竜の執事が同僚に迫られ色々教えられる話

迷路を跳ぶ狐

文字の大きさ
上 下
13 / 41
第三章、主

13.クッキー

しおりを挟む

 クラジュのスイカ騒動が落ち着き、二ヶ月ほどがたった。その頃から、セリューの仕事も忙しくなり、ダンドと話すこともなくなっていた。

 今は収穫期だ。城が管理する森の木々が魔法の実を実らせる、一年で一番忙しい時期だ。

 収穫したものの管理と、方々から魔法の道具を求めてくる者たちの相手だけでも大変なのに、こんな時でも、城では騒動が絶えない。
 その大半はクラジュが引き起こすもので、少し前にフィッイルと悪さをして部屋の布団をボロボロにしたばかりなのに、昨日も、洗濯場の噴水と物干し竿を破壊して、干してあった城中の服をぐちゃぐちゃに汚していた。

 客の相手で忙しいオーフィザンに代わり、そういったことの後始末をするのもセリューの仕事で、昨日の晩は、あの猫をどうやって城から追い出すか考えながら、夜通し仕事をしていた。

 そんな忙しい時期だというのに、この時を狙って密猟者が入り込んでこようとする。
 ダンドが繰り返しオーフィザンに掛け合ってくれて、警備の方に人員を回してもらえるようになったが、それらを統括するのはセリューだ。

 寝る間もないほどに忙しい毎日だったが、セリューは、オーフィザンが作る魔法の道具が好きだった。だから、それを守ることができることを誇りに思っていた。

 だが、それでも例外はある。例えば、今、目の前の花瓶に生けられた猫じゃらしのように。

 セリューは、ため息をついた。

 城の日当たりのいい南側の暖かい部屋。ここはオーフィザンがクラジュのために用意したお昼寝部屋だ。

 大きなベッドには猫の足跡柄の布団と、クッキー柄の布団、壁にはネズミのおもちゃが飾られ、ベッドわきのテーブルには、カゴに入ったクッキーと、ミルクの入った瓶が置いてある。今は綺麗にしまわれているが、クローゼットには、可愛らしいクラジュ用の服がたくさん並んでいるはずだ。

 そして部屋中に、沢山の猫じゃらしが生けられた花瓶。これもオーフィザンがわざわざ作ったもので、今では、城の庭の一角が、猫じゃらし畑になっている。それに魔法をかけて最高のおもちゃに仕上げたと、オーフィザンが自慢げに見せてきたときには、吐きそうなくらいの頭痛がした。

 その時のことを思い出すのが嫌で、セリューはクッキーを入れるためのかごを回収し、足早に部屋から出た。空になったかごを見下ろすと、ますます不安になってくる。

 最近のオーフィザンは、あの猫に溺れすぎているような気がする。それどころか、ただの猫バカになっている気がしてならない。

 それもこれも、全てクラジュのせいだ。なんとかして追い出してしまいたいが、クラジュはオーフィザンの嫁。簡単には追い出せない。

 ため息をついて、セリューはオーフィザンの部屋へ向かった。

 城の最上階にあるオーフィザンの部屋は、セリューが最も神聖だと思っている部屋だ。
 その荘厳な扉が開いている。最近はいつも、この扉は開けっ放しだ。
 これもクラジュためにしてあることで、扉を閉めておくと、クラジュが入ってくる時にドジで壊してしまうかもしれないからだ。

 そんなことをするより先に、扉を安全に開けることができるようになるべきだと思うし、クラジュが扉を開けるようにしつけてみましょうかとオーフィザンに進言したが、返ってきたのは、クラジュは扉の開け方を知らないわけではなく知っていてもいつのまにか壊しているだけだいう、最もだがそれで納得できるはずもない返事だった。

 セリューには黙ることしかできなかった。

 嫌なことを思い出しながらも、主人のためだと思い直し、開いた扉を潜り奥へ向かうと、天井絵のある部屋が見えてくる。オーフィザンが執務室として使っている部屋で、壁一面が窓になった、空の上に浮いているような美しい場所だ。

 そこのソファに、セリューが苦手とする男がどかっと座り、マドレーヌを頬張っている。ソファの前のテーブルにはフルーツや生クリームをふんだんに使ったケーキや、チョコレートの菓子が並び、紅茶の入ったティーカップが置いてある。毎回毎回ここへくるたびに、ここのパティシエが作った菓子をせがむこの男のために用意されたものだろう。

 ソファに座ったその客は、インチキ臭い詐欺師のように見えるが、この辺りを治める王で、たまにこうして、数人の従者を連れ、ふらっとオーフィザンの城にやってくる。
 王は、部屋に入ってきたセリューに気付いてこちらに笑顔を向けて言った。

