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chap11.深く暗く賑やかな森
186.跪く男
しおりを挟む処刑の日の晩、イルジファルアは、誰もいなくなった城壁の歩廊に立っていた。既に日が落ちて、フィズたちが入って行った白竜の小屋にも、それを見下ろせるバルコニーにも、誰もいない。
こんなことになるとは思っていなかった。今回の処刑は、イルジファルアには予定外のことだった。
チュスラスのことは、勝手なことをしないようにコントロールしたつもりだった。それなのに、突然フィズを処刑など、どういうつもりなのか。
あんな大勢が見ている場では、例えチャンスがあったとしても、シグダードにあの瓶の中身を飲ませることなどできない。ヴァルケッドにも、あの場では瓶を出すなと言いつけている。
もちろん、イルジファルアの目論見が崩れたわけではない。それなのに、奇妙な不協和音が聞こえるのはなぜなのか。
処刑の話を聞き、ヴァルケッドには、チャンスをうかがうように言った。フィズを連れて出れば、ヴィザルーマにも動きがあるかと思ったが、彼は街中で一度フィズを助けた後は、どこへともなく姿を消したらしい。
いや、全てうまく行っている。多少、予想外のことがあっただけ。不安要素すらない。そのはずだ。それなのに、妙に苛立ってしまう。
多少予想外のことがあっただけ、何度か自分にそう言い聞かせて、イルジファルアは部屋に戻った。
*
処刑がうまくいかず、その日の晩、チュスラスは、苛立ったままに、寝所に呼びつけたカルフィキャットの体を貪っていた。
ここ最近、カルフィキャットは驚くほどチュスラスに従順になった。
初めてのうちは、お前など王ではないと喚いて、ずっとヴィザルーマを呼んでいたのに。
それなのに、最近は進んで閨に入る。陛下と、愛おしげにチュスラスを呼んで、優しくチュスラスに触れ、床に跪き、どんな命令にも従うようになった。それどころか、まるで自分から誘うような真似までする。その躾けられた犬のような仕草は、思い通りにならないことばかりで腹立たしい城の中で、何よりもチュスラスの支配欲を満たしてくれた。
「あっ……陛下っ…………」
甘い声で囁いて、彼は体の中で膨らませた愛情を迸らせる。その蕩けるような表情だけでゾクゾクする。
自らも身を焦がすような欲望を彼の中に注いで果てていく。
この時だけだ。至高の快楽が味わえるのは。
*
少しの微睡の後、チュスラスは目を覚ました。汚れていたはずのバスローブは、新しいものに取り替えられて、体は綺麗に拭われている。
カルフィキャットは、寝台のすぐそばで酒の用意をしていて、目を覚ましたチュスラスにすぐに気づいて振り向き、微笑んだ。
「国王陛下……お目覚めになられましたか…………」
「……酒を寄越せ」
「ご用意しております」
目覚めてすぐに酒を欲するのは、チュスラスの癖だ。
それを分かっているのだろう、カルフィキャットは、すぐにベッドのわきに置いたワイングラスから酒を口に含んで、チュスラスに口づける。少し甘すぎるような酒の味がした。いつもチュスラスが欲するものとは、少し違う。
「……なんだ? これは……」
「上物の葡萄酒を用意させました。お気に召していただけましたでしょうか?」
「…………余計なことをするな。いつもの酒を寄越せ」
「失礼いたしました……」
彼は、今度は別の瓶を取り、ワイングラスに注ぐ。それも口に含んで、チュスラスに丁寧に口移しで飲ませてくる。躾けたとおりだ。
「いかがでしょう?」
「……この程度では足りない。今度は……」
「こちらの果実酒でしょうか?」
まだチュスラスの言葉が終わらないうちから、カルフィキャットは今まさにチュスラスが言わんとしていた酒を持ってくる。そうだと答えると、彼はさらに口移しを続けた。
彼の口づけは、どの側室より上手かった。こうして、チュスラスが葡萄酒を欲しているときは、チュスラスが体を動かさずともそれで喉を潤すことができるよう、器用に酒を唇で注いでくる。他の者ではこうはいかない。粗相を働いた側室を、どれだけ突き飛ばしたか、チャスラスはもう、覚えていなかった。
「……酒はもういい…………カルフィキャット?」
彼はチュスラスから離れ、そばにあった毛布を広げ、チュスラスの体を包む。そして、寝台から降りると、果物の皿を持ってきた。
果物はチュスラスが教えた通りだが、毛布までは言いつけたことはない。確かに今日は冷える。この季節には、珍しいことだった。
彼は、そばの暖炉に火をつけ、戻ってくる。
「カルフィキャット」
「はい。国王陛下」
そう言って、炎を背後に、彼が振り向く。
カルフィキャットには、この部屋では、一切衣服を身につけることは許さないと言いつけてある。
