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第三章、主
16.返事
しおりを挟むセリューは頼まれたものを持って、オーフィザンの部屋の扉の前に立った。すると扉は、まるで待ち構えていたかのようにゆっくりと開いていく。
クッキーを山盛りに入れたかごを抱えて中に入ると、オーフィザンは一人、ベッドの上で、猫じゃらし作りにふけっていた。
周りには試作品らしきものが転がり、くすぐるためのものではなく、突き刺すようなものまである。自分の可愛い猫のことで頭がいっぱいらしい。
よほど夢中なのか、オーフィザンは顔を上げずにセリューに言った。
「セリューか。遅かったな。目的のものは手に入ったか?」
「はい……こちらに……」
セリューは、ゆっくりとオーフィザンに近づき、かごを差し出した。その中に、クラジュの大好物が山のように盛られているのを見て、オーフィザンは持っていたものを放り投げ、セリューに向き直る。
「よくやった。お前に任せてよかった」
「……あ、あの……オーフィザン様……」
「どうした?」
聞きたいことがいくつかあった。しかし、セリューがそれを口に出すより先に、オーフィザンはセリューの異変に気づいてしまう。
彼の視線が、セリューの首元に降りてきた。
「その体の跡はどうした?」
「こ、これは……っ!! そのっ……!!」
慌てて隠そうとした手は、近づいてきたオーフィザンに止められた。立ち上がったオーフィザンにそのまま見下ろされると、まるで服で隠れているところにつけられたキスの跡まで見られているような気になる。
見られたくないものを見られて、真っ赤になって俯くセリューの背後に、オーフィザンも気付いた。そこには、腕を組んで仁王立ちになるダンドの姿。
「……狼に噛みつかれたか」
「誰が狼ですか! 誰が!!」
ダンドが、ますますオーフィザンを睨みつける。
オーフィザンの方もダンドに向き直り、臨戦態勢だ。
二人の間に息苦しいほどの殺気が交差して、セリューは、後ろでおろおろしながら見守ることしかできなくなってしまう。
ダンドが腕を組んだまま口を開いた。
「一体どういうつもりですか?」
「なんのことだ?」
「とぼけないでください。クッキー欲しさにセリューに魔法をかけましたね?」
「そんなことはしていない。俺はただ、うまいケーキがあるから、可愛い執事にも食わせてやっただけだ。なあ? セリュー」
オーフィザンはセリューの手を引き、自分の胸に引き寄せる。体が密着するほどに近づかれ、頬に手を当てられ「そうだな?」と優しく問われて、セリューはその腕から逃げ出した。
「……た、確かに、そうですが…………」
戸惑いながらも、自分の意思で離れていくセリューに、オーフィザンは怪訝な目を向ける。
そして、セリューが自分の思い通りに答えないことに首を傾げ、ダンドに振り向いた。
「……俺の執事になにをした?」
「それはこっちのセリフです。オーフィザン様の思い通りにはさせません! 人族には刺激が強すぎることを知りながら、セリューに竜族のケーキを食べさせましたね!? セリューがぼんやりしているうちに、クッキーのことを頼むつもりで!」
「よく分かったな」
それを聞いて、セリューは驚いた。オーフィザンがそんなことをするなんて。
「お、オーフィザン様!?」
「うまかっただろう? セリュー」
「あ、味が問題なのではありません!! な、なぜそんなことを……」
「どうしても、お前に頼みたかったんだ。体に悪いことはしていない。少しの間、頭がボーとするくらいだ」
「オーフィザン様!!」
セリューが怒っても、オーフィザンは、まったく悪びれた様子もなく、飄々としている。
その様子にセリューよりも腹を立てたのは、隣に立っていたダンドだった。
「セリューはオーフィザン様のことを信じきっていたんです!! その気持ちを利用してクッキーを手に入れようとするなんて、恥ずかしくないんですか!!」
「セリューは俺の執事だ。どうしようが、俺の勝手だ」
