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第二章、二人の任務
12.これ以上は
しおりを挟むクラジュがディフィクとお菓子を持って出て行った後、セリューは、苛立ち紛れに頭を掻きむしった。
「お前たちはあの猫に甘すぎる!! そんなふうだから、あの猫はいつまでたってもああなんだ!」
「はいはい。それはオーフィザン様に言ってね。言っても聞かないだろうけど」
「……」
「オーフィザン様が帰ってきたら今朝のお仕置きが始まって、当分離してもらえないだろうから、しばらくは平和だよ」
「……そうだな」
宥めるように言われると、怒るのも疲れるような気がしてくる。クラジュも出て行き、もう食堂にはセリューとダンド以外、誰もいない。
セリューは紙袋から一つ、ドーナツを取り出してくわえた。
「今日は一段と甘いな……」
「セリューがイライラしてるから。甘いもの食べて落ち着いて」
「……あの猫のせいだ」
そう言いながらも、他人に指摘されるくらい感情を表に出していたことが恥ずかしくなってくる。
特に、人一倍周りに気を使うディフィクの前で、あからさまにイライラしていたような気がして、彼に申し訳なく思った。
何かあるとすぐに感情的になるこの癖は、直したいと思っているのになかなか消えない。
「……後で、ディフィクには気にするなと伝えておく……」
「ディフィクは大丈夫だよ。弁償の必要がないって聞いた時、泣きそうなくらい喜んでたみたいだから」
「……」
「それより、クラジュを脅かさないの」
「あんな猫は知ったことか!!」
「まあまあ」
あの猫にだけは頭を下げたくない。
セリューはダンドから顔をそむけ、甘いドーナツをもう一口くわえた。砂糖がたくさんまぶされたドーナツは、口にくわえるたびにキラキラ光る砂糖の甘い粒が唇につく。
今日は朝食を抜いてクラジュを追いかけ、城中を歩き回った。優しい味のドーナツが、足りなくなったものを埋めてくれるようで、それに夢中になってしまう。
そんなセリューを、ダンドは隣に座って、嬉しそうに眺めていた。その視線は次第にセリューの口元に降りていく。
「ねえ、セリュー……」
「なんだ?」
「嫌ならそう言えよ」
ダンドがゆっくり近づいてくる。彼は、セリューが座る長椅子に膝を置いて、そっと頬に手を伸ばしてきた。
ダンドは、微笑んでいた。いつもセリューを見守る優しい目、けれどその瞳の中に、こっそり意地悪な火が灯る。嫌だと言うか言わないか、それを試しているように見えた。
「言えよ」
「…………あ……」
開いた唇が揺れる。
言うつもりだった。嫌だ、離れろと。
昨日の晩のように、好きにされるのは嫌だ。それなのに、体が動かない。
体を縛っているのは、恐怖ではなく、自分の感情だろう。言えるはずなのに、多分もう、言えそうにない。
「あ……ダンド……」
「なに?」
「………………」
最後のチャンスに、唇を開く。けれども、声は出ない。
機会を自ら手放したセリューの唇に、甘い罰が降りてくる。優しいキスがゆっくりと、唇の奥に侵入してきた。それはとても丁寧で甘いのに、ひどく熱い。それが彼の体温だと思うと、もっとそれを味わいたくて、無意識に体を委ねてしまった。
無抵抗なセリューを、彼の腕が捕まえる。何度もキスされ、長い拘束に耐えきれなくなったセリューが、今更相手を突き放そうとしても、体に力が入らない。唇の端から、ポタポタと混じり合ったものが落ちて、体を濡らした。
与えられる熱い感触と、響くいやらしい深いキスの音。それはセリューを縛り上げ、呼吸する余裕すら奪い、頭がくらくらしてくる。
息苦しさが涙を溢れさせ、視界が霞んできたあたりで、やっとダンドは腕から力を抜いてくれた。
唇に久しぶりの空気が触れて、何度も肩で息をするセリューは、体を支えられずに椅子から落ちそうになる。そこをダンドに抱き留められた。
意地悪な視線でセリューを捕まえたダンドは、セリューの体を片手で支えながら勝ち誇ったように笑う。
「キスはいいんだ?」
「……ち、ちがっ…………っ…………」
「え? まだ抵抗できる気でいるの?」
「……っ!!」
