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45.触れてもいいか?

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 部屋を出ると、閣下は私を連れ、廊下を歩いて行く。少し早足で、ついて行くのが辛いくらい。そして、部屋に戻る途中、ついて行くのがやっとな私に振り向いた。

「リリヴァリルフィラン」
「は、はいっ……!」

 何かと思ったけれど、閣下は心配そうに言った。

「…………怖くはなかったか? あの男の部屋に連れて行く気はなかったのだが……」
「ええ。全く。それにこれは、私が選んだことです。どうか、お気になさらないでください」

 恐怖がなかったと言えば嘘になるが、それを閣下に悟られたくなかった。そんなふうに申し訳なさそうな顔をさせたくもない。それに、どちらかというと、怖いというより、ダイティーイ様が竜から元に戻って、ホッとした。あの方の首が落ちる光景が頭にずっと残っているなんて、嫌ですもの。

 精一杯怯えを隠して答えると、閣下は安心したのか、微笑んだ。

「気にしないのは無理だな…………あなたを、怖がらせたくない」
「…………」

 こういうところはいつもの閣下だ……地下牢で男の首を落とした人には見えない。

 恐れを押し殺して、じっと見上げていると、閣下は私に手を伸ばしてくる。
 他人の手が近づいてくるのを見て、私の体は、反射的に大きく震えた。

 すると閣下は、すぐに手を止めてしまう。

「ち、違うぞっ……!」

 突然否定されて、私は驚いて閣下を見上げた。
 閣下はなおも、ひどく焦った様子で続ける。

「あなたに手を出そうとしたわけではなくて、ただ、震えているようだったから、手を貸そうとしただけで…………いかがわしいことをしようとしたわけではないっ……! 本当だ……」
「…………」

 本当に、こういうところはいつもの閣下だ……
 さっきダイティーイ様の部屋にいた閣下は、別の閣下だったような気がしてくる。

「……ええ……存じておりますわ。それより……閣下…………」
「どうした?」
「あの…………私のことを、どこまでご存知かわかりませんが……そんなにご心配なさらずとも、私、恐ろしいことには慣れていますわ」
「そうか……やはり、恐ろしいのか……」
「へ!?? あっ……ち、ちがっ……わ、私はっ…………」

 閣下は私から顔をそむけてしまう。
 そんなつもりで言ったのではなかった。怯えてばかりではないと言いたかったのに。

 慌てて弁解しようとするけれど、うまく言えないでいるうちに、閣下は私から目をそむけてしまう。

「……無理をしなくていい。それに、恐ろしいことに慣れる必要もない」
「ち、ちがっ……違います! か、閣下……わ、私は…………」
「リリヴァリルフィラン……本当に、俺に気を使わなくていい」
「ち、ちがっ……わ、私はっ……! 閣下を恐ろしいとは思いませんっ!!!!」

 つい、叫んでしまった。

 廊下で私は何を叫んでいるのか……

 けれど、閣下に怯えているなんて、思われたくなかった。
 確かに地下牢でのことは恐ろしかった。
 けれど、目の前の閣下は、初めて私の手を取ってくださった人だ。

 きっと、まだ戸惑っているんだ。恐怖と親しみが入り混じって、感情を整理できない。
 それでも、閣下が微笑むのを見ると、私も少しホッとした。

「私は、少し驚いただけですわ。それだけで……閣下に怯えていたわけではありません」
「……リリヴァリルフィラン………………」

 閣下が急に黙り込んでしまい、私は、閣下を見上げた。
 けれど、その時にはもう、閣下はいつもの優しげな顔で、私を見下ろしていた。

「…………少しだけ、あなたに触れてもいいか?」
「え……?」
「……いかがわしいことはしないと約束する……ただ、少し体が触れるかもしれないから言っているだけだ……」
「か、体が……?? それはどういう……」
「ほんの少しだっ……や、やはり、嫌か……無理はしなくていい……」
「お待ちくださいっ……! 閣下……」
「リリヴァリルフィラン……?」
「…………い、嫌ではありませんわ…………」
「……」

 恐る恐る言うと、閣下は私の手を取る。そして私のことをそっと引き寄せた。

 腰に回った手は私よりずっと大きいのに、ひどく優しい。体も、服と服がかすかに触れ合う程度。ただ、そんなに近くにいると、彼の息遣いや、手の温かさを余計に強く感じる。

「俺から離れないでくれ」
「……え?」

 私は、その声にいつもと違うものを感じて、顔を上げた。

 閣下はもう、私のことを見ていなかった。

 彼は、廊下の角を睨みつけている。すでに、私の前で微笑んでくれた閣下ではないようだ。

「そこにいる者……今すぐに姿を表せ。さもなくば、その腹を貫く」

 冷徹な声で言われて、廊下の角から、かすかに悲鳴が聞こえた。そしてそこから、一人の男が出てくる。怯えたような顔の領主、ジレスフォーズ様だ。

 私たちの周りには、結界が張られている。身を守るためのものだろう。私を引き寄せたのは、こういうことか……

 閣下はじっと、ジレスフォーズ様を睨んでいた。
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