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第六章、二人の出張
26.混乱
しおりを挟む夜の街は、煌々とした明かりに包まれていた。夜とは思えない明るい大通りを、きらびやかに着飾った紳士淑女が社交場を求めて歩いていく。
そんな中を、セリューは一人足早に、いなくなったダンドを探し回っていた。
この辺りの土産物屋を回り、五軒目のフルーツのお菓子が並ぶ店で、人懐こい笑顔でソフトクリームを作っていた男が、突然人探しをしていると言ったセリューのことを、快く迎えてくれた。
「お前か。セリューって」
「私を知っているのですか?」
「ダンドから聞いてる。今、仕事仲間とこっち来てるって」
男は笑顔で狐の尻尾を振る。頭には狼の耳があった。
スイリューヴたちのように群れを作って森で過ごす狐妖狼もいるが、最近では街に住む狐妖狼も増えているらしい。
「……ダンドとは……知り合いなんですか?」
「ああ。あいつがここにいた頃に、少しな……俺はフィルク。狐妖狼族だ。よろしくな」
「よろしく……あ、あのっ、ダンドは……どこへ行くとか、話していませんでしたか?」
「しばらく街をぶらぶらする……みたいなこと言ってたような気がするけど…………ここから少し離れたところにある、歓楽街の方だろうな」
「か、歓楽……?」
「行くなら、裏通りには入るなよ。見たところ、人族だろ?」
「……」
嫌な考えが頭をよぎる。
ダンドはまさか、他の者と夜を過ごしたくて出て行ったのか。
ダンドがそんなことをするはずがないのだが、ひどくもどかしくて悔しかった。
「そ、それは……どこにあるのですか?」
「ここからたいして離れてないとこだよ。だけど、本当に気をつけろよ……ボーッと歩いてると、酔った奴らに絡まれるぞ。それに紛れて力のない種族を捕まえていく奴もいる。人族なんて、歩いてるだけでそういう奴らが寄ってくるぞ」
「……私も人族とはいえ、身を守る術は身につけています……ありがとうございました……」
教えてもらった街は、リゾーの中心部から少し離れたところにあった。高級街から隔離されたような場所にあったそこは、これから深夜を迎えるとあり、人で賑わっている。
しかし、いくら探しても目当ての顔はどこにもない。
疲れ果て、セリューは通りを一歩奥に入ったところで、そばの建物の壁に寄りかかり、缶コーヒーを開けた。
一体、ダンドはどこへ行ってしまったのだろう。
こんな場所で、夜を明かす寝床をもう見つけてしまったのだろうか。
これまでも、オーフィザンに言われて、遠い街へ赴くことはよくあった。ダンドといればすぐに任務は終わることがほとんどで、夜は彼と他愛もない話をして、二人でのんびりと夜を過ごした。
それなのに、今回はなぜこんなことになってしまったのだろう。
見下ろしたコーヒーが、ひどく暗く見えた。
俯くだけのセリューに、一人の男が話しかけてくる。
「何してるんだ? こんなところで……」
しまったと思った。ここは危険な場所だと聞いていたのに、こんな人気のない路地裏で、隙を見せるなど。
歩み寄ってきたのは、セリューより背が高い、体格のいい男だった。そいつは、セリューのことをジロジロ見ながら、嫌な笑みを浮かべ、近づいてくる。
「人族……か…………」
「寄るなっ!」
怒鳴りつけても、男は構わず近づいてくる。相手はおそらく、人族ではない。
セリューが握った宝石が光を放ち、槍が生まれる。突然武器を向けられても男は全く怯まず、それどころか素手のまま構えた。
真っ向から向かっていく気はない。槍の力を使いそばの建物の屋上まで飛び上がり、男を取り囲む結界を張る。これで男の動きを封じることはできないが、人族だと思っていた男が突然飛び上がり、正体不明の光が現れたことに、敵は動揺している。
その隙にセリューは槍の力を使い逃げ出した。
大通りに出ると、その男は追ってはこなかった。
もう帰ったほうがよさそうだ。
けれど、ここに来たというダンドのことが心配だった。
