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第三章、主

15.苛立ち

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 ダンドに服を借りて、着替え終わったセリューは、人気のない厨房の裏口の外で、ダンドを待っていた。

 昼を過ぎた頃の庭は暖かい。

 優しい風がセリューの着ているものを撫でていく。身につけているシャツは、ダンドのものだ。そう考えただけで、さっきされたことに対する怒りがますます湧いてくる。

 服が風に吹かれて動くたびに、あの男に肌をくすぐられているような気になる。それがひどく腹立たしい。

 苛立ちを紛れさせようと、足元の草を踏み締める。
 そんなことをしながら待つと、厨房の方から甘い香りが漂ってきた。それと一緒に扉が開いて、ダンドが出てくる。

「焼けたよ。そんなところにいないで、中、入れよ」
「……早かったな」
「クラジュたちに渡そうと思って、準備してたから」
「それなら、最初からオーフィザン様にお渡しする気だったんじゃないか」
「そんなわけないだろ」

 首を横に振ったダンドは、セリューが着ているものを足の先から頭の上まで、じーっと見てくる。

「な、なんだ……?」
「……俺の服だろ? それ」
「ああ。貸してくれと言ったじゃないか。どこか変か?」
「すっげえ犯してー……」
「な、なんだと!?」

 突然脅すようなことを言われ、本能的に恐怖を感じ、襟元を隠す。後ろに下がった体が、そばにあった庭木にぶつかった。
 服を抑えて、逃げるように木に体を寄せるセリューに、ダンドはゆっくり迫ってくる。

「俺、なんか変なこと言った? そんな格好してきて、やってくださいって言ってるようなもんだろ?」
「や、やる?! こ、このっ……!! 場所を問わずに卑猥な発言を繰り返すな!」
「卑猥はそんな格好してるセリューの方だ……無自覚に淫乱なんだから……」
「だ、誰がっ……!!」
「中、入れよ。クッキーあるから」
「……ここまで持ってこい!」
「え? ここでやられたいの?」
「私はお前とそんなことをするつもりはないっっ!! 私が嫌がることはしないんじゃなかったのかっ!?」
「分かってまーす。ただの冗談でーす。早く中入れって」
「……」

 正直、気は進まない。ダンドは気が立っているようだし、さっきからずっと攻撃的だ。けれど、だからと言ってからかわれたままでは屈服したようで腹が立つ。

 挑戦ならば受けてやる。

 ぐっと力を入れて手を握り、セリューは裏口から中に入った。

 食糧が備蓄してある棚が並んだ食糧庫を抜けると、ダンドはセリューに食堂の方で待つようにいって、厨房へ戻っていく。

 長テーブルが並ぶ食堂には、昼食時を過ぎた今は誰もいなくて、静かだった。壁の高いところにある窓から、昼の光が差し込んでいる。

 少し待つと、ダンドはカゴいっぱいのクッキーと、紅茶を持ってきた。

「お待たせ。少し、味見して行かない?」

 彼は甘い匂いのする皿をセリューの前に置いて、隣に座り紅茶をいれてくれる。

 何かされると思って警戒していたのに、始めたのは普通のティータイムだ。しかし、まだ警戒は解けない。こちらの油断を誘っているのかもしれない。

「……悪いが、私は後でもらう。オーフィザン様にクッキーをお渡ししなければならないんだ」

 立ち上がろうとしたセリューの手を、ダンドは素早く掴んで椅子に引き戻す。
 断るこちらの言葉を聞いていなかったのか、彼はクッキーを一つ摘んで、セリューの口元に持ってきた。

「食べて」
「……私が食べたのでは、オーフィザン様にお渡しする分が減る」
「そんなことない。だってこれ、セリューのために焼いたんだから」
「……なに?」

 受け取ったそれは、可愛らしい犬の形をしていた。クラジュに渡すものはいつも猫の形をしているのに。
 クッキーは、焼きたてらしく少し熱い。
 わざわざ自分の分まで焼いていたのかと思うと、胸の中にふわっと甘くて温かいものが膨らむ。
 彼はさっきまで怒っていたはずだし、セリューの方も腹を立てていたのに、突然こんな事をされて、戸惑ってしまう。

