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第四章、二人と嫉妬

18.策

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 ざわざわと、木々が揺れている。その中で、確かに聞こえる異様な足音。強い風の中でも、はっきり聞こえるその足音で、敵の位置がわかる。

 セリューは、遠くを見渡していた木の上で、握った槍を枝に突き刺した。そこから光が円形に森に広がり、敵を弱体化させる結界を張る。

 もう秋だというのに、季節外れの暑苦しい太陽の下で、ここにあってはならない、異様な影が動いた。

「ダンド!! 見つけたぞっ!! あそこだっ!!」

 セリューが投げた細い針は、影に突き刺さり、怪しげに光る。それを目印に、炎を纏ったダンドが木から木へ飛び移りながら森を駆け、逃げる影を追う。

 影の正体は、小柄な男だった。その男が抱えているのは、入って来ることはできないはずの結界の中にある、魔法の木の実だ。

 逃げる男はもう限界なのか、何度も転びそうになっている。
 それを目掛けて切り掛かったダンドの爪が、男の走る先の地面を大きくえぐった。弾け飛んだ石に体のあちこちをぶつけてしまった男は、持っていたものを撒き散らしながらその場に倒れる。

「あ、あぐ……」

 もう、声すら出せない侵入者は、震えながらも落とした物に手を伸ばす。そこへ、二人の執事が降りてきて、男は震え上がった。

「くっ……来るな!」
「大人しくしてれば、これ以上は傷つけない。諦めたら?」

 ダンドにそう言われても、男はまるで聞いていない。地面に這いつくばりながら、盗み出そうとしたものに手を伸ばそうとする。その必死な様子は、すがっているようにも見えた。

「こ、これを……これをっ……届けないとっ…………!! 僕はっ……!」
「魔物に喰われるのか?」

 問いかけたセリューに、その男は真っ青な顔で振り返る。その怯えた目は、セリューのことを見てはいなかった。
 推測は当たっていたらしい。この男は雇われだだけで、魔物を使って脅されているのだろう。

 不意に大きな影が、太陽を隠す。森を揺るがす羽音と共に、崩れかけた巨大な蝙蝠のような魔物が空から降りてきた。

「セリュー! 援護してっ!!」

 叫んだダンドの体が炎に包まれ、彼はそれを鎧に飛び上がる。

 嘲笑うかのように魔物は鳴いて、彼に襲い掛かった。
 しかし、すでに魔物の体は、セリューの結界が縛り上げている。光に纏わり付かれていたことに気づいて足掻く魔物を、ダンドの焼けた爪が切り裂いた。

 一瞬で炎に包まれた魔物は、空で灰になって舞い散って行く。その体を縛っていた結界が灰を包み、小さなボールのようになって、セリューの手に落ちてきた。
 これさえあれば、魔物を使役していた者を探し出すことができる。

 標的を仕留めたダンドも、空から降りてきた。

「セリュー、見つけた?」
「ああ。これで、黒幕を探すことができる……おい」

 拘束した男に振り向くと、気絶したのか目を瞑り、ぐったりしている。怪我の具合を見るが、動けないような傷ではない。

 セリューは、オーフィザンに渡された薬を取り出した。それを男の傷に振りかけると、傷は多少は塞がる。しかし、十分ではなかったようだ。まだ男は荒く息をしている。一度、城に連れ帰ったほうがよさそうだ。

 セリューは男を担ぎ上げ、ダンドに振り向いた。

「戻るぞ」
「俺は森を見てくる。セリューは報告の方、お願い」
「ああ……」
「セリュー? 何か気になることでもあるの?」
「……いや…………侵入してくるものがずいぶん減ったと思っただけだ」
「俺もそう思ってた。オーフィザン様、最近本気で警備の強化、始めたみたいだ」
「……」
「この前のこと、反省したんだろ。今回も彼らに援軍頼んでたみたいだし」

 彼がそばの木々を見上げると、空を貫くような高い木々の上に、何人もの人影が現れる。

 彼はそれに向かって話しかけた。

「わざわざ来たの?」

 それを聞いて、そこにいた男たちは飛び降りてくる。狼の耳と狐の尻尾を持つ、ダンドと同じ狐妖狼族の男達だ。

 オーフィザンの森には、以前まで誰の侵入も許していなかったが、最近では盗賊に対する警備に力を貸すことを条件に、狐妖狼の群れが森の中を自由に駆け回ることも許可している。

 初めてそれを提案した時、群れはかなり警戒した様子だったと、セリューはオーフィザンから聞いていた。
 今もまだ、こちらをよく思ってはいないような気がして、身構えてしまう。セリューが群れに会うのは、これが初めてだった。