「そんなこと、俺が許しません。それに、セリューは俺のセリューです。二度とセリューに触らないでください!!」
「俺の執事だ!」
二人は、今にも掴み合いになりそうな雰囲気だ。
突然始まった言い合いに、セリューがどうしていいか分からないでいると、ダンドに突然抱き寄せられた。
「セリューはもう俺のなんで、二度と勝手なことをしないでください」
「お、おい……ダンド……」
「そうだろ? セリュー」
「あ……」
彼の声が、耳元で聞こえる。彼の柔らかい髪まで頬に触れて、くすぐったい。
先ほど迫られたばかりの男に、体温を感じるくらいそばにいられては、こちらの鼓動が早くなるばかりだ。
その腕から逃れたいのに、振り払えない。
力を入れて本気で突き放せばできるはずなのに、その体温に捕まってしまうと、力が入らない。
その様子を見ていたオーフィザンは、つまらなさそうに肘をついて、セリューの方に向き直る。
「セリュー……お前はどうなんだ?」
「えっ!? ど、どうっ……?」
「そいつは俺のものだと言っているが、お前はどう思っているんだ?」
「え……」
さっきまで言い合いをしていたオーフィザンとダンドは、急に押し黙り、二人してセリューに視線を向けている。なにか答えなくてはならない。
自分はオーフィザンの執事だ。彼に仕えることだけが自分の生きる全てだ。そう答えられるはずなのに、頭が混乱しているのか、返事が出てこない。
「あ、その……わ、私は…………わっ!!」
答えかけたセリューを、ダンドは突然自分の背後に隠してしまう。
「セリューを困らせないでください。無理矢理言わせようとするなんて、負けを認めたんですか?」
「逆だ。勝つことを確信している。お前こそ、セリューからなんの返事ももらっていないんじゃないか?」
「もらいました。ダメだって。誰のものにもなるつもりはないって」
「それなら俺の勝ちだ」
「違います。セリューはまだ誰のものでもないってだけです。もうすぐ俺のものになるんだから、俺の勝ちです」
「そんな無茶な話があるか」
「オーフィザン様の方が無茶苦茶です。だいたい!! オーフィザン様こそ、クッキーあげなきゃクラジュが尻尾振ってくれないなんて、クラジュはオーフィザン様より、俺のクッキーが好きなんじゃないんですか?」
「なんだとっっ!?」
ついにオーフィザンは激昂してダンドを怒鳴りつける。
それでもダンドの方は全く怯まず「ほら、やっぱり」とますますオーフィザンを挑発するようなことを言い出す。
そこへ、オーフィザンが何より夢中になっているクラジュの声がした。
「お、オーフィザン様? 何かあったんですか……?」
どうやらお昼寝から目覚めて散歩中だったらしい。クラジュは、オーフィザンの大きな声を聞きつけたようで、恐る恐る部屋に入ってきた。
「オーフィザン様?」
普段あまり聞くことのない、オーフィザンの感情的な声を聞いて、彼は少し怯えているのか、耳と尻尾を垂れている。けれど、すぐに山のようにクッキーが盛られたかごを見つけて、飛びついてくる。
「わああああ!! クッキー!! ダンドのクッキーだ!! ダンド!! 焼いてくれたのっ!?」
久しぶりの山盛りクッキーを見て、クラジュはブンブン尻尾を振りながらダンドに駆け寄る。
その様子が気に入らないらしいオーフィザンが、「おい、クラジュ……」と危うい顔をしながらクラジュを呼ぶが、しばらく食べていなかった大好物を前にしたクラジュには、もうクッキーしか見えていない。
愛するクラジュに素通りされるオーフィザンを横目に、ダンドはいつもより少し高い声でクラジュに微笑みかけた。
「クラジュー。明日もクッキー焼いてあげる」
「本当!?」
「うん。代わりに今日一日、オーフィザン様と口きいちゃダメだよ」
「はい!! クッキーっ!!!!」
全く迷いのない返事を聞いて、オーフィザンは言葉を失う。
その様子を見て噴き出すダンドに、クラジュは「ありがとう! ダンド!!」と満面の笑顔で言って、クッキーがたくさん入ったカゴだけを大切そうに抱え、部屋を飛び出していった。
「兄ちゃあああんっ!! オーフィザン様がクッキーくれたよー!!」
