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chap5.浸潤する影

98.開戦の合図

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 イルジファルアは、注がれた酒を半分飲んで、ワイングラスをテーブルに戻した。

 酒を飲み干した隣のストーンは、イルジファルアに不敵な笑みを向ける。

「ところで、イルジファルア殿。シグダード・キラフィリュイザは、本当に死んだと思われますか?」
「疑うべきですか?」
「おや、あなたほどの方が、ことを楽観視しておられるようだ。竜に乗ってシグダードを担いで逃げた男のことを、ご存知ないのですか?」
「……これは痛いところを突かれました……私の甥がバカな真似をしてしまい、本当に申し訳ない。皆にも頭を下げて回っているのです。あれは昔から少々狂っておりまして、私どもも迷惑しているのです。陛下には見つけ次第、極刑に処していただくよう、進言しております。誠にお恥ずかしい話です。一族の中から、魔王に魅入られる能無しが現れたなど……恥以外の何物でもない……」
「では、あなたはご存知なかったのですか? リーイックの動きを」
「私をお疑いですか? ストーン殿。それはやめていただきたい。心外です。それに、非常に残念だ……あれと私が手を組むというのですか? アリフィールドの息子と、私が……」
「まさか。ただ、若輩の私は不安なのです」
「不安?」
「名高いイドライナ家の方に比べれば、私たちなど豆粒のごとく小さな存在。それなのに、急に降って湧いたようなお力添えに、恐縮しているのです」
「これはこれは……グラスを率いるといっても過言ではない、高名なミラバラーテ家の当主が、そのようなご謙遜を……謙遜も度が過ぎれば、あなたが率いる者達に対する侮辱となります。自ら品位を落とすなど、あなたらしくもない……私はただ、あの魔王はもう不要だと、そう考えただけです。古ぼけた力を振りかざすだけの暴虐な王に従っていては、私たちの未来は暗い、そう考えるに至ることを、おかしいと思われますか?」
「いいえ、まさか。シグダード・キラフィリュイザは王の器ではない。皆同じ意見でしょう。あれは兵器です。あの魔法の力は、そう呼ぶにふさわしい……あの力を捨ててしまうなど、どれほどの不利益になるか、あなたはお考えになったことはないのですか?」
「はは……」
「……どこかおかしなところでもございましたか?」
「ええ、もちろん……あのような野蛮な力に代わる素晴らしいものを、この国はすでに手に入れているではありませんか……」
「魔法に代わるもの? 興味深いですな。何とお考えです?」
「おや? お分かりになりませんか? どうやら、可愛がっている踊り子に夢中で、少々勘が鈍っておられるご様子だ」

 湧いて出た「踊り子」という言葉に、わずかにストーンの表情が歪む。

 ちょうどその時、ノックの音がした。待っていたものが来たようだ。

 イルジファルアが入れと告げると、それはドアを開け、その場で恭しく頭をさげる。金色の長い髪が肩にかかり、長いまつ毛に美しい瞳が隠れていた。

「このようなお席にお呼びいただき、誠に光栄でございます。イルジファルア様。ストーン様。リリファラッジ・ソディーが参りました」

 貴族達からストーンが目をかけていると聞いた踊り子の、思いがけない登場に、ストーンは平静を装いながらも、驚いているようだった。

 フィズの刑の変更を提案したのはストーンだ。ストーンは、せっかく最後に城に残った魔族なのだから、シュラの用が終わるまでの間、城のために働いてもらおうと言い出した。

 どうせ近いうちに死刑になるのなら、それまでどう暮らそうが、イルジファルアにはどうでもいいことなので、その時は賛成した。

 ストーンが言い出し、イルジファルアが賛成したことに、異を唱えることができる者はこの国には存在しない。

 結局、フィズは死刑になるまでの間、奴隷として過ごすことになった。

 しかし、今になって考えてみれば、リリファラッジへの贈り物ともとれる。ストーンからしたら、一度行方不明になり、敵国で魔法使いを作り出したかも知れないフィズが、城の中に限定されているとはいえ、ふらふらうろつくことは避けたいはずだ。

 そう考えると、貴族たちに気に入られている踊り子、リリファラッジ・ソディーというものに、にわかに興味が湧いた。

 イルジファルアは、隣のストーンに視線をやり、ニヤリと笑った。

「私が呼びました。あなた方のお気に入りの舞……私も拝んでみとうございます」
「……」

 こちらが話しかけても、ストーンは答えない。彼の緊張した面持ちからは、先ほどの余裕が消えている。どうやら、よほど驚いたらしい。これからが本番だ。

 イルジファルアは、リリファラッジに踊りを促してから、空になっていたワイングラスに新しい酒を注ぎ、ストーンに笑いかけた。

「魔法に代わるもの……先ほどあなたがおっしゃったものですよ……」
「は?」
「豆粒のごとく小さなもの達を救うためにここに現れた、強大なものがあるではありませんか。ご自分でおっしゃりながら、お忘れですか? ストーン殿」

 例の毒が示している。廃れた種族の野蛮な力など、もう必要ない。イルジファルアの一言で、そんなものは簡単に潰せる。

 グラスの貴族たちも、気づき始めている。

 あの野蛮な力に取って変わるべき、強大なもの、それはイルジファルアであることに。それさえあれば、自分たちの力で勝利を掴むことができることに。

 目指す目標まであと少し──次の標的は、この男だ。
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