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chap10.騒がしい朝

179.通り掛かった男

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 フィズが処刑を告げられた朝、シグダードは、街へ出ていた。

 話に聞いていたトゥルライナーを売る店を探すためだ。ヴィザルーマを使って同士討ちをさせる作戦をどうにか実行に移せないか、そんなことを考え始めていた。それに、あの作業場で出される食事だけでは腹が減る。軽食を買いたい。

 シグダードと共に起きたリューヌとジャックも、シグダードの後ろについて歩いてくる。その後ろを、あくびをしているバルジッカと、イライラした様子のヴィフがついてくる。

 リューヌは、しきりに背後を気にしていた。それもそのはず、朝早くから、道案内をしろと言う暴虐な理由で叩き起こされ、無理やり同行されられたヴィフが、ずっと不満を言っているのだから。

「なんで私が奴隷の買い物に付き合わなくてはならないんだ……」

 ヴィフのぼやきを聞き咎めたシグダードは、すぐに振り返って、その男を怒鳴りつける。

「おい、誰が奴隷だ!!」
「……自分で言っていただろう。どっかの貴族の奴隷で、浮浪者で心優しい市民なんじゃないのか?」
「ああ……そうだったな! まあ、そうだ。よく覚えたではないか。褒めてやる」
「……つまりお前は一体なんなんだ?」
「さっきお前が言ったとおりだ。もう忘れたのか。能無しめ」
「……」
「私のことは、細かいことは気にせず、シグと呼べばいい。シグ様とは呼ぶなよ」
「誰が呼ぶかっ……! こんな偉そうで腹立たしい男には初めて会ったぞ!! いいか! 私は貴族なんだぞ!」

 ますます苛立つヴィフに、最後尾のバルジッカが「気にしないでやってくれ」と言って、彼はシグダードに追いついてくる。

「おい……なんでヴィフまで連れてきた? いちいち絡むなって言っただろ!」
「私は腹が減った。金を出す者がいなくては飯も食えないではないか!」
「お前…………まだヴィザルーマ使う作戦、諦めてないわけじゃないよな?」

 バルジッカが聞いても、シグダードは全く聞いていない。大通りの端で、肉の焼く音を立てていた屋台に勝手に駆け寄って行き、ヴィフを手招く。

「おい! ヴィフ! この、肉の詰まったサンドイッチだ!」
「それがなんだ……」
「金を払え」
「は!?」

 驚くヴィフの前で、すでにシグダードはサンドイッチを頬張っている。同じものを、隣にいるリューヌにまで渡しているものだから、ヴィフの額に青筋が立つ。

「お前たち……」
「ついでにフライドポテトと、飲み物だ。そこにテーブルがあるから、そこで食べる。新聞を買ってこい」
「……」
「なんだこの硬い椅子は!? クッションを持ってこい!!」

 ついに怒りを抑えられなくなったヴィフは、バルジッカの方に振り向いた。

「おい!! なんだあれは!!」
「あいつ、ゴミの生まれ変わりなんだ。ここは俺が出す。あいつの食った分だけ、給料俺に回してくれ」
「……」

 イライラしながらも、ヴィフは屋台に金を叩きつけ、倍にして給料から引いてやると、ぼやいている。

 しかし、そんなことに気づくはずもないシグダードは、リューヌと一緒に、サンドイッチをかじっていた。

 そこに、ちょうど通りかかったらしい男が、声をかけてくる。

「シグ……お前、何してやがる……」
「リブ!??」

 おどろいた。まさか、こんなところで彼に会うなんて。
 リブは、呆れた顔をしながらも、以前と同じように立っている。

「リブ……お前、傷はもういいのか?」
「ああ。なんとか仕事ができるくらいになったよ」
「そうか……よかった。い、いやっ……! 誰だお前は!! 私はお前とは全く関係ない浮浪者だぞ!!」
「……それはもういい。お前がまた、やたらと偉そうなことを言って迷惑をかけているのが見えて、つい声をかけた時点であきらめている」
「迷惑? なんの話だ?」
「自覚しろ……」