 群れのボスらしき男は、どこか気まずい様子でダンドに歩み寄る。

「てめえがおせえからだ。終わったのか?」
「終わったよ。この程度なら、俺とセリューで大丈夫。そんなに群れ引き連れて来なくてもいいのに」
「……てめえの相棒が人族一人じゃ頼りねえんだよ」
「セリューは俺が誰より頼りにしてる男だ。馬鹿にしないで」
「……」
「長年一緒に魔物を相手にしてきたんだよ?」
「……悪かったよ……」

 男は、どこかつまらなさそうにそっぽを向いてしまう。
 すると、ダンドは彼に微笑んで、セリューに振り返った。

「じゃあ、セリュー、俺は森の方を一周したら戻るから」
「……気を付けろよ」
「分かってる。彼らもいるんだ。すぐに終わるよ」

 そう言って、彼は狐妖狼の群れと共に、森の奥へ走って行ってしまった。

 狐妖狼たちとの交渉は、最初はオーフィザンがしていたが、最近ではダンドに一任されている。
 気性が荒いと言われている群れとの交渉を、彼だけに任せることは心配で、セリューは何度か同席すると申し出たが、ことごとくダンドには断られてしまった。
 今回もそうだが、あまりセリューを彼らには会わせたくないように思えてくる。それが、ずっと気になっていた。

「……紹介くらいしろ…………」

 ボソッと、不満が漏れる。

 誰より頼りにしていると、そう言われたことは嬉しい。
 けれど、ボスたちと肩を並べて、自分と走るときより少しスピードを上げ走っていくところを見ると、もどかしいような、嫉妬のような、もやもやした感情が生まれてくる。

 先日、つい寝過ごしてしまい、待ち合わせた果樹園に行けなかった時も、とにかく彼に申し訳ないと思い、頭を下げて謝ったが、彼はどこかそっけない態度で目も合わせずに、もういいよ、行こうと言っただけだった。
 こうして彼が自分以外の男と組んで行ってしまうと、彼の隣を取られてしまったような気になる。

 どうにもならない気持ちを抱えたまま、セリューは男を連れて城に向かった。







 城の屋根の上で、森へ向かった二人の執事の帰りを待っていたオーフィザンは、握っていた杖を下げた。

 一部始終は、全て魔法で見ていた。どうやら、二人は侵入者の拘束に成功したようだ。狐妖狼の群れと交渉しておいてよかった。セリューの負担も、減らすことができたはずだ。

 先日、クラジュの笑顔欲しさに、セリューを利用してしまったことは、さすがに反省している。
 長年仕えてくれたセリューは、オーフィザンにとっては子供のような存在だ。そんな彼を、あんな風に傷つけるなんて、どうかしていたと思う。

 あの日は、去り際のセリューの目を見て、申し訳ないことをしたと思い、後で様子を見に行った。
 セリューは相変わらずで、オーフィザン様が気になさるようなことは何もございません、と言って微笑んでいた。
 その言葉も笑顔も、嘘でもなければ無理をしているわけでもないことは知っている。彼はずっと、心から仕えてくれている。その彼には幸せになってほしい。

 そして彼に、ダンドにしかあげられないものがあることは、オーフィザンにも分かっていた。

 ずっと育ててきたものが、自分の手を離れて行くような寂しさはあるが、それがセリューの幸せなら、応援したい。
 しかし、セリューは今日も、浮かない顔をしている。

(一体どうしたんだ……?)

 最近の彼は、ああいう顔をしていることが増えた。
 しかし、何かしたいことはないかと聞いても、オーフィザン様にお仕えすることが私の喜びです、としか答えない。

 何か、背中を押せるようなことはないだろうかと考えていると、屋根にクラジュが登ってきた。

「お、オーフィザンさま……? な、なんでこんなところに……?」

 彼は、ここにオーフィザンがいるとは思っていなかったのか、首を傾げていた。

 だが、なぜこんなところにいるのかと聞きたいのはこちらの方だ。
 運動が苦手なクラジュは、こういった高いところに自分から登るようなことはしない。例外は、何かドジをしてものを壊した時か、それがバレて怒った人から逃げている時だ。

 そして、彼がこういうことをすると、大体失敗する。彼はこちらに向かって屋根をよじ登ろうとして手を滑らせてしまう。

「わっ……わーーーーっっ! わ?」

 やるだろうと思って、最初から魔法をかけておいてよかった。彼の体はふわっと浮いて、オーフィザンの前まで飛んでくる。

「ふわあああ……お、オーフィザン様!? お、おろしてくださいっっ!!」
「なぜこんなところに登ってきた? 高いところには上がるなと言っただろう?」
「だ、だって……わああああ!! 来た!!」

