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chap7.差し出す手
122.迷惑な申し出
しおりを挟むシュラが城に向かうため屋敷を出た頃、シグダードはベッドの上で目を覚ました。
窓の外には夕日が見える。ずっと寝ていたせいか、体はだいぶ楽になっていた。足を床につけてみると、特に痛みは感じない。
手を握ってみると、小さいものだが、拳を包むほどの水の球ができた。もしかしたら魔法の力も戻りつつあるのかもしれない。そう考えると、少し希望が見えてきた。魔法さえ戻れば、チュスラスと戦うこともできる。
久しぶりに元気がでてきて、もう一度試してみようと拳を握りしめた時、誰かがドアをノックする。
入れと答えると、食事を運んできてくれたリューヌが、シグダードに礼をして、部屋に入ってきた。
「お食事を……」
彼は、パンとスープがのった盆をテーブルに置く。彼自身は何も食べていないのだろう。相変わらず、腕も足も、骨と代わりがないほどに細く、食事を運ぶことができるのが不思議なくらいだ。
彼はいつものようにスープをすくってくれるが、とても飲む気になれない。
シグダードが彼の手を取ると、リューヌは驚いて顔を上げた。彼の、今にも死にそうな顔を見ると、もう放っては置けない。
「腹は減らないのか?」
「罰を受けます」
「黙っていてやる」
「……」
「このままだと死ぬぞ!!」
「死ねるなら、それで構いません……」
「馬鹿なことを言うな! 食べろっ! 命令だっ! 聞けないのなら死刑だ!!」
「え?」
リューヌは首をかしげる。
もう食べろと言っても聞かないと思い、シグダードは彼を羽交い締めにして無理矢理パンを彼の口元へ押し付けた。
「さあ、食べろっ!! 食べないとひどい目にあうぞっ!!」
「え? ちょ……や、やだ……」
シグダードとリューヌがもみ合っていると、今度はリーイックがドアを開けて入ってくる。
「……今度は奴隷を虐めているのか?」
「は? 違う! ちが…………」
違う、そう言いたかったが、自分に押さえつけられて、涙目になりながら震えているリューヌを見ると、強く否定できなくなった。
シグダードがリューヌを放してやると、彼は床に座り込んでしまう。
そんな彼には構わず、リーイックは、シグダードのベッドに近づいてきて腕を組んだ。
「足の調子はどうだ?」
「ああ……もうすっかりいい……」
「そうか……もう寝ていなくていい。目的を果たすための策でも練れ」
「……治療に関しては礼を言う……しかし、お前……だいぶ態度が変わったな……」
「お前はもう王じゃない。俺にとってお前は、義理で治療してやっているに過ぎないただの浮浪者だ」
「ふ、ふろ……おい! 浮浪者はないだろう!!」
「違うのなら、態度ごと元に戻そうか? 困るのはお前じゃないのか?」
「ぐ……く……」
「じゃあな。これ以上はもう知らん」
「ま、待て!」
「なんだ?」
シグダードが呼び止めると、出て行こうとしたリーイックは、かなり面倒臭そうな顔で振り返る。どうやらいろいろ嫌になっているらしい。
「リューヌをみてやってくれ……」
シグダードが頼むと、リーイックはリューヌに一瞥をくれてから、淡々と言った。
「みるまでもない。そのままでいれば死ぬ。死にたくなければ、あの主人から離れろ」
彼の言う通りだ。
シグダードは、リューヌに振り返った。
「こいつの言う通りだ。リューヌ。こんな扱いは理不尽だ。ファースは奴隷の待遇改善を求めていたんじゃないのか?」
「……」
リューヌは俯くだけで、何も答えなかった。
すると、代わりにリーイックが答えた。
「ファースはもういない。その政策を引き継いだヴィザルーマもだ。そうでなくとも、そんなことをおとなしく聞く貴族は少ない」
「だからと言って、このままではこいつが死ぬだろう!! この冷血医術士め! もういい、私が話をつけてやる!! こい、リューヌ!!」
シグダードはベッドから飛び降り、リューヌの腕を引いて歩き出した。
急なことに、リューヌは目を丸くする。
「は、話をつける?」
「私がお前の主人に、お前を解放するよう言ってやる!」
「やめてくださいっ!! そんなことをしたら、どんな罰を受けるか……」
リューヌは力の入らない体で必死に抵抗する。しかし、死にかけているような彼にそうされても、大した妨げにはならず、シグダードはリューヌを引きずるようにして引っ張った。
「うるさいっ!! 行くぞっ! 看病の礼だ。主人のところに案内しろ!」
「やめて……」
「黙れっっ! 逆らうなら死刑にするぞっ!」
