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chap7.差し出す手
131.連れて行けない友人
しおりを挟むルイがシュラの治療を待つうちに、日は暮れていた。
暗くなり始めた頃、シグダードは、リブの酒場で今日も仕事を始めていた。
相変わらず酒場での仕事には慣れない上に、開店してすぐに酔っ払った客たちが喧嘩を始める。こういった者たちを追い出すのが、シグダードの主な仕事になっていた。
シグダードに店から放り出された男が、怒鳴りながら頬をおさえて起き上がる。
「てめえ!! 何しやがる!!」
先ほど喧嘩を始めた時より、男は顔が赤くなっていた。相当腹を立てているようだが、もうシグダードに向かって来る気はないらしい。
「二度とくるな! 貴様の出入りは禁止する!! 失せろっ!」
怒鳴りつけてからシグダードは店に戻り、乱暴にドアを閉めた。
リブの酒場はすでに客でいっぱいで、騒いでいた奴らを追い出したシグダードに対する賛辞と拍手、罵倒が迎えてくれる。
それには構わず、シグダードは厨房の方へ急いだ。
厨房の中では、さっきの酔っ払いに絡まれ殴られたリューヌが皿を洗っている。血が出ていた頬は、手当てはされているが、それでも心配だ。
「リューヌ。大丈夫か?」
「は、はい。え……え? だ、大丈夫……ですか?」
「怪我はどうだ?」
「ど、どう?」
「……もう痛くはないか?」
「え……あ、い、痛くありません……」
リューヌは半ば混乱しているのか、しどろもどろに答え、その場に跪いた。
彼はいつもこうだ。
シグダードが主人になったと言ってからは、すぐにシグダードの前にひれ伏す。酔った客に殴られようが罵倒されようが、ただ頭を下げながら、ひたすら働く。その上、気遣われることを全く知らないようで、こうしてシグダードが庇っても、何をされているのか分かっていないようだ。
シグダードは、ひれ伏す彼のそばに寄り添い、そんなことはしなくていいと、何度も彼に教えていることをもう一度口にした。
しかし、リューヌは「はい」と小さな声で返事をして、まるで叱られたような顔をする。
そんな彼に「もういい、仕事に戻れ」と命じてから、シグダード自身も、皿を運んだ。
カウンターに戻ると、ジャックがいつもどおりの注文を始める。
「シーグー。酒ー」
うるさい彼に、シグダードは酒ではなく水の入ったコップを出した。
「お前には一滴も飲ませるなとリブに言われている」
「マジかよ……なあ、リブ、いいだろ? 仕事で疲れてるんだよー」
カウンターでグラスを磨くリブに、ジャックが懇願しても、リブは振り向きもしない。たまりにたまったツケのことで、かなり腹を立てているようだ。
ジャックはそれでもツケの話はせずに、ひたすら酒をせがんでいた。
それを尻目に、シグダードは仕事を再開した。注文された酒を注いでいると、すぐに後ろから聞きたくない声がシグダードを呼ぶ。
「シーグー。酒!!」
相変わらず締まりのない顔で酒を催促するテッテンラックに、シグダードはジャックと同じものを出した。
リブの酒場で働くだけでもかなり体力を使うのに、この男は遠慮を知らないのか、日中、シグダードを頼ってこの酒場にきた。追い返そうとしたが、「トゥルライナーに俺が殺されたらどうするんだ」と喚かれ、酒場から追い出した後も延々ドアを叩かれた。あれでは眠れない。
トゥルライナーと戦うことは嫌ではないが、この自堕落な男にタダでこき使われるのは腹がたつ。もしも今、正体を隠さなくてはならない身でなければ、とっくに殴り倒しているところだ。
だが、こんなクズでも貴族は貴族だ。そんなことをして、城に泣きつかれては面倒なことになるので、必死に我慢した。これもフィズのためだ。
シグダードは、最近培った自制心で苛立ちを抑え、できるだけ落ち着いて、テッテンラックに言った。
「お前にも出すなと言われている」
「これでもか?」