男たちに囲まれて売り飛ばされているのではないかと、嫌な想像ばかりしてしまう。檻に入れられ、尻尾を震わせている彼のことを想像すると、セリューはいてもたってもいられなかった。
今度は別の通りも探してみようと歩き出すと、道端に千切れて落ちた雑草が目に止まった。それが風に揺れて、そのたびに、ふわっと甘い匂いがする気がした。自然に生えるものとは少し違う。
近づくと、それはオーフィザンが作ったあの猫じゃらしだった。
「な、なぜ……こんなところに?」
拾い上げると、それは可愛らしく風に揺れる。確かにオーフィザンの猫じゃらしで間違いない。
しかしおかしい。昼間、あの竜に渡したものは勝手に増えたりしないものだし、回収した猫じゃらしは、セリューが鍵のかかる箱に入れてホテルに置いてある。こんなところにあるはずがない。
じっとそれを見つめていたら、風が吹いてそれがセリューの体に触れる。途端に体がぴくんと震えて、セリューは慌ててそれから体を離した。
訝しげにそれを見下ろすセリューの隣を、小さな猫が歩いていく。猫はセリューに振り返って、にゃーと鳴いて去っていった。その顔が笑っていた気がした。
「まさかっ……!」
ゾッとして振り返るが、そこにあの、オーフィザンの恋人の姿はない。当然だ。今頃クラジュはオーフィザンとともにあの森の中の城にいるはずだ。
猫じゃらしを握り、足早に歩き出すと、少し離れた道端に、またあの猫じゃらしが落ちているのが見えた。
「なぜ……こんなにっ……!」
すぐにそれも拾い上げる。また風が吹いて、甘い香りがする。
怯えながらも顔を上げると、少し先の歩道の端に、そして、その向こうの石畳の間にも、連なるように猫じゃらしが生えている。
「な、なんだこれは!! 一体……クラジュ! いるのか!?」
叫びながらいくら引き抜いても、猫じゃらしはそこかしこに生えている。
だんだん恐ろしくなってくる。
ここにはいないはずの猫が、自分を見下ろし笑っている気がした。
「く、クラジュ!? いるのかっ!? 馬鹿猫っ! いるのかっっ!!」
心当たりを呼びながら辺りを探してみても、クラジュが返事をする声は聞こえない。
恐怖に駆られ、猫じゃらしを引き抜くが、それでも一向に減らない。
「猫がっ……! ね、猫がっ……! 猫がああああああ!!!!」
異様な様子で猫じゃらしを抜いて歩くセリューのことを、通行人が避けながら歩いていく。
なりふり構わず、猫じゃらしを引き抜くことに夢中になってしまい、握ったそれが、ずっと自分の体に触れていることにも気づかなかった。
だんだん体が熱くなってきて、セリューはふらふらとその場に膝をついてしまう。
「う……」
「おい、大丈夫か?」
朦朧とするセリューに近づいてきた男は、セリューを抱き上げて目を見張る。上気した顔で荒く息をしているセリューが、苦しそうにしているのを見て、その男はセリューをそばの居酒屋の裏の建物の中に連れて行った。
どうやら布団の上に寝かせられたようだが、頭がぼんやりして、状況が理解できない。動くこともできないセリューに向かって、男が何か話している。何を言われているかもわからず、返事すらできないでいると、玄関の扉を開けて、別の男が顔を出した。
「あー……疲れた……ヴィールア、酒もらってきたぞ…………って、なんだそいつ!? 人族か!?」
「外で倒れてたから拾ってきた……可愛くね?」
「……お前…………何拾ってんだよ。俺は面倒ごとはごめんだぞ……」
「冷たいなー、お前。介抱してやろうと思って連れてきたんだろうが」
そいつの手が、セリューに伸びてくる。服に手をかけられ、やっとセリューは目を覚ました。
その手を振り払い、飛び退いて彼らから距離をとる。
「触るなっ!! な、なんだお前たち…………」
急に起き上がったセリューを、二人の男はポカンとして見ていた。男たちには狼の耳と狐の尻尾がある。その耳と尻尾を見ると、ダンドのことを思い出してしまった。
ここまで運んできた男が、宥めるように声をかけながら、近づいてくる。
