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chap11.深く暗く賑やかな森

230.変わらずそこにあったはずの面影

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 目の前で繰り広げられていることが、異様な光景に思えて、オイニオンは、早くなっていく呼吸を抑えることに必死だった。

 物音を立てたら、気づかれてしまう。

 けれど、ここからではラディヤが何を話しているのか聞こえない。
 どうしても、気になった。ラディヤが、何をしているのか。

 強い風が吹いて、木々が揺れる音が響く。それを隠れ蓑に、オイニオンは、ラディヤの近くに積まれていた、壊れかけた木箱の山の影に隠れた。

 相手は、気を許した村の仲間であるはずなのに、見つかってはいけない気がする。

 しばらくラディヤが蝶に呼びかけると、蝶から、声が聞こえた。

『なに……? あんまりそこでララナドゥールと繰り返さないでほしいなあ……間諜って、分かってる? バレたらどうするの? だいたい』
「例の毒があった」

 相手が話し終わるのを待たずに続けたラディヤの言葉に、蝶の向こう側の声は、しばらく黙っていた。そして、重い口調で話を続ける。

『あー……やっぱり……? ふーん……』
「しかも、その解毒薬まで作り出している。解毒薬は、力を打ち消すものだ……」
『力を? じゃあ、人族が力を打ち消すものを作り出そうとしているって話、本当なの?』
「ああっ……!」

 ラディヤは、だいぶ苛立っているようだった。足元に落ちてきた枯れ葉を踏み潰している。

 オイニオンは物陰に隠れたまま、気持ち悪い汗を拭うことも忘れ、話に聞き入っていた。

 一体、何の話をしているのだろう。間諜だの、人族だのと。

 ラディヤにも、感情をあらわにして怒ることはあったが、それでも、いつもとは雰囲気が違う。何が違うとは、うまく説明できなかったが、オイニオンには、いつものラディヤとは、全く違う人物に思えた。

 ラディヤは、蝶に向かって続けた。

「……例の、死神の一族だ。毒を作ったのも、解毒薬を作ったのも……くそ……どこへ行っても、目障りな一族めっ……!」
『落ち着いてー。どうせ、そんなことだろうと思っていたから』
「お前はいいよなっ……! 俺はその解毒薬のそばにいるんだぞ! あの医術士……解毒薬を作ったのは、死神の秘蔵っ子だっ! そっちはどうなっている!?」

 苛立った様子のラディヤが蝶を捕まえようと手を伸ばすが、それはラディヤの手から逃れて彼の周りを飛び回る。

『落ち着けって。死神の一族が大人しくしているはずがないと思っていた』

 死神の一族。その呼び名は、オイニオンも聞いたことがあった。人族でありながら、ララナドゥールに迎えられた一族だ。竜を引き連れ人族ながら力を操る一族と言われている。

 そして、その一族はグラスとキラフィリュイザにもいたらしい。悪名高い毒狂いのシュラと、キラフィリュイザのイルジファルア。さらに、その親族の医術士、リーイックは、グラス城に現れ、キラフィリュイザの王と逃げたとか。

 ここにいる医術士は二人。そのうち、解毒薬を持っているのは、リーだ。

 まさか、リーが。

 そんなことは考えたくなかった。彼は領主を救ってくれた。そんなものが、逃げたキラフィリュイザの医術士だとは思いたくない。

 しかし、一度考えると、そんな気がしてならなくなる。
 キラフィリュイザのリーイックといえば、死者をも蘇らせると言われた腕の持ち主らしい。そして、数多の毒を生み出し人を殺す、毒狂いと言われたシュラの身内。

 そんなものが先ほどまで自分の隣にいたのかもしれない。

 恐怖のあまり、気分が悪くなる。呼吸すらしづらい気がした。吐きそうだ。

「何をしている?」
「…………っっ!!」

 声がして、振り向こうとしたが、すぐに声が出なくなる。いつのまにか、オイニオンの首には、光る縄が絡みついていた。

「あ……」

 驚くオイニオンの前には、ラディヤが立っていた。とても仲間を見るとは思えない目で、オイニオンを睨んでいる。

「貴様……聞いていたのか」

 違う、これは何かの間違いだ、そんなふうに弁解したいのに、声が出ない。

 代わりに、ラディヤの周りを飛び回る蝶が彼を呼んだ。

『おーい。ラディヤー。どうしたー?』
「黙ってろ。喚くな。お前がそうして騒ぐから、人族に見つかった」

 そう言って、ラディヤはオイニオンを見下ろしている。その冷たい目にかかる前髪の先が、水のように透き通っていた。そこだけじゃない。彼の髪の先は、まるで水のように透明で揺らいでいる。指の先、足の先、膝から下まで、だんだん水でできているかのように透けていき、水面のように揺らいでいた。