「え……えええ?」
戸惑うリューヌを引きずって、シグダードは部屋から出た。
後ろでリーイックが「ありがた迷惑だな」と呟く声が聞こえた。
*
リューヌを連れて、シグダードは屋敷の中を彼の主人を探して歩いた。
しかし、屋敷は広いのに、誰もいない。その上シグダードはリューヌの主人を知らない。ジェレーと言う名前だけはリューヌから無理矢理聞き出したが、彼はそれ以上のことを話してくれない。
「リューヌ、いい加減教えろ。主人はどこにいる? どんなやつだ?」
「で、ですから、どうかやめてください! そんなことをしたらどんな罰を受けるか……こ、殺されてしまうかもしれませんっ!」
「このままでも死ぬだろう。それならおとなしくさっさとはけ!!」
「な、何を言ってるんですか! も、もう意味がわらかない……とにかく、やめてくださいっ! お願いします!!」
「うるさい! 隠し立てしても無駄だぞ!」
「や、やめて……」
怯えるリューヌを引きずり、シグダードは廊下を進んだ。適当にそばにあった部屋のドアを開けて中に入るが、誰もいない。そこは本棚がある以外、何もない部屋だった。
「おいっ!! 何をしているっっ!!」
ひどいだみ声に振り向けば、男が一人、ドアを開けて立っている。中肉中背で派手に着飾っている割に頭はボサボサで、無精髭を生やした男だった。
リューヌはその男を見て、真っ青になる。
「ご、ご主人様!!」
彼はすぐにその場に平伏する。怯えるリューヌに、ジェレーは大股で近づくと、取り出した鞭で彼を激しく打った。
悲鳴をあげるリューヌの前に、ジェレーは仁王立ちになる。
「お前、何をしていた?」
「あ、あ……ご、ご命令どおり、あの方の看病を……」
「口答えをするな!!」
ジェレーが再び鞭を振るう。シグダードは二人の間に入り、振り下ろされる鞭を掴んで止めた。
「やめろ! この国の王は奴隷制に反対していたはずだ!」
「なんだ? お前は? ヴィザルーマは死んだ!! チュスラス様は奴隷制の復活を宣言されている! それは俺の奴隷だ! どけ!」
「断る。リューヌを自由にしろ!」
一歩もひかないシグダードに、ジェレーは奇妙なものを感じたのか、訝しげにシグダードを睨みつける。
「貴様……何者だ? 名前は?」
「……それは……」
「なんだ? 名乗れないのか?」
「…………し、シグだ」
「シグ? ……そうじゃない。フルネームで名乗れ」
「……」
「お前、一体何者だ?」
「……それは……その………………浮浪者だ」
「……」
ジェレーはしばらく黙ってから噴き出した。
「はっ……はは……は……ふ、ふ、浮浪者!? そんなものが俺に喧嘩を売っていたのか? ふざけるなっ! 失せろっ!」
「ふざけているのはお前の方だ! リューヌを」
叫ぶ途中で、シグダードはジェレーに殴り倒された。やられて黙っている気はない。シグダードは、ジェレーを力の限り殴り飛ばす。その男はあっさり床に倒れこんだ。
シグダードはその男に馬乗りになって胸ぐらを掴み上げた。
「さあ、リューヌを自由にしろっ!」
怒鳴るシグダードを、ジェレーは怒りに満ちた顔で睨みつける。
「いいのか? 俺にこんなことをして……おい!! リューヌ!! この男はお前の差し金か!?」
急に自分に向かって怒鳴った主人に、リューヌは震え上がる。
「違います……違いますっ!! ぼ、僕は止めたのに、その方が勝手に……僕は関係ありませんっ!!」
「よく言う……お前がたきつけたんだろう! 罰は受けてもらうぞ!」
泣き叫ぶように言うリューヌを、ジェレーは怒鳴りつけた。彼を傷つけることは許せない。シグダードは、ジェレーを怒鳴りつけた。
「おいっ! あいつは関係ないっ! 私が勝手にしていることだ!」
「そうであったとしても、罰を受けるのはそいつだ!! 分かったらさっさとどけっ!!」
シグダードは、歯噛みしながらジェレーから離れた。
男はにやにや笑いながら、シグダードを突き飛ばす。
「わかったか? お前が何を叫ぼうが、何もできない。それとも、お前がそいつを買うか?」
「買う……?」
「ああ。それは俺の所有物だ。欲しければ金を払えっ!!」
腹立たしいが、言い返すことができなかった。
シグダードが喚いたところで、リューヌはジェレーの奴隷だ。それを無理矢理奪い取れば、咎められるのはシグダードの方だ。
しかし、リューヌには看病の恩があるし、こんなことを見過ごしたくない。なにより、今引き下がれば、この男に負けたようで嫌だ。
「……いくらだ?」
「本気か? お前、本気でこれが欲しいのか?」
「いいからいくらか言ってみろっっ!!」