「……あ……ありがとう…………」
「うん。たくさん食べて」
「……これは全て、私のために焼いたのか?」
「オーフィザン様に負けたくなかったから」
「オーフィザン様に? なぜだ?」
「……セリューには分からないよ」
「……なにか勝負をしているのか? やめておけ。あの方に敵うはずがない」

 話しているうちに、顔がいつの間にか綻びていたことに気づいた。警戒心は薄れていき、負けず嫌いな彼が可愛く見えてくる。

 しかし、そこで気づいてしまう。クッキーには、器用にも犬の絵と共に犬用、とまで書いてある。これをセリュー用に作ったと言われては、犬だと言われているようではないか。

「だ、ダンド!! これはどういうつもりだ!! んっ……!」

 問いただそうと開いた口に、無理矢理クッキーを突っ込まれる。こうなったらもう食べるしかない。
 悔しい思いのまま、甘い味を口の中に広げるセリューを、ダンドはテーブルに肘を突きながら見上げていた。

「証拠隠滅」
「ふ、ふざけるなっ!」

 怒ったセリューは、クッキーが盛られた皿を取り上げた。並んだクッキーには、全部犬用と書いてある。馬鹿にするにも程がある。

「なにが隠滅だ!! こんなに書いておいて!!」
「クラジュ用と間違えたら困るから描いただけでーす」
「誰が犬だ!! こ、こんなもの!!」

 投げつけてやろうとつまみ上げた犬用クッキーの裏側には、愛してる、の文字。それを見つけたら、もうそれを投げつける気も失せてしまう。

「あーあ。見つかっちゃった」

 さして残念そうでもない様子で言ったダンドは、セリューが摘んでいたクッキーを取り上げてしまう。

「あ……」

 取り上げられたものに、おいすがるように手が伸びた。勢い余って、避けていたはずの男に、あと少しで触れてしまいそうなほどに近づいてしまい、どうしていいか分からなくなる。

 咄嗟に、体が彼から逃げる方に動いた。飛び退いたくせに、届かないものに手を伸ばすセリューを見下ろして、ダンドは無表情で言った。

「何? いらないなら、俺がもらうから」
「い、いらなくないっ……か、返してくれっ!」
「……どうしようかな?」
「な、なんだ! 私のために焼いたと言ったくせに!」
「だって、セリューがいらないって言うから」
「いらないとは言っていない!! あっ……だから……その…………」

 見上げたダンドと目が合うと、彼は怒っているようで、ひどく悲しい。胸が焼けるようだ。せっかく作ってくれたものを無下にしてしまったのだ。

 何か言わなくてはいけないことは分かるのに、それは言葉として外に出ることを拒んでいる。

 セリューは、ダンドから顔をそむけてしまった。

 ダンドの体から、甘い匂いがする。さっきまでクッキーを焼いていたからだろう。それに絡みつかれたように動けないでいると、体が熱を孕んできた。

 自分を見下ろしていた彼が、少し微笑んだような気がした。その笑顔で、体を縛り付けていたものが緩んでいく。

「…………ぁ…………謝るから……すまん……い、いらないはずがないだろう! 頼む…………」
「………………はい」

 許してくれたのか、ダンドは高く挙げていたクッキーをセリューの鼻先にまで下げてくれる。

 長くお預けされていたからか、彼がつまんだクッキーをそのままくわえてしまった。
 一瞬、彼の指にまで唇が触れてしまうが、甘く、包むような味に酔ったセリューは、そんなことは気にも留めない。

「甘い……」
「……それ、天然……?」
「……? どういうことだ?」

 セリューがクッキーを頬張りながら聞いても、ダンドは何も答えず、テーブルの上のクッキーの皿を、セリューの方に寄せてくれる。許してくれたのかと思ったのに、彼はずっとセリューから顔をそむけて、振り向こうとしない。

