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chap9.先へ進む方法
168.静かな夜
しおりを挟むシグダードたちが寝付いてから、ヴァルケッドは、ヴィザルーマのもとへ向かうため、夜の街を走っていた。
ティフィラージがミラバラーテの領地に送られた件は、既に報告済みだ。ミラバラーテから返ってきた言葉は、もうしばらくイルジファルアを見張れ、だった。
イルジファルアの目論見を崩す、それがヴァルケッドに与えられた任務だ。まだイルジファルアのそばにいて、彼の信頼を得なければ。
ティフィラージがいなくなることは、ヴァルケッドにとっては都合が良かった。あれがいなくなれば、イルジファルアが使う駒が一つ消える。イルジファルア自身、気づいていないようだが、彼はティフィラージをずいぶん頼りにしている。失敗することがあったとしても、彼と同じことができる者はほとんどいない。しばらくイルジファルアのそばにいて、ヴァルケッドにはそう見えていた。
しかしイルジファルアは、ティフィラージをミラバラーテのもとへやった。
イルジファルアのそばにいる駒は、彼の他にもいくつかあるが、それはまだ不完全と言わざるを得ないものばかりだ。うまくやれば、自分がティフィラージの後釜に座ることができるかもしれない。
今もこうして、ティフィラージの代わりにヴァルケッドがヴィザルーマのもとへ向かわされている。しばらくやることが多くなりそうだ。
イルジファルアの懐に、あと少しで入り込める。
夜の街を歩きながら、ヴァルケッドはほくそ笑んだ。
その時、背後に気配を感じた。すぐそばの民家を見上げれば、屋根の上で、ティフィラージがじっとこちらを見下ろしている。
彼にしてみれば、イルジファルアが自分を遠くへやり、ヴァルケッドをそばに残したことは屈辱だろう。
だが、それは雇い主が決めたこと。ヴァルケッドが「早く行け」と言うと、彼はひどくこちらを睨んで、屋根の向こうに消えて行った。
*
その晩、ベジャッズは、カルフィキャットを連れ、ヴィザルーマのもとへ急いでいた。
今日は特に何か報告があるわけではない。それなのに、カルフィキャットはどうしてもヴィザルーマに会いたいらしい。接触は、必要最低限に留めるようにと言われているはずなのに。
しかし、ベジャッズはそれについて口を出すことはしなかった。
今、城内の様子を知ることができて、さらにチュスラスから直接話を聞けるのはカルフィキャットだけだ。
余計な口を挟んでは、カルフィキャットがもう嫌だと言い出してしまうかもしれない。
カルフィキャットを無事に連れていくことこそが、ベジャッズに与えられた任務だ。今はそのことだけを考えていればいい。
夜の街は、静かだった。人通りもなく暗く狭い道を、二人で走る。
ふと、街灯の光が、一瞬陰ったのが見えた。
「さがれ!!」
叫んで背後のカルフィキャットに注意を促し、剣を抜く。
飛びかかってきたものは、最初は金色の塊に見えた。ベジャッズの剣を避け、それは空中でくるっと回転して、石畳におりる。
ベジャッズと対峙したそれは、金色の胴体にいくつも足がついた、大きな蜘蛛のようなものだった。ここ最近、この辺りに出ているという、異常なトゥルライナーだろう。
飛びかかってきたそれを、ベジャッズの剣が切り裂き、蜘蛛は真っ二つになって、石畳の上に落ちる。大した力はない。だが、戦えないカルフィキャットがそばにいる状態では、油断はできない。
加えて、騒ぎを起こすわけにはいかない。夜の中のかすかな戦闘の音が、寝ている民間人を起こさないうちに、カルフィキャットをヴィザルーマのもとへ送り届けなくては。
ベジャッズは、カルフィキャットに振り向き、離れるなと告げて、彼を連れて走り出した。
まだ、攻撃は止んでいない。路地の両脇の建物から、同じものが飛び降りてくる。それも、今度は何匹も。
異様な風体の敵を見たカルフィキャットは震え上がり、足がすくんだのかその場で立ち止まってしまう。しかし、止まれば敵に襲われる。
ベジャッズはカルフィキャットに、自分のマントを頭からかぶせ、走り出した。
「……突破するぞ!!」
次々向かってくる蜘蛛たちを斬り払い、ヴィザルーマのもとを目指す。