「……………………百だ」
「百……百だな!! それだけあれば、リューヌを自由にするんだなっ!?」
「金貨でだぞ」
「きっ…………金貨っ!? 金貨百枚かっ!?」
「ああ。金貨だ。金貨で……百だっ!! それだけ……それだけあれば逃げられる……それだけあれば逃げられるっ! さあ出せっっ! 金貨で百だ! さあ、出してみろっ!!」
喚くジェレーに、さっきまでとは違う鬼気迫るものを感じてシグダードが黙り込むと、ジェレーは口元をおさえ、目をそらす。
その仕草を不思議に思って、シグダードがジェレーをじっと見ていると、その目線に気づいたのか、ジェレーはシグダードに向き直った。
「出せないのか?」
「………………今は出せない。今は出せないが、必ずそれだけ集めてみせるっ! だから、必ずその時はリューヌを自由にしろっ!」
「……そんなに待てるか……っ!!」
ジェレーはリューヌに歩み寄り、彼の髪を鷲掴みにする。
「こいつが欲しければ急ぐんだなっ! もたもたしているとこいつが死ぬぞ! さあ、来いっっ!! お前は罰を受けろっ!」
「ひっ……どうか……どうかお慈悲を……!」
泣き出すリューヌを放っておけなくて、シグダードは、ジェレーを怒鳴りつけた。
「おいっ!! やめろっ!! リューヌの言っていることは本当だ!! リューヌは確かに止めた! 私が勝手にお前に殴りかかっただけだ!!」
シグダードが怒鳴るのを聞いて、ジェレーはシグダードに振り返る。
「罰を受けるのはこいつだ。お前のせいでな」
「やめろっ! お前を殴ったのは私だ! 罰なら、私が受けるのが道理だ!」
「は? お前……まさか、お前が代わりに罰を受ける気か!?」
シグダードは覚悟して、笑うジェレーの前に立った。
「ああ。罰なら私が受ける。リューヌから手を離せ!」
「それが今から罰を受けようとする者の態度か!? そうしたいと言うなら、その場に跪けっ!!」
ジェレーの言葉に、シグダードは歯を食いしばり、その場に膝をついた。頭を踏みつけられ、今すぐに殴り倒してやりたくなるが、それではまたリューヌが殴られる。彼は何もしていない。
ジェレーを怒らせたのは自分なのに、彼が殴られるのを見ているわけにはいかない。
「ぐっ……」
「ずいぶんな覚悟だが……耐えられるか? 最後まで」
「うるさい……さっさとやれっ!!」
「それが罰を受ける態度かあっ!!」
ジェレーは叫んでシグダードの頭を蹴り飛ばす。床に倒れたシグダードは、何度も腹を蹴られ、息ができなくなった。
「ぐ……」
「立てぇっっ!! まだ終わってないぞ! 早くしろ!!」
怒鳴られ、シグダードはフラフラしながら腹をおさえ、立ち上がった。
目の前の男は鞭を片手にニヤニヤ笑っている。
「ずいぶんな変人だな……まさかとは思うが……嬲られるのが好きなのか?」
嘲るように言って、ジェレーは気持ちよさそうに何度も鞭を振る。
ついに膝をついたシグダードに、ジェレーがにやにや笑いながら近づいてきた。しかし、その男がさらに鞭を振りかざす前に、誰かが部屋のドアを開ける。
初めて見る男だった。真っ黒な長い髪の、冷たい目の男で、身なりから執事であることは想像がついた。
その男は、ジェレーに向かって恭しく頭を下げる。
「こんなところにいらしたのですか……ご主人様……」
その男を見て、先ほどあれだけ喚いていたジェレーは、急に大人しくなった。
執事はジェレーにゆっくり近づいてくる。
「さあ、参りましょう。こんなところで油を売る時間はありませんよ……」
「……」
ジェレーは黙ったまま、部屋から駆け出していく。
執事はため息をついてそれを見送り、シグダードに向き直った。
「あなたにもご迷惑をおかけしたようで、申し訳ございません……よければ……お名前をうかがってもよろしいでしょうか?」
「……シグだ」
「……シグさん、ですか……ずいぶん……ひどい怪我をされているようですが……」
「……お前の主人にやられたんだ」
「鞭の傷ではありません。お顔はどうされました?」
「……火傷だ」
シグダードは、包帯を巻かれ、焼けた跡が残る顔に触れながら答えた。その間も、鞭で打たれた傷が痛む。
呻いてうずくまるシグダードを、執事は口元を手で隠しながら見下ろしていた。バカにされていると思い、シグダードが睨み付けると、執事は気味悪く笑って、部屋から出て行く。
リューヌが慌ててその男について行くのが見えた。
シグダードは、それを見送りながら気を失った。
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