テッテンラックがカウンターに置いたのは、札束だった。ツケかおごりでしか酒を飲まない男がこんなものを持っているはずがない。
「ついに酒代欲しさに金品の強奪を始めたか。貴様はもうクズじゃない。ただの犯罪者だ。失せろ」
「待て待て! これは盗んだんじゃない! 俺へのボーナスだ!」
「ボーナス? お前にか?」
シグダードが呆れながらきくと、テッテンラックは、いきなり立ち上がり声を張り上げる。
「聞け。無能ども。俺、昇進するんだ!」
「……」
何を言っているのかとききたくなる。仕事は全部他人に押し付け、昼間から酒を飲んでばかりのこの男が昇進など、あるはずがない。
だが、呆れ返るシグダードに、テッテンラックは胸を張って言った。
「トゥルライナーを討伐している功績が認められそうなんだ。さすが俺だろ?」
「おい……貴様は何もしていないだろう!! 討伐したのは全て私で、お前はそばで酒を飲んでいただけだ!!」
「ふん。それでも手柄は俺のものだ。浮浪者は黙ってろ。これから国外れの地でトゥルライナーの調査がある。それに成功すれば、俺は偉くなれる!! 頼んだぞ。シグ」
「私は、貴様が実力に見合わない昇進を卑怯な方法で手に入れるために、あれと戦っているわけではない!」
「いいだろー。手伝え。俺は貴族だぞ」
「貴様なんぞが昇進したら、またフィズが危険な目にあうんじゃないか?」
「お前……またフィズかよ……」
「フィズはどうしてる?」
「なんでそんなにフィズのこと知りたがるんだよ? あ、お前、まさかストーカーか!?」
「……いいから話せ……水くらい奢る……」
「それはタダだろ? 奢るなら金払うもの奢らないと奢るって言わないだろーが。馬鹿なのか?」
「黙れぇっ!!」
にわか仕込みの自制心をあっさり崩壊させ、シグダードはテッテンラックに掴みかかった。
「口答えをするな! 貴様、何様だ!! 私から水を貰えるんだぞ! ひれ伏して礼を言え!」
「おおお落ち着け!! リブ! こいつなんとかしろ!」
テッテンラックが助けを求めても、リブは振り向かない。彼も腹を立てているらしい。
周りからも、シグダードを止める声は一つも上がらず、逆に煽り立てる。
「やれ、シグ!! そのクソヤローをぶっ殺せ!!」
「世間のルールを教えてやれ!」
「クソ貴族死ね!!」
かなりひどいヤジに、テッテンラックはもう真っ青だ。
「おおおおい!! 殺せってなんだ!! おい! 俺は貴族だぞ!」
聞いているだけで吐き気がするようなことばかり言うテッテンラックに、シグダードは低い声で凄んだ。
「残念だが、酒を飲んで騒いでいる奴らに貴族だと喚いても無駄だ。理性を忘れた連中はただの猿と変わらん。覚悟はできたか?」
「ひっ!!」
シグダードが拳を振り上げたところで、やっとリブが止めに入る。
「シグ、仕事しろ」
「リブ……」
やっとシグダードから解放され、テッテンラックは急いでシグダードから離れる。
「お、お前! 俺に乱暴すると、ただじゃ済まないぞ!」
「テッテンラック、お前はさっさとツケを払え」
リブにそれを言われると、テッテンラックはあっさり大人しくなる。
散財が何より得意な彼は、金があってもすぐに使い切ってしまう。その上、ここでは貴族だ貴族だと威張ってはいるが、家に帰れば、優秀な兄達と比べられ、無能な厄介者扱いされていることまで、リブは知っている。昼間から酒を飲み歩き、酒場では金を払っていないことが、家にバレて困るのはテッテンラックの方だ。
彼は静かにカウンターの椅子に座る。その隣にシグダードも座った。
「さあ、フィズのことを話せ」
「だから、なんでフィズなんだよ……フィズは元気だよ。多分……」
「多分ではダメだ。ちゃんと教えろ」
「無茶言うなよ……俺、フィズになんかほとんど会わないし……な? もういいだろ?」
「それなら、城に帰ったら、フィズのことを調べてこい」
「は!? お、お前、やっぱりストーカーだろ!」