 叫んで彼は何かから逃げるために空中で泳ぐような仕草をする。

 その背後から、真っ黒な羽を持つ、精霊族で庭師のペロケが、大きな斧をさげて飛んできた。

「クラジューーーー!! お前っ……今日という今日はっ!! ぶっ殺してやるっ!! ……オーフィザンさま?」

 飛び出してきた彼は、オーフィザンがそこにいることを知って、さっと斧を背中に隠す。斧はペロケの体より遥かに大きく、小柄で普段武器を振り回すことなどないその体でどうやって振り回していたのか聞きたくなるくらいの大きさのものなので、当然彼の背中には全く隠れていない。
 随分腹を立てているようだが、クラジュの頭にのっている薔薇の花びらが原因だろう。
 庭師のペロケは、城の庭で美しい草木を育てることが大好きだが、クラジュはよくドジでその草木を傷つけてしまうため、二人は犬猿の仲だ。ここ最近、この二人のこういう争いは二日に一度くらいのペースで起こっている。

 それには触れず、オーフィザンはクラジュを浮かせたまま、ペロケに向き直った。

「ペロケ……ちょうどいいところに来た。お前に聞きたいことがある」
「え? ぼ、僕ですか?」
「ああ。セリューは何をしたら喜ぶと思う?」
「クラジュが出て行けば喜ぶと思います!」
「……他にだ」
「クラジュが死ねば大喜びすると思います!」
「クラジュに関係すること以外だ」
「えー……そんなの、思いつきません……」
「……クラジュ、お前は?」

 まだふわふわ浮いたままのクラジュに振り返ると、彼は丸くなって頭を抱える。

「せ、セリュー様が喜ぶことですか……? 怖いことしか思いつきませんんんん……」
「……」

 どうやら、彼もペロケと同じ意見らしい。

 クラジュが起こした騒動を鎮めることも、その後始末をすることも、ほとんどセリューの仕事になってしまっている。
 オーフィザンは城をあけることが多く、いても客人の相手をしているか、地下か果樹園にいることがほとんどなので、クラジュのドジに困った者たちは、いつも城にいてそこを守るセリューに助けを求めるからだ。
 それがセリューの負担になっていることは知っていたが、ここまで意見が一致するとは思わなかった。

 聞く相手を変えた方がいいかと思い始めたあたりで、彼らを追いかけるように、シーニュが屋根に上がってきた。

「おい……ペロケ……いい加減、許してやれって……オーフィザン様?」

 彼も、城の主人を見つけて、ほっとした顔をする。

「ちょうどよかった……ペロケを止めてください。今日こそクラジュを始末するんだって聞かなくて……」
「悪いのはそのクソ猫です!!」

 ペロケは持っていた斧で、クラジュを刺す。

「そのクソ猫が僕の大事な薔薇園にしのびこんで、僕が丹精込めて育てたバラを台無しにしたんです!! 可哀想なバラたち……根こそぎむしり取られて……」
「む、むしり取ってなんかいないもん!! 僕が落ちたところにたまたまバラがあって、暴れたら抜けちゃって……」

 それを聞いて、なんで落ちたんだ、とオーフィザンがたずねると、厨房から鰹節のおにぎりを盗んで料理長から逃げる途中だったという、庇いようのない答えが返ってきた。
 オーフィザンはため息をついた。

「後で仕置きだ。ちょうど、猫じゃらしが大量に育ったところだ」
「そんなああああああ!! 嫌ですうう!!」

 泣きながら暴れるクラジュを一回転させて、静かにするように言ってから、オーフィザンはシーニュに向き直った。

「シーニュ。お前は、セリューは何をしたら喜ぶと思う?」
「せ、セリュー様がですか? それは俺には…………ああ、そういえば前に、誰もいない静かな山奥でゆっくりしたいって言ってました………………多分、疲れてたんじゃないですか? クラジュがペロケの生けた花を城の窓から落としちゃって、二人が大喧嘩になって、逃げ込んだ先の倉庫に保管されたものを破壊して大騒ぎになった後だったから……あの騒動の後始末で、しばらく寝てなかったみたいです」
「……そうか……」

 それを聞いて、オーフィザンは立ち上がった。今度こそ、うまくいきそうな策を思いついた。

「オーフィザンさまああああっ!! ペロケを止めてくださいいい!!」
「オーフィザン様!! 僕は絶対クラジュがいなくなるのが一番だと思います!!!!」
「お前らいい加減にしろ! 今の話聞いて喧嘩続けるな!!!!」

 シーニュに怒鳴られても、クラジュとペロケの争いは収まりそうにない。浮かせたままのクラジュを自分の方に引き寄せ、ペロケには、バラは後で元どおりにしてやると告げ、オーフィザンは二人の執事を出迎える用意を始めた。
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