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第三章、主
17.理性
しおりを挟む部屋の前まできて、セリューはダンドに振り向いた。
「ここまででいい。世話をかけたな……おいっ!!」
いいと言ったのに、ダンドは全く聞く気がないのか、部屋のドアを開けてしまう。部屋の中は散らかったままなので、あまり入られたくないのに。
けれど、セリューの部屋が乱雑な状態になっているのはいつものことなので、ダンドはまるで気にしていないようだ。
ぐちゃぐちゃに散らかった部屋の、山積みにされた書類の中から、どうやったのか正確に一枚の書類を引き出す。
「これ? 今日収穫されたもののリスト」
「ああ。それだ。明日までに必要なんだ」
「これくらいなら、すぐに終わるよ。それまでセリューは寝てて。夕飯、ここに持ってくるから」
「歩きながら食べられるものにしてくれないか? 果樹園に行く前に、森の様子を見に行きたい」
「今日はやめな。もう日が暮れる」
「だからだ。盗賊や魔物が出てくるのは日が暮れてからだろう?」
「こっちも、だから止めてるんだ。セリューは今そんな状態だし、最近は森の狐妖狼の群れに警備の代わりをしてくれるように、オーフィザン様が交渉してくれただろ? だから夜はそっちに任せればいい。俺が行って、森に異常がないか聞いておく」
「だが……お前は……」
「俺のことなら、心配しないで。相手が狐妖狼でも、なんの問題もない。オーフィザン様と一緒に交渉に行ったのが俺だってこと、知ってるだろ?」
「……それは知っているが……」
彼が、すでに狐妖狼の力に対するトラウマを克服していることは知っている。だが、それでも心の奥に、それに対する警戒が残っていることに、セリューは気づいていた。
それなのに、自分のためにこんなことを頼んでしまうのは気が引けるし、何より彼を一人で行かせたくない。
けれど、ダンドは笑顔でセリューに向き直る。
「倉庫でこれの確認したら、城の入り口で群れの伝令と会うだけ。セリューが心配することじゃない」
「…………やはり、私も行く。もともと、私の仕事だ」
「もう忘れた? 頼ってって言っただろ? 頼りにしてるんじゃなかったの?」
「……それとこれとは話が別だ」
「別じゃない。俺を馬鹿にするなよ。俺はいつか、この力に勝って、オーフィザン様にも勝つんだ」
「……それはやめろと言ったじゃないか」
「言われても聞く気ない。今度、セリューにも紹介する」
「何をだ?」
「狐妖狼の群れの奴ら。だから、伝令は任せてセリューはここにいろ。果樹園の方はセリューがいないと困る」
「……」
「じゃあね」
「おいっ!! 待て!!」
窓を開けたダンドに、慌てて手を伸ばすが、彼は振り向くことも止まることもなく、窓から出ていってしまう。
わざわざセリューが追えない方法で外に出たダンドは、驚くほど身軽な様子で庭に降り立つと、そこでセリューを見上げていた。
セリューがちょうど窓から手を伸ばしたところで、彼と目があう。何を言おうとしていたか、自覚しているのに声にならない。
ダンドはいつもどおりの笑顔で手を振って、走っていってしまった。
心の奥に寂しさが湧くが、それを表に出して引き止めることもできず、セリューは彼の背中を見送った。
じっと背中を見ていたら、さっきの彼の言葉が聞こえてくるようだった。
セリューの返事なら聞いた。ダメだ、誰のものにもならない。
確かにそれは、セリューがダンドに伝えた言葉だ。
それでも、その言葉に酷く動揺してしまう。
このままでは、彼に嘘をついているようで嫌だ。しかし、迷っているうちに彼の姿は小さくなり、見えなくなってしまった。
*
逃げるように厨房まで走ったダンドは、息を整えながら気持ちも落ち着けようと、胸に手を置いた。
厨房の裏口の外で、しばらく胸に手を当てて、ゆっくりと呼吸するように意識してみる。
それでも、頭に何度も、窓からダンドに向かって手を伸ばしたセリューの姿ばかりが浮かんで、そのたびに打ち消した。
