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chap7.差し出す手

130.答えられなかった質問

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 リーイックがおかしなものに夢中になってしまったので、ルイはシュラの屋敷に戻ってきた。

 イルジファルアは近いうちにシュラの屋敷に来ると、リーイックは言っていた。もし彼の言うとおり、すべてがうまくいけば、フィズは解放されるかもしれない。そう思うと、どうしてもそわそわしてしまう。

 落ち着くためにも、敵と対峙するかもしれない舞台の確認くらいはしておきたい。それに、やり残したこともある。

 鍵が開いていたリビングの窓から屋敷の中に入り、椅子に降りる。

 リビングは誰もいなくて静かなのに、隣の部屋がガタガタうるさい。きっとまたあの執事らしき男が捜し物をしているのだろう。

 騒がしくて仕方がない。毒が目的で来たとは言っているが、本当は家捜しをするために来たのだろう。時計を探すなら、もう少し静かに探して欲しい。

 なぜシュラが自由にさせているのか、不思議だ。まさか、気づいていないわけではないだろう。リーイックは恐ろしい奴だと言っていだが、ルイにはどうしても、変な男、という風にしか思えなかった。

 ルイは、もう一度窓から出て、外から隣の部屋の窓を覗き込んだ。

 そこでは、ジェレーが引き出しを開けたり棚を調べたり、果ては壁を調べたりしている。執事の方かと思ったのに。

 よほど焦っているのか、出したものを後ろに投げ捨てていた。誰かに見つかったときに、どう弁明する気なのかと思ったが、きっともう、そんなことは頭にないのだろう。
 ジェレーは真っ青で汗をかき、風呂にも入っていないのか、ひどく汚れた顔をしていた。

「ない……ない……ないっ!! 一体どこにあるんだあああっっ!!」

 絶叫が聞こえたわけではないだろうが、リビングのドアが開き、シュラが入ってくる。

「どうしたんですか? そんなに大きな声を出して」

 のんきに首をかしげるシュラに、ジェレーはつかみかかった。

「どこだ?」
「え?」
「時計はどこだあっ!?」
「時計?」
「お前が使った時計だ!! どこだ!? どこにあるんだ!?」
「…………怒鳴るなよ……うるさい……」

 普段の彼からは考えられない、どすのきいたシュラの声を聞いて、ジェレーは全身が硬直したかのように動かなくなる。

 シュラはそれを見て、やけに優しげな顔をしていた。

「ねえ……そろそろ教えてくれませんか? あなたは、誰ですか?」
「……なんだと?」
「あなたのお名前を聞いているんです」
「……ジェレーだ」
「ヴェターさん、じゃないんですか?」
「なっ…………!!」
「当たりましたか? 僕、勘が鋭いな」
「なっ……な、なんで……なんで……」

 男はさっきまでとは違い、ガタガタ震えていた。

 それを見て、シュラの方はますます楽しそうに笑う。

「なんとなくですよ。ジェレーさんが、ヴェターさんを殺そうと企んでいることを、ヴェターさんなら気づくことができたでしょうし。後継者のことで、仲が悪かったんでしょう? と言っても、ほとんど勘で当てただけですが。だけど、あなたがジェレーさんでないことだけは、最初からわかっていました」
「さ、最初からだと?」

 震える男に、シュラは一歩近づいた。

「ヒッシュさん。僕は気に入った人の仕事しか受けません。僕に仕事を頼みたい人がいて、その人からもらった手紙を僕が読んで、気に入ったら返事を書いてセディに託す。そしたらセディがその人に会って、そこで判断してくれます。僕が書いた返事を渡していい人かどうか。セディが合格だと判断すれば、僕が書いた返事を渡します。だから、僕は依頼人の顔を知らないまま、その人を屋敷で迎えることになるんです。だけど、この屋敷に来て、『私はあなたから返事をもらった人です』って言う人が、本当に本人だとは限らないじゃないですか。偽物かもしれない。僕は人間がその口から吐き出す言葉なんて、一つも信じません。だから、本人かどうか確認するために、返事を渡す時、セディに伝えてもらうんです」
「…………な、何を……?」

 すでに真っ青な男に、シュラはもう近付かずに続ける。

「僕があなたに初めて名前を聞いた時、あなたは必ず僕の名前を答えてくださいって。初めてあなたをこの屋敷で迎えた時、僕はあなたに聞きました。あなたの名前はって。その時あなたは自分の名前を答えた。あなたは僕が会いたいと思った人じゃない……」