「久しぶりだな。セリュー。俺の城に来ないか?」
「お断りします」

 いつもの返事をして、向かいのソファに座るオーフィザンに向き直る。

 王が来るといつも機嫌が悪いはずの主人は、今日は笑顔で紅茶を飲んでいた。

「ついさっき来た。かごはあったか?」
「……こちらに……」

 回収してきたかごを差し出すと、オーフィザンは満足げに笑う。

「セリュー、お前に頼みがある」
「……頼み……?」

 オーフィザンの頼みとあっては、断れるはずもない。しかし、今日はいつもとは違う、ひどく嫌な予感がした。

 案の定、オーフィザンはセリューが渡したかごを突き返して言った。

「このかごにいっぱいになるだけ、ダンドにクッキーを焼かせろ。お前が頼めば焼く」
「……そのクッキーというのは、クラジュが気に入っているあのクッキーですか?」
「ああ。俺が言っても、オーフィザン様はあげすぎですと突っぱねられるばかりだ。お前が言えば聞くだろう」
「クッキーなら、他にもあるのでは……」
「いいや、あのクッキーでなくてはならない。クラジュは、あのクッキーが好物なんだ」
「しかし……」

 ダンドの焼くクッキーを、クラジュがいたく気に入っていることは、セリューも知っている。だが同時に、ダンドがクラジュにそれをあげたがらないのは、お菓子ばかり食べてしまうクラジュの健康を気遣ってのことだということも知っていた。

 セリューにしてみれば、あの猫が何を食べようが一向に構わないのだが、ダンドはクラジュを弟のように大切に思っているし、彼が渡せないというものを代わりに自分がとりにいくことは、彼の思いを蔑ろにするようで嫌だった。

 気が進まないところへ、オーフィザンの向かいのソファに座った王が、ますます断りたくなるようなことを言い出す。

「俺の分もよろしく頼む。キュウテがダンドのクッキーじゃないと嫌だというんだ」
「……わざわざクッキーのためにここへいらしたのですか?」
「お前、ずいぶん冷たい目をするようになったなー。怖いぞー」
「……」
「お前のような男には分からないかも知れないが、可愛いペットの喜ぶ姿のためなら、なんでもやってしまうのが飼い主というものだ」
「……」

 キュウテというのは、猫の耳と猫の尻尾を持つ、化け猫の美しい男で、王の側室だ。
 どうやらこっちの男も自分の大切な猫に夢中らしい。
 オーフィザンの機嫌がいいのも、二人で愛しいものの自慢話で盛り上がっていたのだろう。

 ますますうんざりしてきたセリューに、オーフィザンが畳み掛ける。

「そういうことだ。セリュー。頼んだぞ」
「し、しかし、オーフィザン様……」
「早く行け」
「オーフィザン様! お言葉ですが……」
「なんだ?」
「……だ、ダンドがあなたにお渡しするクッキーの数を決めているのは、あの猫の健康を気遣ってのことです。あの男はあの男なりに、クソね……い、いえ、クラジュのことを考えています。ですから……」
「セリュー」
「は、はい!」
「座れ」

 オーフィザンは自分が座っているソファの隣をポンポン叩きながら、セリューを手招きする。笑顔でセリューを呼ぶオーフィザンに言われたのでは断れない。

 セリューは大人しく言われたところに座った。すると、オーフィザンはおもむろにテーブルにあったケーキにフォークを入れ、セリューの口元に持ってきた。

「食え」
「……し、しかし……」
「いいから食え。うまいぞ」
「………………い、いただきます……」

 セリューは逆らうこともできず、差し出されたものをくわえた。

 途端に口の中に広がる甘い味。味はいいが、強い酒の香りが頭まで突き抜けていく。酒ではない、セリューが口にしたことのない香りまでして、一口だけで、頭がクラクラしてきた。

 テーブルには、見たこともない酒の瓶が置いてある。竜たちが好んで飲むものだ。
 それならケーキも竜用に作られたものかもしれないと推測できたが、もう遅い。竜が使うものは人族には刺激が強すぎる。

「お、オーフィザン様……」
「うまいだろう?」
「……ぅ……は、はい……し、しかし……」
「俺は、クラジュにうまいものを食わせてやりたいんだ」

 そう言いながら、オーフィザンはもっと食えと言わんばかりに、フォークにケーキを乗せてセリューの鼻先に持ってくる。
 断ることもできずに、セリューはそれをくわえた。

「んっ……くっ……」

 体に侵食してくるような酒の香りが、セリューの脳を犯して、体から力が抜ける。ふらふらしてきたセリューの顎を、鋭い爪の生えた指で上げて、オーフィザンはセリューの目を覗き込んできた。

 体が麻痺してしまったのか、思考はぼんやりして、目の前の光景がゆらゆら揺れながら回る。感覚まで消えて、気づかないうちに、口から漏れたよだれが垂れていく。

「……ぅ……ぐ……」

 目の前のオーフィザンの目が、じっとセリューを見つめている。まるで、だらしなく力の抜けたセリューの様子を、楽しんでいるかのようだった。

 倒れてしまいそうなセリューの体を、オーフィザンは優しくソファに横たえる。

「……お、オー……フィ……ザン……さま……なにを……」
「セリュー……お前は頼りになる執事だ。だれより、お前を頼りにしている」
「……わ、私を……? それは……本当……です……か……?」
「ああ。こんなことはお前にしか頼めない。頼りにしている」