痛いところをつかれた。セリューにも、もう分かっている。ダンドの目に捕まると、昨日教えられたあの感触が頭をよぎって、無意識に彼のくれるものを体が欲しがってしまう。
それでも、なぜかそれを認めたくない。いつもの負けず嫌いのせいか、それとも他に理由があるのか、今はわからなかったが、素直になれない。
「て、抵抗できないんじゃない!! しなかったんだっ……だがキスしたいわけじゃないっ!!! そ、その……く、口寂しかっただけだ……」
「………………ぶっ……!」
「おい!! 今笑っただろう!!」
「だ、だって……ごめん……く、口が寂しいの? ……くくくくく……」
「笑うなっ!! 本当だぞ!! は、腹が減ったから……それで…………笑うなっ!!」
「ごめんごめん……分かった分かった。うん。そういうことにするから……くくくく……」
ごめんといいながらも、ダンドは何度も噴き出している。笑いを堪えることができないようだ。
セリューは真っ赤になって彼に背を向け、ドーナツの方に向き直った。
「セリュー、怒らないでよ。からかったんじゃない。俺、嬉しいよ。今度からも、口寂しい時はキスしていい?」
「…………」
「ダメ?」
「………………私がいいと言ったらな……」
「よかった。ありがとう」
「……」
強請られたからしてやるだけだ、特に意味なんかない、キスくらいでいちいち大騒ぎする必要がないだけ、さまざまな言い訳を考えながら、ドーナツに集中しようとする。
けれどダンドはそんな余裕すらくれない。
「ねえ、セリュー」
「……な、なんだ? 考え事をしてるんだ! 話しかけるな!」
「キスしていい?」
「は!? も、もうか!? ……たっ……食べてるからダメだっ!!」
無理矢理口にドーナツを詰め込み、ダメだと言っているのに、ダンドは背後からセリューの頬に指で触れてくる。そこについた砂糖は、彼の指先で拭われ、背後でそれを舐めとる音がした。
味わうように何度も耳元で聞こえる音。ぴちゃ、というその音が鳴るたびに、セリューの体がピクンと震えた。
そして、その後に追い詰めるような一言。
「嫌なのか?」
「…………あ、それは……っ!」
ギュッと肩を強くつかまれる。振り向こうとすると、仰向けに長椅子に押し倒された。
「だ、ダンド!?」
焦るセリューを見下ろし、彼はまるで獲物を捕まえたような顔でニヤリと笑う。
さすがにこれはまだダメだ。そう言おうとしたのに、それより早く、不意打ちのキスで、拒否する言葉を止められてしまう。
(こんなの、まだダメだ!!)
ぐっと腕に力を入れる。それなのに、振り払えない。彼の感触が抵抗する力を吸い取っていく。
けれど、深くまでキスしてくるかと思ったところで、ダンドは突然セリューから離れた。
食堂の扉を乱暴に開いて、クラジュが空になった紙袋を振り回しながら、飛び込んでくる。
「ダンドー! これあと一個ちょうだい!! シーニュも一緒に食べるから!!」
なにも知らずに入ってきた猫に、ダンドはいつもの笑顔を見せるが、その声は少しだけいつもと違っていた。
「足りなかった? かなりあったのに」
「だって……お腹空いてて……」
「仕方ないなあ。クラジュは」
彼は厨房の方へ入って行く。まだ用意したものがあるらしい。
セリューと二人で食堂に残されたクラジュは、こちらを気にしながら、少し離れた。
一方、クラジュのおかげで、先へ進むまで少しの猶予が得られたセリューは、ほっとしながらも、この猫のおかげだと思うと腹が立って仕方なかった。
「…………クソ猫……恩を売ったと思うなよ!!」
「え? え……?」
突然身に覚えのないことを言われたクラジュが首を傾げる。
余計なことを言ってしまったと今更気づいた。なんとなく、クラジュにはダンドとのことを知られたくない。
「せ、セリュー様? な、な、何か……言いましたか?」
「何も言ってない!」
今度は突然怒鳴られ、クラジュは飛び上がってダンドのいる厨房に走って逃げて行く。
知られたくないことを悟られる前に消えてくれてよかった。
一人食堂に残ったセリューは、ダンドが残していったドーナツに触れた。真っ白い砂糖がたくさん指について、それを口に含むと、またさっきのキスを思い出してしまった。
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