「ダンド? 怒っているのか?」
「別に。ほら。もっとあげるから食べてよ」

 やっと振り向いたかと思えば、彼は長椅子の上で立ち膝になって、つまんだクッキーをセリューの口元まで持ってくる。甘くて優しいバターと砂糖の香りがした。

「お、おい……」
「食べて。思い知ってよ。俺の気持ち」
「……」

 少し怖がりながらも、パクッとそれをくわえた。
 包むような甘さが体に染み入ってくる。あんなものを見た後では、クッキーが犬の形をしていることも気にならない。

「んっ……こらっ!」

 こっちはまだ食べている途中なのに、ダンドは次のクッキーを口元に持ってくる。驚いて逃げた拍子に、椅子から落ちそうになってしまった。

「や、やめろ……食べてる途中だぞ…………」
「……天然淫乱……」
「はっ!? な、なんだと!?」
「だってさっきからずっといやらしい顔してる。それで誘ってないって……嘘だろ……」
「だ、誰がいやらしいだ!! 淫乱も取り消せ!! 無礼者め!」
「無礼者どころか、俺はすごく紳士だから我慢してあげてるの。他の男の前でそれ、するなよ? 襲われるから」
「おっ、襲っ…………!! お前、や、やっぱりそういうつもりか!!」
「そういうって何? 襲われると思ってる? ちゃんと我慢してるだろ」
「淫乱も取り消せ!!」
「それは嫌」
「なぜだ!!」
「だって、淫乱だから。それよりセリュー。体はどう?」
「か、体?」
「頭がぼーっとするとか、力が入らないとかない?」
「……? いいや。そんなことはない。むしろ、さっきまでより、体が軽く感じる……あ、でも少し……頭が重いかな……」
「そうか……じゃあ、これ、飲んでみて」

 差し出されたのは、さっきダンドが注いでいた紅茶。
 ちょうど喉が渇いていたところだ。無意識に手が伸びる。そして止まった。その紅茶には、黒く濁った靄のようなものが浮いている。とてもお茶とは思えない匂いまでして、不吉な色の湯気があがっていた。

「お、おい!! ダンド!! なんだこれは!!」
「紅茶。色々ハーブも入れた」
「ハーブ?」
「うん。新人が、間違えて他の種族の食材を味見しちゃった時に用意したものだよ。気分が良くなるから、飲んで」
「いや……だが……」
「早く」

 有無をも言わさぬ態度に、セリューは凍りついた。飲むまでやめそうにない。そして、飲まないと言っても許してもらえそうにない。

 飲むしかない。そんな気がしてきて、セリューは震えながらティーカップに手を伸ばし、それを一気に飲み干した。

「ぐっ……うっ……!!」

 口の中に広がった味は恐ろしいほどに苦い。吐いてしまいそうだ。口元を抑えると、急に体の中が熱くなってきた。それは、オーフィザンにケーキをもらった時の感覚に似ていた。けれどあの時よりずっと刺激が強い。

「あ、う、ぐっ……んっ!!」

 悶え苦しみながらも、なんとか飲み干す。口元を拭うと、あの恐ろしい熱さも苦味も、嘘のように消えていた。

「な、なんだこれは……ダンド?」

 彼はじーっとセリューの顔を覗き込んでいる。

「……ダンド? どうしたんだ?」
「……体はどう?」
「な、なに?」
「さっきまでと変わった?」
「…………そうだな……」

 そう言われてみれば、なぜか、体の中にすうっと涼風が吹くようにすっきりしていく。頭の中を埋めていた雲が晴れるようだ。
 そして、オーフィザンに呼びつけられてからここにくるまで、自分が何をしたのか、明確に頭の中で整理することができた。

「……………………も、もう、体はなんともない……だ、ダンド……」
「なに?」
「……さ、さっきはすまなかった……お前がクッキーを焼かない理由は知っているはずなのに……私は…………」

 しどろもどろになってしまったのに、ダンドはまるで安心したように微笑んだ。

「もういいよ。元に戻ったみたいだし」
「……元に戻る? どういう意味だ?」
「なんでもない」
「なんでもなくはないだろう!! 話してくれ!」
「俺が今ここで話したって、セリュー、信じないし怒るだろ? さあ、オーフィザン様のところへ行こうか。クッキー渡しに」
「……私だけでいい。もうすぐ厨房も忙しくなる時間だ。お前はここに残れ」
「夕飯の仕込みを始める時間までには戻ってくる」
「だが……」
「行こう。セリュー」

 ダンドは笑顔だったが、これは明らかに今から喧嘩を売りにいく顔だ。
 この顔をしているダンドをオーフィザンのところに連れて行きたくはないが、ダンドはクッキーを入れたかごを持って行ってしまう。

 セリューも慌ててその後を追った。
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