 呆れた様子のリブに、屋台でハムサンドを受け取っていたジャックも気づいて、振り向いた。

「リブ!! お前っ……! もういいのか!?」
「ああ……お前こそ、勝手にいなくなるな。ツケを返すって言ったきり帰ってこないって言うから……探してたんだぞ……」
「あ、ああ……悪い」
「悪い、じゃない。いなくなるなら、何か一言くらい俺に言ってから行け。おかげで俺は、こうして責任感じて、お前の行きつけの店が多いあたりを探して、歩き回る羽目になったんだ」
「リブ…………わ、悪かったよ。いい仕事見つかりそうだったんだ……」
「だった? 見つかってはいないのか?」
「あー……そうだな…………」







 歯切れの悪い答えを返すジャックと、相変わらずのシグダードを見て、リブはため息をついた。

「お前たちのところに酒をおろしている男に聞いた。ろくな場所じゃないらしいじゃないか。さっさと帰ってこい」
「そんなわけにはいかない」

 シグダードは、即答した。

 金は必要だ。リューヌを自由にするための金が。それに、あそこなら、チュスラスに対抗する手段を得る手がかりを探せるかもしれない。

 しかし現状では、どちらもうまくいっているとは言い難かった。
 あそこで稼げる金では、いつまで経っても金貨百枚には辿り着けそうにないし、魔法も使えない今、チュスラスに対抗する手段など、まるで見出せない。

 行き詰まったシグダードが、無言で食事を続けていると、リブは呆れたようにため息をついて、席につく。

「相変わらずだな……お前…………その態度で向こうでも仕事してんのか?」
「なんの問題がある? 私が働いてやっているんだ。それだけで咽び泣くほどに光栄だろう?」

 振り向いて言われて、隣のテーブルについていたヴィフは、恨めしげな目を向けてくる。

「涙が出そうなくらい腹が立っているよ……」

 これまでの恨みを込めて言うヴィフに、リブが「お前も大変だな」と声をかけている。

 そこへ、見知った顔が、大きなかごを持って、声をかけてきた。

「シグっ……! リブっ! ジャック!! 久しぶりっ……!」

 シグダードが振り向くと、小柄で短い金髪の童顔の男が、大きなかごをさげて駆け寄ってくる。以前リブの店で会ったジェットという名の行商だ。彼が下げたかごには、たっぷり新聞とパンが詰められていた。

「リブっ……! よかった!! もう元気になったんだね!」
「完治したわけじゃない。だが、まあ、なんとか動けるようになったよ」
「よかった…………店もずっと閉めてたから、心配したよ……」
「またお前も店に来てくれ。今日はどうした? 果物屋の仕事はやめたのか?」
「やめてないけど……さ、最近、店も苦しくて給料減らされちゃって……朝は新聞を売ってるんだ。買わない?」

 それを聞いて、欲しかったものが見つかったシグダードは、彼に振り向いた。

「私が買ってやる。寄越せ」
「シグ!! ありがとう!! 最近見なかったけど、どうしてたの? リブの店もやめちゃったって聞いたし……」
「それがなんだ?」
「だ、だから、シグが急にどっか行っちゃうから心配してたんだよ!! どこ行ってたの!?」
「金を稼ぎに行っていただけだ。なんだそれは」

 シグダードが、かごに入っていたものを指すと、彼はかごの中身を見せてくる。

「新聞と、パンだよ。ねえ、パンも買っていかない?」
「食事はもうとっている。新聞の代金はそっちの男からもらえ」

 シグダードが背後のヴィフを指差すと、ヴィフは怒りを込めた声を上げる。

「誰が出すか!! お前、いい加減にしろよ!!」

 その様子を見たジェットは、相変わらずだねと言って、シグダードから新聞を取り上げた。

「お金がないなら渡せないよ」
「なんだと!? 少し読んだら返す!」
「そんなのだめ! 僕、雇い主に怒られちゃう!! た、ただでさえ、最近誰も買ってくれなくて、困ってるんだからっ……!」