そんなことをしていたら、友人の料理人が裏口のドアを開けて出てきた。彼は夕飯らしい食事が乗った皿を持っている。
「あ、いたいた。料理長が、そろそろダンドが戻ってくるから、飯持ってけって。今日はこれから執事の仕事か?」
「……うん……」
「あとこれも。セリューさんの分の軽食。これから果樹園の方に行くだろうからって」
「……セリューの分は俺が作る」
「……せっかくだから、これも持ってけ。お前もここで食ってけよ」
「……ん……ありがと……」
差し出されたものを受け取って、その場に座り込む。渡されたかごの中に入っていたのは、サンドイッチだった。
友人も早めの夕飯らしく、隣で立ったまま、持っていたおにぎりにかぶりついている。
「何かあったか?」
「……は?」
「オーフィザン様に喧嘩売りに行ってたんだろ?」
「行ったよ? 殴ってやればよかった」
「んなことしたら、セリューさんが困るだろ」
「……知ってる。だから、我慢した……」
答えながら、食べかけのサンドイッチに視線を落とす。何をしていても、さっきのことばかり思い出してしまう。隣に気が置けない友人がいて、体の力を抜くと、ため息と一緒に本音までもが漏れていく。
「…………やりてー…………」
「……お前……食いながら何言ってんの?」
「だって俺、いつも我慢してるんだよ? それなのにあいつ、警戒の一つもしてくれないんだよ? ひどくない?」
「無意識にしてるんだろ。そういうの、考えたことなさそうな人だし。信頼してくれてるんだから、喜べば?」
「…………どっか連れて行きたい……」
「……どこにだよ?」
「二人きりになれるところ……そしたら二度と返さない」
「……おい……大丈夫か?」
「そしたらもう二度と、オーフィザン様に悪戯されないだろ?」
「……セリューさんには、オーフィザン様が一番なんだよ。あの人はずっとそうだったから」
「…………ずっとそうでも、これからセリューの一番は俺になるんだ」
「お前とオーフィザン様は違うだろ。セリューさんはオーフィザン様の執事でいることが一番なんだ。セリューさんの一番が自分になってから言え。そういうことは」
「…………」
相変わらず、この友人ははっきりものを言う。おかげで少し、頭が冷えた。セリューが嫌がることはしない。彼を泣かせたくはない。
もらったものを口に詰め込み、ダンドは立ち上がった。
「行ってくる」
「もうか?」
「早く終わらせて、セリューのところに行く」
「……気を付けろよ」
「うん」
多少呆れ気味の友人に手を振って、ダンドは森へ駆けて行った。
早くセリューに会いたい。その一心で収穫物の確認と群れとの情報交換を手早く済ませ、城に戻った。
しかし、セリューは果樹園の前には現れなかった。
もしかしたら、まだあのケーキの影響が残っているのかもしれない。
心配になって彼の部屋へ急ぐと、彼はまだベッドの上で寝ていた。
気持ちよさそうに寝息を立てているところを見ると、まだどこか悪いところがあって寝込んでいるというわけではなさそうだ。
単に、普段の激務で疲れているだけだろう。
このまま休ませてあげたい気もするが、最近は果樹園の方はセリューに任せていて、彼がいなくては、仕事にならない。起こした方がいい。
けれど、揺り起こすために触れてしまえば、もう我慢できなくなりそうだ。
相変わらず、自分のことには酷く無頓着な彼は、上着だけを脱いだ姿で、ベッドに横になっている。さっき貸した服を着て眠る彼を見ていたら、自然と口から愚痴が漏れた。
「やっぱりひどいだろ……これ…………」
結局それから、なかなか彼を起こすことは出来ず、なんとか起こした後も、うまく顔をあわせられなかった。
果樹園でも仕事に集中できず、城に戻る頃には、まだ彼の返事が、以前と変わらないような気がした。
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