「こ、こら! 廊下は走るんじゃないっ!! ちゃんと平伏してお礼を言ったのか!?」
喜ぶクラジュの声と、また何かしたのではないかと慌てる兄の声が聞こえて、だんだん遠くなっていく。
しばらくして、死後硬直のように動かなくなっていたオーフィザンも、正気を取り戻し、可愛い猫が出て行った方に走って行った。
「おい!! クラジュ!! 待て!!」
「オーフィザン様!!」
呼び止めたダンドに、オーフィザンは鬱陶しそうに振り向く。
「なんだ! まだ何かあるのか!?」
「オーフィザン様が今のクラジュを責めないでくださいね。クッキー欲しさにセリューを傷つけたんだから」
「ぐっ……く…………」
反論の言葉などまるで思いつかないらしいオーフィザンは、セリューの方に視線をやってから、部屋を出て行く。
「話はまだ終わっていないぞ!! クラジュ!! クラーージュッッ!!」
*
オーフィザンもクラジュも出て行き、部屋にはセリューとダンドの二人だけだ。
ダンドは、オーフィザンが出ていった方を睨みながら、腰に手を置く。
「全く、困ったオーフィザン様だ。セリュー、もうオーフィザン様から変なもの貰っちゃダメだよ?」
「あ、ああ……それより、ダンド、さっきのあれは本気か?」
「あれ? クラジュにオーフィザン様と口利くなって言ったこと? それくらいの罰、当然だろ?」
「…………腹立たしいが、あの猫のことをオーフィザン様は愛しておられるのだ。それに無視されたのでは」
「セリューは甘い。オーフィザン様に甘すぎ」
「……だが……」
「ま、一時間くらいしたら許してやるけど。クラジュに無視されたままじゃ、オーフィザン様、死んじゃうだろうから」
「ダンド……」
「それより、セリュー!」
「な、なんだ?」
「ちゃんと気をつけなきゃダメだよ!! クラジュのクッキー、ずっとお預けしてた俺も悪いけど、最近のオーフィザン様は、クラジュに尻尾振ってもらえなくなると、なにするか分からないんだから!!」
「ああ……気をつける……」
うなずいて、多少落胆してしまう。ずっと仕えていたオーフィザンが、まさかクッキーのためにこんな真似をするなんて。
肩を落とすセリューに、ダンドは近づいてくる。
「……セリュー……? 大丈夫?」
「あ、ああ。助かった。お前のおかげだ」
「……セリュー…………」
誤魔化すために笑顔を作ったはずだが、彼にはますます心配をかけてしまったようだ。これ以上は何も聞かれたくなくて、すぐに背を向けた。
「私は仕事に戻る。お前もそろそろ仕込みの時間だろう? 厨房に戻れ」
「……戻るよ。セリューを部屋まで送ってから」
「……送る? 部屋に? 必要ない。私はまだ、収穫された物の確認と果樹園の見回りをしなくてはならないんだ」
「それは俺がする。あのケーキの匂いはもうしないけど、少し寝てたほうがいい」
「もうなんともない。お前だって、元に戻ったと、そう言ったじゃないか」
「オーフィザン様には俺から話しておく」
「……私は」
「行くよ。断ってもついて行くから」
彼はセリューの手を取って、さっさと歩き出してしまう。
「お、おい! ダンド!!」
「いいから。大人しくついてきなさい。オーフィザン様も、きっとそう言うはずだ」
「なぜそんなことがわかるんだ?」
「多分、ちょっとくらいは反省したはずだから。いい気味!」
「……」
少し意地悪な笑みを浮かべる彼を見ると、冷えかけていた心が、少し温かくなる。
正直、まだあのケーキの影響が残っているのか、頭がフラフラしているし、もう日も暮れかけた今、こんな体で果樹園に向かっても、魔物が出た時に対処できない。
「では、収穫物の確認だけ頼む。少し休んだら私も行く」
「無理するなって」
「していない。それに、お前がいれば、果樹園の見回りもすぐに終わる。頼りにしている」
「……頼りにしてて。もっと」
彼の頭の狼の耳がピンと揺れ、彼が微笑む。その顔を見ると、なんとなく心が落ち着いて、セリューはそのまま、彼とオーフィザンの部屋を出た。
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