 新聞をめぐって揉み合いになりそうだった二人を、リブが間に入って止めた。

「やめろ二人とも」

 そう言って二人を宥めるリブの後ろを、酒樽を持った二人が歩いていく。
 そのうちの一人が、シグダードを指差して声を上げた。

「あーー!! てめえ!! こんなところで何してやがる!!」
「誰だ貴様は」

 あっさり言ったシグダードに、男は顔を真っ赤にして怒り、背後からバルジッカが、「食堂でお前に絡んだ男だ。規則違反がどうとか言ってた奴だよ!」と耳打ちする。

 そう言われてみれば、そんな男がいたことを思い出し、シグダードは、ぽん、と手を打った。

「ああ、あの小うるさい男か」
「誰が小うるさい男だ!! てめえ、こんなところで買い食いか!? 許可はあんのか許可は!!」
「ある。そこの奴にもらった」

 シグダードは、サンドイッチを頬張りながら、ヴィフの方を指した。監督官がこんなところにいるのを見て、男は顔を真っ青にするが、ヴィフの方は、シグダードに出してもいない許可を捏造され、抗議するので手一杯なようだった。

 しかし、そんなものに取り合う気など、シグダードは毛頭ない。男の方に振り向き、指差して言った。

「貴様の方こそ許可はどうした?」
「お、俺は……」

 言い淀む彼を見て、シグダードは、してやったとばかりに笑う。

「さては……貴様の方こそ、許可がないな? 規則違反は貴様の方だ」
「し、仕方ねえだろっ……熱出したやつの代わりに、酒樽運ぶ奴が必要だったんだよ!!」

 すると、それが聞こえていたらしいヴィフが、怒鳴り声を上げる。

「おい!! なんだと、熱!? 代わりの者が酒樽を運ぶなんて聞いていないぞ! 許可のないやつは外に出るな!!! 貴様も拷問されたいか!!」

 怒鳴るヴィフを、後ろからシグダードは蹴り倒した。

「許可なら今出せ。酒がないと、私も貴様も困るはずだ」
「そ、それは困るが……だ、だめだ!! 許可のないやつは外に出るな!!」
「今出したんだから問題ない。まあ、座れ」

 シグダードは、無理矢理ヴィフを座らせ、酒樽を運んでいた男にも声をかけた。

「酒はそれで終わりか?」
「……いいや。ワインがまだだ。外から運ばれてくるものが遅れてるらしい。この辺りで待つように言われてる……」
「だったら、お前も座れ」
「……座らねえよ。ワイン待たなきゃならねえからな……」

 男は、こちらを警戒しているらしい。嫌そうに酒樽を置いて、そばにあった椅子に腰かけ、テーブルを殴りつけた。

「くそっ……朝から最悪だ!!」
「まあ、落ち着け」

 リブに声をかけられて、男は驚いたようだった。

「リブっ……お前、もう動けるのか!?」
「ああ、なんとかな……」

 どうやら知り合いらしく、男はリブの無事を喜び、リブの方も、久しぶりに彼に会えたことを喜んでいる。

 しかし、好き勝手に動き始めた男たちを見て、ヴィフは頭を抱えていた。

「くそ……どいつもこいつも勝手な真似を……」

 呻くヴィフに、シグダードは、ジェットのかごからくすねた新聞を広げながら声をかけた。

「諦めろ。だいたいお前は、なぜあんなところで、たった一人で色々と任されている? 警備の者はどうした?」
「……あの鳥がいるからいいだろうと言われている…………どうせ私は、弱小貴族の五男だ。兄貴たちには邪魔者扱いされ、特別能力も高くない私を、父上も母上も、なんでいるの、みたいな目で見る……ここで働いて少しでも役に立てと言われて、来たんだ。私だって、本当はこんなところ、来たくなかった。故郷は田舎で作物もろくに育たない痩せた地だったけど、私はあそこが好きだったのに…………塔ができるまで帰るな、なんて言われて、全部押し付けられて。巷では、不景気で貴族への不満が溜まってる。それがあそこでは全部私にくる。やってられない……」
「話は後で聞いてやるから、サンドイッチを追加しろ」
「誰がするか!!」

 再び怒鳴るヴィフに、バルジッカが肩を叩いて話しかけた。

「お前の気持ちはよーくわかるよ」
「お前なんかに分かってたまるか!!」
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