 心より仕えてきた主人に、他の誰よりも頼りにされ、唯一の任務を言い渡される、これほどにセリューの心を満たすものは他になかった。

 まるで麻酔のような言葉は、セリューから思考も理性も奪い去り、もうあと少し気を抜いてしまえば、涙すら流してしまいそうなほどの感動がセリューを包む。

 感無量だった。これほどまでに主人に信頼されていようとは。

 まさに、天にも昇る心地で、セリューは答えた。

「……ぉっ……おまかせくださいっ……オーフィザンさま…………か、かならず……必ずや……あっ、あのクッキーを……焼かせて参ります……」
「そうか……よく言ったぞ……」

 微笑んで、オーフィザンはセリューの首の後ろに爪を立てた。

 ちくっと一瞬、小さな痛みがセリューの体に突き刺さり、すぐに消える。

 その瞬間、頭がスッキリして、体は生気を取り戻した。

 セリューは頭を押さえながら、ソファから起き上がった。

「う……オーフィザン様?」
「大丈夫か? セリュー」

 にっこり笑う主人に支えられて、セリューは立ち上がった。

「頼んだぞ。セリュー。期待している」
「は、はい! お任せください!!」

 主人の期待を受け、夢心地のセリューは、部屋から出ていった。

 後ろで一部始終を見ていた王が、オーフィザンに向かって「悪魔め……」と呟くが、尻尾を振りながらクッキーに夢中になるクラジュのことばかり考えているオーフィザンには、全く聞こえていなかった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

ある少年の体調不良について

雨水林檎
BL
皆に好かれるいつもにこやかな少年新島陽(にいじまはる)と幼馴染で親友の薬師寺優巳(やくしじまさみ)。高校に入学してしばらく陽は風邪をひいたことをきっかけにひどく体調を崩して行く……。 BLもしくはブロマンス小説。 体調不良描写があります。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

4人の兄に溺愛されてます

まつも☆きらら
BL
中学1年生の梨夢は5人兄弟の末っ子。4人の兄にとにかく溺愛されている。兄たちが大好きな梨夢だが、心配性な兄たちは時に過保護になりすぎて。

ハンターがマッサージ?で堕とされちゃう話

あずき
BL
【登場人物】ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ハンター ライト(17) ???? アル(20) ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 後半のキャラ崩壊は許してください;;

【完結】兄の事を皆が期待していたので僕は離れます

まりぃべる
ファンタジー
一つ年上の兄は、国の為にと言われて意気揚々と村を離れた。お伽話にある、奇跡の聖人だと幼き頃より誰からも言われていた為、それは必然だと。 貧しい村で育った弟は、小さな頃より家の事を兄の分までせねばならず、兄は素晴らしい人物で対して自分は凡人であると思い込まされ、自分は必要ないのだからと弟は村を離れる事にした。 そんな弟が、自分を必要としてくれる人に会い、幸せを掴むお話。 ☆まりぃべるの世界観です。緩い設定で、現実世界とは違う部分も多々ありますがそこをあえて楽しんでいただけると幸いです。 ☆現実世界にも同じような名前、地名、言葉などがありますが、関係ありません。

身体検査

RIKUTO
BL
次世代優生保護法。この世界の日本は、最適な遺伝子を残し、日本民族の優秀さを維持するとの目的で、 選ばれた青少年たちの体を徹底的に検査する。厳正な検査だというが、異常なほどに性器と排泄器の検査をするのである。それに選ばれたとある少年の全記録。

怒られるのが怖くて体調不良を言えない大人

こじらせた処女
BL
 幼少期、風邪を引いて学校を休むと母親に怒られていた経験から、体調不良を誰かに伝えることが苦手になってしまった佐倉憂(さくらうい)。 しんどいことを訴えると仕事に行けないとヒステリックを起こされ怒られていたため、次第に我慢して学校に行くようになった。 「風邪をひくことは悪いこと」 社会人になって1人暮らしを始めてもその認識は治らないまま。多少の熱や頭痛があっても怒られることを危惧して出勤している。 とある日、いつものように会社に行って業務をこなしていた時。午前では無視できていただるけが無視できないものになっていた。 それでも、自己管理がなっていない、日頃ちゃんと体調管理が出来てない、そう怒られるのが怖くて、言えずにいると…?

うちの前に落ちてたかわいい男の子を拾ってみました。 【完結】

まつも☆きらら
BL
ある日、弟の海斗とマンションの前にダンボールに入れられ放置されていた傷だらけの美少年『瑞希』を拾った優斗。『1ヵ月だけ置いて』と言われ一緒に暮らし始めるが、どこか危うい雰囲気を漂わせた瑞希に翻弄される海斗と優斗。自分のことは何も聞かないでと言われるが、瑞希のことが気になって仕方ない2人は休みの日に瑞希の後を尾けることに。そこで見たのは、中年の男から金を受け取る瑞希の姿だった・・・・。

処理中です...