 人族ではない。

 ずっと辺境の村から出たことがなかったオイニオンは、人族以外の種族に会うのは、洞窟に逃げていた狐妖狼族を除けば、これが初めてだった。

 ラディヤのことは、ずっと人族だと思っていたし、それを疑ったことなど、なかったのに。







「ら、ラディヤ……君は……」

 ガタガタ震えるオイニオンに、ラディヤは、オイニオンの知らない冷たい声で言った。

「……どこから聞いていた?」
「え……あ、あのっ…………僕は、何も……」

 何も知らない。そう言うはずだったのに、声が出ない。

 見上げたラディヤの目が怖くて、数歩下がる。けれど、震えた足はうまく動かず、オイニオンはその場で尻餅をついた。

 すると、震えるオイニオンの代わりに、空を飛ぶ蝶がラディヤに言った。

『ラディヤ。バレた?』
「村の人族だ。俺をつけてきたんだろう」
『あー、じゃあ、僕がいたらまずいかな?』
「いや。どうでもいい……」

 どうでもいい、なぜそんなことを言うのかと思った。先ほど、バレたらどうするんだ、というような話をしていたのに。そして、オイニオンは今、本当のラディヤのことを知ってしまったのに。

 ラディヤは、オイニオンの前に屈んで、微かに笑った。けれど、その邪悪な笑顔は、オイニオンの知っているものではなかった。
 それでも、その顔はずっと、オイニオンが村の仲間だと思っていた男のままだ。

「……ら、ラディヤ…………僕……あ、あの……ラディヤは……人族だよね?」
「は? 何言ってんだお前。俺が人族に見えたか? 無力な人族に」

 ひどく、蔑んだ顔だった。姿形は今でも、オイニオンが知っている、少し臆病で村人思いなラディヤなのに。

 それなのに彼は、オイニオンのことなど、まるで仲間だとは思っていないようだった。
 それが何よりショックだった。

「ラディヤ……」
「ちっ……全く、面倒な連中だ、人族ってのは……大人しくしてれば、せめて滅ぼされずに済むんだよ……それを…………っ!」

 ラディヤの手が、オイニオンの襟元を掴む。

「いい気になるなよ……人族がっ……!」
「ラディヤっ……ぼ、僕はっ……僕ら、仲間だよねっ……!」

 ずっと、彼のことはそう思っていた。仲間だと。これから先も、ずっとそうだと思っていたし、それが変わることなど、考えたこともなかった。

「うぜえんだよ……人族が」

 彼の足元から、光る縄が生えてくる。それはオイニオンの体に巻きついて、その自由を奪う。

 もう、手足が自由に動かない。そこだけではなく、頭も、唇も、表情ですら、自分の思い通りにならない。呼吸まで苦しい。

 オイニオンは、気が遠くなってきた。ラディヤの顔が霞んでいく。もう一度彼の名前を呼びたくて口を開くが、それすら叶わない。

 苦しむオイニオンのことを、ラディヤはもう、見てもいない。
 ラディヤは、蝶と何か話していた。解毒薬の話だ。必ずそれは持ち帰ると、約束しているようだった。

 まだ、広間には動けない人がいる。領主だって、まだ目を覚ましたばかり。希望が見えてきたばかりだ。今、リーに手を出されては困るのに。

 けれどリーは、キラフィリュイザから来た男だという。

 オイニオンには、なぜ彼が自分たちを助けてくれたのか、不思議に思えてきた。

 すでに、オイニオンの体は、全く動かなくなっている。

 それなのに、ラディヤが右腕を上げろと言うと、オイニオンの体は勝手に右腕を上げる。

 意志のあるまま体を奪われてしまったようだ。自分では一切体を動かせないのに、ラディヤの言うことには従って体が動く。

 ひどく、恐ろしかった。泣き出してしまいたいのに、自分では表情すら変えられない。

 オイニオンを言いなりに変えたラディヤは、恐ろしい顔をして笑った。

「いい子だ。オイニオン……しばらく利用させてもらうぞ」
『成功?』

 たずねた蝶に、ラディヤはもちろんだと答える。なんのことか、オイニオンには分からなかったが、蝶の方は満足したようだった。

『そっちは任せるよ。僕ももうすぐ城に入るから』
「ああ……早く終わらせて帰るぞ。俺はもう、こんなところにいたくない」

 冷たくそう言う彼を、ラディヤと、最後にそう呼んだつもりだった。微かにオイニオンの口が動いたが、激しく痛んだ。

 ほんの少し呼んだ声は、ラディヤに届いたらしく、ラディヤは驚いたようだったが、何も返事はせずに、オイニオンに背を向けた。
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