 シュラは、あくまで笑顔だった。

 それを見て、男は口を開けたまま震え上がり、数歩下がる。

「あ、あ……」
「あなたが口にするはずだった僕の名前が、あなたがこの屋敷で生きていくための呪文だったんです。それなのに、間違えちゃうから……この屋敷に仕掛けられたものが、あなたをずっと狙ってたんです。気づきませんでしたか?」

 シュラがにっこり笑い、首をかしげる。

 すると、男は体を激しく痙攣させ、手で自らの首をおさえた。その首には、次々に汗が流れ、男の顔はだんだん血の気を失い、真っ青になっていく。

 シュラはソファに座り、じっとそれを眺めていた。

「約束の十日より、ずっと早くできたでしょう? 初めて会った時から、目の前にいるだけで、すごく不快な男だと思っていました。そんな奴が、僕の前でもがきながら死ぬ様を想像したら、やる気が出ちゃいました」
「あ、あ……」
「ご安心ください。あなたに連れてこられた二人は助けます。だって、あなたを殺すための毒を作る約束しか、しませんでしたからね」
「ち、ち、違う……違うっ……!」

 男は掠れた声で叫んで、ガタガタ震えながら、首を横に振っていた。すでに口からは涎を垂らしている。

 それを、シュラは見つめながら首を傾げた。

「何がです? 確かにしました。少なくとも、僕は。ははははは……」

 シュラが笑い出す頃には、男は首をおさえたまま絶命し、その場に倒れた。







 男が死ぬのを待って、ルイは窓を開け、リビングに入った。

 窓が開く音を聞き、シュラが振り返る。

 彼は特に驚くわけでもなく、ルイを見て、むしろ嬉しそうに微笑んだ。

「リュウ君……帰って来たんだ……お帰りなさい……」
「そいつ、死んだの?」
「うん」

 ルイは、シュラが座るソファの向かいのソファに降りた。足元には、先ほど倒れた男の死体が転がっている。それを見ても、哀れみなど微塵も湧かない。それどころか、ひどく不快だった。

 ルイは、それから顔をそむけ、シュラにたずねた。

「最初から、殺すつもりだったの?」
「最初からじゃないよ。名前を聞いた時からだ」
「ほとんど最初からじゃん」
「名前を言えば死ななかった。僕の屋敷に、無断で入る奴は殺す」
「じゃあ、僕も死ぬの?」
「まさか。リュウ君は金竜だろ。僕の毒は、人間以外には効かない。それに、リュウ君はリーイックの連れだろ? そんなことしないよ」
「リューヌは?」
「リューヌ?」
「あの人の奴隷」
「ああ……いたね。僕は、この男を殺せれば満足だよ」
「…………ふーん……みんな殺すわけじゃないんだ」
「……リュウ君?」
「リーイックが不思議がってた」
「リーイックが?」
「シュラの作った毒じゃ、誰も死なないって」
「そう……そう……リーイック……そんなに知りたいなら、僕に聞けば、いくらでも耳元で教えてあげるのに……」
「……お前の作るものには興味があるみたいだね」
「そうなんだよ! ねえ、リーイックにこれを飲ませて来てくれない!? ずっとずっとリーイックが飲みたがっているものなんだ!!」
「絶対に嫌」

 ルイがきっぱり断っても、シュラはニヤニヤ笑いながら、自分が持っている瓶を見つめて、何やら不可解なことを勝手にベラベラしゃべっている。その姿が一瞬、さっきのリーイックと重なって見えてしまった。

 もうそれに関して深く聞くことはせずに、ルイは、何より大事なことを聞いた。

「ねえ、フィズは死なない?」
「フィズ? フィズは魔族だろ? それに、ここに来ていない」
「よかった……」

 それさえ聞けば、もうこの男に用はない。

 ルイは、体の大きさを馬ほどにまで大きくした。
 そのまま、前足をシュラのか細い体に当てて、シュラをソファに押し倒す。

 シュラは目を丸くして、ルイを見上げていた。

「リュウ君?」
「殺したかった奴が死んだから、もう満足した?」
「え?」
「……びっくりしてるの? ボク、怒ってるって言ったでしょ?」
「……この前、フィズに会うのを邪魔したこと?」
「他に何があるの?」