路地裏は狭い上に、ゴミ箱や荷物が放置されていて走りにくい。しかし、広い通りに出れば、襲いくる蜘蛛たちを見て、通行人たちが騒ぎ出すかもしれない。暗い路地を行くしかなかった。
飛びかかってきたものを切り払いながら走ると、路地の向こうに、かすかにあの集会所が見えてくる。あそこへカルフィキャットを逃せば、今よりずっと戦いやすくなるはずだ。
あと少しだ。しかし、集会所の中の光が、突然消えて、そちらに注意がいってしまう。
隙が生まれた。それを敵は見逃さなかった。背後から、カルフィキャットのかすかな悲鳴が聞こえる。
「あっ……!」
「カルフィキャット!?」
ふりむけば、彼の背中に飛び乗った蜘蛛が、足を振り上げている。
ベジャッズは、すぐにそれを切り裂いたが、カルフィキャットはうずくまり、左腕を押さえていた。彼の二の腕のあたりの袖が切れて、その下の肌が赤くなっている。
彼の体を傷つけられるわけにはいかない。彼がチュスラスの求めに応じて服を脱いだときに、見慣れない傷があっては、怪しまれてしまう。
そう思ったベジャッズは、彼からマントを奪い取り、それ一枚で自らの身を守りながら、カルフィキャットを自分の体で隠し、走り出した。飛んでくる敵の攻撃を背中で受け、痛みに耐えながら集会所に急ぐ。
正面から向かってきた一際大きな蜘蛛を切り裂くと、一旦蜘蛛たちの攻撃が止んだ。その隙に、ベジャッズはカルフィキャットを連れ集会場に飛び込む。
すぐに出てきたミズグリバスに、カルフィキャットを預け、ベジャッズは蜘蛛の相手をするため、外に飛び出した。後はここを守るだけだ。
*
逃げるようにして集会所に飛び込んだカルフィキャットを、ミズグリバスは驚いて迎えた。今日はここへくる日ではないだろうと言われたが、カルフィキャットには、彼の言葉など、全く耳に入らなかった。
ただ、ヴィザルーマに会いたい。彼が温かい手で触れて、カルフィキャットによくやったと囁いてくれれば、なんでもできる。
カルフィキャットは、無言で奥の、ヴィザルーマが寝室としている部屋に飛び込んだ。
そこのベッドに座っていたヴィザルーマが驚いて振り向く。
「カルフィキャット? どうした??」
「ヴィザルーマさま!!」
叫んで、彼の胸に飛び込んだ。彼の体を感じると、どんなことでも消えていくようだ。
それなのにヴィザルーマは、カルフィキャットが思ってもみなかった名前を口にした。
「まさか、フィズに何かあったのか?」
「…………っ!」
必ず罰すると、そう約束したはずの男の名前を出されて、カルフィキャットは顔を上げた。
ヴィザルーマが心配そうに自分を見下ろしている。その労る目は自分に向けられるべきだし、彼が今考えなくてはならないのは、彼のために酷い屈辱に耐え、暗い夜の中を不気味な敵を振り切って走ってきた自分のことであるはずなのに。
「ヴィザルーマさま……」
「カルフィキャット!? どうした!? フィズはっ……」
「あの男にはっ……!! その罪を償うための罰を与えてくださるんですよね!?」
「……カルフィキャット…………?」
ヴィザルーマは、すぐに返事をくれなかった。
けれど少しして、落ち着いた口調で宥めるように言った。
「……カルフィキャット……一体どうした? その話はもうしただろう?」
「はい……もちろんでございます…………約束してくださいますね?」
「…………カルフィキャット?」
「ヴィザルーマ様っっ!!」
ヴィザルーマの目が、かすかに、変わった。普段彼が見せない、戸惑いのようなものが見えた。
彼を驚かせてしまった。そんな気がしたカルフィキャットは、震えながら彼から離れた。
「もっ……申し訳ございません……ヴィザルーマ様…………わ、私は……なんということを…………申し訳ございません!!」
本当に、そう思った。してはならないことをしてしまったと。
それなのに、ヴィザルーマのその目に、くすぐられた気がした。
ヴィザルーマは、すぐに平静を取り戻し、いつものように「もちろんだ」と囁く。そして、カルフィキャットを優しく抱き寄せてくれた。
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