だから彼は、今も一糸纏わぬ姿のままだ。そして、そんな彼が燃える火を背にして立っている姿はひどく扇状的だった。
「こい。奉仕しろ」
「はい」
素直に従い、彼はチュスラスの元に戻ってくる。
大人しく寝台に上がった彼は、チュスラスの前に跪き、彼に煽られた欲望に触れて、唇で奉仕してきた。
彼はどんなことにでも従った。鞭で打たれろと言えばその場に跪いて鞭を受け続け、蝋燭を受けろ言えば、素直に蝋でその体を焼かれた。
カルフィキャットはずっと、ヴィザルーマのものだった。誰よりヴィザルーマを敬愛し、誰よりあの男を愛していた。
魔力のおかげだろうか。王族であるヴィザルーマは、まるで魔族のように年齢が容姿に表れるのが遅く、チュスラスとその容姿があまり変わらなかった。そのヴィザルーマが、チュスラスを差し置いて彼のそばにいることが、チュスラスは何より許せなかった。
「カルフィキャット……」
「はい。国王陛下」
「……」
黙ってしまうチュスラスから、カルフィキャットは離れていく。引き留める間もなく、彼は、寝台から降りて、床に頭をつけて平伏した。そんなことは命じていないはずなのに。
「……カルフィキャット? どうした?」
「……国王陛下に、そのようなお顔をさせてしまったのは私の失態でございます。どうか、どのようにでも罰してくださいませ」
「……そうじゃない」
顔を背けるチュスラス。カルフィキャットはそのまま平伏していた。
「あの、汚らわしい罪人のことでしょうか?」
図星をつかれたチュスラスの肩がかすかに動いた。そこに、畳み掛けるように、カルフィキャットは言った。
「怖ながら、国王陛下、あれは見事な処断であったと、誰もがそう称賛しております」
「……嘘をつけ。フィズを逃した。貴族どもは、街が破壊されたと陰口を」
「国王陛下」
彼は、チュスラスの言葉を遮り、にっこりと笑う。
「そのような猥雑なもの、捨て置けば宜しいではありませんか。あなた様のご英断を妬んでおられるのです」
「……そうか?」
「あの醜い邪悪な者を、国王陛下が断じて下さらなければ、きっともっと恐ろしい悪事が働かれていたはずです。私めには、その恐ろしい未来が見えるようです」
「そうか……」
「英断というものは、必ずそれを邪魔する臆病者が現れるものです。きっと、あのフィズが淫らな身体を使って籠絡したに違いありません!」
「そうか……」
「そうですとも!! 私とて、あの淫乱な男に引っかかった者たちに……」
カルフィキャットは、言葉を詰まらせ、俯いてしまう。
「カルフィキャット? どうした?」
「……陛下がお気になさるようなことではありません……」
「話せ。俺の言うことが聞けないのか?」
「……」
彼は、チュスラスの言葉には従わずに黙ってしまう。ここしばらくそんなことはなかったのに、どうしたというのか。
苛立った。彼が、自分から離れていくようで。
「カルフィキャット……貴様は誰のものだ?」
「私は……国王陛下のものでございます。この身の全てが、国王陛下の所有物でございます」
「……だったら話せ。知らないところで汚されるな」
「……国王陛下……」
彼は苦しそうに、顔を上げる。その目には、涙が滲んでいた。
「わ、私とて……自分の身は存じております……以前はヴィザルーマに心奪われていた私に、皆様が罰を与えるのも、当然のことでございます……」
「なんだと?」
聞き逃せなかった。罰とはどういうことか。彼は、チュスラスのものであり、勝手にその身を傷つけることは、チュスラスに対する冒涜とも言える。
「何をされた? 話せ」
「仕方のないことなのでございます……皆様が、私を姦臣と罵るのも、この身を傷つけられることも……」
「カルフィキャット……」
囁いて、チュスラスはカルフィキャットに触れた。
その時、寝所の外から声がした。
「国王陛下」
「なんだ、こんな時間にっ……!」
「例の塔の整備をしていた男が見つかりました……」
「塔の? ああ。カウィ家の愚図か……それがなんだ?」
「至急、陛下にお話ししたいことがあると……」
「俺にか!? 地方の弱小貴族が何様だ!!!!」
「し、しかし……今すぐでなければ、あの塔も……ま、街が破壊されてしまうかもしれないと……」
「それがなんだ。俺の街だぞ。あの程度のもので破壊されるのは、建築士が情けなかったからだ!!」
「しかし……チュスラス様……」
「ああ、うるさいっ!! …………いや、待て」
チュスラスは少し黙って考えて、扉の方に向き直った。
「行こう。ついでだ。城中のものを叩き起こせ!!」
喚いて、チュスラスはそばにいたカルフィキャットの手を取る。
「お前も来い」
「はい。国王陛下……」
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