 ルイはシュラに顔を近づける。

 口を開ければシュラの頭など丸呑みにしてしまえそうだ。

 そんなものが目と鼻の先にまで近寄って来ているのに、シュラは少し悲しそうな顔をするだけで、驚きも恐れもしない。

 それがひどく不快で、丸呑みにしてやろうかと思ったところで、ガチャリと音を立て、ドアが開く。入ってきたのはセディだった。

「なにをしているのです、金竜。シュラ様から離れなさい」

 竜の姿をしたルイに物怖じすることもなく、セディが向かってくる。

 食い殺してやろうかと思ったが、シュラの方が先に、ルイに押し倒されたまま、セディを止めた。

「待って……セディ。いいんだ……僕は大丈夫だから……セディはしばらく外にいて」
「……」

 セディは竜のルイに押し倒されたままのシュラを見て、しばらく黙っていたが、無言で部屋から出て行く。

 ルイは、シュラに向き直った。

「いいの?」
「……いいの。だって、僕はリュウ君に許してもらいたい。リュウ君は……怒っているんでしょう?」

 不安げに言うシュラの言葉を聞いて、全身が震えた。
 目の前で体を小さくする男が、ひどくうまそうに見える。
 獲物を前に、よだれが出てきた。

 ルイは、シュラの服のボタンに爪を引っ掛ける。

 さすがに今度こそ怯えるかと思ったが、シュラはそっと、ルイの爪に触れた。

 彼は、怯えるどころか、微笑んでいた。

「ねえ……僕がお願いしたこと、覚えてる?」
「……なに?」
「死ぬ前に触れさせてって、言ったでしょ? 君の肌に触れていい?」
「……だめ」
「……なんで?」

 今にも泣きそうなシュラの前で、ルイは羽を広げ、長い尻尾で彼の両腕を絡め取った。

「お前は、まだ死なないから。僕、お前を殺すなんて言ってない」
「……え? 違うの?」
「うん。ちょっと痛いことするだけ」

 ルイは、シュラの腕をおさえる尻尾に力を入れた。シュラが苦しそうに呻く。

「う……」
「……嫌なら、さっきのあいつ、呼んでいいんだよ」

 せっかく親切に言っているのに、シュラは嫌じゃないよ、と小さな声で言う。

 耐えられると、逆に腹がたつ。

 ルイは彼の腕を離すと、尻尾を振り上げ、その脇腹を強く打った。細いシュラの体はあっさり吹き飛び、彼は近くの壁に激突して倒れる。

「う……あ……」

 起き上がることもできず、額から血を流すシュラは、それでも助けを呼ぼうとしない。

「……呼ばないの?」
「……」

 黙っていられるとますます腹がたつ。ルイはもう一度、あの執事を呼ばないのかとたずねてから、尻尾を振り上げた。

「ぎゃああああーーーーーっ!!」

 尻尾で背中を打たれ、シュラが悲鳴をあげる。

 涙を流しながら痛みに耐えるシュラを見て、なぜそこまでして耐えるのか、不思議に思えてきた。

「……ねえ、なんであいつを呼ばないの?」
「……リュウ君に嫌われたくないんだ……」
「それだけ?」
「うん……」
「……」

 馬鹿な男だと思った。

 嫌われたくないと言っているが、別に嫌っていない。

 フィズと会うことや、あの二人の兵士を殺すことを邪魔されたと思った時は、確かに腹が立ったが、シュラのおかげであの二人には相応の仕返しができたし、フィズに会えなかったのは、自分にも非がある。
 それでも少し残っていた怒りを晴らしたかっただけだ。

 ルイはもう一度、小さくなってシュラの横に降り立ち、その頬を舐めた。

 するとシュラは、虚ろな目でルイに振り向く。

「……リュウ……君?」
「…………死なれると困るから……」
「……死んでも……いいから、最後に君に触れていい?」
「……ダメ」
「……お願い……」
「ダメ。ボク、お前がいなくなるのが嫌になったから」
「……リュウ君?」
「……あいつ呼んだら、お前の手当て、してくれる?」
「……セディは……僕が呼ばないとこない。リュウ君がもういいって言うなら……僕が呼ぶ」
「……呼んで。もう少し、生きてて欲しいから」

 シュラは、しばらく時間を置いて、小さな声で何か言ってから、セディを呼んだ。
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