「違う! フィズのことが心配なだけだ。これからのことを考えても、城であいつがどういう環境にあるのか、知っておきたい」
「……これからってなんだよ?」
「うるさい! あまり聞くな! 大人しく言うことを聞けば、水くらい飲ませてやる。分かったな?」
「あ、ああ……うん……」
怯えながらも頷くテッテンラックに満足していると、リブに後ろから頭を叩かれた。
「仕事しろ」
*
朝が来て、店を閉めてから、シグダードはリューヌと二人で二階にある部屋に戻った。
「労働とは疲れるものだな。リューヌ」
「……」
自慢げに言うシグダードには答えず、リューヌは疲れているはずなのに、ドアの近くに立っている。
リューヌはいつも、座れと言われなければ座らない。疲れた時は座ればいいと何度か教えたが、それは変わらなかった。
「リューヌ、座れ」
シグダードが自分の隣を指して言うと、リューヌは返事をして、やっと座った。
リブから渡された朝食の乗った皿を床に置き、彼にすすめてやる。
「さあ、食え。リューヌ」
「……」
リューヌは恐る恐るパンに手を伸ばし、それを少しだけかじる。
シグダードも、サンドイッチに手を伸ばしたところで、窓をコツコツ叩く音がした。振り向くと、窓の外で小さな竜がそれを叩いている。
「ルイ……?」
窓の外にいるのは、確かに少し前に喧嘩別れしたルイだ。
シグダードが窓を開けてやると、彼はすぐに飛び込んできて、勝手にベッドに降りる。
「おはよー。何してるの?」
「今から食事だ。お前、どこにいたんだ?」
ルイはサンドイッチの皿の前に座り、フライドポテトにかじりつく。側ではリューヌが驚いて後ずさりしながら震えていた。
「リューヌ、大丈夫だ。これは私の知り合いだ。おい、ルイ、何をしていたんだ?」
「リーに会ってた」
「リー? リーイックか……おい、あいつは今どこで何をしている?」
「知らない屋敷で出てきた人と抱き合ってから、毒見てニヤニヤしてた」
「…………あいつらしい気味の悪い行動だな……男とは誰だ?」
「お前の城にいたナルズゲートっていう、なよなよした男」
「ナルズゲート? なぜあいつがグラスにいるんだ……さてはあいつも寝返ったな……」
「あいつ、何?」
「リーイックの昔の恋人だ。しばらく前にリーイックとは別れ、ヘザパスタと婚姻を結んだが、ヘザパスタはお前が殺した。リーイックのやつ、ほくそ笑んでいるんじゃないか?」
「嬉しそうだった。最低だよね。リー、ボクの恋人のくせに、堂々と他の男とキスして」
「恋人? リーイックがか?」
「だって、ボク、リーのこと、気に入ったんだもん」
「どうせお前が自称しているだけだろう。シュラもあいつに執心しているようだし、あいつ、おぞましいものに執着される才能でもあるんじゃないか?」
「ボク、おぞましくないもん!」
「そうか? 私はお前ほど不気味な奴には会ったことがないぞ」
「……ボクもお前くらいムカつく奴、初めてだよ。フィズを救い出したら消えてよ」
「……そんなことは私が決める。ムカつくならさっさと出て行け。なぜわざわざ戻ってきた?」
「フィズに伝えて欲しいことがあるの。あの水で」
「フィズに?」
「うん。早くして」
「……なぜお前の言うことを聞かなくてはならないんだ?」
「これを伝えないと、フィズが危ない目にあうんだよ。いいの?」
「……脅しか? 最低な竜だな」
「早くしてよ」
「……待っていろ」
全く気は進まないが、フィズが危ない目にあうと聞いたら放って置けない。
シグダードは、しぶしぶベッドのわきにおいた瓶を手に取った。
「お前は一体なんなんだ。フィズの友人でありながら、なぜ銀竜に襲わせたり、そんな風に脅しの道具に使ったりできるんだ」
「うるさいこと言ってないで、早くフィズを呼んで!」
「うるさいのはお前だ! 少し待っていろ!」
叫んで瓶の蓋を開けたところで、リューヌの存在を思い出した。彼に魔法を使うところを見られるわけにはいかない。
「リューヌ」
「は、はい……」
「少し……廊下に出ていてくれるか?」