「落ち着けって……お前、ダンドの知り合いだろ?」
「……な、なぜそれを……?」
「倒れながらあいつの名前呼んでた。記憶ないのか?」
「……はい……あ、あなた方はダンドを知っているのですか?」
「ああ。あいつがここに来た時、そっちのヴァッインが面倒みてやってたんだ」
男が顎でもう一人を指すと、彼は面倒くさそうに、そんなつもりはねえよ、と呟く。そしてキッチンで水を入れ、セリューに持ってきてくれた。
それを飲むと、やっと少し体が楽になった。
改めて周りを見渡してみると、そこは綺麗に片付けられた広いリビングのようだった。
「あの……ここは…………?」
たずねると、ヴィールアの方が少し得意げに言った。
「俺らの家。みんなで住んでるんだ。ダンドも昔、ここにいたんだぞ!」
「……ダンドが……? そうですか……ありがとうございました……助けていただいて……」
セリューが空になったコップを返すと、ヴァッインが呆れたように言った。
「記憶飛ばすほど飲むな。こんな時間に外で寝てたら、運が良くて起きたら素っ裸、悪けりゃ捕まって奴隷として売り飛ばされてる」
「……気をつけます…………」
答えながらも、酒を飲んだ記憶は全くない。しかし、なぜ倒れていたかも思い出せない。
何があったのか思い出そうとするセリューを、ヴァッインは覗き込んでくる。
「どうした?」
「な、なんでもありません……そ、それより、誰か、ダンドを知りませんか? 土産を買いに行くと言って出て行ったきり、戻ってこなくて……」
「ああ。あいつなら、もうすぐここへ来るぞ」
「えっ!? こ、ここへですか!?」
「泊めてくれって言われてるんだ。知らなかったのか?」
「……はい……」
そんな話は聞いていない。ずっと部屋で待っていたのに、あの男はどういうつもりなのだろう。
(そんなに……帰ってくるのが嫌だったのか…………)
突然、ダンドが自分を避けていたような気がして、彼のこと以外、考えられなくなってしまう。
セリューが俯いていると、二人はまた気分が悪くなったのかと思ったようで、ヴィールアが、こちらの顔を覗き込んできた。
「お、おい……大丈夫か? しばらくここで待ってろよ。そろそろくるはずだから」
「……ありがとうございます……」
落ち込みながらも、微かに怒りが湧いてくる。ダンドとはずっとバディを組んできた。相手のことも、それなりに分かっているつもりだ。それなのに、無断でいなくなってしまうなんて、どういうつもりだろう。嫌なら嫌だと言ってくれれば止めはしないのに。
玄関のドアが開く音がして、誰かが部屋に入ってくる。先ほどセリューに道を教えてくれたフィルクだ。
「あれ……お前、こんなとこで何してんだ?」
「わ、私は……」
答えようとしたが、ここへ来るまでにあったことを説明できない。
代わりにヴィールアが口を開いた。
「さっきそこで倒れてたんだよ。ダンドの知り合いみてえだから連れてきた」
「…………倒れてた? ……大丈夫か?」
フィルクは心配そうにセリューの顔を覗き込んでくる。
そんな顔をされると、彼が何度も気を付けろと言っていたことを思い出してしまう。
「だ、大丈夫です……フィルクさんは、なぜここに?」
「仕事終わったから寄ったんだよ」
彼は持っていた酒瓶の入った袋を、ヴィールアに渡した。
「おー、酒だ!! フィルクも飲んでけよ! もうすぐダンドが来るんだ!」
「は? あいつ、ここに来るのか?」
「泊めてって言われてるんだー」
「そうか……」
フィルクはセリューに振り向いた。
「悪かったな……こっちを教えればよかった……ダンドのことなら、心当たりを探してきてやる。お前はここで待ってろ」
「えっ……! い、いえ! もう大丈夫です! 自分で探しに行きます」
「やめとけ。裏通りなんて、そんな体で歩くもんじゃねえ」
「でも……」
「いいから待ってろ」
フィルクはセリューの返事を待たずに出て行ってしまった。
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