好つけたくて黙っていたのか?」
「…………」
「……正気か?」
「はあ!? うるさいな!! だって他の奴らには効かないんだぞ!! スイリューヴだってクラジュだって平気な顔してたのにっ……! 俺にだけ効いて、こんな風になるなんて……い、言えるわけないだろっ……」
俯く彼の顔は真っ赤で、普段の飄々とした彼からは考えられないような顔をしていた。
セリューはもう、キョトンとすることしかできない。
セリューが黙っていると、彼はまるでこちらから逃げるようにベッドに突っ伏してしまう。
そんなことで意地を張るなんて、彼らしくない気がしたが、頭の耳をぺたんと垂れてベッドの布団で拗ねたように顔を隠す彼がかわいく見えてきた。
彼は、やっと振り向いて、恨めしそうにセリューを見上げる。
「……格好つけたいよ…………セリューに惚れて欲しいんだから……」
「…………」
「……あー…………でも、悪かったよ……心配かけて…………」
恥ずかしそうに、いつもとは違う様子で尻尾をたれている彼が、どうしようもなく愛おしく思えた。
気づけば、セリューは笑い出していた。
「セリュー……? な、なに笑ってんだよ!!」
「す、すまん…………可愛くて……」
「……馬鹿にしてる?」
「い、いいや、そんなつもりはない……だが……可愛いなと思って……」
「……やっぱり馬鹿にしてるじゃないかっ…………」
「……そうじゃない……」
「セリュー?」
彼は、まだ少し拗ねたような顔をしている。いつも、セリューを押し倒す彼とはだいぶ違う、どことなく無防備にすら見える彼が、本当に可愛く見えた。彼がこうして戻ってきてくれて、こうして二人でいられることが、涙が出そうなくらい嬉しい。
「…………ダンド……私は…………………………」
「……近づかないで」
大切なことを伝えようとしたのに、ダンドは突然セリューから距離を取る。
「ダンド……? どうした?」
「……そういう顔して今の俺に近づくなって…………」
彼はずっと荒い呼吸を繰り返している。ひどく汗もかいていて、心配になるくらいだった。
「……お前、熱でもあるんじゃないのか? 寝ていた方が…………!!」
伸ばした手を、ダンドは強く掴む。その目はまるでいつもの彼じゃないようだった。
「……ダンド?」
「…………近づくなって言っただろ……っ!!」
痛いほどに腕を掴まれ、そのままベッドに押し倒された。なにをされているのかわからず、驚いて見上げるセリューを、ダンドは上気した目で睨んでいた。
「だ、ダンド……? どうした?」
「…………」
彼はなにも言ってくれないまま、セリューに牙を近づけてくる。それから、ぽた、と涎が落ちて、まるで食欲でも向けられているような気になる。
「だ、ダンドっ……おいっ!!」
振り払おうと腕に力を入れた時、彼の体が突然吹っ飛んで、床に転がった。彼に体当たりをした大きな犬が、セリューと、弾き飛ばされたダンドの間に立っている。
「な、なんで犬が……どこから入ってきたんだ?」
戸惑うセリューを尻目に、犬は天井に向かって吠える。するとダンドを囲む光の粒が現れて、彼の体に吸い込まれていく。
頭をおさえながら起き上がるダンドに向かって、犬はオーフィザンの声で言った。
「結界を張った。楽になっただろう」
「……ああ、なりましたよ……」
多少苛立った様子でダンドが起き上がる。彼からは、さっきまでの異常な様子は消えていた。代わりに、かなり苛立ちの混じった目で犬を見下ろしている。
「何してるんですか…………魔法使って覗きですか!? オーフィザン様!!!!」
怒鳴られても、犬は彼から顔をそむけて答えようとしない。やはり、オーフィザンだ。
これはオーフィザンがたまに使う魔法で、彼自身は城にいて、こうして犬の姿をしたものを操っているらしい。以前に見たときは、もう少し小さかったのだが、今は大型犬くらいある。
なおも怒鳴りつけようとするダンドから守るように、セリューは犬を抱きしめた。
「やめろダンド!! 無礼だろう!」
そばにあったブラシで、犬の毛を丁寧に整え始めると、セリューの腕の中で、犬は甘えるように体を擦り付けながら、こっそりダンドに振り向き彼を嘲笑する。
しかし、オーフィザンがそんなことをしているとは夢にも思わないセリューは、ブラシで犬の毛を整えながら、彼にたずねた。
「オーフィザン様、なぜここに…………も、もしかして、ず、ずっと見ていらっしゃったのですか!?」
「いいや。今きたところだ。今日は城の方で騒動があって、こっちの様子を見にくるのが遅れた」
「よ、様子を見に来られるのでしたら、城を出る前にそう仰ってくださっても……」
「来る気はなかったのだが、昨日のことが気になってな……お前に気づかれたのも、予想外だった」
気持ちよさそうにセリューのブラシに身を任せる犬を、ダンドは冷たい目で睨みつける。
「忙しいなら来ないでください。何しに来たんですか。邪魔なんだよ…………」
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