「はい……」
リューヌはすぐに部屋から出ていく。まだ怯えた様子の彼の背中を見ていると、少し悪いことをしたような気がした。だが、正体を知られてしまえば、彼まで巻き込んでしまう。リブやジャックにも相当迷惑をかけているのに、彼までそんな目にあわせるわけにはいかない。
シグダードは、リューヌが遠ざかっていく足音を聞いてから、瓶の水に魔法をかけ、フィズを呼んだ。
「フィズ……おい、フィズ……聞こえるか?」
『シグ……おはようございます』
可愛らしい彼の声が聞けてホッとした。もう少し話していたいのに、うるさいルイが声を張り上げる。
「フィズーー! よかった! ボクだよ!」
『ルイ……ルイ!! ルイだね!』
「うん! この前はごめんね。だけど、今日また会いに行けるよ!」
『本当!?』
それを聞いて、シグダードは小さなルイを掴んで瓶から離した。
「おい、それは本当か!? まさかまたお前シュラについていくつもりか!?」
心配になってシグダードが聞いても、ルイはシグダードの相手をする気は全くないらしく、シグダードの手をすり抜けると、水の方にやさしく言った。
「フィズ、これから言うこと、よく聞いてね」
『う、うん……』
「二つだけ守って。一つは、ボクのことをルイって呼ばずに、リュウ君ってよぶこと。二つ目は、シュラが会いに行っても、部屋にボクら以外誰もいなくなるまで、あまり喜ばないこと。怪しまれちゃうからね」
『わ、分かった』
「約束だよ! 忘れちゃダメだからね!」
『うん。わかった……ルイ……』
「フィズ……もう少しだよ……もう少し、我慢して。もう少ししたら……二人で逃げようね」
『……ありがとう。ルイ……あ、ごめん……ラッジさんを起こしてしまうから、そろそろ……』
「わかった。必ず、会いにいくから」
『じゃあ……』
それを最後に、フィズの声は聞こえなくなった。向こうは向こうで忙しいようだが、彼の態度がそっけないように感じて、少し寂しい。シグダードは魔法を解き、水を瓶に戻した。
落ち込むシグダードとは対照的に、ルイは楽しそうだ。
「これでフィズに会えるー。フィズの様子見て、城のことを調べてくるから、お前はフィズを救い出す時にだけ役に立ってね」
「……私はお前の武器でも防具でもないぞ」
「こんな出来損ないの武器、いらないよ。お前はフィズとボクを守って死ねばいいから」
「…………フィズは守るが、お前のことは知らん。お前に利用されるのはごめんだからな」
言いながら、シグダードは瓶をテーブルに戻した。ルイのことは腹立たしいが、少し羨ましい。彼は体を小さくしてシュラの服に隠れ、フィズに会いにいくことができる。
本当は今すぐに、どんなことをしてでもフィズに会いに行きたい。しかし、無茶をすればフィズに迷惑がかかる。
シグダードは、拳を握りしめ、すぐに部屋を飛び出して行きたいと思ってしまう自分を戒めた。一度深呼吸をしてから部屋を出て行こうとすると、後ろからルイに呼び止められる。
「どこ行くの?」
「リューヌを呼んでくる。あいつを休ませてやりたい」
「……ねえ」
「なんだ?」
「お前、フィズを助けに行くんでしょ? あいつ、どうするの?」
「リューヌか? 金貨百枚稼いであの主人から自由にした後は、リブに預けていく。リブなら、リューヌにまともな生活を与えてくれるだろう」
「………………リブは迷惑だろうね」
「……それはわかっている。だが、他に頼める奴がいない。だから、こうしてタダで働いてやっているんだ」
「連れていかないの?」
「行けるはずがないだろう……私とくれば、いずれ処刑されることになる。あいつには、これからは幸せに生きて欲しいんだ」
「ふーん……」
ルイは冷たい目でこちらを見ていた。こんな冷酷な竜には、理解できないのだろうと思い、シグダードはさっさと部屋を出てリューヌを呼びに行った。
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